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さて、バッタ博士、研究に邁進するため取材を断っていたとのことですが、久々のメディア登場です。解説は専門家におまかせするとして、「バッタの大発生を昆虫食で解決できないか?」といういくつかの問い合わせと、いくつかの質の低い似た主旨のクソウェブ記事(できないか?きっとできないでしょう。いかがでしたか?みたいなやつ)を見かけたので、私からは昆虫食のほうをフォローアップさせていただきます。

バッタ博士の先生にあたる田中誠二博士の解説に、私も一言だけ参戦させていただきました。有料記事ですがこちら。

基本的には「フードセキュリティの4要素+サステナビリティ」で説明できます。大発生したバッタはその地域の食料安全保障を低めてしまい、そのバッタの群れ自体も、食用としての魅力が乏しいことを説明していきます。

フードセキュリティの逆、フードインセキュリティはこのような状態と説明できます。

さて、バッタの大発生、

「被害地域では誰でも手軽にかんたんにバッタを手に入れられる」

「バッタは食用にもなり栄養もある」

という2つの事実から、「食べて解決できないか?」と推測するのは当然といえるでしょう。

しかし無からバッタは生まれません。バッタの大発生状態、というのは通常の食糧生産システムのバランスが崩れた状態を意味します。

大きな変化が起こっているのは、草本バイオマスと捕食者です。ここからリプで書きなぐったものを、あらためて整理しましょう。

私達の周りにも、そして大発生が起こっている現地でも、平時は陸上には野生種、栽培種ともにイネ科の草本がたくさんあり、バッタはそれをいつでも食べられるように見える状態です。バッタは草だけを食べて成長し、1頭のメスは飼育下で調子がいいと400個ほど卵を生みます。

ではなぜバッタの大発生がすぐにおこらないか、というと、バッタは自然界では人気の食材で捕食者が常に食べているからです。

カエル、鳥、トカゲ、クモ、その他様々な生物が食べまくるので、期待値でいうと1頭のメスから生まれた卵が次世代の卵を生むメスになるのは1頭、つまりほとんどの子供が食べられることを前提にメスは産卵しています。バッタの現存量は草の生産スピードよりも、捕食者による被食スピードで強く制限されています。

私達から見える草地は草が生い茂り、バッタはぼちぼちいるぐらい。虫取り網をもってお腹いっぱい食べるにはそのカロリー以上の運動をしないと、なかなか集まりません。

しかし、大発生のときはこのバランスが崩れます。(ここのデータが不足しているので、発生予察がうまくいっていないのです。バッタ博士などの基礎研究者が必要なのも大発生前のデータをとるためです)

何らかの理由によって捕食者が少なくなったり、草が急に増えたりすることが影響すると言われていますが、内戦などの影響もあり情報の精度にもムラがあり、日本の天気予報のように高精度の予測はまだできていないようです。

その結果、どこかの地域で小規模な集団が発生します。その時、その地域の捕食者は「腹いっぱい状態」になって、バッタは被食スピードよりも増殖スピードが上回っています。そのため捕食者が遅れて増殖するまでは、バッタはそこにある草を食い尽くすことができます。

この状態のバッタは仲間と会う頻度の高まりから密度を察知し、「相変異」という生理機能によって色と行動と形が変化していきます。これにより一度できた小さな群れを維持するため、通常の孤独な状態では不利益になるような集合性や、目立つ姿を獲得します。(相変異は密度上昇の結果として起こるため、バッタの大発生そのものは相変異を起こさないバッタでも起こります)

この相変異の不思議なところは、密度に応じて徐々に変化することです。逆に密度を下げると、徐々に緑のバッタに戻っていきます。この「変化することが(進化的に)保存されている」という部分が基礎研究的にめちゃめちゃおもしろいところですが、これもまたバッタ博士におまかせしましょう。

左が飼育下で高密度飼育したサバクトビバッタ。右が孤独状態で飼育したもの。

さて、昆虫食の話に戻りましょう。

発生予察をくぐり抜け、残念ながらバッタの大発生が起こってしまいました。いま、この地域の食糧生産はどのような状態でしょうか。

頼みの綱であった捕食者はおなかいっぱいです。そして大抵の捕食者はバッタよりも大型で、増殖の速度も遅いことが一般的です。そしてこのバッタは一日100km以上も移動していきます。つまり移動先の捕食者をも「おなかいっぱい」にして、その地域の草を食いつくせるようになってしまうのです。

飼育下で見た限りですが、サバクトビバッタは群生相でもあいかわらずおいしい草が好きです。まずい草にはほとんど口をつけません。

大発生した野生のサバクトビバッタの消化管内からは、毒植物が検出されています。これは「大発生で相変異として毒化する」という積極的な性質なのか、それとも「エサが足りないのでしゃーなしで食べている」消極的な性質なのか、2つの可能性が考えられますが、おそらく後者でしょう。

もし毒を溜め込んで捕食を回避する性質に変化するならば、大発生して捕食者がおなかいっぱいになっているその時よりも、お腹をすかせた捕食者から隠れてこっそり暮らす孤独な期間のほうが意義がある性質と考えられるからです。

そこから、大発生したバッタも、自由にエサを選択できる条件では相変わらずおいしい無毒な草が好き、と考えられますので、蓄養すればその毒をへらすこともできるでしょう。やってみたい。アフリカに行って蓄養の効果を食べ比べてみたい。おいしくなるのだろうか。

これらの蓄養バッタを食利用するには、毒抜きの効果を調べる品質検査、フン抜きによる食味の向上や脚にあるトゲの除去といったプロセシング、加工流通、保存の技術がまだまだ不十分です。昆虫食の技術開発は遅れていますので、これらの技術的な不十分を理由に、大発生バッタの食利用も難しい、という結論を導いた記事がほとんどですが、

これらはあくまで「技術」なので、バッタの基礎研究が必要なように、公的資金でバッタの利用技術が技術開発ができれば解決可能かとおもいます。なので、ここではもう一歩、未来に踏み込んでみましょう。

ICIPEではそのようなプロジェクトが2018年に始まったようですが、目立った続報があまり聞こえてきません。情報が入ったらまた報告します。

この先、公的研究機関への投資によって、大発生したバッタを蓄養し、毒抜きや品質検査をし、保存、流通する技術が整ったとします。それでも大発生の「解決」にはなりません。残念。

現場では何が起こっているか。

バッタによって引き起こされている、食糧生産システムのバランスの崩れが最大の問題です。食べられた草と、それによって育ったバッタはその地域では等価ではないのです。

一番深刻なのが「草の不足」です。現地の一般農家にとって、ウシやヤギは家畜でありながら「増える資産」です。売れば確実に現金に変えられ、そしてうまく育てば自動的に増えるので、貯金するよりも資産としての価値が高いようです。私達にはイメージしにくいのですが、「資産が餓死」します。すると経済的に破産してしまう個人も出てきます。(ちなみにですが、反芻動物に高タンパク質を食べさせると消化不良をおこしてしまいます)

そして農作物の「市場」にも大きなダメージが起こります。野菜や農作物も食べ、完食されないまでも傷つき、商品価値を下げていきます。そしてイネ科の主食も含めてその地域の植物を「すべてをバッタに変える」のです。住民はバッタを売ってバッタを買う経済しか許されず、「平等に」自然界からバッタを与えられた地域の市場は、はたしてその経済は回るでしょうか。

この「市場が回らなくなる」ことが、ウシやヤギのような家畜資産のない、より貧しい農家にとっても、大きな経済的ダメージになります。

当然経済状況の悪化は栄養状態にも直結します。そしてバッタ以外を食べられない状態というのは栄養のバランスが崩れがちです。バッタというタンパク源だけが過剰にある状態により、バッタに含まれない他の必須栄養素、脂質や炭水化物、ミネラルといった栄養素へのアビリティ(量)、アクセス(手に入りやすさ)、ユーティライゼーション(その場にあるバイオマスの有効利用)が圧迫されていきます。

そして大発生した群れそのものもまた、不安定です。すぐに移動し、いつかはどこかで収束します。つまりバッタの群れも食料として利用価値が低いのです。

大発生したバッタの群れは、食料安全保障でいうところのアビリティ(量)もアクセス(手に入りやすさ)も高いのですが、一方でスタビリティ(安定性)もありませんしサステナビリティ(持続可能性)も期待できません。周期性がなく、規模も予測できず、今回は70年に一度という大発生です。そして国境を無視し、一日100km以上も移動します。

「バッタによって無職になった人をバッタ採集に再就職させよう」というアイデアも、ここで頓挫してしまいます。いつ終わるかわからず、次は来年かも70年後かもしれず、そして国境を超えて移動する職場。就職したい人はいないでしょう。(研究者以外は。)

これにより、大発生バッタを安全に食べる技術がない現在でも、その技術が開発されたかもしれない未来においても、

一度大発生してしまうと手遅れで、「昆虫食はバッタの大発生を解決しない」という残念な結論になるのです。

ですが、ここは昆虫食ブログですので、どんどん蛇足をしていきましょう。

大発生バッタの弱点であった、スタビリティとサステナビリティを確保した状態の「管理された局所的な大発生」つまり養殖利用がバッタ問題を予防しうるかもしれないという、私の楽天的なもう一つの未来の話をしておきましょう。

ICIPEで動き始めている先のプロジェクトの概念図にもあったように、野生のバッタは不安定で周期性のないバイオマスです。台風や竜巻のように、強すぎて安定性のないエネルギーというのは、その総量が膨大でも使いみちがありません。そして食料というのはエネルギーよりも保存に向きません。

台風や竜巻は小規模で再現しても安定しませんが、バッタならば、その大発生を真似た「管理された小さい大発生」を利用することで、野生個体群の大発生にも貢献できる経済的な仕組みをつくれるのではないか、と想像しています。

実際に実験室で飼育してみると群生相のバッタは互いに寄り添い、しずかで、そして安定してよく増えます。家畜に適しているなぁと感心するほどです。実運用から考えると、インフラの整っていない、田舎の小規模農家に適していると考えています。つまりバッタの大発生で最も影響を受けてしまう層です。

大家畜のように一度解体すると食べきるか冷蔵庫にいれないと保存できなくなるデメリットもなく、一口サイズで草さえあれば常温で維持でき、毎日少しずつ食べることもできます。養殖により、安定性が確保できる余地があるのです。

今回大発生したバッタは1000億から2000億頭と言われています。ざっと20万トンぐらいでしょうか。一年あたりの世界のニワトリ生産量は7800万トンです。もしバッタを食べる習慣がニワトリ程度までグローバルになれば、このぐらいを国際市場が吸収するのも無理ではなさそうです。

ただ、大発生は価格の混乱をもたらすので、バッタ養殖企業にとっての商売敵とも言えます。

そこでバッタ養殖企業が基礎研究者を雇い、もっと初期の段階で、企業のCSRとして、養殖のために確立された技術を使って野外のジビエであるバッタを買取り、殺虫剤と毒の検査をし、養殖のために開発した技術を転用することで、野生バッタを蓄養して販売するシステムを運用するのはどうでしょうか。住民は研究のために雇われた存在ではなく、「現金を得るために」野生のバッタを持ち込みます。そこに群生相の兆候があればやっと、基礎研究者を大発生の「前」に送り込むことができるのでは、と。

この企業により、これまで大発生のほとぼりが冷めるたびに公的研究機関から予算をカットされてきたバッタの基礎研究が安定し、持続可能になるのではないか、と妄想しています。

まとめましょう。

大発生してしまったバッタの群れは、バッタを食利用する技術が高まったとしても手遅れで、国際協力としての対応は、一般的な災害対応と同じで、被災者の生活再建を支援することが必要になります。

野生のバッタの群れを食利用するにしても、スタビリティとサステナビリティが低いことからバイオマスとしての利用価値が低く、野生の群れの食用化を、大発生収束の手段とするには至らないでしょう。

今後、バッタの養殖利用と産業化の運用次第で、バッタの大発生を予防するための持続可能なソーシャルビジネスに育つかもしれない、という将来の楽観論を個人的には期待したいところですが、

現状、大発生を予防するための能力と技術を昆虫食をまだもっていません。バッタを予測し、コントロールするには大発生の「前」の基礎研究が足りていないのです。

養殖利用するにしても、大発生予防のためにも、バッタ博士などの昆虫基礎研究者が長期に渡り、安定して研究できる環境をつくりましょう、とまとめておきましょう。

ラオスの村で食べさせてもらった野生バッタの串焼き、生態系の恵みですね。

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バレンタインデーなのでチョコの話をしましょうか。

昆虫のもつ構造色、食えるメタリックカラーとして以前から注目していましたが、スイスがやってくれました。昆虫を含まない構造色のチョコらしく。カメレオンチョコではなくてきらめく甲虫チョコ、と言ってほしい。特許もとるらしいです。

石川伸一先生がリファレンスとして出してくださいました。非学術の領域では引用がなかなかなされないので「オリジナリティ」は言い張ったもんがちになります。こうやって別分野ですが初出をだしていただいて感無量です。構造色の昆虫、利用していきたいですね。

ニジイロクワガタのパイグラタン
森の甲虫パエリア
フェモラータオオモモブトハムシのきらめくナッツタルト

ツマベニチョウ、Hebomoia glaucippe ラオスでもよく見るチョウなのですが。借家の庭で幼虫を初めてみました。以前にどこかの昆虫館で飼育されている幼虫をみて、この青い目付きの悪い眼状紋にときめいた記憶があります。

ラピスラズリのような眼状紋が美しい。

そして食べていたのが庭に生えていた木。ホストであるギョボクであることもわかりました。ラオスの亜熱帯の植物は私にとって分類が難しく、花がつく、実がつく、そして鱗翅目の昆虫が食うことで、かなり絞れるようになるので嬉しい発見です。しかしコガネムシ、お前は何でも食う悪食なので全然参考にならぬ。

そういえばツマベニチョウって毒があったような、と検索すると、猛毒イモガイと同じ神経毒を、幼虫の表皮と成虫の翅にもち、成虫の体には存在しない、という面白い論文がありました

気になるのは、やはり「茹でれば失活するのか」というところでしょうか。

低分子のペプチドは温度を上げても失活しにくい、と一般的に言われていますが、こちらはペプチドといえどもそこそこ大きそうですし、ウェスタンブロットで泳動できているのですから界面活性剤で失活しているのでしょう。イモガイの用途は「刺して」使うタイプですが、こちらは「食べられて」何らかの影響を及ぼすタイプなので、注意が必要です。とはいえヤモリとか普通に食べてるようですが。

こちらに来ると「何らかの毒は持っているけれどそれが効く濃度か」という部分が意識されます。なんらかの防御システムをもっていない植物、動物などない、という感じです。厳しい生存競争だ。

低温調理などで「75℃1分相当」を計算する式が公開されていましたが、界面活性剤による失活なども茹で時間とか温度で計算できないものでしょうか。

チラリと見える青い目。

さて、、、、食べてみようと思ったのですが、、、、死にました。

葉脈に沿って隠れている。

糸を吐き始めたので蛹化するのかと思い、様子をみてきたのですが、蛹化することなく死にました。幼虫の体表と、成虫の(体でなく)翅にのみ局在するのですから、蛹が最も安全なのでは?との期待がありました。しかし。

次回ツマベニチョウを見つけたら迷わず味見すると心に誓いました。早く来い来いツマベニチョウ。

 

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ブルキナファソで研究中のシャーロットさん、新しい論文をだしました。すばらしい。そして私達の活動とも関連するものです。食用昆虫が、「栄養」だけでなく「収入」の面からもフードセキュリティに貢献していることを鮮やかに示しています。本当にこの方はすばらしく賢い研究者だなぁ。

前作は同じ地域のこの研究。農地に着目して、シアの葉は芋虫に食べられる冗長性をもつことから食べられても収量は減少せず、そのぶん日光が樹の下に届くのとフンが落ちるのでそこで栽培されている主食のトウモロコシがより育ちやすくなる、というもの。

農業生態系に昆虫が入ることが、必ずしも悪ではない、というコンセプトは、殺虫剤を使うことを前提とした慣行農業と、殺虫剤をあえて使わない(旧来の)有機農業の概念をゆさぶります。これまで、農薬の使用と収量はトレードオフであり、有機農業は収量の低下を招くので、トータルの環境影響評価をすると、むしろ慣行農業のほうが低環境負荷だ、という結果になってしまっています。

この論文は偶発的に発生する昆虫をも含めた上で「最大効率」になるポイントがあるかもしれない、という文化に根ざした新しい農業モデルを提案しています。もっと有名になってほしい論文。

今回はフードセキュリティの季節的変化を測定する方法として、「アクセス」について重点的に評価をする指標を使っています。名前はHFIAS Household Food Insecurity Access Scale (HFIAS) for Measurement of Food Access 

主観的に本人が感じている変化をインタビューするという形式上、そもそもが「緊急時の」フードインセキュリティを測定する方法で、通常時と比較して食材へのアクセスが変化したかどうかを質問紙調査で評価できます。とてもいい指標なのですが、これが私の活動するラオスでどうか、そしてこの現場であるブルキナファソでも本当にそれでいいのか、といった指標と現場のマッチングについての考察の話はあとの方でしましょう。

そして、フードインセキュリティのうち、昆虫が貢献しうるのは「アクセス」なのか。それとも。という話も後半でしましょう。

こちらが質問の内容。

Feelings of uncertainty or anxiety over food (situation, resources, or supply);
▪ Perceptions that food is of insufficient quantity (for adults and children);
▪ Perceptions that food is of insufficient quality (includes aspects of dietary diversity, nutritional adequacy, preference);
▪ Reported reductions of food intake (for adults and children);
▪ Reported consequences of reduced food intake (for adults and children); and
▪ Feelings of shame for resorting to socially unacceptable means to obtain food resources

http://www.fao.org/fileadmin/user_upload/eufao-fsi4dm/doc-training/hfias.pdf

訳しますと

  • 食物への不確実性や不安(状況・リソース・供給)食物が量的に不十分であるという認識 (大人と子供向け)。
  • 食品が質的に不十分であるという認識 (食事の多様性、栄養の妥当性、嗜好性)
  • 食物摂取量の減少の証言(大人と子供向け)。
  • 食物摂取量の減少の影響の証言(大人と子供向け)。および
  • 社会的に容認されない手段に訴えて食料資源を取得することに対する恥の感情

すると「不足の感情・認識」が存在することが前提になりますね。

まずはイントロから。「世界の半分以上のカロリーがグローバルサウス(南半球から中緯度の途上国)の小規模農家から生産されている」とのこと。しらなかった。ラオスだけでなく自給自足で現金収入がない農家、というのは同緯度帯に世界中にいるんですね。彼らをターゲットにするビジネスがBOPビジネスと言われて注目されているのも納得です。この小規模自給自足農家をどうやって「よく」できるかが今後の世界の動向を握っているといえるでしょう。彼らの価値観に沿う形でありながら、資本を集中させている「グローバルノース」からの投資を引き出すために。

「フードインセキュリティは様々な要素の複合であり、食の主権、教育、および女性や少数民族のエンパワーメントが重要であろうと指摘されている。」うん。やれている。

「隠れた飢餓」カロリー以外の栄養素の不足から栄養不良の状態にあり、20億人が今でも影響をうけている。「病的な低体重」の解消はずいぶんと進んだ印象ですね。

そこで昆虫食は女性の貢献が大きく、栄養的にも優れていて、高単価で収入にもなる。今回のシアの葉を食べる毛虫Cirina butyrospermi は9ヶ月の休眠(!)でしょうね)があるがそれをホルモンの注射や薬剤を溶かした水へ浸すことで打破する方法が見つかったが、商業的な養殖方法は確立されていない。

話はそれますが、この論文いいですね。掲載されたのは2015年に創刊された昆虫の食利用・飼料利用をテーマにした専門誌で、昆虫学的には、「この昆虫でやった」以外に新しい知見はないです。他の昆虫で確認できていた方法で、同じような方法で休眠打破が確認されたという銅鉄研究です。しかし、「この昆虫が広く利用されている文化があり、この地域の栄養不良と戦う栄養源として有用である」という背景をもつことで、これが銅鉄研究であっても価値の高い論文となります。ホルモンの直接注射だけではなく、薬剤を溶かした水に浸すというやり方まで試したことは、商業ベースの大量養殖を見越してのことでしょう。

「これまでの学問分野では評価しずらかったこと」を積極的に評価するという専門誌としての矜持を感じる掲載です。すばらしい。

話を戻しましょう。

この論文以前の2018年の論文で、この毛虫を含む食卓のほうがカルシウムとタンパクが優位に増加することが検証されています。(論文を取り寄せているので、彼らに不足するのが本当にカルシウムとタンパクなのか、というプロファイルが今後わかると思います)これも私達のラオスの方法論と一緒ですね。ラオスの場合、脂質、ミネラル、ビタミンAとなりました。アフリカとアジアで食文化が違うので、栄養不良の改善のために推奨される栄養素も、それに対応する昆虫も変わることが当然だ、と考えて良さそうです。ここのマッチングシステムそのものが、新しい体系的知識となるでしょう、と予言しておきます。そしてそのマッチング次第によっては、「昆虫でない」結論に至ったとしても問題ありません。

雨季(毛虫のシーズン)よりも乾季のほうが、食物への不足感(アクセス)が遠ざかる実感があることが示され、同時に収入における毛虫の役割も大きいこと、また販売量と民族性に関連はなかったが、家庭における消費量と民族性に関連があったことを示しています。

結論としては「毛虫がなければ、この地域の食料安全保障は低下してしまうだろう」とくくられています。

さて、読み解けたところで、こちらのラオスの状況に沿わせて比較してみましょう。

彼女らとの比較は私が「NGOとして」現地にいることです。つまり介入が前提。「なくなると困るだろう」という論文の結論とは異なり「介入するとよくなるだろう」という見積もりが必要です。

そういう意味で「ラオスの昆虫食文化にないことを作り出そうとしている」という点で、今やっていることは研究者とは言えません。証拠の捏造、とまではいかないですが、ラオスの昆虫食文化に栄養に貢献する要素があったとしても(これまでの栄養調査の結果からそれは言えそうですが)、まだまだ低身長を解消するまでには力不足である、この昆虫食文化をエンパワーする、という戦略になっています。

彼女らの論文は「なくなったら困るだろう」という方式で昆虫食文化の栄養と収入の両面から評価していますが、逆に言うと「どう介入すべきか」という結論をもたらすものではありません。この毛虫の養殖技術はまだまだ未確立であり、もし休眠打破をしたとしてもシアの葉がなければ成立しません。そしてシアの木が十分に育つには多くの時間が必要でしょう。また、シアの木と実、そしてイモムシの所有権は土地の所有者にある、という点で、貧富の格差を解消するにあたって障壁があるといえます。

また、ラオスの栄養状況で言うと、「栄養が不足すると感じていないことが問題」というなかなか困難な状況にあります。おそらく先の指標では、彼らがフードインセキュリティにさらされている、という自覚がない限り検出されないように思います。低身長について話を聞くと、(栄養ではなく)家系的に身長が低い、とか、栄養のある食材を採ったり買いに行く時間がない、お金がないから買えない、と言われます。

村の中でも比較的ビジネスに成功してもスナックや清涼飲料水を買い与えて子供が喜ぶからいい親だ、といった、栄養への意識の低さが大きな障壁となっています。今後、昆虫養殖を所得向上の動機でスタートする人が、栄養を一層ないがしろにしてしまう、というリスクをどうコントロールするかが求められています。

具体的には栄養教育とセットで養殖普及をしていく、という点と、この論文が注目している「アクセス」ではなく「ユーティライゼーション」(村に「ある」のに利用されていない、利用しにくいバイオマスをバイオコンバーターとしての昆虫が転換する)に着目している点で少しの戦略の違いがあります。

南北問題と言われる貧富の格差は、今後しばらく続く地球温暖化によって将来的に、「南の農業を北が逆輸入する」未来が見えています。しかし現状の途上国の農業は、労働搾取が横行しており、殺虫剤の使用も多く、とても現状の先進国に逆輸入できるクオリティではないでしょう。そこで、「北」の先進国の市場や文化ではなく「南」の彼らの文化をもとに技術を開発し、先進国にない食糧生産の新しいシステムを開発することは、将来の地球全体への恩恵へとつながり、そしてここで開発された知的財産を「南」が「北」に提供するという形は、先進国が途上国の遺伝資源を搾取してきたこれまでの反省を踏まえた生物多様性条約の理念にのっとるものになるだろう、と予測しておきます。

この論文をみて、私が今やっているのは「活動家」であって、かつてあこがれた「研究者」ではないんだろうな、と改めて思えました。適切な人に適切な虫をオススメする「蟲ソムリエ」として、誰に何をどうやってオススメするのか、日々考えて実践していきたいと思います。