虫展、まだやってますね。日本帰国時に行ってきたレポートです。
話はそれますが、台湾が日本統治下にあった影響か、亜熱帯に広く住む昆虫の和名が「タイワンーーー」であることが多いように思います。 ラオスで見つけた昆虫がそのパターンである場合が多く、タイワン固有種と誤解を生みかねない不適切な和名ではないかと。実際私は誤解していました。
今後和名のルール化が目指される中で、地名が含まれるべきなのはその地域の固有種である場合ではないだろうかと思います。 (そういえば北海道にのみ生息するトウキョウトガリネズミなんてのも思い出しますね。)
さて、見に行く前から、うすうす気づいていましたが、そしてこの文章を読んだ方も気づいてきたかもしれないですが 、
この虫展は私はストライクゾーンに入っていません。外れ値だ。 もちろんブワーッと昆虫あふれる大昆虫展のほうがお気に入りだけれども、だがしかし。
気に入るということと、展示として興味深いことは別なのです。おそらく 展示学的にすごい判断が行われていたのではないか、と読み解きたい。それでは参りましょう。
はじめに提示するのは「世界一美しい昆虫図鑑」 クリストファーマーレー
レビューも投稿しました。そしてこちらが原著。
これは原著はアートワークなのですが、写真がたくさん入って情報が入っている分厚い本を「世界一美しい〇〇図鑑」と 名付けて売ることが一時的に流行したことを受けてのことでしょう。翻訳版が原著よりも安い、ということはそれだけ印刷したということで、一般向けに売れる方針をとらなければならないのでしょう。それは仕方ない。はたしてこれを学術的な文脈をもつ「図鑑」と位置づけていいものでしょうか。
だいたい昆虫の社会的位置づけが揺らぐと見に行くのは丸山先生、こんなことをおっしゃってました。
「世界一うつくしい昆虫図鑑」 http://t.co/RfXbKG5DO0 が翻訳されて発売されるらしい。脚が折りたたまれ、触角や口髭がもぎ取ってある。アメリカのスーパーに骨付き肉が売っていないのを思い出す。買わないな。
— 丸山宗利 a.k.a. まう山🐜 (@dantyutei) April 4, 2014
なるほど。学術の文脈を借りるのであれば、その文脈に対して侵害的であるのはマナーが悪い。
いくつかのアートワークでは折りたたみ、隠されている脚がいくつかの作品では取り除かれてしまっている。
丸山先生はただ批判だけして終わらない。(批判することはもちろん大事なのだが、そればかりでは外野から見ると息苦しくなってしまう) そのアンサーとして美しい書籍を送り出した。
その名もきらめく甲虫。
撮影技術、標本のクオリティ、そして角度を変えることで初めて「きらめく」はずの昆虫が 白い紙に平面に印刷されているのに、「きらめく」というそのすごさ。 大きい虫も、小さいむしもおなじぐらいに「きらめいて」いる撮影技術の一貫性 (同じように撮ってしまうと、サイズによってバラバラな写真になってしまうはずだが、そこが注意深く揃えられている。)
そして 次作
「とんでもない昆虫」
からの、共著者である東京芸大の福井さん作製のこの展示台につながるわけです。
あえて昆虫の名前を隠すことで姿かたち、多様性に注目させ、ホワイトのバックにより清潔感をもたらす。 そしてラベルを「取り除く」という事もできたが今回は取り除かず、体の下に隠す、という方法をとった。
つまりこれは 学術標本の価値を全く損なうことなく、展示用に転用してみせたという意味ですごいのです。
更にいうと、ラベルを見せた展示もできたでしょう。 しかし見てわかるようにラベルというのは 採集当時に作られたもので、標本によっては黄ばみ、これまでの多様な昆虫標本では様々な時代、様々な人の字のクセが前に出てしまう。 このようなノイズを丹念に取り除く過程で、「ラベルを取り除く」のではなくて隠す、という選択をしたのでしょう。
この展示に敬意を送りたい。すごい。
しかし、生きた虫がいてほしかった。と「いろんな床材に苦しむカブトムシの映像展示」に釘付けになっている男の子をみて 思うのだった。生きた虫はすごい。強すぎて他の創作物を邪魔しかねない可能性を考えて、あえてここに置かなかったんだろうと思う。 生きた虫はラオスで楽しもう。そうラオスで。
以前にTwitterでテングビワハゴロモを評して「色彩構成でゼロ点」とコメントを頂いたけれど、これもまたそう。すごい。キャッサバの栽培状況を見に行っていきなりこれが現れるとインパクトがすごい。
人間の創造物だとしたら悪趣味で売り物にならない、と言われそうなデザインセンスを 「このデザインで生き残っている」という圧倒的存在感でねじ伏せる生き様!かっこいい! この虫の話もまた後でしましょう。