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2015年に創刊された学術誌、Journal of Insects as Food and Feedが、2020年6月の段階で意見記事を出していました。私が気づいたのは9月ですが、(しばらく下書きで放置していました)素早い対応に感謝します。社会全体が不安に煽られるとどうしても弱いもの、嫌悪感をそそるものに攻撃が行きがちです。解説しておきましょう

EUでは昆虫のヌーベルフード(新規食材)としての審査が最終段階にありますが、いずれも養殖昆虫を指していることから、この意見記事には採集昆虫に対する言及はなさそうです。

この感染症が発生当初から、センザンコウやコウモリなどの野生肉由来ではないか、と推察されてきたことから、中国では野生肉の食用を禁止する動きがありました。しかしロックダウンをするような事態になると、むしろ自給自足で野生動物の肉を食べている田舎において、流通の停止はむしろ栄養状態を悪化させてしまいかねません。

また一方で、風邪ウイルスの一種としてこれまでにも蔓延している「新型ではない既存のコロナウイルス」の研究では、ラットの肉が感染症を広げるのは、田舎ではなく食品卸売市場であるとの指摘。これはベトナムでの調査で、田舎ではなくむしろ都市の需要が、感染を拡大させている。とのことです。

つまりウイルスは「平等」にヒトに対して広がるのだけれど、リスクそのものは都市の市場が高める構造がありつつ、アクセスの悪い田舎にその対応を押し付ける(野生肉の禁止)という不平等になっています。これはこれまでの格差の構造を強化するかもしれない点で、留意されるべきでしょう。

ユニセフはこの事態に対して、途上国の子供の健康状態が悪化すると警告しています。

しかしまた一方で、ラオスの活動地、農村部では2020年4月の一ヶ月のロックダウンでは、「特にいつもと変わらない」と反応がありました。ピーマイという仏教正月を延長し、村では稲作の準備がおこなわれていたようです。また両親の出稼ぎは世帯収入を改善させるものの、子供の世話が高齢者の祖父母にたよられがちで、栄養リスクになる現状もあります。国境が閉鎖されてタイやベトナムからの帰国により、むしろ栄養状態は改善する可能性すらあるのです。

ここらへんも早期にラオスに戻れると、状況を観察したいところです。

久々の更新です。ラオスから日本に戻って1年。いろんなことがありました。

2020年9月の「おいしい昆虫記」出版から文字書きの依頼をいろいろといただきまして、セミナーなどでスライドを書いたりしていて、ブログが放置されていました。

過去記事を読み返してみると、情報のアップデートが必要なものもありつつ、「その時の空気」がおもしろかったりするので、本来のライフログと、個人としての自由な思考実験をできるようなブログをちょいちょい残していければとおもいます。

さて今年は4月末に渡航できるか、、、?という微妙なところで、関係者と交渉を続けていますが、できればタイミングがあれば渡航してしまって、ラオスからオンラインでできることを増やしていこうと思います。

日本に帰って、ラオスの活動を話す機会が増えたのですが、「貧困地域の貴重な栄養(だから自分は食べなくていい、自分は無関係)」という受け取られの多さに気づきました。「昆虫には栄養がある」という客観的事実ですら、偏見を助長しかねないのです。

「サルやコウモリ、ネズミや鳥が主食にしていますから、当然栄養はありますよね、さて」というように、短いセミナーではササッと避けて次の話をするようにしています。

というのも、「おいしい昆虫記」でラオスでの活動を「貧困地域の貴重な栄養」と誤解されたくないために私の半生をあえて読者に追体験してもらうことで、偏見を助長しないようストーリーを組むことにした、という経緯もあります。

つまり、とうとうやってきました。「昆虫食を社会の課題としてとらえる」という、これまで手を付けられていなかった本丸にとりかかろうとしています。

昆虫を食べなくなった私たちが、どのような社会を生きているのか。

昆虫を食べるラオスの人々が、どのような偏見にさらされているのか。

そして、ラオスでの活動は、小規模ながら「昆虫を食べるほど得をする社会」の構造を作ろうとしています。特をするならば、そこにお金を落とす人が増えますし、食べない人は損をするだけです。正直、「食べてほしい」という啓蒙や広告に、あまり興味がないのです。

私が昆虫の味見をすすめていく中で、昆虫が美味しそうに見えてきた辺りから、「食べたくない人」「食べたことのない人」の感覚がわからなくなってきたので、ここらでアーティストやデザイナーに任せていこうと思います。

アーティストやデザイナーのコンセプトの根幹に関わる議論をふっかけていければ。つまり社会問題です。

やはり強烈な書籍であった「フーディー」がこの一年の思考を深めてくれました。ラオスへ行きたい、という気持ちと、なぜ私はラオスで、大きく思考が変化したのか、という部分と、それが「日本に居ながら」変化をつくることができたら、更に発展するでしょう。

逆に言えば、「観光したから」「スタディーツアーしたから」といって、わかった気になってしまうのも困りものです。実際に行くことのよさは、どうしても言語化しないといけません。

もう一つ、難解な書籍ですが「専門知を再考する」もすごい書籍です。

昆虫食の分野を異分野の対話を続ける場である「対話型専門知」として高めていくことで、そのままその分野が「貢献型専門知」として社会に認められ、研究室がどこかの公的研究機関に設置されればいいと思います。

そのときに今、足りていないのが開発学の視点です。「応用昆虫学」のいち分野として再定義するのも、実は足りないのです。なぜ応用昆虫学から昆虫食が外れてきたのかという歴史的な反省と、それにより辺境に追いやられた昆虫食文化の回復、が大きな技術開発やガイドラインの軸になります。

開発学を現地で実現するには、社会学と人文科学の営みも必要で、ここらへんが今年の攻めどころではないでしょうか。なんてことをぼやきつつ。

ひとまず一年!くじけずに生存ができました。ラオス行きたい。