昆虫を味見する際に留意したい点として
「昆虫を差別しない」ことが挙げられます
当然分類するので区別はします。そして その生態や味から
利用法や調理法を考えていくことが必要です。
ここでいう「差別」とは、
「対象の特徴を無視して観察者のバイアスを優先すること」
と言えるかと思います。
直感的にわかりやすいのは「キモい」「生理的にムリー」
でしょうか。
このキモさ(嫌悪感=Disgust)には生来の遺伝的バイアスだけでなく
文化的なバイアスが多くかかっています
特に
昆虫に関してはごく最近までヒトの食品でしたから、
ヒトがこんなにも短期間に遺伝的な忌避行動を獲得するわけもないので
多くは文化的バイアスといえるでしょう。
逆に言うと百年以内に昆虫食に戻る可能性もあるわけですから
安易に遺伝子に刻んでは危険なのです。
むしろヒトは文化として、世代を超える情報を外部保存することで
遺伝情報よりも臨機応変なバイアスを持つことに成功したといえるでしょう。
ということで
我々は多くの文化的バイアスがかかっています。
そして、
その文化的バイアスから独立した視点をもつために使われるのが、
「科学」という客観性を重視した手法といえるでしょう。
昆虫の分類も
「好き嫌いは置いといて、皆が客観的に判断できる手法を用いて、、個体をグループに分け、
近い順に並べる科学的手法」と解釈できます。
さて
一つ前の記事で「直翅目にハズレ無し」と書いたばかりですが
実は未だ直翅目の分類群を網羅していません。
これから食べようと思っているケラ科(今年は見つからなかった)の他に
カマドウマ科という高いハードルがあるのです。
おそらく美味しいとは思うのです。
今回捕まえたのはクヌギの樹液を食べに来るマダラカマドウマ。
樹液食は美味しい要素の一つです。
しかも翅がなく、飛ばないので体重もあり
日光を必要とせず、高密度でもケンカしない。
翅のないキリギリスといえる体型。
どれも美味しそうな要素しかありません。
サラブレッド。もとい直翅目界のブロイラー
と言っても過言ではないのですが。。。。。。。
ごめんなさい。主観的にキモいのです。
思い出すのは一人暮らしを始めて二年目の仙台。
秋も深まり、寒い夜にシャワーを浴びようと浴室へ。
私は極度の近眼なので、シャワーを浴びる際は
極端に防御力が低下します。全裸で目も悪い、地中性の生物のようです。
勝手知ったる我が家の浴室なので、何の警戒もしていませんでした。
シャワーを出したその瞬間
足元に何かが駆け上がったのです。
お察しのことと思いますが、カマドウマです。
ハエや蚊、ゴキブリならともかく、体重があり、
壊れた玩具のように跳ねまわるカマドウマの感触は
なかなか自分の記憶と一致しませんでした。
おぼろげながらカマドウマとわかり、
一旦撤退し、メガネをかけ直し、
全裸のままカマドウマを捕獲。ベランダから投げました。
そのためか、カマドウマにはまだまだ苦手意識があります。
でも差別してはいけません。
自分に文化的なバイアスがあると認識した以上、
意識的に
差別につながらないよう
行動せねばならんのです。
行動とは。当ブログでいうところの味見ですね。
前置きが長くなりました
なんせ茹でられたカマドウマが右手のそばにあるものですから
味見のタイミングを伸ばしたいという深層心理の現れかと思います。
マダラカマドウマ Diestrammena japanica
味見
少し土っぽい枯れ葉系の香り。しかし抜群に美味い!なんだこれは。体液はほとんど感じられず粒感と弾力のあるタンパク質の塊がやってくる。焼きタラコのような食感。
翅がなく、胴がたっぷりしているので肉質なのかと。
キリギリス科の中でも抜群に美味しく、とても意外でちょっとだけ残念。
クラスの地味な子がアグレッシブな特技で突然人気になってしまい話しかけづらくなる感じ。
でしょうか。
文化的バイアスは
かかっていると自分が認識してから、
その逆バイアスをかけ直すには、多くの努力が必要です。
ですが、その先にはどの文化的素養のあるヒトの間でも形成できる
多様性を許す社会が出来るのでは、と思います。
また、そのバイアスが他文化に悪影響を与えない場合、
誇るべき文化として自らの強固なアイデンティティを形成することになるでしょう。
もう一度いいます
「直翅目にハズレなし」(ケラは未食)
養殖は容易そうですね。佃煮だったらたべてみたいです^^
カマドウマは実家の壁にびっしりいるのを見てしまってから抵抗が・・・
でも旨いのかぁ・・・
私もカマドウマ無理です。
すごく今更なんですが、クチクラとはどういう意味ですか?
ここのブログ主が見てキモイと思う虫がまさか存在するとは。
世の中(?)広いですな。
こんにちは
私も似たような経験がありまして高校生時代に合宿で山中にいったのですが大便を排出している最中ズボンの中に入り込まれた経験がありました