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要・急の情報があふれている昨今のネット社会において、不要不急の情報に飢えているみなさま、おまたせしました。

以前2017年に1から100までを作成しておいた、#いいねされた数だけ推し虫を発表する の続編をまとめました。101から200まで、完全ラオス編です。学名を間違えていたあの子も、訂正してくださった方がいたのに修正しきれずにいたあの子も、調べずに放置していたあの子も再度文献をあさり、まとめておきました。しっかり読めば140字×100ですのでそこそこの文字数楽しめます。また1から読むと日本での味見とラオスでの味見の意味合いの違いもわかってきますので、1から200まで、改めて再読をオススメしておきます。

101はやはりインパクトの大きかったキョジンツユムシからスタート。

ふんばりがすごい。

それではどうぞ! いいねが700ついてしまったので、律儀にやるならもっと味見をせねばいかんところですが。。。ひとまず今回のアップデートはここまでとします。

2020年4月9日、高知新聞にて掲載されました。このあと他の地方新聞にも転載されていくとのことです。地方紙を御覧の皆様、チェックしてくださるとありがたいです。

許可をいただいて転載しています。

取材は2月17日、例の感染症が世界的なオオゴトとして話題になるその少し前です。今思えばギリギリのタイミングでしたが、記者とカメラマンご本人が現場に来て、ゾウムシを実食して取材に臨むことで、もともと想定されていた記事の枠組みが、現場の声をもとにみるみる再編されて生み出されていく現場に居合わせることができました。

よくある残念な取材は、せっかくインタビューしているのに、現場に来ているのに、来る前の価値観をアップデートできずにそのままのストーリーを現場に押し付けてしまう案件をいくつか見てきました。

この書籍、「質的社会調査の方法」によると、「ゴシップ的な面白さと社会学的面白さを分けるのは調査者自身の『ものの捉え方』がバージョンアップされるかどうか。」とのことです。
どうしてもラオスの私達の活動は、貧困国ラオス、栄養のある昆虫と、わかりやすいキャッチーなアイコンが有ることで人目を引きやすいのですが、その副作用としてわかりやすいステレオタイプにさらされがちです。その中でどのように考え、これから何が必要で、そしてどうやったら「成功」なのか、将来のビジョンをラオス人スタッフと一緒に常に議論しています。

4月から20日まで、ラオスは外出禁止となっていて、すべての国境が大口の物流以外閉ざされ、すべての外国人は入国ができず、すべての国際・国内公共交通機関が止まり、街ごとの移動が制限されています。感染者数16人で、です。

村はというと、不自由ではあるものの、もともと米を自給自足し、昨年は普通に収穫できていたので、おかずの野生食材を確保すれば、生きていけます。すべての人と物の移動がつながってしまったグローバルな地域と、このような自給自足で野生動物をふんだんに食べられる地域、どちらが感染症のリスクなのか、多数派、少数派がそのまま正当とはなりません。改めて考える必要があるでしょう。

とはいえ病院に物資は届きませんし、保健医療のサービスは低下してしまうでしょう。ISAPHの医療スタッフ、そして栄養事業の私と、いち早くラオスの現状の情報収集を再開し、サポートを続けられたら、と思います。日本でできることもすでにスタートを始めています。そちらに関してはまた今度。

買いましょう、そして読まないことを今回はオススメしようと思います。

昨年の7月に買っていた「リウーを待ちながら」

正直に言いますと、マイナーマンガないかなーと思って何気なく買ったものです。

当時の読んだ印象は、「地味」です。ドラマティックな展開はないし、奇跡も起こらない、SF展開もないし、ご都合主義な偶然も奇跡もない。主人公もほとんど感情を荒らげない。そしてほとんど防護服とマスクで目だけの演技。

しかし硬派な作風の中からにじみ出てくる人間性がじわじわとゆっくり染みる、いいマイナーマンガでした。

そして今、作者が「今心が疲れている方は無理して読まないで」、とツイートしていたので、そんなにしんどい話だったかなぁ、読み返すと、きびしい。

「こんなドラマティックな展開ないじゃん」というのが今の感想でした。感染から発症まで短く、抗生物質が(初期なら)効いて。そして規模が小さく、行政の判断が迅速で的確、収束までが短い。3巻で収まってしまう。

今直面しているのは「よりセンセーショナルでない方、ドラマティックでない方の感染症」で、全世界、各世帯に確率的に平等に届けられ、14日程度と潜伏期間が長く、多くの人は無症状で、ごく一部のヒトや高齢者が重篤化する、というもの。

そしてB級パニック映画のような、ご都合主義みたいな不適切な行動言動をするヒトがどんどん現れます

あれだけ地味と感じた作品の「感受性が変わる」ということに驚きました。なので今はオススメしない。

過去に読んだことがあるひとは、再読をオススメします。

読んだことがないヒトは、積ん読をしておいて後で読むのをオススメします。

そういう意味で、「過去の表現物」というのは過去に触れた経験とともに蓄積され、「今の自分の状態の変化」を知る指標、測量で言うところの水準点のようなものになると思います。水準点がたくさんあるほうが、今の自分の姿勢を制御する助けになります。なので「アーティストは生存に不可欠なもの」なのです。

自主隔離が10日目になり、とある原稿を書き続けていますが、やはりストレスは高まっているように思えてきます。そして感染症に対する価値観も変化していくようです。自分は物理的にその場にとどまっていても、価値観がスピードをもって変化するとき、身体性に違和感が生じる感じがします。乗り物酔いみたいなもんですね。

だからといってSNSで違和感の最先端を追いかけるのは、なかなか高いストレスなのでオススメしません。このスピードに追いつけるのはやはり専門性のある感染症の専門家だけではないでしょうか。

ここでは「過去に触れた著作物にふれ直す」ことをオススメしておきます。自分が大きく変化したのか、それとも世界が変わりつつあるのか、そのどちらも、過去に触れた著作物との再会によって、見つかるかもしれません。過去の表現物との経験はそういう意味で消耗しない「備蓄」であるようにも思います。「役に立つ」学習とは別に、備蓄としての学習経験を見直すときなのかもしれませんね。

ラオスでは公共交通機関のストップが行われました。見つかった感染者数は合計10人よりも少ないぐらいです。しかし完全な国ごとのロックダウンと言える状態までの決断をしています。私達のゾウムシも4月20日まで、届けることができません。しかし農村部の彼らはコレまでと同じように、自給自足で米を栽培し、山や川に出て野生の食材をとり、現金収入にたよらず楽しく生きるのでしょう。しかし医療のサポートの低下はおこります。

これから日本で何が起こるのか、そして遅れてラオスで何がおこるのか。目を開いて見続けようと思います。