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ラオスの国際保健の分野にいることで、色々と勉強をしてきたんですが、「タンパク質クライシス・タンパク質危機」と言う話を、とんと聞かないなと。確かにタンパク質は、重要な栄養素ではあるものの、世界的に、タンパク質を増産して、人々の栄養を支えよう、という旗振りをしている人が誰もいない。

昆虫食品の生産者、販売者、そして「代替肉」の議論でよく言われがちなのが、将来、人口増加によるタンパク質不足が起こるので、そのために安定生産をしなければならない、です。これもまた奇妙です。歴史的経緯をまとめた論文があったので、勉強しました。ちょっとまとめてみましょう。

1、栄養不良の人たちの一食と、栄養が足りている私たちの一食は同じ価値ではない。

「増産」が栄養に貢献する、と信じる背景には、栄養が公平に配られているはずだ(配られるべきだ)と言う価値判断があるでしょう。満腹なお腹に押し込む、シメのラーメン、スイーツは別腹、など、娯楽的に食べられる食事よりも、栄養が足りていない人たち、発育初期での成長が阻害されることでその後の人生にわたって何十年も、悪影響を受け続ける子供に届けるべき、と言うのは、直感的にも信じられるし、人類の最大幸福を目指す功利主義哲学とも一致するので、あまり論争はないでしょう。そうすると「栄養問題」の主人公は当然ながら「足りていない人たち」となります。

足りている私たちの食べ物を効率的に変えることが、回り回って誰かの栄養になる、というトリクルダウンを信じたいところですが、人類の食糧が十分以上生産されている現在ですら、10人に一人が栄養不良なのです。残念ながら、これが「ただ一つの何かの増産」によって解決する、と考えている国際保健の人たちは存在しません。なぜなら、栄養不良の原因と背景が多様で、その解決に至るアプローチも、同じように多様でなければ効かないからです。それが1970年代以降の「栄養」分野の蓄積でした。

2、「給食に脱脂粉乳」はあまりに鮮烈な「栄養介入」の印象を残しすぎた。

日本での「栄養介入」の鮮烈なイメージは、戦後給食による脱脂粉乳でしょう。飲んでいた世代も団塊世代以上になりますが、いまだに栄養介入といえば給食とタンパク質、というイメージはこの時の風景を引きずっています。当然ながらあれから50年以上経ちますし、研究は進み、介入アプローチは変わっています。生後1000日が、最も重要で、解決すべき栄養不良で、その投資効率は16倍に達する(この時期に1ドル栄養介入した時の長期的な経済効果は16ドル)となり、人類にとって最も投資効率が高い分野が栄養、とも言われています。たしかに給食アプローチは(子供が労働力である貧困地域においては)出席率の向上には効果がありますし、みんなに平等に配ることで、貧困世帯であっても気兼ねなく、栄養を補完することができますが、先進国では世帯ベースの支援が基本で、「給食で栄養を補っている子供」がいたとしたら、そこに集中して福祉が介入した方がむしろコスパが良い、と言う結論になっています。並行して、就学児以降に栄養を補完しても、ある意味手遅れで、生後1000日の間の栄養不良はリカバーできないこともわかってしまいましたので、途上国におけるアプローチとしても、印象の割に効率的な介入ではないことも判明しています。

3、The Rise and Fall of Protein Malnutrition in Global Health (国際保健におけるタンパク質栄養不良の盛衰)

それでは今回のキモ、総説に移りましょう。
「タンパク質危機」「タンパク質ギャップ」は国連が1950年代から70年代まで国連がえらく注目して警鐘を鳴らしていたが(日本の脱脂粉乳支援も同じ文脈)、今やそうでもない(タンパク質も含めて総合的に判断・介入せよ)という、まぁ普通な話です。地味な話ほど検索では引っかからないので、せめてここに残しておきます。

やはり研究の進捗により栄養における重要度ランキングは上下しています。1950年代から70年代まではタンパク質、その後長らく微量栄養素の隆盛があり、診断基準が整備され、その上で感染症対策におけるワクチンなどの効果が発揮され、2000年代に乳幼児死亡率の劇的な低下という、MDGsの大きな成果があった後に、2015年からの貧困対策、農業、環境、民間セクターを巻き込んだ統合的な介入を目指すSDGs、という話になってきます。つまり「SDGs」という文脈で、1950年代の話をしていては、チグハグになってしまうのです。

1930年代、劇的な発見がありました。劇的な発見は、国際社会を大きく変えるものです。アフリカで「クワシオルコル」というタンパク質不足を原因とする(らしい)疾患が発見されました。「お腹のぽっこりしたしんどそうな子供」の写真を見たことがあるでしょうか。外見的な特徴から診断されるのですが、その後の死亡率が高いことから、発症後の治療よりも原因究明と対策が必要でした。母乳栄養が中断した子供に起こりがちであること、肝油と牛乳の組み合わせで改善することから、トウモロコシなどの栄養バランスの悪い食物による非感染性疾患と考えられています。

1949年、FAOは発展途上国で全般的にクワシオルコルが広がっているのではないか、と調査を開始し、専門家委員会を結成しました。アフリカでは調査地全てで発見され、牛乳を飲む部族では見られないこと、中央アメリカやブラジルでも見られることなどを発見しました。

1952年の会議で「タンパク質栄養失調 protein malnutrition」という用語が導入され、母親、乳児、子供の栄養失調に特化して議論が進みました。その中でmarginal(ちょっとした)な、subclinical disease(医者にかかるほどでもない疾患状態)が慢性的に起こっていると指摘されました。

ちょっと解説しますが、これはグローバルヘルス(国際保健)が、病院にかかるまでを支援したり、病院の外での日々の生活向上に口を出すことの背景ともなっています。私たちは何か違和感があれば病院にかかりますし、出産はほぼ病院が定番ですが、ラオスでもよく見ますが自宅分娩であったり、何か違和感があったら病院の前に祈祷師に相談するなど、やはり「保健」病院にかかる前、病院の外の行動が、病院そのもののレベルアップにも必須ですし、彼らの生活をサポートするために必要だ、と言われています。

1955年の会議では、「欠けた桶」のイメージで知られる論点が示されました。つまりタンパク質の質(必須アミノ酸のバランス)と量とが、重要であるとの結論です。「かけた桶」のイメージは、例えばトウモロコシをたくさん食べることで、見かけ上のタンパク質をたくさん取れていたとしても、必須アミノ酸であるリジンが不足していると、リジンの最大値までしか、他のアミノ酸も利用されない、無駄になってしまう、というものです。

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そこで二つの戦略が示されました。地元で生産される「おかず」として、野菜や魚の生産と消費を推奨するアプローチと、安価で保管しやすい、補完的な栄養食品の生産と配布です。

一連の研究の中で、クワシオルコルの手前となる「低身長」が、重要な指標であることも示されました。年齢に対する身長の伸びの悪さ(Stunting)はラオスの農村部でもいまだに続く問題です。

1955年 国連タンパク質アドバイザリーグループ(PAG)が結成されました。PAGの目的は、WHO FAO UNICEFに、「タンパク質リッチな食料プログラムの提供」が目的とされました。

1960年には、異なる文化の食習慣を理解するために、社会科学の専門知識を取り入れました。(このアイデアは素晴らしく、ここで昆虫食も入るべきだったんですが、これは60年ほどしばらく後回しになるわけです)ここでは栄養教育、社会科学者の関与、食習慣を研究する方法、新しい食品を導入する方法を見つけることが目標とされました。ここでカロリー当たりのタンパク質、年齢・体重当たりの身長の伸びの悪さ、を指標とする「タンパク質カロリー栄養失調」という用語が定義されました。(後に、低身長の原因はタンパク質だけじゃないよと指摘されるわけですがこの時はそう指標が決まりました。)

1963年の会議では(給食ではカバーできない)就学前児童へリーチする方法が議論されました。1965年の会議では、牛乳、食用魚、穀類、リジン・メチオニンの生産、大豆、綿の種、紅花、トウモロコシのアミノ酸バランス向上がトピックとなりました。(ここでも昆虫は一切出てこないです。)
途上国の子供に脱脂粉乳を提供する(日本の脱脂粉乳給食もその一環ですね)アプローチはモーリス・パテが関与し、1965年、ユニセフはノーベル平和賞を受賞します。ノーベル賞をとってしまうとそこに異論を挟むのが難しくなるというのはまぁどこでもそうでしょうね。

1968年「タンパク質ギャップ」「タンパク質危機」という用語が登場します。即時の対応を必要とする、世界的な緊急事態である、という警鐘を鳴らすものでした。

タンパク質危機を回避するための国連の政策目標 1968
1、従来の人間が直接消費する、植物性・動物性タンパク質の増産の促進

2, 海洋漁業と淡水漁業の両方の効率と範囲の改善のための行動

3、農地・倉庫・輸送における不必要なロス(今ではフードロスと呼ばれますね)の低減

4、油用種子や油用種子タンパクの人への直接利用の促進

5、魚タンパク質の利用促進

6、合成アミノ酸の利用と穀物・野菜からのタンパク源の開発、合成栄養素の利用

7、単細胞生物由来のタンパク質の飼料用・人間用の利用

あれ、相変わらず昆虫食は蚊帳の外ですが、現在語られている「タンパク質危機」「食糧危機」の話と全く同じに見えますね。そうなんです。今の代替肉や培養肉で広告される「タンパク質危機」は、1968年のグローバルヘルスの議論から発しているものの、彼らはこれを引用しません。なぜかというと、この議論はだいぶ古いのと、「新しい」肉を売りたい企業が、1960年代の古いコンセプトで考えていることがバレてしまうと、企業価値を下げかねないからです。営利企業である彼らが、公平な議論を運営することの限界が、ここにあるでしょう。彼らを非難するつもりはないですし、私が雇用されたら、こういった議論を減らすかもしれません。総合的な議論をすべきや行政や大学の責任ですが、まぁそこら辺の批判は直接届けています。変わるかどうかは彼ら次第でしょう。

余談ですが、「石油タンパク」が大きな反発を受けたのもこの時代です。消費者団体が、酵母の培地の原料であるパラフィンに発がん性物質があるのではないか、と不信を募らせて、1973年に申立書を提出、大きな行動へと拡大しました。食品安全法に「新規開発食品」が定義され、実質的に販売不可となりました。
「食品と健康被害との因果関係が認められない段階で流通を禁止できる」ことと
禁止解除のためには「人の健康を損なう恐れがないことの確証」つまりリスクゼロの証明をしなくてはいけない、という無理ゲーが設定されたのです。

当然ですが、通常食品についてもリスクゼロのものなどありませんので、過度に厳しいルールが追加された、と言えます。

さて、この辺りの議論を読んでみると

(1)栄養とい うことに対す る教育問題
(2)製造原価の問題
(3)輸送問題
(4)保存貯蔵の問題
(5)社会習慣の問題
(6)宗教的信念の問題
(7)社会的地位、身分の問題
(8)味
(9)政治上の問題

おどろくほど、今の代替肉と「同じ議論」がされているのがわかるでしょうか。その後、石油価格の高騰(オイルショック)に伴い、立ち消えになったのですが、現在では石油から合成されたリジンが195万トンメチオニンなどの飼料用アミノ酸はすでに普及しています。その明暗を分けたのがなんなのか、正確にはわかりませんが、直接食用にする際のサイエンスコミュニケーションが十分でなかった可能性があり、これは昆虫食でも言えることです。過去をしっかり直視して、未来につなげていきましょう。

「食べている人がすでにいること」
「新しくないこと」
「強要するものではないこと」
「おいしいこと、楽しいこと」

この辺りが私の重視する戦略なのですが、「役に立つ昆虫食」「未来の昆虫食」として、これまでの歴史と切断処理をしてゴリ押すことで、陰謀論の温床になったり、技術一辺倒な税金投入が、かえってサイエンスコミュニケーションとのアンバランスを産んだりと、色々と心配しています。


話を戻します

1970年の報告では、1歳から9歳までの発展途上国の子供の2から10%に影響を及ぼし、1−5歳児の最大50%が影響を受けている、とし、発展途上国における乳幼児の死亡率、発育不良、寿命の低下の重要な原因と認識されました。

PAGはピーナッツ、ごま、ヒマワリ、藻類、合成アミノ酸を使用した食品の開発を進めていましたが、コスト・生産・受容性の問題で後退、補完的な食品の開発へとシフトしました。しかしPAGの「実用的な成果」がないことに不満が高まり、タンパク質ギャップへの支持が揺らぎ始めます。

1974年、「グレートプロテイン・フィアスコ(タンパク質の大失敗)」という批判記事がランセットという著名な医学誌に出されます。

この中で、国連によるあまりに過度な「タンパク質偏重」が、タンパク質だけに特化した介入が今ひとつ成果を上げなかったことや、先進国におけるタンパク質必要量がの下限が下がり、途上国はそこまで不足しているわけではない、と「ギャップ」が閉じられたこと。マラスムスのような、タンパク質以外、全般的な栄養不足による症状が多くあることも見逃したことして、批判しました。150万人が死亡した1974年のバングラディシュ飢饉を受けた世界食糧会議にはPAGはコンサルタントとして呼ばれず、タンパク質は議事録から一気に減ってしまった。
同年、世界食糧評議会が設立され、栄養と食糧生産、安全保障、貿易、援助に関する国連機関同士を連携することが使命とされました。ここでいわゆる「タンパク質偏重」はキャンセルされ、各機関の連携による「総合的な対応」へとシフトした、と言えます。PAGは1977年、解散します。これらを主導したウォーターローとペインは、1975年のネイチャーで、タンパク質危機はもはや支持されないとし、タンパク質以外からの栄養不良も起こること、感染症との相互作用もあると指摘しつつ、以下の言葉でまとめています。

“But perhaps the story of the protein gap shows the arrogance of supposing that we know the answers, and illustrates the need for a continuing critical examination of the premises on which action is based.”

私たちが答えを知っていると思い込むことの傲慢さを示し、行動を起こすための前提を批判的に検討し続ける必要性を示しているのかもしれない

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/810729/

ほんと、肝に銘じたいところです。

The overturning of false paradigms is a painful and costly business and lacks the glamor of making new discoveries 誤ったパラダイムを覆すことは痛みを伴い、コストが高い仕事で、新しい発見をすることの華やかさに欠けている。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5114156/#R37

4,「タンパク質の大失敗」その後の動き。

さて、この後の動きをざっくりと、ですが、MDGsの成果を見るとよくわかります。微量栄養素の不足による疾患の診断、解明と、ヨウ素・ビタミンAなどの添加による改善、ワクチンなどの感染性疾患の対処など、複合的な要因による乳幼児死亡率の劇的な低下など、大きな成果を上げています。

そして2015年のSDGs「貧困の撲滅」を最大課題とし、「各ゴールは統合され不可分」と宣言し、環境や民間セクターを巻き込んで、持続可能なものにしていこう、との流れを作りました。それがうまくいっているかはさておき、理念としては、これまでのタンパク質偏重から、複合要因へのシフト、感染性疾患へのワクチン、微量栄養素補給などの「外からやってきて劇的な変化をもたらす」成果があったことで、隠れていた問題も明らかになってきました。

つまりタンパク質は相変わらず重要な栄養素であり、「外から持ってくる」だけでは賄いきれない、というものでもあるわけです。微量栄養素の欠乏は診断できますので、それらのない地域での、主要な栄養素、タンパク質・脂質・炭水化物について、バランスよく摂取できるよう、地域の社会に即した貧困改善をしながら、栄養も低下させないようにフードシステム全般を設計構築しよう、という壮大かつローカルな取り組みが必要になったのです。

この「壮大かつローカル」が、世界に何をもたらすのか、という点については、FAOが2021年から取り組んでいる、「先住民のフードシステム」にも現れていますが、持続可能性という点について、先進国のこれまでの技術開発では石油からの変換効率や、資本効率をに偏重してきたものの、最適化されたものではなく、むしろ小規模な先住民が、地域資源を利用しながら営んできた生活の中に、地球全体の持続可能性のヒントが隠されているのではないか、というものです。

そうすると「タンパク質の大失敗」のもう一つの面が見えてきます。「世界全体でチャンピオンの食べ物を食べる」という前提すらも、すでに崩れているのです。ローカルなフードシステムの、当事者による開発が各地で分散的に行われ、その中から他地域にもジャンプできる技術があれば共有し、「パッチワーク」のように、人と環境と文化の結果、ローカルなフードシステムが構築されていく、そんな「小農」が主役になる未来をFAOは描いているのですが、

果たしてFAOを引用する皆様、どこまで理解していただけているでしょうか。

それとも知りつつ、あえて無視しているのでしょうか。