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生食できる昆虫を考える。 前編

「生食できる」とはスリルを伴う甘美な響きがあるようです。
しいたけの一種に「生食できる」と称したり
牛の生肝臓がダメなら豚を、とか
ジビエの鹿肉や猪は生食できる、なぜなら今まで大丈夫だったから、と称する中高年の狩猟者がいたりしますね。
生食できる食品を提供できる、というのは何だかすごそうだし、
それを身をもって体現している人はなんだか詳しそうに見えます。
一般的に生で食べられない、と
言われているものなら尚更です。
特に日本に生食の誘惑が強いように見えるのは、
魚介類の生食があるせいでしょう。


とんねるずが昔結成した
「野猿」というグループがありました。
鮒は生じゃ食えないはずさ
泥臭い 生臭い fish! fish! fish!
鯉は洗いで食えるくせに
甘露煮 鮒ずし だけなのね
https://www.youtube.com/watch?v=rEbVsKdwakU
「おいしいかどうか」よりも
「生で食えるかどうか」という魅力があるようです。
そして、それは付加価値として経済性をもちます。


欧米でもRAW FOODというブームが起こりました。
恐らくスシブームもその派生でしょう。
生のほうが酵素が生きたまま取り入れられるとか
消化に良いとかなんだとか、あることないこと言いながら営業をしています。
もちろん
生のほうが得やすい栄養もあります。
熱により変性しやすいビタミンなどがその一例です。
ですが
酵素の場合、胃酸で変性・消化され、アミノ酸として利用されるので
生で酵素を食べることの栄養的な利益は全くありません。
どの食品でも確かに言えることは、生で食べることは
食品の危険性(ハザード)は十分に高くなります。
例・サルモネラ菌が付着したキュウリのピクルスで死亡者3人
生で食べるべきかどうか、は
ハザードとベネフィットを天秤にかける状態。
つまり生で食べないと生命の危険のある状態に
考慮されるべきことで
日頃から
普通の食材を食べて栄養の良い状態で生きている人にとって
たとえ緊急的に食品が不足するような事態に陥ったとしても
生で食って改善される状況はまずありません。
緊急時はむしろ、医療不足のほうが致命的ですので
日本に生活しているヒトが
食品ハザードと栄養を天秤にかけ、
ハザードを選ぶことはまずないでしょう。
つまり、
日本において生食ができる、と安易にいうヒトは
疫学や食品衛生の知識がないのか、
営業を目的に意図的に無視していると考えられます。
無知ならば、あるいは営業ならば仕方ありません
とはなりません。
不良な食品は多くの人の生命を不特定に脅かしますので
社会的な影響が大きく、感染性ならば公衆衛生の敵です。
また、
それが簡単に予防できるにもかかわらず、
食品提供者の怠慢や短絡的な利益のために見逃していたりすると
食品という社会インフラの根幹に関わる問題ですので、行政が介入します。
つまり、
食品は特にハザードとして重要度が高いのです。
昆虫食がこれから安全に普及していくべき、と
考えている私としては
見逃すわけには参りません。
以前にペットの生き餌用昆虫の生食について警鐘しましたが
もちろん野外の昆虫にも、
ヒトに感染可能な寄生虫や感染症は数多く見つかっています。
私信で、論文報告は行われていませんが、
野外の昆虫を生で食べることによって、
本来野生の哺乳類に感染する寄生虫がヒトに感染したと思われる事例の情報も得ています。

なので、
この警告は
「野外の昆虫はペットの生き餌昆虫に比べて感染性微生物が少ないので生で食べられる」
ということでは全くありません。
意図的に読み替えて野外の昆虫を生食をしている、自称専門家がいるようなので
くどく繰り返します。
私は自称専門家として、警鐘に努めてまいりたいと考えています。
もちろん私刑のような野蛮な方法ではなく、言論で。
言論には自由が保証され、基本的に強制力がないので、弱いです。
もしこれをお読みの皆さんの中に、
これから昆虫を食べようとしている方がいましたら
整合性のある言動をする自称専門家を選んで、
(公的な専門家を養成できていないのは不徳のいたすところですが)
信頼できるかどうか判断されることをおすすめします。


とはいえ、
オレ、生の味知ってるぜ。
度胸と覚悟のない素人は真似するんじゃないぜ
って言うことは

ちょっとスリリングでカッコよくもありますよね

私は2013年から、
同定した昆虫を十分に茹でてから味見をして、
種間比較をしてきましたが、
茹でることにより見逃すことになった
おいしい生食用昆虫がいる可能性を考えると
気が来でなりません。
また、
日本には馬刺し、鶏卵や水産物、養殖サーモン、養殖カキなど
生で食べられる動物性食品はたくさんあります。
つまり、きちんと管理すれば生食できる動物はいるのです。
批判してばかりでは
ユーモアが不足しますし、より建設的な議論へと持っていくために
おいしい生食昆虫がいた場合、それを見つける戦術と、
おいしい生食昆虫が普及した将来について、考えてみましょう。
武器は度胸や覚悟などではなく
サイエンスとテクノロジーです。

中編に続きます。

1 thought on “生食できる昆虫を考える。 前編

  1. NONAME

    昆虫の話では無くて恐縮なのですが、
    「生で食べるべきかどうか、は
    ハザードとベネフィットを天秤にかける状態。
    つまり生で食べないと生命の危険のある状態に
    考慮されるべきこと」
    と言うのはいささか極端なのではないでしょうか。
    どんな食品・調理法でも危険性がゼロとはならない以上、危険か安全かの線引きを生か加工済か、のところに設けるというのは必然的ではなく、恣意的な判断ということになると思います。
    リスクや栄養価、機械が測定した味覚の数値。そういった可視化できる材料は生食を“より劣った”調理法と結論づけるのかも知れません。
    しかし文化や歴史、経験、“自分が何を食べるか自分で決められるということ”といった目に見えない要素も人間の“食”という行為において無視できない要素であると私は考えます。
    まあ、結局私が言いたいのはレバ刺を解禁してほしいというだけのことなのですが。
    あと、カッコいいからという理由で生食を愛好している人なんてほとんど居ないと思いますよ。

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