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場所は伏す。ことにします。

というのも私以外の関係者が多いのと、さまざまな(私じゃない)ツテをたよってたどりついたので、突撃されてもご迷惑になることもあるのでこのあたり伏せておきます。

タイ国内のとあるエリサン養殖場に連れて行ってもらいました。

元気なエリサンさん
エリサンいため

こちらの話はもうちょっと形になってから情報解禁、ということで、今回の驚きはこっちじゃないのです。

「バッタ養殖の村には副産物であるフンを使った工芸がおこるだろう」との予言とともに制作されたバッタ仮面

記念すべき一号機

順調に弐号機から四号機までつくり、

そして染め物まで。

そして、ついに出会ってしまったんです。「シンクロニシティ」に

この桶は。。

場所はエリサン農家の染色場。といっても台所のような共同作業場です。そこでさまざまな天然素材で色をつける工程をみせてもらいました。その中にあったエリサンのフン。ドキドキしながら「これはなんの用途?」と聞くと

「染めるんだよ」 キター!!!!

遠くタイで、バッタとエリサンのちがいはあれど、養殖した昆虫のフンで工芸(染色)する村はたしかにあったんです。めっちゃ興奮しました。

本当はエリサンの繊維をエリサンのフンで染めたものが最高だったんですが、コットンを染めたパンツを買いました。ありがとう。ありがとう。

理論と妄想で膨らませてきた昆虫の未来が、こんなかんじで実装されているのをみると自分は孤独じゃないと安心できますね。もっといろんなフンの染め物が見たい、とリクエストをしてこの村を後にしました。また来るぜ!

エリサン染めのパンツはいいパンツ。強いぞー
そもそもデンプン用のキャッサバ農地をもっている家庭が副業としてエリサンを育てている状況。そうだよこれこれ!

玉置標本さんにお誘いいただき、この虫を取りに行けることに。

タケオオツクツク Platylomia pieli

タケオオツクツク Platylomia pieli 脱皮直後成虫

実は昨年、玉置さんからおすそ分けをいただいていて、ラオス行きのバタバタですっかり味見を忘れてしまい、一年が経ってしまいました。私のズボラの不徳の致すところですが、あれからちょうど一年、ということはですよ、「セミを冷凍保存するとまずくなる」という検証を、外来種タケオオツクツクでできる絶好のチャンスなのです。ぜひ行かねば。手すりの虫のイベントでもとある方から「今年は梅雨明けが遅いのでタケオオツクツク、いい子出てますよ」とおしえていただいたりと、今年の梅雨明けを最も喜んでいた一人ではないでしょうか。

低い位置で羽化直後の成虫も見ることができ、満足です。腹側に長く伸びた鼓膜がカレイゼミの仲間の特徴のようですね。クマゼミと同じ透明の翅をもつセミですが、角度によってエッジがブルーに光る現象がみられて大変満足です。

味見 比較対象は一年前のタケオオツクツク幼虫と、今年同じ場所でとれたアブラゼミです。

幼虫 腹部の一部に苦味があり 少し残るものの歯ごたえがよく、外皮もやわらかい。胴が長いためかボリューム満点でおいしい。
アブラゼミ 木質系の香りがかなり強く、苦味は逆に少ない。旨味がやや強めでアブラゼミはおいしいセミであることがわかる。
一年前のタケオオツクツク 少しかたくなり、香りが全くダメになっている。変な臭みが発生し、苦味も引き続き残っている。美味しくない。
脱皮直後固まりかけのタケオオツクツク成虫 そっけない味で少しの苦味があり、うーんアブラゼミの旨味がやっぱり恋しい。
メス成虫 やわらかいかたまりかけ クリーミー! やはり少しの苦味があるもののクリーミーさにマスクされてきにならない。 ボリュームが有るぶん食べやすく、料理方法も工夫したいものだ。

もしかしたら、かなり美味しい種類のセミが日本の公園に大発生しているのではないか、と思います。そしてセミは冷凍しても味が落ちていく。つまり旬のセミを食べるしかない。これはセミが美味しいと知っている、昆虫食文化のある国の人からみるとたまらない状況でしょう。引き続き味見を続けましょう。

さて、この場所は私有地で、私有地のフェンスの外の遊歩道に、のそのそと歩いて出てくるセミを捕まえています。そしてこの私有地には看板。

竹の子ドロボー天罰

さて。タケオオツクツクが外来種であることも含めて、

昨年はセミ禁止令なんて看板もありました。

この「昆虫食と土地倫理の問題」どう考えていきましょうかね、とってもおもしろいです。

横浜で平日のみ、という自分にとっては厳しめの日程で開かれていたこの展覧会。

たまたま神奈川県での別の打ち合わせがちょっと早めに終わり、横浜に寄っても次の埼玉の用事に間に合いそうだったので、足を伸ばしてきました。

お目当てはTwitterでいつも拝見している福田亨さんと、奥村巴菜さんです。

まずは奥村さんのツノゼミ・ハゴロモ群。

女の子がお母さんらしき人に連続で質問していて、「ツノゼミはほんとにいるの?」「いるんだよ。」「じゃあポテトツノゼミは?」「これはいないよ」「え、ポテトツノゼミはいないの?」とのやり取り。たしかにこれは難しい。

パロディというのはなかなか成立が難しく、とくに奇天烈なツノゼミの前胸背板の多様性にインスパイアされて創作したポテトツノゼミ、トウガラシツノゼミは、年若い女子にはなかなかハイコンテクストだったのではないでしょうか。しかしポテトツノゼミのハイコンテクストに負けず、好奇心が刺激されたようでそこの文脈が伝わらなくても伝わっている部分にパワーを感じました。

そして立体木象嵌の福田亨さん

すげぇ。ゲンゴロウで水面を表現してる。。。超絶技巧の昆虫、というどえらく存在感のあるもので、日頃見慣れた水槽の水面を、何もない空間に見せてくるってすごくないですか。360°どこから見てもスキがなく、欄間や障子のような日本の風情をもつきっちりした枠に透かし彫りの水草の雰囲気と、水面のようなむらのある木材、そして生き生きと丸っこいゲンゴロウ。これはずっと見ていたくなる。

そしてTwiterで話題になったクワガタ。あえて樹皮を図案化してクワガタの生々しいエロいラインを見せてくる台座。えっちだ。

私もTwitterユーザーのはしくれとして、バズるツイートができればいいなと思っていた矢先、ふとみるとなんだか通知がうるさい。

みんな虫より○チンコが好きか。パチンコが。これまでの虫関係のややバズりつぶやきを大きく抜いて、この横浜駅前の看板がいちばんバズる。なんとも需要と供給とは難しいものですか。ね、虫を見ていってくださいよ。○チンコではなくてさ。このアカウントは昆虫食アカウントであり、このブログは昆虫食ブログですよ。そういえばシン・ゴジラでバズったことがあったな。

注意力散漫昆虫食ブログ、どうにかやっていきます。

手すりの虫インラオス でお世話になったとよさきかんじさんが出版記念イベントに。サインをもらいに行ったのと、ゲストがまたおもしろい。

金井真紀さんというそうで、ベテランのむしぎらいとのことでした。

いやー面白い対談でした。虫が好き、虫が嫌い、どちらも社会で生きづらさを抱えていて、人間社会の濃いこの東京でいちばん生きづらいのはやっぱ昆虫であろうと。数減ってるし。そういった共通認識の上で、人と人は手を取り合うことができるのではないか。みたいな新時代の希望をみました。すごい。

虫と和解せよ

昨日ラオスに戻りました。バンコクでも何日か休日をはさんでいたんですが、いろいろと用事が入ることで結局休みなしのままラオス入りです。

8月4日に紙版で掲載していただいた昆虫食記事のラオス取材部分を、ウェブ版ではたくさんの写真とともに紹介してくださっています。

実は2つ記事がありまして、紙版と同内容の記事と、写真を集めた記事があります。合わせてお読みください。

ひとまず疲れた。。。。。ラオスの急な雨とべったりと張り付くような湿気を楽しみながら、順応していきます。

一ヶ月ぶりのラオス。いつも食べていたカオヂーパテに豚肉から作られた田麩がはいっていて時代の変化を感じました。ラオスは着実に前に進んでいる。

おもしろい論文が出ました。こちら。デング熱で先週やられていた身としてはタイムリーな蚊の論文です。

Adaptation to agricultural pesticides may allow mosquitoes to avoid predators and colonize novel ecosystems

農薬への適応は蚊が捕食者を避け、新しい生態系を植民地化することを可能にするかもしれない。

と直訳できます。may allow という、論文に使うにはかなり弱い示唆の用語が使われているので、そこまで強力な根拠ではないのですが、可能性を示したという意味で重要な論文になります。どういった可能性かと言うと

「殺虫剤による農業の増産が感染症リスクを上げるかもしれない」というルートの発見です。コスタリカなどの暑い地域の(比較的所得は高いですがまだまだ支援を受けている地域)開発途上国では、感染症の予防と農業の効率向上による栄養や所得の改善はそれぞれのセクターで別々に支援されてきた分野です。特に蚊による感染症は、わたしもかかりましたがつらくて消耗するだけのことが多く、栄養状態や健康状態の良好で、かつ適切な医療ケアを受けられるヒトではまず死にません。そのためワクチンの開発も後回しになり、栄養状態の悪い人、医療機関へのアクセスが悪いヒトへのトドメの一撃となってしまうのです。

こういった先進国のヒトにとっては致死的でない、熱帯の感染症を「「顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases)」と呼んだりします。これらの感染症は貧困とも、栄養状態とも関連するので、感染症、保健、栄養、農業といったセクターワイド(最近ではマルチステークホルダーともいいます)で分野横断的に対策する必要があることがわかってきたのです。

そんな中でのこの論文のインパクトは、殺虫剤による農業の増産といった「正義」が必ずしも住民の健康、感染症リスクと無関係ではなく、逆に悪影響をもたらしかねないことを示しています。

細かいところをみていきましょう。コスタリカのオレンジ農場の周囲の森林において、ブルメリアという着生植物に注目しています。これらは雨水をためた小さい水場を作ることがしられており、それをファイトテルマータ( phytotelmata)と呼びます。蚊は池で発生すると考えがちですが、大きな池は蚊を食べる捕食者も多く、リスクとしては人家で放置されたペットボトルの水とか竹を切ったあとの水たまりとか、小さな水たまりのほうが、蚊の発生源となりがちのようです。

今回は蚊の捕食者として、ファイトテルマータに住むイトトンボの幼虫を選びました。基本的に捕食者のほうが被食者よりもライフサイクルが長く、そのためライフサイクルが短いほど獲得の速度がはやい殺虫剤耐性においても、蚊とイトトンボに差があるのではないか、との仮説です。

実験室内では、農場近くの蚊は森の蚊にくらべて殺虫剤への耐性を獲得しており、イトトンボはいずれの場所でも殺虫剤への耐性は変化がなかった、とのことでした。そこから類推されることは、殺虫剤の散布によって蚊が耐性を獲得し、イトトンボの耐性獲得が遅れることでオレンジ農園の近くに蚊の天国が形成されている可能性があり、それが農地で働くヒト(基本的に貧困層)の蚊媒介性の感染症リスクを高めてしまっているのではないか、ということをにおわせています。

そのため、感染症に弱い貧困層のリスクを高めないためにも、殺虫剤を減らした農作物を積極的に採用し、それをアピールしてフェアトレードにつなげていくことがこれからの虫とヒトとの付き合い方なのではないでしょうか。

とはいっても、デングにかかったあとは個人的な恨みから蚊など死んでしまえ、と思いますね。なかなか恨みは深いです。

人家の水瓶などに発生する蚊を殺すため、このような羽化阻害剤をつかった蚊対策の実験も進んでいるようです。楽しみです。

しんどかったです。

違和感に気づいたのが先週6月12日のお昼。なんかカラダがアツい。

急に発熱したことは何度かあったんですけど、その気配がしたので一度帰宅して体温計(という名のラインインつきの温度計)で測定。虫(この温度計はゾウムシ)にも使っているので若干の泥汚れがあるけれど気にしていられない。

このときは数日でおさまるだろうと高をくくっておりました。

二日後、ちょうどラオス人スタッフに余裕があったのでつきそってもらい検査へ。デングの抗体検査をやったんですが、残念ながら陰性。検査をまつまでがまたしんどい。全身の関節がむやみやたらに痛い。

このあたりから体温を測定するだけの生活。Twitter を見るのもつらくて、なんだか悪意の強い地獄を覗いているようで見る気もなくなってきました。言語能力が低くなるとストレスコーピングもヘタクソになる感じ。

ようやく治ってきました。みなさまデングにはお気をつけて。

我が家ではツムギアリを半養殖しています。彼らが巣を作るマンゴーの木に洗濯紐を結びつけ、そこから玄関のライトをブラックライトに置き換え、そこに集まる虫たちを彼らが夜中いっぱい集めるのです。彼らも慣れたもので、物怖じせずに利用しています。洗濯紐は格好の誘導路になっていて、出勤先のブラックライトの下で得た獲物はその紐をつたって、巣へと運ばれていきます。

同じ場所にハンモックも設置していまして、その網に、夜には珍しいアゲハチョウの仲間がとまっていました。絡まっているというよりはリラックスして寝ている様子だったので、その頭上にひっきりなしに行き来するツムギアリを尻目にゆっくりしている様子でした。そのギャップがおもしろく、動画を撮っていたら、ふと右上の方からツムギアリが画面に割り込んでくるではないですか。これはどうなる、食べられてしまうのか、とハラハラながら録画を続けたものがこれです。結論から言いますとアゲハは食べられました。

アゲハの死

最後にツムギアリに連れられて、洗濯紐をつたってひらりと一回転。もう頭のないアゲハの最後の舞いでした。

昨夜はこの顛末を見届けるために夜更かしをしてしまった。今回はiPad mini5 のiMovieで作成。なかなか簡単でよかったです。

第二弾です。主役はトラクター。すごい。

こちらは第一弾
そして今回公開された第二弾

今回の1月から5月までの取り組みは、雨季が迫っていることもあり、キャッサバの植え付け栽培を優先しました。

キャッサバはゾウムシ養殖の大切な基材であり、この村ではこれまでほとんど栽培されてこなかったバイオマスです。

また、雨季になると稲作のための準備が始まり、6月からは学校も休みになって全村、全家庭が7月までに田植えを完了させるべく、総力戦に入ります。それらをお邪魔することもできないので、5月までに植え付けを終えておきたかったのです。

それでも予約したトラクターの人が遥か遠くの村に出張してしまって戻れないので急遽変更したり、フェンスを作るための木材を予約したのに当日全部売れちゃったからもう在庫ない、と言われたりと、なかなかラオスの商習慣に合わせるのが難しかったのですが、優秀な若手スタッフのおかげと、農家さんのツテで色々と探してもらい、どうにか予定通り終えました。ひと段落。

こういった「順番」というのはどうしても人を見ながら決めなくては行けません。前回の動画でゾウムシ養殖を導入するときはキャッサバを街から持ち込んでいましたので、本来の「順番」からすると最初にキャッサバを育て、そしてその収穫を使ってゾウムシを育てる、という提案をしそうなものですが、今回は村人が実物を見て、昆虫が楽に育つこと、昆虫が美味しいこと、市場で高く売れることを実感した上でキャッサバの不足を考えられる「準備」が整ってから、農地の開墾を提案しました。

そういった現場レベルの判断を、昆虫の専門家がクイックにできるという意味でラオスという現場に入れてよかったと思います。

これが特定の昆虫ありき、研究ありき、順番ありきで大予算の暴力で村人に押し付けていたのでは、自発的に養殖を続けたり、養殖したものを売りにいったり、そしてキャッサバを植えるための農地を提供してくれたりはしなかったでしょう。ラオスの現場に来て、机上の空論だったものを地面にどっしり据え付けることの面白さを体感しています。おもしろいです。

2

私がバイリンガルかどうかも怪しいですが、前回の帰国時に4月に収録して出演してきました。内容は最新のラオスでの活動から虫の好き嫌いまで多様に渡る2時間半!長い!たっぷり!

日本で大学院生をやっていた時、虫の部屋は空調が効き、断熱パネルで覆われていたことから電波は不通。ダウンロードしたポッドキャストを聴きあさる日々でした。よく夜更かしをして原稿を書いたり、バッタのお面を作ったりしていたので、パートの研究補助のみなさんと一緒に朝9時に始まるバッタのエサ交換はなかなかテンションが上がらず、面白いポッドキャストを聴きながらニヤニヤしつつ草を刈り、交換したものです。

そんなヘビーリスナーだったポッドキャストの一つ、バイリンガルニュースはその時にはラオスで英語で仕事をするなど思いもせず、ニュースとしての内容がおもしろいなーと聴き流していたものでした。

実際に出演してみて、バイリンガル会話形式難しい! 聴いている時はそこまで難しいと感じなかったのですが、頭に浮かぶ単語と、文法を組み合わせると大抵「ルー語」になってしまいますね。

シドロモドロで後半ほとんど日本語ですね。英語を勉強したかったリスナーの皆様すみません。バイリンガルニュースで昆虫食を発信するなら自分以外いないだろう!というファン心で出演してしまいました。そして事前打ち合わせ無しの一発勝負!これは緊張しましたが、多くの隠し球を用意しておきそこそこ臨機応変に対応できたと思います(バッタチョコや動画など)。

お二人の「自分にないものに対する敬意や姿勢」が素晴らしかったです。理解や共感に近づこうとする態度と同時に、完全には分かり合えないことのバランスをとてもよく配慮してくださっていて、共感できない部分に積極的に疑問を用意して踏み込んでくださるのはとても心強かったです。

さて、内容について少し補足しておきます。「400種類食べた」というのは、はい。盛りました。367種が今の所記録されている正しい味見した種数です。すみません。成長段階や性別を分けると570パターンでした。

もう一点、

「感謝して昆虫を殺す・食べる必要はない」という点。Twitterで少しざわついた方がいらっしゃったようです。これはもうちょっと私としてもしっかり論理を整理する必要がありますね。「基本的に人間は自由に虫を殺して良い」が私の考えです。その時に「殺すならば感謝すべし」というのは無益どころか、傲慢ですらあると思います。生き物好き、虫好きの方には少しざわつく感じがあると思います。

もうちょっと細かく言います。

こちらの「マンガで学ぶ動物倫理」の解説の中で、「感謝すれば許されるのか」という問いかけがあります。この文脈は肉を食べる時感謝することが大切、という登場人物の発言を受けての議論ですが、「感謝されて殺されるのと、感謝されずに殺されるのと、殺される側から見て何が違うのか」という問いかけです。

私は何も違わないと思います。それよりも殺す時に苦痛を与えない。人間にも動物にも事故が起こらない体制を「感謝しようがしまいが」作ることが大事だと思います。こういった「感謝の押し付け」が無害ならばまったく個人の自由なのですが、私はむしろ有害である可能性が高いと思っています。それは虫好きと虫嫌いの「分断」です。

昆虫愛好家のうち、昆虫をなんらかの理由で殺す人の中では「虫を殺す時は感謝して殺す方が良い」というマナーが働いているようです。必要以上に殺すことがないよう、殺したものを無駄にしないよう、精神的な規範を示すことで抑止力としたいようですが、それでは「不快や遊びで虫を殺す人」はマナー違反であると見なされてしまい、それによる偏見が起こってし待っていると思うのです。

食の倫理からすると、私のような食用に昆虫を殺す人は比較的攻撃されにくい傾向が強いです。なぜなら誰しも食べるためには生物を殺す必要があり、その中で昆虫は(好きな人も嫌いな人も)それほど殺すことに抵抗感がないからでしょう。

昆虫愛好家の中でも「ゴキブリは別」という人も多いかと思います。これが「殺すなら感謝すべし」に含まれない種差別であるとしたら、これはこれでまた問題です。私が養殖した清潔なゴキブリも、「ゴキブリだから食べたくない」という種差別を受けている、といえてしまいます。それよりも「自分が殺したい虫を殺す自由権を行使している」とした方が、現段階では説明しやすいと思います。

つまり私が提案したいのは「生態系に影響しない限りにおいて、個人が虫を殺す時にどんな気持ちであるかは自由である」ということです。遊びでもいいです。学術用途でもいいです。そして嫌悪でも、食用でも、生態系に悪影響を与えない範囲で、人は虫を殺す自由権(あるいは一種の愚行権)があると考えています。学術用途については特別に、生態系の保全に必要なデータを取ることがありますから優遇されるのは当然でしょう。

その中で、今の所種によって差別することも、昆虫に人権はなく、アニマルライツも設定されていないのですから人間側の自由権(愚行権)で包括することができるでしょう。

少し話は逸れますが、昆虫と食肉と菜食を含めた議論をする時に、昆虫の「苦痛」に関しては基礎研究レベルではかなりメカニズムがわかっている割にはその倫理についてはみなさん慎重です。

昆虫の神経系に特異的に作用する薬剤は殺虫剤の候補として人体に与える影響は少なく、薄い濃度で昆虫にだけ効くのでとても広く使われています。一方で漁業においては水に流すタイプの「毒漁」は資源保護の観点から禁止されており、農地用の殺虫剤だけが妙に「特別扱い」されているようにも見えます。殺虫剤の中には昆虫の神経を過剰に興奮させて死なせるタイプのものもあり、この先昆虫の苦痛を軽減する必要や、あるいは益虫として害虫を減らす役割のあるクモなどがとばっちりで殺される時の功利主義的な「倫理」においても考える必要があり、なかなか悩ましいものです。

話を戻します。

「昆虫を殺す時は感謝すべき」という押し付けは、昆虫を嫌悪(ストレスコーピング)で殺す人の罪悪感を増強させてしまいますし、虫好きから見ると、そういった人は無知で思いやりがなく、生態系保全に興味のない人だ、という偏見を持ちがちです。その気持ちの押し付けが社会を「虫好き」と「虫嫌い」に分断する要因になっているのではないでしょうか。

ともあれ、音声メディアであるバイリンガルニュースによって「映像はキツいけど音声なら大丈夫だった」とか「食べたくなってきた」といった、昆虫や昆虫食に無関心な方が少しばかり関心を持ち始めたようですので、虫の好き嫌いにかかわらず、誰しもが受け止めやすい情報発信ができたと思います。

この路線、しばらく追求してみます。