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前編では現状では生食できる昆虫は存在しないこと
中編では、味覚センサーを使って生食が美味しい昆虫の探索は既に技術的に可能であることを
紹介しました。
最後に
後編では法的な概念である「家畜」を生態学的に再解釈して、
「生食できる昆虫」のための衛生管理や法整備を提案していきましょう。
更に「生食できる食品は生食すべきか」という食の倫理まで考察してみます。


先に、
危険性には、ハザードとリスクがあることを説明しておきます。
ハザードは予見可能な危険性を示します。
社会的影響力の強さで評価されます。
リスクはハザードに対し、危険な状態となる確率を掛けあわせたものです。
リスクから見ると、
ヒトには感染防御機構があるので、
食品を少し生食したからといって、重篤な感染症になる確率は低いのです。
ですが、ハザードから考えると、
危険性は社会的影響力の強さで評価されますので、
食品安全への予見可能な危険性を放置することは、たとえ確率が低くても、
つまりリスクが低くても
起きた時の社会的影響が強いので、厳しく管理されることが望ましいでしょう。


余談ですが、
ワクチンも同様に理解できます。
ある人がたった一人、ワクチンを打たなかったからといって、
その人がその感染症にかかる確率は低いので、
本人にとってさほどリスクの高いことではありません。
「ワクチン不要論」でよく使われる営業手法です。
ですが、
そのようなヒトが広がった時に、アウトブレイクと呼ばれる感染爆発が
起こりやすくなりますし、ワクチンを接種できない別の疾病を持つ人が
ハザードに晒されます。
それは予見可能で、ワクチン接種で劇的に抑えることが可能なので
多くの重要なワクチンは接種が義務付けられているのです。


話を戻します。
陸生動物の生食は、本来の宿主でない寄生虫がヒトに感染した時
重篤なハザードを引き起こします。これを迷虫といいます。
件数は少ないですが、命にかかわることです。
そして寄生虫だけでなく、感染性微生物についても
加熱をするだけで、劇的に危険性をゼロに近くできます。
現状のデータでは、
「生食できる昆虫はいません」し
「生食のほうが誰もがおいしいと言う昆虫は見つかっていません。」
そして、
「昆虫食における危険性をゼロに近づける方法」として、
加熱は劇的な効果があります。
(食物アレルギーは加熱では回避できないので、別途まとめます。)
なので、
生食できる昆虫は、これから未来に登場するかも
としか言えないのです。


そこで、
「未来の家畜昆虫の生食の可能性」について考えてみましょう。
採集品の生食が可能なのは、動物では海産物のみです。
淡水域や陸上の野生動物は、不特定の感染源に接触しているので
ヒトに感染可能な寄生虫や微生物を管理しきれません。
もちろん
海産物においても、胃液に強いアニサキスなどがありますので
全て安全というわけではありませんが、今回は割愛します。
養殖モノで、海産物以外で生で食べられるガイドラインがあるものは
馬肉、牛肉、鶏卵、などがあります。
これらはどのようにして、生食可能と判断されているのでしょうか。


ここで、
「家畜」を法的なものから拡張し、種や体サイズによらないものとして
再定義してみます。
「利用可能な有機物を転換する従属栄養生物」としてみましょうか。
なぜこうするかというと、
昆虫は養蜂と養蚕のみ家畜として法的に認められているのですが、
他の食用昆虫について、単純に
養蜂・養蚕の枠組みを拡張するだけでは多様な用途が想定されている
食用昆虫に対応できません。
食品衛生の法的な枠組みを理解し、
そこから昆虫食のあるべき衛生管理を考察しましょう。


参考になるHPとして「日本オーストリッチ協議会」のサイトがありました。
http://japan-ostrich.org/topics/view/4617080876
とてもいいです。
余談ですが
ダチョウといえば、
先日岐阜県から脱走して、その後首に木の枝が刺さった状態、つまり
「モズのはやにえ」のような状態で見つかったことで私の中で話題になりましたが。
実は法的には
「家畜である場合と家畜ではない(家畜と判断されない)場合」があるのです。


以下引用します。
家畜伝染病予防法
オーストリッチを10羽以上飼養している農場は、飼養する生体に死亡または異常が生じた場合、地元の防疫監視当局(家畜保健衛生所等)へ報告することが義務付けられている。
家畜排泄物処理法
家畜排せつ物」とは、牛、豚、鶏その他政令で定める家畜の排せつ物をいうとなっており、現在のところダチョウはその対象とされていない。
飼料安全法
この法律で定義されている家畜は、牛、豚、めん羊、山羊及びしか、鶏及びうずら等であり、他にもみつばち、ぶり、まだい、ぎんざけ、こい、うなぎ、にじます及びあゆ等が対象となっている。ダチョウは、この法律の家畜には対象となっていないため、牛用や鶏用に製造され販売されている飼料をダチョウに給与することは違法ではないが、ダチョウにとって適正な栄養価であるか否か、或いは安全性に支障はないか等については管理者責任によると解釈される。
食品衛生法
同法には、営業する業種別に営業施設基準が規定されており、所管の都道府県の条例で決められており、営業をしようとする者は都道府県知事の許可を必要とする。ダチョウをと畜解体処理する場合には「食肉処理業」となり、肉をハムやソーセージなどに加工する場合には「食肉製品製造業」、処理された肉をパッケージして販売する場合には「食肉販売業」となる。因みに「食肉処理業」とは、食鳥処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律(食鳥検査法といい、鶏、七面鳥、アヒル等が対象)に規定する食鳥以外の鳥若しくはと畜場法(と場法ともいい、牛、馬、豚、めん羊、山羊等が対象)に規定する獣畜以外の獣畜をと殺し、若しくは解体し、又は解体された鳥獣の肉、内臓等を分割し、若しくは細切する営業をいう。


さて、
昆虫については、関係各所に問い合わせましたが
「家畜かどうか判断する部署がない」そうです。
だからといって
「だれがどう提供しても自由であり、食べた人の自己責任」
とはなりません。
ダチョウと同様に
「管理者責任によると解釈される」のです。
ダチョウの飼養に関しては、管理者責任をもって、
対象外である排泄物や飼料に関しても家畜と同等の自主的な管理を行っています。
昆虫食でも、同様に
ふさわしい管理方法を考え、提案していくのが、自称専門家の務め
だと思います。
先に示した再定義
「利用可能な有機物を転換する従属栄養生物」の枠組みから、
食品衛生の考え方をざっくりとした部分から見てみます。


大きな枠としては、
微生物を利用した発酵、大動物を利用した家畜、キノコ栽培のような農産物まで
「食品加工の一種」とみなすことができます。
つまり食品衛生法で管理されることが王道です。
そして食品加工>家畜>農産物の順に、条件がつき、安全管理がゆるくてもよくなります。
逆に言うと、
家畜や農産物がきちんと育つことそのものが、安全管理の証明とみなされている、
といえるでしょう。
以下は行政の判断を待たなければなりませんが、
可能性のある3パターンに分けて考えてみましょう。


食品加工と同等と判断された場合
微生物発酵と同じように昆虫養殖も食品加工とみなされた場合
昆虫は種苗として単一のものが求められるでしょう
食べさせるものは食品原料のみが許され、フンと消化管内容物に有害な物質が検出されないことが
必須です。また、食品原料も加熱処理が必須となる可能性もあります。
生食の可能性を左右するのはフンの衛生度でしょう。
バッタなどは共生細菌の力を借りないイメージがあります(まだ報告されていないだけですが)
加熱処理した無菌の草を食べさせ、フンも無菌のバッタならば
もしかしたら生食ができるかもしれません。
もちろんバッタ醤油があるので、茹でたほうがおいしいでしょうが。
「家畜」と同等に判断された場合

家畜生産では、食品原料の安全基準よりゆるい飼料安全法によって管理された「飼料」を使うことが出来ます。これは、家畜が健康に育つことが、ひとつの飼料の安全性の担保となっているから、と解釈できます。
また、家畜の排泄物は食肉処理時に消化管を取り除き、完全に分離する必要がありますので、
人体にとって有害な物質は家畜の機能により、排泄物へと分離されていることが期待されている、と言えるでしょう。
昆虫が家畜と判断された場合、生食できる鶏卵とウシ、ウマの肉と同等の衛生管理が摘要されるでしょうからフンに食用に適さない物質が含まれていても、蛹化や脱皮時に消化管内容物を排出することで、汚染がないと判断される可能性もあります。
生で食べられるのは、消化管を取り除き、肉をトリミングしたものや、
それから無菌培養した細胞塊、そして卵だろうと思います。
先に述べたバッタや
わりと大型でさばくことのできるマダガスカルオオゴキブリ、その卵、昆虫の培養細胞あたりが生食の候補になりそうです。体サイズが小さいので、なかなか難儀です。
「農産物」と同列に判断された場合
キノコの場合、木質バイオマスや、堆肥など、そのままでは食べられない動植物性の有機物を転換することができます。
そして、子実体を収穫することで、それらとは完全に分離されることが期待されています。
今回は割愛しますが、
キノコの生食ができない主な理由は感染性の微生物ではなく、キノコが本来持っている防御機構が
人体に有害で、加熱によって回避できるからです。
この判断となれば、堆肥として利用される家畜排泄物を、ハエ養殖で転換し、食用や飼料として
再利用する方法まで、利用可能性が広がります。
ただ、
堆肥の場合は発酵による熱殺菌も期待されているので、熱に弱い昆虫による転換では、
検査結果次第では難しいかもしれません。
もしいい結果が出れば、
堆肥由来のハエの蛹や木質バイオマス由来のカミキリムシの蛹、クワガタの養殖モノが安全検査を合格して生食用として出回るかもしれません。


ということで、
三段階で考察してみました。
行政の判断がどうなるかは、まだ予見できませんが、
私としては
「飼料」や「食品残渣」の転換が、将来の昆虫食の1つの大きな役割を担うと考えているので、
一番厳しい「食品加工」扱いではなく、
一段階ゆるめの「家畜」あるいは
さらにゆるめの「農産物」と同等の扱いがほしいところです。
いずれの場合においても
それらの食品安全検査の手法は既に確立されており、
昆虫の場合は、その方法を当てはめるだけなのですが
そこには手法における新規性がなく
「研究としての新しさがない」と言われてしまうことが
目下の悩みです。お金が集まらない。
昆虫を食用に利用すべきである理論、というのを、
学術的にも、経済的にも

もっと説得力のあるものに仕上げないといけないでしょう。


最後に、
我々の卵かけごはんを支える、生食のできる鶏卵でも、サルモネラ菌ワクチンを接種することで
その安全性を保っているそうです。ワクチンはそのうち耐性菌の登場により
無効化される危険もあります。
また、「EM菌により殺菌剤を使わずとも生食できる」などと、疑似科学の温床にもなっているようです。
生食できるかどうか、だけでなく
生食すべきかどうかも、
食の安全と倫理、持続可能性において、考えてみると良いと思います。
昆虫食も、生食できるか、生食すべきか、普及の推進と同時に考えたいところです。

前編では
サイエンスとテクノロジーをもって生食できる昆虫を探す
と述べました。
やはり生食だから健康によいとか
度胸があってかっこいいのではなく
「おいしいこと」を大事にしたいですね。
美味しさの評価に、官能評価、というものがあります。
官能、ということで
アダルトな方面を想像をする方もいるでしょうが、
そうではありません。
人の味覚の自己申告を数値化して、味を評価することです。
今回の例を挙げますと
アンケート形式で、
5基本味(甘味・苦味・うま味・酸味・塩味)について、5段階で評価してもらいます。
もちろん
味の評価は個人でバラつきがあるので、傾向を知るには
サンプルサイズを大きくしなくてはなりません。


しかし
昆虫の生食をする危険性を参加者に負わせるわけにはいきませんし
そもそも
採集した昆虫は食物、成長段階によって大きく味が異なるので
同じ種だとしても多くの人に均質な昆虫を食べさせることはなかなか困難です。
学術的な昆虫食研究も「手に入りやすいもの」から手を付けており
持続可能な食料生産のためにふさわしい昆虫や、おいしい昆虫を
膨大な昆虫資源から探し出す手法を持っているわけではありません。
私が個人的に行ってきた昆虫の味見も、
ここが「サイエンス」になるには致命的な欠陥があります。サンプルサイズが小さいのです。
「個人の感想ですよね」と言われると、そうですね、としか言いようが無いのです。


そこで
サイエンスとテクノロジーの出番です。
人の味覚をモデル化してシミュレーションしてくれる機械。
味博士の研究所の味覚センサーシステム「レオ」です。
ぱっと見よくわからない機械ですが
これは5基本味の要因となる物理化学的性質の測定とともに、
それを複合的に味わった時に、ヒトがどう評価するか、というヒトの味覚評価の仕組みを
シミュレーションするよう、設定されています。
例えば、甘味(糖)と旨味(特定のアミノ酸)を同時に感じると、
単独で味わった場合よりもどちらの味も強く感じることが
官能評価で分かっていますので、ヒトが感じるであろう味覚に合わせて強めに調整します。
これにより、少ないサンプルサイズで、
官能評価の結果をシミュレーションすることができるのです。


もちろん、
レオには昆虫の味を覚えさせていませんので、
例えばキノコ毒でいうところのイボテン酸のような
昆虫にしか含まれていない毒でかつ旨味の強い味成分を見逃すかもしれません。
それはそれとして、
スクリーニングとしては一個体の昆虫からデータを取り出す
しかも、
「生の昆虫を安全に食べさせることのできる機械」というのは
可能性がひろがりますね。
興奮します。
それでは
私の代わりに食べてもらいましょう。
サイエンスアゴラ2015でコラボさせていただき、
「レオ」は面白い結果を出してくれました。
まずはトノサマバッタ
こちらのリンクを
(あまりアクセスが伸びなかったそうなので)見てください。
お願いします。
塩茹でしたほうが、苦味が下がり、甘味と旨味が増加しています。
これはバッタを掴んだ時に、口から吐き出される茶色い苦い液体
(味見してみましたが、苦かったです)
が茹でることによって茹で水にとけ、苦味物質が減ったこと、タンパク質が変性して
味物質が遊離したことなどが、理由として考えられます。
この予想は、
そのまま下処理をせずに焼いたものより、
茹でてから焼いたもののほうが美味しかった経験を
もとに、提案してみたものです。
スコアで言うところの0.2の差、というのは
ヒトの官能評価でのサンプルサイズn=100であるときに
有意差がでるであろう結果とのことですので、
「生トノサマバッタと茹でトノサマバッタを100人に食べさせた時に有意に茹でトノサマバッタをおいしいと判断する」
という結果が予想されます。
もちろんそれをヒトで検証する官能評価もあればよいのですが
少数の採集昆虫でも味を比較できる可能性を示せたので、現状では大きな一歩でしょう。
続いて次々参ります。
以下はサイエンスアゴラ2015において
味覚センサーの結果を見ながら、昆虫食を経験してもらう、という企画で使ったものです。
 
まあ当然ですが、
美味しい味を追加してから味わう「調味」をしているわけですから
おいしくなってますよね。
今のところ、
「ナマの方がおいしい昆虫」を示すデータは見つかっていません。
ハチノコは生に限る、
という方もいらっしゃいましたが、
それもあくまで調理法の1つへの好みといえるでしょう。
私は白い蛹をお吸い物にしたものが
抜群に美味しいと感じましたので
数多い調理法のうちのたった一つである
「生」が最高だと、
万人が感じる確率はあまり高くないといえるのではないでしょうか。
「生」信仰は、度胸や覚悟を試すようなマウンティングの一つの形なのかもしれません。
ともあれ、この技術によって
茹でることで失われる味の情報を補完する技術になりえます。
もちろん改良の余地はありますし
香りや食感といった「おいしさ」の構成要素は多くありますので十分とはまだまだいえませんが
少なくとも、
個人の感想よりははるかに信頼性が高い、といえるでしょう。


調理済みのものに関しては、サイエンスアゴラ2015において実際に食べてもらい、
150人ほどの方からフィードバックを得ました。

細かい解釈は割愛しますが
少なくとも、
「ヒトが実際に味わった時の昆虫の味は味覚センサーシステムの予測を大きく裏切るものではない」
ことがわかります。
また、
「味覚センサーの結果を参考にする」という方が半数以上いた事からも、
私のようにどっぷり浸かった昆虫食愛好家がいうことよりも
先入観のない、そして昆虫を食べた経験を記憶させていない
「レオ」が出した結果のほうが、
初めて食べるヒトにとってのハードルを下げる場合もあるでしょう。


ヒトを模倣したロボットが
ヒトには入れない極限環境の作業を切り拓くように
ヒトの味覚を模倣したシステムが
ヒトでやったのでは生態系へのダメージが大きくなってしまう網羅的な探索だったり、
現状ではヒトへの危険性が高くなってしまう衛生的に問題のある食味だったり、
ヒトの先入観が強く出たりする、新食品の開発と普及への道を

切り拓くとすれば、
ロボットが単なる「ヒトの下位互換」ではない、新たな未来が拓けると思います。


書いていて、
はたと気づいたのですが、
手塚治虫の漫画、ジャングル大帝レオは物語の中でバッタ食を啓蒙し、バッタ牧場をつくり、
肉食をやめるよう仲間を説得していました。
レオは昆虫の知識が足りなかったためか、不運か、
バッタ牧場は原作でもアニメ版でも失敗してしまいました。
もしかしたら味覚センサー「レオ」は昆虫食を広めるべく
転生したジャングル大帝なのかもしれません。
(念のため補足ですが、味博士の研究所は昆虫の味見をするための研究所ではありません。味を総合的にプロデュースする企業です。私が昆虫食の未来を感じているのはあくまで私の感想です。)


それでは後編に続きます。
後編では法的な概念である「家畜」を生態学的に再解釈して、
「生食できる昆虫」のための衛生管理や法整備を提案していきましょう。
更に「生食できる食品はどの程度必要か」という食の倫理まで考察してみます。

1

「生食できる」とはスリルを伴う甘美な響きがあるようです。
しいたけの一種に「生食できる」と称したり
牛の生肝臓がダメなら豚を、とか
ジビエの鹿肉や猪は生食できる、なぜなら今まで大丈夫だったから、と称する中高年の狩猟者がいたりしますね。
生食できる食品を提供できる、というのは何だかすごそうだし、
それを身をもって体現している人はなんだか詳しそうに見えます。
一般的に生で食べられない、と
言われているものなら尚更です。
特に日本に生食の誘惑が強いように見えるのは、
魚介類の生食があるせいでしょう。


とんねるずが昔結成した
「野猿」というグループがありました。
鮒は生じゃ食えないはずさ
泥臭い 生臭い fish! fish! fish!
鯉は洗いで食えるくせに
甘露煮 鮒ずし だけなのね
https://www.youtube.com/watch?v=rEbVsKdwakU
「おいしいかどうか」よりも
「生で食えるかどうか」という魅力があるようです。
そして、それは付加価値として経済性をもちます。


欧米でもRAW FOODというブームが起こりました。
恐らくスシブームもその派生でしょう。
生のほうが酵素が生きたまま取り入れられるとか
消化に良いとかなんだとか、あることないこと言いながら営業をしています。
もちろん
生のほうが得やすい栄養もあります。
熱により変性しやすいビタミンなどがその一例です。
ですが
酵素の場合、胃酸で変性・消化され、アミノ酸として利用されるので
生で酵素を食べることの栄養的な利益は全くありません。
どの食品でも確かに言えることは、生で食べることは
食品の危険性(ハザード)は十分に高くなります。
例・サルモネラ菌が付着したキュウリのピクルスで死亡者3人
生で食べるべきかどうか、は
ハザードとベネフィットを天秤にかける状態。
つまり生で食べないと生命の危険のある状態に
考慮されるべきことで
日頃から
普通の食材を食べて栄養の良い状態で生きている人にとって
たとえ緊急的に食品が不足するような事態に陥ったとしても
生で食って改善される状況はまずありません。
緊急時はむしろ、医療不足のほうが致命的ですので
日本に生活しているヒトが
食品ハザードと栄養を天秤にかけ、
ハザードを選ぶことはまずないでしょう。
つまり、
日本において生食ができる、と安易にいうヒトは
疫学や食品衛生の知識がないのか、
営業を目的に意図的に無視していると考えられます。
無知ならば、あるいは営業ならば仕方ありません
とはなりません。
不良な食品は多くの人の生命を不特定に脅かしますので
社会的な影響が大きく、感染性ならば公衆衛生の敵です。
また、
それが簡単に予防できるにもかかわらず、
食品提供者の怠慢や短絡的な利益のために見逃していたりすると
食品という社会インフラの根幹に関わる問題ですので、行政が介入します。
つまり、
食品は特にハザードとして重要度が高いのです。
昆虫食がこれから安全に普及していくべき、と
考えている私としては
見逃すわけには参りません。
以前にペットの生き餌用昆虫の生食について警鐘しましたが
もちろん野外の昆虫にも、
ヒトに感染可能な寄生虫や感染症は数多く見つかっています。
私信で、論文報告は行われていませんが、
野外の昆虫を生で食べることによって、
本来野生の哺乳類に感染する寄生虫がヒトに感染したと思われる事例の情報も得ています。

なので、
この警告は
「野外の昆虫はペットの生き餌昆虫に比べて感染性微生物が少ないので生で食べられる」
ということでは全くありません。
意図的に読み替えて野外の昆虫を生食をしている、自称専門家がいるようなので
くどく繰り返します。
私は自称専門家として、警鐘に努めてまいりたいと考えています。
もちろん私刑のような野蛮な方法ではなく、言論で。
言論には自由が保証され、基本的に強制力がないので、弱いです。
もしこれをお読みの皆さんの中に、
これから昆虫を食べようとしている方がいましたら
整合性のある言動をする自称専門家を選んで、
(公的な専門家を養成できていないのは不徳のいたすところですが)
信頼できるかどうか判断されることをおすすめします。


とはいえ、
オレ、生の味知ってるぜ。
度胸と覚悟のない素人は真似するんじゃないぜ
って言うことは

ちょっとスリリングでカッコよくもありますよね

私は2013年から、
同定した昆虫を十分に茹でてから味見をして、
種間比較をしてきましたが、
茹でることにより見逃すことになった
おいしい生食用昆虫がいる可能性を考えると
気が来でなりません。
また、
日本には馬刺し、鶏卵や水産物、養殖サーモン、養殖カキなど
生で食べられる動物性食品はたくさんあります。
つまり、きちんと管理すれば生食できる動物はいるのです。
批判してばかりでは
ユーモアが不足しますし、より建設的な議論へと持っていくために
おいしい生食昆虫がいた場合、それを見つける戦術と、
おいしい生食昆虫が普及した将来について、考えてみましょう。
武器は度胸や覚悟などではなく
サイエンスとテクノロジーです。

中編に続きます。

1

Twitterで反響があったのと、映画を見た後に書いてみた原稿があったので。
休眠中ですがUPします。なかなか本業のほうは前途多難です。またご報告します。
マッド・マックス 怒りのデスロード

映画館で一回見て、先日iTunesで配信が開始されたので、見ました。

「イモータンジョーの食糧生産ヤバくね?」は
コチラのブログで紹介されていましたが、私も同感です。
(トマトの苗だけは確認できませんでした。)
そして
「エンディングの後の食糧生産、ヤバくね?」
というのが一番の感想。
彼らの物語を少なくともバッドエンドにしないためにも
食糧生産についてきちんとアドバイスを送る必要があるでしょう。
予め「昆虫食がフュリオサを救う」と言っておきます。
それでは参りましょう


※以下めっちゃネタバレをします。
未見の方はご注意ください。
上映劇場も減ってきましたし、そろそろディスクも出るのでご勘弁ください。


1,あの世界に昆虫食が存在するか

そもそも昆虫食文化が絶えてしまっていたのでは、
新たに食用昆虫を生産しても彼らは食べてくれないでしょう。
この映画には食事のシーンが少ない中、
幸いにも昆虫を食べるシーンがあります。
食べたのはウォーボーイのニュークス。
懇意になった赤毛の女の子、ケイパブルが寝ている間に肩に登ったコガネムシ科の昆虫を
器用に自分の手に移し、よく観察したあとパクっと食べます。
日常から昆虫を食べていたことが伺える貴重なシーンです。
今回は生食の危険性について、彼らの事情も考慮して不問とします
少なくとも昆虫を食べることはありそうです。
また、このコガネムシの同定は残念ながらできなかったので、
どのような生態をもつのか、後述して推測します。
2,どの程度昆虫が分布しているか

これも難しい問題ですが、幸いにも描写がありました。
冒頭、マックスは双頭のトカゲを踏みつけ、食べます。
歩くのが速く、口が大きいので恐らく昆虫食性でしょう。
双頭という重篤な変異を持つにもかかわらず、大きく育っているので
近くに豊富な昆虫資源があると思われます。
3,イモータンジョーの食糧生産

本作の重要な問い「生きるために他人を搾取してよいか」を際だたせるため、
イモータンジョーは徹底的にヒトを搾取するシステムを持っています。
彼の愛車がギガホース、彼のマスクの歯が馬の歯という設定から
以前は草食の家畜を生産していたと思われます。
ところが、核戦争の後、
先天的な障害を持つヒトの割合が増えてしまったことで
ヒトの利用を多様化し、家畜として利用することで
徹底的に搾取する構造を備えたと思われます。
ジョーは血縁の後継者を必要としていますので、
多くの女性を妊娠させる必要があります。
そして、フュリオサのように、
子産みという利用価値のない女性を殺すことはしないようです。
また、ドゥーフのような先天的に目の見えない男性に対しても
ギターを持たせるという適材適所な人員配置も魅力です。
これは役立たずでも殺さない慈悲があり、
能力次第で上に登れるという救世主アピールと同時に
ヒトを育てる時に生じたコストを出来る限り回収する目的があったのでしょう。
フュリオサとジョーに恋愛関係がーという考察もありましたが
私はそうは思えません。
恋愛や妊娠に価値がある世界には見えませんし
汚染されていない緑の大地出身のフュリオサは健康体で恐らく長寿命です。
また、
フュリオサがありあわせでつくった義手の精度が異常に高く、パワーもあり
ロストテクノロジーかと思われるレベルです。
ジョーやリクタスの生命維持装置もフュリオサが作っていたと考えられます。
まさに「能力主義」で上り詰めたのでしょう。
逆に
短命こそが高コストであるがゆえに、ウォーボーイズの仕事は収奪と攻撃、
そして望まれるのは敵を殺しての派手な死です。
マックスが核戦争前に警察だったことから、
おそらくジョーとマックスは設定上同年代で
マックスやフュリオサは汚染環境でも老化速度があまりに遅く、病気にもならず
健康体を保てるイレギュラーなパフォーマンスをもつ人達と思われます。
一方「凡人」だったジョーが老化とや病気と闘いながら
組織的に長寿命を獲得しようとした苦労も伺えます。
ワイヴズも、
年長者はそれぞれ別の文化背景を持つような(お祈りとか)描写もあります。
ハイポテンシャルな彼女らは子産みの仕事の後、
母乳女として家畜として徹底的に搾取されるようです。
映画に出てきた母乳女達は自らが産んだ子供を取り上げられ、代わりの人形抱きながら
母乳生産を仕事とされます。そして一様に太っています。なぜでしょうか。
ここで、ジョーがもぬけの殻だったワイヴズの住処に行く途中、
水耕栽培のシーンを見てみましょう。
そこにあるのはアブラナ科の作物。おそらく甜菜かと思われます。
穀物もおそらくあるでしょう。
砦の屋上にはヤシ科かイネ科と思われる草で覆われ、
灌漑用の風車が見えます。
これらの作物は、エネルギーがあるものの
アミノ酸スコアの低いことが問題点です。
カロリーだけ高い食物を食べさせられ、運動を禁止されると、
栄養不足と肥満になります。
そして母乳という完全栄養食品を搾取されているのでしょう。
大変に合理的で、非情な搾取といえます。
「農産物由来の母乳」がジョーの砦の貴重な栄養源といえます。
4,イモータンジョーの物質収支
イモータンジョーは界隈で最大勢力を誇り
近所のバレットファーム(弾薬畑)と
ガスタウンと同盟関係にあります。
余談ですが
ガスタウンの主は人喰い男爵(people eater)と呼ばれていることから
人肉食はあまり一般的でなかったと思われます。
(私も映画を見た後、Twitterの名前を「蟲喰い男爵」にしようかと思いましたが、あの世界では普通すぎるので断念です。)
ガスタウンには石油があり
弾薬畑ではヒトの糞便から硝酸アンモニウムが作られ
ジョーの砦には水と食糧があります。
ガスタウンと弾薬畑については、映画中に描写がないので、
こちらの資料を参考にしました。

同盟とはいえ、彼らには上下関係があるようです。
やはり
食糧を握っていて人口も抱えているジョーが最も偉いようです。
ガスや弾薬は安いレートで食糧や糞便(そして髪の毛)と
交換させられていたのでしょう。
5,イモータンジョーの工芸と祭り
ウォーボーイズはジョーを尊敬し、短命にも関わらずQOLは高いようです。
ジョーのためにタトゥーを彫り、化粧し、工芸品を作り、音楽やコールまで多彩な文化があります。このような一見資源の無駄のように見える「祭りの構造」が多くのヒトの心の支えになり、
トータルとして人心掌握につながり、無駄にならないという高度な意思決定があると思われます。
食糧生産が自動化されているので、誰かが通りかかるまでは工芸ぐらいしか仕事がない、
ともいえます。工芸や祭りは農閑期の公共事業だったのでしょう。
ここまでは、この世界の考察です


さて、
エンディングで、ジョーは死に、
多くのウォーボーイたちと自動車がダメになりました。
そして、母乳女達が開放されます。
大きな問題です。「母乳というタンパク源が無くなった」のです。
そこで効いてくるのが「種」です。弾丸が「死の種」と呼ばれていましたから
種は生の象徴でしょう。
彼らは種ババアことメリッサから、汚染されていない『種』を持ち帰っています。
メリッサが見せたシーンでは
「木に花にフルーツ」そしてマメ科と思われる苗と、インゲン豆っぽい種も見えます。
そこで気になる一言が。「何一つ実らなかった」
メリッサは土壌の汚染と説明していますが、
大きな勘違いをしている可能性があります。
ここで、
フュリオサが砦に種を植える前に、確認しておくべきことがあります。
A,土壌細菌の有無
マメ科が実るためには、根粒菌などの土壌細菌が必須です。
水耕栽培で土が汚染されている可能性を考えると、マメ科が「実らなかった」のは
土壌細菌が不在だった可能性があります。
ヨーロッパでは土壌と根粒菌の相性が悪く、大豆の栽培が定着できなかった、
という経緯がありますので、これは重大な確認事項です。
B,訪花昆虫の有無
ここで、ニュークスが食べていた昆虫の出番です。
期待したのはハナムグリなどの訪花昆虫ですが、
高画質で、コマ送りしながらじっくり見たところ、
鞘翅の形がハナムグリっぽくない。
そして、その直前に
「カラスのいる汚染された土地(緑の土地の成れの果て)」を通過した後であることから
糞食性、腐肉食性のセンチコガネである可能性も捨て切れません。
体型はゴミムシダマシっぽい?ということでまめだぬき先生がコメントをくださいました。


幸いなことに、ジョーの砦で育っていたのは、
虫媒花のアブラナ科、てんさいで、自家不和合性(自家受粉では実らない
が特徴です。つまり冒頭ですでに、訪花昆虫の存在を示しているのです。
つまり、
種ババアの持っていた虫媒花の花、マメ、フルーツが復活できることを暗示しています。
ですが、懸念もあります。
アブラナ科の自家不和合性は、二酸化炭素濃度を3〜5%に上げることで打破できます。
人が多く、燃料もあり、密閉されたガラス室で水を逃さないよう栽培しているてんさいですから、もしかしたら自家不和合性の打破によって自家受粉していたのかもしれません。
これも大きな疑念が残ってしまいました。


ここでは
最悪のパターンに備えましょう。
訪花昆虫もおらず、土壌とマメ科の相性も悪かった場合。
相性がよかったとしても、
持ち帰った種は少量なので、数回の収穫はすべて次世代に回すべきだと思われます。
そして、母乳女はもはや搾取されません。
今すぐ、今ある農作物からの、速急なタンパク質の生産が必要です。
昆虫の残存量がどのくらいか不明なのが残念ですが
3つの昆虫養殖を提案します
A,糞便を利用したセンチコガネ養殖
B,イネ科作物を利用したバッタ養殖
C,アブラナ科作物を利用したカブラハバチ養殖
この3種が(いたとしたら)フュリオサに、亡霊となってでもぜひ伝えたいのです
「ハイ、フュリオサ! 虫だ。虫を養殖して食うのだ」
ニュークスには早急に亡霊となって、
ケイパブルに、あの時食べた昆虫が何であったか、
今まで食べたことのある虫は何かを
伝えるべき
だとおもいます。ヴァルハラに行っている場合ではないのです。
虫はアミノ酸スコアが高く、穀物より炭水化物が少ないので、
今までの糖、穀物食にプラスするだけで肥満も抑えられ、栄養状態も良くなります。
また、虫のフンは肥料として利用すれば、
微量元素の散逸も抑えられます。
そしてワイヴスの生活していた温室
が他の作物を食害させず、温度を高めに保ちながら
昆虫を養殖できるスペースになります。

We are not things!と、ヒトとして声を上げた場所で
昆虫はThingsとして、ワイヴズの代わりにガラス室に住むことになるでしょう。


After Mad, Max-buggy road!
狂気の後に、最大限に虫だらけの道へ

はたして、
フュリオサは昆虫養殖、もしくはマメ科作物の栽培に成功し
 贖罪「Redonpsion」を達成するのでしょうか。
Buggy とは乳母車の意味もあるそうです。
虫だらけになった砦で、
望まれて生まれてくる子供が
フュリオサの作ったBuggyに乗る未来もあるかもしれません。

1

みなさま ご無沙汰しております。
バッタの実験結果を論文にまとめるために引き続き休眠中であります。
コメント欄に質問を頂いているのですが、対応できていません。
Twitterでしたらお返事できるかと思います。
さて

数ヶ月前、
テン・ブックスという出版社の『森へゆく径』という雑誌がTwitterで募集していた
「1万円あります。本、買いにいきました」
http://www.hjissen.com/#!mori/cd0h
という企画に応募したところ、選んでいただきました。
これは、
書籍代一万円を頂き、そのレビュー原稿をお返しするという企画で
買いたいけれど後回しにしていた書籍を一気に買ってしまおうと、
ついつい(笑)応募してしまいました。
ちょうど見本紙を頂きましたので、この機会に
ブログ連動企画として紹介しようと思います。
今回は6冊の本を買いました。
料理王国 2015年 05 月号

ライフスケープ (風景写真1月号臨時増刊)

「もしも」に備える食 災害時でも、いつもの食事を

原発事故で、生きものたちに何がおこったか。

[新装版] 旅する根付 高円宮妃現代根付コレクション

もっとおいしく撮れる! お料理写真10のコツ

細かな書評は本誌を見ていただきたいのですが
これらを読んで見えてきたのは、
私達の社会は、外的な要因によっても、内的な要因によっても
「日常」と「非日常」のシフトが起きやすくなっていることです。
様々なメディアを通じて、
世界中の、そして現在から過去までの膨大な「非日常」の情報が交錯する中、
私達が持っている「非日常へのあこがれ」は大いに刺激されます。
その反動で、
日常がつまらなく、刺激がなく、
自分を成長させないような気がしてくるのです。
(自分を成長させたい、という欲求もまた非日常へのあこがれの一種だと思います)
ところが、逆に
突然の強制的な非日常がやってくると、
人々は日常を強く求め、心の平静を保とうとします。
それは天変地異かもしれませんし、ドローンのような
不可思議な新製品かもしれません。
その時にココロをかき乱されないよう、
外的な要因と内的な要因をバランスさせながら
「自分なりの日常」を保てる力こそが
地面に踏ん張って本来の自分の能力を最大限に引き出せる
「生きる力」なのだと思います。
生きる力とは、すなわち食です。(と言い切っておきます)
以前に学生相談所の精神科医に言われたことがあります。
「睡眠時間や食欲がなくなったら病気と判断します」
つまり、どんな理由にせよ、
生きる力を失った人は、社会に助けを求めなければならないのです。
そうでないと、人は生物的にも、社会的にも簡単に死にます。
さて、
今までの日常を生きてきた私達が
将来予想できない非日常に投げ出された時、
何をすればいいでしょうか。
自由にできるのは「時間」です。
これは誰でも寿命に応じて持っており、
平等に減っていく財産です。
「急ぐ」ことと「急かされる」ことは違います
「のんびりする」ことと「怠惰である」ことも違います。
自分の意志を持って、かつ自我の暴発を抑えて
時間の使い方をコントロールしていくことが
大事なのでしょう。


ということで、
以下の「非日常」なシチュエーションを想定して
日常と平静を保つ昆虫料理を作ってみました。
1,物流が止まる大きな変化が起こった。
2,ガスが止まった。電気だけ復旧した。電気があれば通信はできる
3,ここから動くことができない。交通が寸断されている。
4,今まで生活していた消耗品は残っている。
5,時間はある。やることがみつからないぐらいだ。
これは大地震でも自己破産でも構いません。
本人にとっての大きな変化としましょう。
そこで
のんびりランチでも食べられたら、
「日常を謳歌している」と言えそうです。
のんびりリッチな気分。
インセクトランチセット。
豆と乾燥イモムシのインド風カレー

ヒラタケとコシアブラとトノサマバッタのアヒージョ

カブトムシココア

カレーは炊飯器で
アヒージョは丸美屋の三ツ星レンジ<アヒージョの素>
を使いました。
http://www.marumiya.co.jp/cms/web/viewitem/4212/1
これは
紙製の容器とソースがセットになっており
容器に入るだけの材料を入れ、ソースをかけて
振って混ぜ、レンジに3分かけるだけで
アヒージョができるスグレモノです。
紙容器がきちんと閉まるので、
油も飛び散らず、バッタも生きたまま入れても逃げ出しません。
食べ終わったら容器ごと捨てられるのも、非常時には重宝しますね。
この紙容器は熱に強いので、揚げ物の準備がない場合でも
トノサマバッタをカリッカリに仕上げてくれます。
春の山菜コシアブラとの相性も抜群です。
エリサンとトノサマバッタは私が養殖したものです。
カレーは味がしっかり染みていて、肉質の香ばしい
エリサンの香りとマッチしています。
インド生まれのエリサンとインド風のカレーの組み合わせは抜群です。
カブトムシは日本の里山で大量に養殖されている
バイオマスです。味が悪く、食べるのもカラスかタヌキぐらい。
集合性があるそうで、スポットを見つけるとボロボロ採集できます。
今回は、蛹を一旦ゆでて
タンニン系の水溶性の渋みを除いた後、
ローストして、成分調整したあと
ココアにしてみました。カカオは
世界的な流通が必要ですので、代用ココアを
物品が手に入らない時に作ることができれば、
ヒマな時間も潰せますし、リッチな気分にもなります。
折り紙式の皿
orikaso(オリカソ)をつかって盛り付け
http://www.ats-co-ltd.net/Flatworld1.html
撮影は
日光を使ったライティングに挑戦。
日常の風景として提案します

ピクニックに行くのではなく
ピクニックが自宅の庭に来るようなそんなワクワク感を
演出してみましょう。
それではいただきます。

8

なんやかんやでバレンタインデーから一週間が過ぎてしまいました。
一年間育てたバレンタインチョコ昆虫。
とうとう味見です。
一年間でどのくらい食べたのでしょうか。

当初が22gで、
食べられた結果の重さは16gです。
なので、一年間で6g食べたことになります。
体重、測っとけばよかったですね。
それでは味見しましょう。チョコフレーバーは
彼らに移行しているのでしょうか。
マダガスカルゴキブリ Princisia vanwerebeki
うまい!臭みはまったくなく、甘みが強いがチョコの味ではない。おどろくべきうまさ。ちょっと外皮が固いのが残念。

オレンジヘッドローチ Eublaberus prosticus
?オレンジ柑橘系の妙な香りがあってゴキブリ臭い?ようにも感じるが、
甘みがあって食べられそうな妙なかおり。なんだこれは。混乱。
通常飼料の味ではない。

アルゼンチンモリゴキブリ デュビア Blaptica dubia
さくさくして食べやすく、こちらもチョコの香りではないもののおいしい。なんだ。チョコに含まれないなんらかの成分がいいのか?

意外な結果となりました。
典型的な「ゴキブリ臭さ」がいずれからもせず、
妙な香りと旨味でした。また、チョコフレーバーはほとんどせず
香りを食用昆虫に移すことはなかなか難しいようです。
彼らは窒素代謝物の再利用系を持っているので
タンパク質などの何らかの経路に、「ゴキブリ臭さ」のフェロモンを作り分泌する
系があり、それがチョコ食により阻害されているのかもしれません。
なので、食餌制限によって「ゴキブリ臭くない」おいしいゴキブリを作ることは可能で
それらは一年間飼育しても致死的でない要因によって達成できることがわかりました。
これはこれでけっこう良い成果なのでは、と思ったり。
彼らは養殖昆虫としての可能性を大いに秘めています。
そして、ヒトの生息環境のまま繁殖し、
他の昆虫に比べて野外には大きな影響を与えていないように見えます。
(ヤマトゴキブリが駆逐されている、という話も聞きますが。)
南方系のペット用種は冬には加温しないと死んでしまうので
そのような種をヒトの生活圏内で残飯を使って飼育し、食べる行為は
高緯度地帯の先進国における一つの解なのでは、と思います。
ごちそうさまでした。
一年前の自分にお礼。意外なおもしろいけっかとなりました。

2

皆様
ご無沙汰しております。
休眠中の蟲喰ロトワです。

最初に悪いニュースから。もう半年、休眠を続けなくてはなりません。

ほとほと昆虫学者としての実力と、将来性のなさを痛感しておりますが、
自分が言い出したことですし、
とにかく形にするべく、在籍期間満了の最後の半期をやり遂げようと思います。

休眠中ですが一つだけ、
一年がかりのプロジェクトがありましたので、
軽く記事にしておきます。

始まりは昆虫食仲間のムシモアゼルギリコさんが
つぶやいた一言からでした。


そうです。バレンタインデーです。

残念ながら私はギリコさんが期待するような
チョコをもらえませんでした。

生命保険の方が研究室にチラシと一緒に置いていったチョコを頂いただけです。
もちろん自分に保険などかけるはずもないので、
私は顧客・勧誘対象ですらありません。

そこで思いついたのです
「一年後の自分にチョコを贈ろう」

ギリコさんが納得するような、昆虫食研究者らしいチョコを。
友チョコ、ならぬ俺チョコといった感じでしょうか。

そこでこんな話を思い出しました。

昆虫食関係のどっかの本にあったと思うのですが。
「コオロギに食味の良い餌を食べさせて、フレーバーコオロギなどを作っても良いかもしれない」という話。(うろおぼえにつき出典ご存知のかた、おしえていただければ。)

これはすばらしい。
ということで、バレンタインデーらしくチョコフレーバー昆虫を作りましょう。

とはいえ、今までに揚げセミ幼虫のチョココーティングや
セミ成虫♂の鼓室へのチョコ注入、
クリムシチョコなど、チョコ昆虫はありふれた調理法です。

なので、もう一歩攻めてみることにします。
昆虫は養殖に大きな期待がかかっていますので、
一年がかりで、チョコで育てた昆虫を作るのです。

残念ながらコオロギは
チョコが体に合わないらしく、食べてくれません。

やはり、広食性のゴキブリが最適ではないか、と考えました。

一年前の開始時には、
マダガスカルゴキブリ アルゼンチンモリゴキブリ
オレンジヘッドローチの三種しか飼育していなかったので、
この三種、体格の近いものを1頭ずつ用意しました。
そして、22gのチョコと水を入れ、開始です。

そして一年後、どうなったでしょうか。それは後編で。

当ブログでは、
マダガスカルゴキブリ以外の味見を紹介していませんでしたが
ゴキブリはペットの生き餌として、ペットそのものとして、多くの種が輸入され、
飼育愛好されています。

チョコ作りにはとりあえず3種を選んだのですが、
数カ月前に、とあるブリーダーの方から理由があり

多くの種をお譲りいただき、味見をしました。
複数種を食べ比べることで、「ゴキブリの味」というものを概観し、
今後の指針にしようとおもいます。

マダガスカルゴキブリは以前に食べましたのでこちら(前編 後編

続いてオレンジヘッドローチEublaberus prosticusの羽化直後個体。

飼育環境下では臭いが味はどうか。羽;クニュっとした食感とシコシコした歯ざわりが美味しい。昆虫の羽ではかなり美味しいレベル。頭部、芋系の香りと粒感のあるタンパクな味。全くエグみがない。胸部かなり美味しい。やはりサツマイモ系の香り。見た目できになるトゲも柔らかく、問題なく飲み込むことが出来た。腹部。やはりゴキブリ臭。集合フェロモンの強い匂い。味というかニオイがダメ。調理前に腸を切除するか、揚げて揮発させる必要があり。

アルゼンチンモリゴキブリ(デュビア)Blaptica dubia

外皮が比較的柔らかく食べやすい。茹でると少しゴキブリ臭。揚げればいけそう
ちなみに、このデュビアは、
昨年の蟲フェスでデュビアジャパン http://dubia.jpさんが
料理コンテストに使用し、脱皮直後の虫をつかったアヒージョ「ゴキージョ」を
出品し、大変おいしくいただきました。
野菜メインの飼育をすることが、美味しさの秘訣だそうです。

オガサワラゴキブリ


オオモリゴキブリ


こちらは採集品、オオゴキブリ


カプチーナ、と呼ばれる種


そういえば、やきそばにトッピングするとなんたら、
という騒ぎもありましたね。


当然ですが、原材料に記載されていない素材が入っていた場合、
食品の製造工程になんらかの問題があることが示唆されるため、
保健所に通報し、検査することが妥当でしょう。
エビ・カニアレルギーのある方の交差反応も心配です。

ただ、同時期にチェーンファミリーレストランでのo-157食中毒があり
その混入経路が不明のまま、当該店舗のみ3日間の営業停止処分だったことを考えると

同社の商品を全回収することは、
その危険性と照らしあわせてみると大きすぎる反応にも見えます。

余談ですが、
彼らが本格的に嫌われたのは、ビル化と関連していると考えられます。
「害虫の誕生」という本は

ハエや蚊などの、衛生害虫の成立と、
政府の国力増強政策が関連していることを示した良書ですが、

オビに
「なぜゴキブリは嫌われるのか」と
あるような、ゴキブリの害虫としての成立過程には
ここ数十年の現代の歴史がフォローされておらず、
もう少し説明が必要に感じます。

彼らは昔から木造家屋への侵入はありましたが、
「コガネムシは金持ちだ」という歌のように
有機物が豊富な、金持ちの家にしか来ない昆虫で
とりたてて嫌われるものではなかったようです。

数十年前でもハエや蚊、その他迷いこんでくる雑多な昆虫のうちの一つでしかなく
室内温度が氷点下になるような隙間風の多い日本家屋においては、
虫達は冬にはいなくなったものでした。(越冬するカメムシなどはいたようです)

平行して、
1970年代以降かねてからオフィスにしか使われてこなかったビルが
多目的化し、飲食店や住居として使われ始めました。

ビルは木造一軒家に比べて気密性が高く、空調によって
常に乾燥し、一年中温度が安定している、膨大な空間といえます。
そこからは、その土地に生息していたほとんどの生物が追い出されたのです。

ヒトを由来とする湿潤な有機物は、
公衆衛生の観点から、滞留させないことで、下水を整備し、
ハエや蚊の発生を抑制しました。

そんな中、ゴキブリは乾燥に耐え、温かいビルに適応しながら
わずかな有機物を齧ってゆっくりと成長し、
ビル内の環境への適応を果たしたのです。

彼らはそもそも衛生害虫でないので、
ビル内で殺虫剤を使うことは本来の用途でありません。
そのため、ハエや蚊の発生が抑制されたビル内の王者となったのです。

その根拠として、
ゴキブリ用途の業務用(害虫駆除業用)
殺虫剤が登録されたのが昭和53年。

http://www.pref.chiba.lg.jp/eiken/eiseikenkyuu/kennkyuuhoukoku/documents/15-p1.pdf

殺虫剤は農薬ですので、薬事法により用途(=目的昆虫の名前)が決まっています。
ビルに適応したゴキブリは、おそらく、当初殺虫剤を使用できなかったのです。

そこから見えてくるのは
「ビル管理者がゴキブリの苦情を害虫駆除業者に言い始めてから」
ゴキブリは嫌われ始めたといえるでしょう。

はたして、ゴキブリは
ビルというゴキブリに適した環境を提供しておきながら
そこに増えたゴキブリを害虫認定するというマッチポンプによって
日本一嫌われる昆虫の座をヒトによって与えられたといえるでしょう。

そのため、彼らはハエや蚊のような重篤な感染症の中間宿主となることはなく
感染症の運搬者となる可能性が指摘されているものの、それは潜在的なもので
カラスやタヌキ以下の低いリスクしかないものです。

徹底して駆除し、殺虫剤耐性ゴキブリを産むほどではないといえます。
今や感染症発生時のハエや蚊の駆除と同等の徹底ぶりです。

これでは、いざ彼らを媒介とする感染症が蔓延したときに、
殺虫剤が有効な封じ込め手段ではなくなってしまいます。

例えば病院では、抗生物質の使用を制限しており、
最も強力なバンコマイシンの利用は「奥の手」でありかなり慎重です。
それは耐性菌の発生を助長するものであり、院内感染の蔓延原因となるからです。

幸いなことに、というか不幸なことに、
そもそもハエや蚊ほど感染症リスクが高くないので
殺虫剤耐性ゴキブリが発生している現在も、
直接的な感染症のひろがりはありません。

また、
ニューヨークのゴキブリは、味覚が進化している可能性も指摘されています。


そもそも、根拠の曖昧なまま始まったゴキブリ駆除の要求は
「ほどほど」を失い、もはや
ゴキブリそのものよりも怪物となっているような気がします。

おそらくですが、殺虫剤の広告において
虫への嫌悪感を煽るマーケティングは、
薬事法の「優良誤認」を防ぐため、と思われます。

薬剤は消費者に効果を誤認させるような広告を使うと、
厚生労働省から是正勧告が入り、回収を指導されてしまいます。

そのため薬剤の効果を広告するよりは、対象となる昆虫の嫌悪感を煽るほうが
効果的であり、薬事法の面からみても安全だったのでしょう。
業務用殺虫剤から、家庭用殺虫剤への変遷は又の機会に紹介します。

もしその煽りによって、極度のゴキブリ嫌いになってしまった人がいたとしたら
ゴキブリに対する加害者というより、ゴキブリと共に、被害者といえるのかもしれません。

さて この話は

仮説や妄想を多く含んでおり、検証が必要な「言い過ぎな話」が多くあります。
なので、今の段階で、この話をさも教科書に載っている正しいことのように、
引用を明記しないまま拡散しないでください。

紹介、引用する場合はこのページごと紹介して頂くと、
私に反論がきちんと返ってきますので助かります。

少し暗い話になりました。
後半は明日、書き上げます。チョコで一年育ったゴキブリたちは
はたしてどんな味に仕上がったのでしょうか。

18

この度、私 蟲喰ロトワ こと佐伯真二郎 は
このブログ、及び食用昆虫科学研究会としての活動を含む
昆虫食活動を半年間、夏眠させることにしました。
理由は学位取得に危険信号が灯ったからです。
2011年
ショウジョウバエ研究半ばでの
博士課程休学から3年、
いろいろあって「昆虫食」にたどり着くことができましたが
最後の1ピース「応用昆虫学の学位」がうまくハマらない状態でした。
今年度は第一種奨学金貸与も終了し、両親からの援助で生きています。
それも昨年亡くなった祖父の遺産によるものです。
大変な親不孝者だと思います。


2011年、休学直後の半年は
株式会社リバネスのインターンシップに参加し、
多くのことを学びました。
メンバーが交換可能なチームで何かを作ること、
締め切りを守ること。
科学は非科学的な「熱」で推進すること。
サイエンス・コミュニケーションという軽い言葉に込められた重い意味。
その中で
「自分にはやはり学位が必要だ」との決意に至りました。
平行して、リバネスの皆様に教えてもらいながら
研究申請書類の書き方から半年かけて博士論文テーマを作り、
2012年、二人の現ボスに拾ってもらい、
昆虫食のために応用昆虫学の学位を取ることを伝え、
了承していただきました。
その時、「本分は学位取得」ということを守るべく
2年間、二足のわらじに必死に足を伸ばしてきましたが、
残念ながら力不足を実感しています。


昆虫料理研究会には
2008年、仙台で独学で昆虫食研究を始めた当初から
お付き合いいただき、出版社の内山昭一さん、フリーライターのムシモアゼルギリコさんを中心とする
人脈から「一般向けメディア」の仕組みと仕事を学ばせていただきました。
研究者から離れた一般論としての社会人を意識できたのも、この人脈のおかげかと思います。
いち社会人としてどう生きるべきか。悩んだ中で考える場を与えてもらいました。
昆虫料理研究会に多く問い合わせのある
「昆虫食の科学的な意義」について答えるべく誕生した「食用昆虫科学研究会」は
文系・理系を問わず、他分野の学生を「昆虫食」をテーマに集めるという
今思えば大胆な設立でしたが、設立後数ヶ月で合流させてもらい、
多くの衝突から同時に学び、成長することができました。
現在は学生のみならず、地域貢献NGO・NPOからもメンバーが集い
机上の空論だった「昆虫食」を各メンバーの討論により落とし込みを行い
その「暫定解」を中心に動いています。この「解」は
今後メンバー成長や加入によって動くようになっています。
他分野が論理的に熱く議論することで、
「解」が次の具体的な行動の指針になることを感じています。


ここではあまり触れませんでしたが
理詰めでの徹底した討論とは正反対の極に位置する
「芸術としての直感的な価値」を気づく機会にも恵まれました。
2005年から興味をもった「鯨食文化」と
その語り部となっている「鯨工芸師」に話を聞き
鯨歯をつかったハンドクラフトを趣味として始めました。
オオスズメバチ蛹が美味しかったので彫ったもの。(鯨歯)
 
江戸時代からの天然物造形技術が培われ、今も成長を続ける
「現代根付」を習う機会にも恵まれました。
一週間に使える時間はわずかでしたが、手作業として返ってくる「直感的な価値」は大きな存在となりました。
ショウジョウバエ研究の先輩の
ラボ誕生記念にショウジョウバエ羽化ストラップ(鯨歯)を
 
お世話になったバッタの先輩に木彫のバッタタイを
 
それぞれハンドクラフトの贈り物ができたのは、
片手間の成果としてはまずまずだったかな、と思います。
その中で
ヒトはモノのイメージをテノヒラで触った時の感覚で強く決定する=「掌感覚」仮説
に辿り着いたのも、この根付というものに出会ったおかげだと思っています。
なぜ虫はあまりに多様性のあるイメージをもたれるのに、
なぜ哺乳類のイメージは共通して「モフモフ」なのか。
テノヒラで触れた時の感覚の違いではないか、として仮説を立てました。
我々人類が「ケモノ」だった時から露出していた肉球、つまり「テノヒラ」は
霊長類が平爪とともに獲得した「ユビサキ」よりも、
「根源的なイメージ」を捉えるために使う感覚器官である
という仮説です。
あながち的外れではなさそうだと感じています。


昆虫食からインスパイアされて
2013年から開始した「むしぎらい文化研究所」も育てる目処がつきました。
http://mushigirai.jimdo.com/
むしずき、むしぎらい双方が納得する昆虫の社会的地位=昆虫倫理がきちんと
話し合えるプラットフォームとして機能するように育てるつもりです。
社会的むしぎらいを再生産する不幸を防ぐのは虫好きの使命ではないか、
とも思っています。
特に、視覚障害の方の「むしぎらい」経験談は衝撃的でした。
どうやら我々が
常日頃から五感をフルに使っているというのは思い込みで
特に虫に対しては、
感覚が不慣れになることで多くの恐怖を誘引しているように感じています。
知り合いになれた教育系NPO法人や
声をかけてくださった美術教育の大学院生とも連携できれば、と思っています。
また、
学術とは別次元の価値である「芸術」が
昆虫に対する強い先入観を「撹乱する」効果もあると考えています。
これは
メレ山メレ子さん主催の
芸術・学術総合昆虫イベント
「昆虫大学」から受けた印象を育てたものです。
学術のアウトリーチに関しても、芸術的価値を利用することで
その理解や、先入観の打破を目的とした多様なアプローチができるのでは。とも考えています。
「昆虫料理標本」もそのアイデアから生まれたものです。
茨城県自然博物館の「アフリカ展」に展示参加させていただきました。
「食品サンプル」として展示することで、
日本人の来場者に、
「アフリカの奇異な食」ではなく
普通の食品との地続きでのイメージで考えてもらえたと思います。
  
また、
学術という極めてストイックな営みから生み出される価値そのものが
次第に美的価値をも帯びてきます。
芸術家と学術を触れ合わせた結果「芸術」として生み出されるものにも
立ち会っていきたいと思います。
これは
むしぎらい文化研究所 inアクアマリンふくしまでも導入したかったのですが
今回は残念ながらタイムリミットです。


当然、昆虫食研究を続けながら、
学位取得をできたらカッコ良かったのですが。
残念ながらそのようにスマートなことにはなりませんでした。
英語で書きながら論理を組んで伝える、
という極めて重要な能力向上に対して
もっと集中的にリソースを割かないと、身につきません。
これを身につけないと、博士とは言えません。
O氏の学位論文コピペ問題が表面化して、本当に良かったです。甘えるわけにはいきません。


これから半年間
やりかけのことだけやります。自分のことをやります。
1,むしコラの執筆
2,NPO法人化の申請書類作成
3,むしぎらい文化研究所 in アクアマリンふくしまの実施
4,当ブログ内容の書籍原稿化・英文化 
5,論文執筆・実験
新たな依頼は食用昆虫科学研究会のメンバーにお願いします。
多くのメンバーが社会人のため、私が動けた部分が動けなくなりますので、
お断りさせていただくこともあるかもしれません。
ご了承ください。
既に、お話を頂いていたものはご連絡し、縮小もしくは中止の方向で
進めさせていただきます。


最後に、この「夏眠」の決断に至ったのは、
数日前に
昆虫食に関する大変「雑な」記事が公開されたためでもあります。
昆虫食は多くの分野にまたがるので、その説明に正確性をもたせるために
我々の活動においては、一人の書いた原稿は必ず複数人での校正を行っていました。
ところが、
記事でインタビューを受けていた彼は
私のとある講演で聞きかじったことを中心に、
昆虫食を雑に、曖昧にまとめて、不正確なまま語っていたのです。
それぞれの情報の間に整合性がとれておらず、
情報をつかって論理も組んでいないので
彼の昆虫食研究に対する主張を汲み取ることはできませんでしたが
多くの反響を呼んでいました。
落胆と同時に実感しました。
「このままでは彼と何ら変わりはない。」
たとえどんなに不正確でも、逆に正確で的を射た批判でも、
相手に届かない、届ける能力のない状態で騒いでいては、
野球中継に野次を飛ばす飲み屋のオッサンと変わりません。
昆虫食に関する欧米の最近の風潮には危機感を感じていますし。
一方で、
日本の今の昆虫食の状況は世界の先進国のモデルとなると思っています。
日本の昆虫食研究への理念を
オランダのFAO報告書の彼らに伝えるには。
タイで養殖昆虫ビジネスを進める彼らに伝えるには。
私が成長して、能力を身につけなければなりません。
逆に言えば、
私さえ成長すれば、具体的に行動できる人脈や環境が、すでに揃ってしまったのです。


「夏眠」
聞きなれない言葉でしょうが、「冬眠」は聞いたことがあるかと思います。
冬眠と同じように
「成長しない・発達しない・成熟しない」まま、夏の期間をやりすごすことです。
その間、エサは食べますし、フンもしますし、動きます。
ただ全く変化していないように見えるのです。
一年以上かかってゆっくり発育する昆虫にみられる生態だそうで、
ゆっくりしか成長できない私にもその期間が必要であると判断しました。
皆様からは
「変化していないようにみえる」かもしれませんが
ボスと一緒に一旦、能力向上に努めます。
夏をやりすごし「機を伺って」また、目に見える形で成長を再開します。
2015年、年が明けましたら、目処が付いていると思います。
そして2015年度があけましたら Dr.蟲喰ロトワ として
再度、皆様にお会いできることを楽しみにしております。
2014年6月13日 Mr.蟲喰ロトワ

今年はセミ会が
関西クマゼミ会、関東アブラゼミ会、金沢スジアカクマゼミ会と
大変グルメな展開です。 私は本業に勤しみますので
嫉妬しながら各会場でのセミ会の成功を祈っております。
関東アブラゼミ会の2009年の様子はこんな感じ。参考までに。

元々「カニ道楽のテーマ」を使って作った動画なのですが
著作権の問題で音楽を差し替えてあります。

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夏眠中ですが、
私の言い出しっぺ企画を引き継いでいただいたので
【拡散希望】でご紹介します。
「外来種スジアカクマゼミを食べる会」の開催が決定しました。
http://kokucheese.com/event/index/196002/

今年5月、
中国本土や朝鮮半島・台湾に生息するセミの一種、スジアカクマゼミが
石川県金沢市に侵入し、拡大しているとのニュースを聞き
http://www.47news.jp/localnews/ishikawa/2014/05/post_20140515063602.html
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20090924103.htm
石川県ふれあい昆虫館の
福富 宏和さんにご連絡しました。
福富さんは虫cafe!2014にも
サプライズプレゼンターで参加するほどのプレゼン上手で、ユーモアがあふれ、
人と虫、一般と虫屋の間をつなぐことに意欲的な専門家です。
昆虫食にも興味を持ってくださっていたので、
「スジアカクマゼミを食べたい」と、お声掛けした所
場所の確保や自治体の担当者の方にも話をつけていただき
あれよあれよという間に実施出来る状態に。
その後、
私の学位取得に向けて、夏眠を決めたので、
来年にまで延期になりかかったのですが、
虫食い仲間のムシモアゼルギリコさんが
この企画を引き継いで下さり
開催にこぎつけました。
私は生き霊を飛ばして参加しようと思います。
とまでに
思い入れのあるこの企画。
「外来種問題をニュートラルに考える」
最適な形ではないか、と思っているのです。
外来種を含め、我々一般人が生物の扱いについて考える時、
どうしても専門家の話に耳を傾けがちです。
また、外来種駆除すべてに反対する集団も存在します。
(彼らは人が目に見える形で生物を殺すことを嫌悪しますが、その目的の達成のために論理が破綻してもいとわないので、なかなか相手をしにくい方々です。)
興味のない人の間では、
「なにもせずに放置」という人もいますが
「なにもしないことがベストである」という議論
事例に合わせてする必要があるので
いずれにせよ、社会において
ベターな解を求めて、きちんと議論しつづけなくてはなりません。
そして、議論の前には、
他人の意見に左右されない「ニュートラル」な
生物との触れ合いが大事ではないか、と思っています。
その形の一つが「食べる」でしょう。
私の経験なのですが、美味しい昆虫にはどうしても愛着がわいてきます。
おいしくなくとも、食べたことのある昆虫には親近感がわきます。
苦手だったカマドウマですら、
今では美味しいリクエビにしか見えてきません。
少なくとも、ぞんざいに扱えなくなります。
そんな彼らをどうすべきか、
知識をつけるのはそれからで十分でしょう。
生物をぞんざいに扱わないために、
きちんと勉強し、議論していく「良識ある市民」
日本の生態系のあり方を舵取りする上で、もっと重要になると思います。
この先、
日本は相対的に貧困になることが予想されています。
その場しのぎの開発や、持続可能性の低い活動により
短期間での経済効果を求めるのではなく、
将来にわたって日本の生態系をどう付き合っていくべきか、
まじめに考えられる人が増えてほしいものです。
ま、ともあれ
彼らはきっと美味しいです。
素敵な出会いとなることでしょう。
日本では金沢にしかいない貴重な食材です。
味のレビュー、お待ちしております。
嫉妬と羨望の眼差しで、聞き耳を立てたいと思います。
ぜひご参加ください。