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以前の記事でsoyさんからご質問を頂きました。
「なぜ虫クロトワさんは昆虫を食べるようになったのですか?」
お答えには
ちょっと長めの文章が必要になるのと
コメント欄に返信するとなぜか妙に字が小さいので
この機会に記事にしておこうと思います。


私の初めての昆虫食は小学3年生の夏休み。
岐阜県飛騨地方の
母方の祖父母宅に遊びに行った時のことでした。
いつものように
庭遊びをしていた小学3年生の私は
縁側の隅にアシナガバチが営巣しているのを見つけました。
祖父に報告すると「じゃぁ喰うか」と
ささっと傍にあったクワで叩き落とし、
成虫を追い払い屋内に持ってきました。
母「バター醤油で炒めると美味しい」「成虫になりかけが特に美味い」
祖母「昔はカイコのサナギを煮付けて食ったもんだ」
「スズメバチの成虫は瓶詰めにされて売られ、病後の滋養のために食べさせられた」
などと
私の「昆虫って食べものなの?」という素朴な疑問は発する間もなくスキップされ、
温められたフライパンにはバターが。
「ほれ、取りな」と祖母に促され、巣を崩しながらチマチマと幼虫を取り出す。
ささっと炒められた幼虫・サナギ達。
「ほれ ここ美味いから食え」
と喰い「うん 美味しい」と答える。
正直その時の味は覚えていません
モチをバターじょうゆで食べる事が多かったので、
食べ慣れた味付けだったなぁとしか。
幼虫とサナギの味の違いもわかりませんでした。
この元体験が
私の昆虫食へのハードルを下げてくれたことは確かです。
この体験を今思い返して整理すると以下のことが言えそうです。
1,新規食材に対する嫌悪感は周囲の人に流される。
2,一度でも「食品」となった生物は大人になっても食品と認識される
3, ガキは味なんかわかっていないので、食わせてしまえば食うようになる。
4,文化とは押し付けである。


時は流れて2008年。
当時 理学部生物系の4年生だった私は
仙台で、ショウジョウバエの研究をしていました。
ショウジョウバエは一般の方には馴染みがないかもしれません。
こんなのです。

体長は3mm前後
目が大きくて赤く、可愛らしいですね。
ショウジョウバエの一群の中でも
Drosophila melanogaster (キイロショウジョウバエ)
は遺伝学の研究材料として古くから使われてきました。
そして
分子遺伝学の高まりとともに人気も上昇し、
ゲノム計画で昆虫の中でいち早く配列が読まれ、
他分野の、他生物の技術を相互に導入することで、
トリッキーな遺伝子組み換え技術が花開いていきました。
今でも多くの論文が、ショウジョウバエの実験から書かれています。
実験のため、
他の生物の遺伝子を組み入れたショウジョウバエは、
二重扉を設けた室内に閉じ込めておく必要があります。
そこで、
プラスチック製の試験管に酵母や澱粉を寒天で固めた煮こごりを注入し、
一系統ずつ(遺伝子Aを入れたもの、遺伝子Bを入れたものは別の系統として維持します。)
飼育していました。
7mlほど煮こごりを入れ冷まし、ハエの成虫オス・メスを数匹入れると数日で幼虫が発生し
一週間で次世代の成虫が生まれ、煮凝りを食べつくすまで3週間ほど世代を交代します。
実験室では、およそ二週間で新しい瓶へと交換します。残念ながら冷凍保存は出来ません。
使用済みはこんなかんじ。

同様の飼育方法で、
京都工芸繊維大学のストックセンターでは
2013年4月現在で 27000系統のショウジョウバエがストックされています。
既に、養殖昆虫は実用化されていたのです。
そこで思いました。
「このハエは食用に利用できるのではないか?」と。
同時に
「こんなハエなんか食べたくない、キモチワルイ」
という感情も沸き上がってきました。
奇妙な自己矛盾です。こういった自己矛盾=葛藤は
「合理的に説明できる部分」と
「どうしても説明しきれない部分」
に分けられます。
切り分けて、要素ごとに説明をつけることで
自分の中にある
「合理的でないけど大事な部分=食の自己同一性」を
明らかにできるのでは、と考えました。
ここの切り分けをすることなく
「ムリムリ絶対に無理。」とごっちゃにして放置しまうのは
たいへんモッタイナイ行為です。
葛藤は
合理的な理由と、合理的ではない
自身の文化的な本質の競合によって起こるので
そこに「アイデンティティ」が隠れていると思うのです。
ということで
始まりました。趣味の研究課題名
「なぜ 私は昆虫は昆虫を食べたいと思わないのか」
前述のとおり、ハチノコは食べたことがあり、
食品と認識していましたので、
同じ昆虫類のハエだけが食べられない合理的な理由は見当たりません。
残念ながらハエのエサには防腐剤・防カビ剤が含まれていますので
食用に適した養殖昆虫を他に探すことにしました。
グーグル先生に
「昆虫 料理」と検索すると
ヒットしました。「楽しい昆虫料理」

著者の内山昭一さんとは
その3年後、私の関東への引っ越しとともに
昆虫料理研究に合流しましたが、
当時は本が最初の出会いでした。
本がアマゾンから届くと(当然仙台に在庫はみつかりません)
近くの研究室でペットとして飼育していた
マダガスカルオオゴキブリに目をつけました。
食べたくない度で言ったらハエに劣らない
堂々たる存在感です。

先輩と一緒に
揚げて、カレーと一緒に
食べました。
…美味しいのです。
後でわかったことですが
マダガスカルゴキブリは消化管に臭みがあるものの
外皮や脂肪体に含まれる香りが乳製品のようでたいへん
いい香りです。
現在も増やしながら飼っていますが
家庭での残渣を使った養殖と食用に
最も適した昆虫だと思っています。
「家庭用生ごみ処理機としてのマダゴキ」
という記事をその内書きますので、ご期待ください。
さて
話は戻ります。
残念ながら私の研究
「なぜ 私は昆虫は昆虫を食べたいと思わないのか」
第一歩目で頓挫してしまいました。
食べたいと思うようになってしまったのです。
もちろん
今でも初めて食べるときは全く食欲がわきません。
それでもその先に美味しい昆虫がいると信じているからこそ
味見をするのです。
前述のとおり、
私の研究は、そしてこのブログは昆虫グルメを極めるために
開設したのではありません。
将来、
養殖昆虫食を実用化するにあたって、
昆虫学の知見を応用するための架け橋なのです。
美味しく、栄養があって、よく増やせ、環境に適応し
課題や目的に応じた昆虫を、
100万種の昆虫の中から学問的に見つけだす。
これがこのブログのゴールになります。
私の稚拙な同定間違いにお付き合い頂いた虫屋の皆様
食べる気はないけど虫好きで数多くの虫を
標本にせず分けてくださった方々
そして
虫嫌いにもかかわらず私のブログに興味を持ってくださった方々
マジキチ といって去った方々(思いの外少なかったので残念ですが。)
それらの
今まで出会わなかった方とのつながりを作ることが
わざわざ胸糞悪い(と感じる人もいる)情報を
垂れ流して炎上させている意義です。
ということでまとめましょう。
1,なぜ私が昆虫を食べることになったのか
ショウジョウバエの研究中、「これ食べる?これ食べたくない!」との
葛藤があったから
2,なぜ私が昆虫を食べ続けるのか
昆虫食を昆虫学とドッキングさせるための基礎データ収集
3,なぜ私が昆虫の味見ブログを公開しているのか
興味を持ってくださる人とのつながりを作り、昆虫食の未来を
一緒に開拓するため
こんなかんじでしょうか。
頭のなかにあったものも、形にするとすっきりしますね。

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昆虫食を発信していると、
様々なレスポンスがあります。
日本人はその6割がむしぎらいと言われますし
虫好きな方でもほとんどは虫を食べませんので
大部分がネガティブなレスポンスです。
それにきちんと答えていくことが大事だと思うので
このようにオープンな場で発信しています。
このネガティブレスポンスをまとめて、
うまくユーモアに包めないかと思い
こう考えました。

やっぱり辛辣な言葉は
いつでも気持ちよく聞けるわけではないですね。
「妹→兄」という立場固定語を使うことで
「見る側は部外者だから」という安心感をもって見ることが出来ます。
そうして生まれたのが
「昆虫食の兄を持つ妹bot」です。

最近まで私のツイッターと同居していたのですが
この度分離独立させました。 かわいい子には旅をさせよ。ですね
顔についてはいろいろ悩みました
可愛くても愛嬌があってはイメージにあわないですし。
可愛くなくてもなんだか夢がありません。
パクリは論外です。
探した結果 一番好みの 最もイメージに近かった
著作権上問題のない幕末の美人、斎藤きちさん(写真当時19歳)を使わせていただきました。
中身についてはほどんど私の被害妄想ですが
一部ノンフィクションが含まれています。
昆虫食への嫌悪感をガマンしながら当ブログを御覧頂いている皆様、
日頃の溜飲を下げる目的でお楽しみいただければ幸いです。

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我々食用昆虫科学研究会が今年もサイエンスアゴラに出展します。
ナナフシモドキの回でも少し触れたのですが
「ノボリ」のようなものを使って
お客さんを引き込みたいと思っていました。
しかし、そのデザインが決まらないのです
1,昆虫は前面に出したい
2,食欲はそそるものを
3,写真や絵は逆効果?(食品として見られない?)
4,光らせたい
いろいろ考えあぐねた結果
「のぼりではない媒体」
を見つけました。居酒屋で。
そうですね。赤ちょうちんです。
東京浅草 江戸手描提灯 提灯屋.com
赤提灯の特長
1,文字だけで食欲をそそる、という社会共通認識がある。
2,光る
3,手描きのため一品から均一価格(のぼりは版作成が必要なので少数ほど割高)
4,日本の伝統工芸
海外に紹介したい日本の文化です。
赤ちょうちんに白縁、太黒字という最もオーソドックスなデザイン。
注文から2週間ほどで到着。
こういう一品物だと
人力のほうが仕事も早いです。
中に自前のこのランタンを入れて

完成

なんとリバーシブル仕様なので、
「昆虫料理」としても使えます。
虫フェスなどでも使いたいですね。

皆様
美味しい昆虫を用意してお待ちしております。

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いつもご覧下さりありがとうございます。
沢山のアクセスを頂きまして、
虫関係のブログで妙に検索上位になってしまい、
単に昆虫の名前を調べたかっただけの方に
誤爆するという痛ましい事故が頻発しているようです。
とはいえ
検索したのはあなたですので、
事故とは言え停車中の当ブログに追突されても
私が謝罪する言われはないと思っております。
ともあれ、事故に遭遇したのも何かのご縁ですし
心のダメージは諦めて建設的に参りましょう。
「虫の名前を知りたかっただけ」の方が当ブログに
たどり着いた際のデメリットとして「同定ミス」が挙げられます。
私が昆虫分類に関して未熟なため、当ブログの同定ミスはおよそ3%と、
他の昆虫ブログに比べ高めで推移しております。
このブログの公開にあたって、
「多くの虫屋さんに間違いを指摘して頂く」という目的がありますので
うまく機能しているとも言えるのですが、
虫の名前を知りたい方には、
要らない味見情報をムリヤリ刷り込んだ挙句
同定が間違っていたのでは、
さすがに貰い事故とはいえ胸が痛みます。
そこで、当ブログの同定に役だっている参考文献をリンクとしてご紹介しておきます。
日本の昆虫1400
「遭遇率に応じた1400種を厳選」
基本的な昆虫の同定には文一総合出版「日本の昆虫1400」を
使っております。
この図鑑は文庫本サイズで持ち運びも簡単、二冊で2100円と
驚きの安さ
しかも標本写真の図鑑が多い中
活きのいい生きた昆虫の写真を白バックで撮影、
しかも全ページフルカラーという大変贅沢な仕様です。
当ブログも途中から白バック撮影ですが、
これも実は猿マネであります。


この図鑑だけでもかなりの使えるのですが、
昆虫食の関係上、成虫よりも幼虫を多く食べる傾向が強いので、
鱗翅目幼虫の情報を強化するため
「イモムシハンドブック」
を併用しております。
これはイモムシ=鱗翅目幼虫に特化したハンドブックです。
文一総合出版のハンドブックシリーズは、独特の切り口と、
入門者向けの平易な説明文が魅力の新書サイズのフルカラー書籍です。


他にも「樹皮」「雑草の芽生え」「冬虫夏草」「イネ科」など
独特のいい切り口のラインナップです。
ニッチな書籍なので、価格は1000円台後半とやや割高感はありますが
嬉しくてついつい何冊も買ってしまい、いつの間にか専門書を超える出費になっている、
という「ハンドブック地獄」という恐ろしい現象も頻発しているようです。
私も亡者の一人です。
「ニッチなものは割高でもつい手を出してしまう」
若干のサブカル趣味をお持ちの方、特にお気をつけ下さい。
もう一つ、何度か登場していますが
現役皮膚科医が自らの人体実験をもって臨床事例をひねり出した
超体育会系医学書
「Dr.夏秋の臨床図鑑 虫と皮膚炎」

ダニがガッツリ皮膚に食い込んでいる所を切片写真にして紹介してくださったり
わりと攻撃性が低くあまり刺さないサソリに無理やり刺される、という事例の数々を
読んでいるうちに「本当に倫理観だけでこんなことを?楽しんでいるのでは?」と
新手のプレイを邪推してしまうほど、虫への愛と体を張った臨床写真に感服してしまいます。
専門書ということで、大幅に高価ですが、買って後悔していません。
虫による皮膚炎は虫を扱う上で避けては通れない道なので、
ぜひ最寄りの図書館に入れてもらいましょう。
もし昆虫食の文化について知りたかった場合は、
過去から現在までの昆虫食の歴史と分類について網羅した書籍
昆虫食の権威、三橋淳博士による
「世界昆虫食大全」

「昆虫食文化事典」


オススメします。
膨大な文献から作成した「目ごとの食用昆虫学名一覧」は必見です。
捕まえた昆虫の近縁種がどの地域、どの時代で食べられているか一目瞭然です。
昆虫の食べ方、捕り方にも学ぶ所が多いので、
昆虫食に興味がおありの方は一読をお勧めします。
まだまだ紹介したい書籍はありますが、また後々ということで。

「写真がよい」とのお褒めのコメントをいただくことがあり
大変嬉しいのですが
「一眼?」と誤解されているようなコメントがありましたので
当ブログの撮影環境を説明しておきます。
ちゃんとした虫屋さんのようなカメラ知識も設備もないのですが
気軽に虫ブログを始められる案内になればと思います。
カメラ
オリンパス製 XZ-1を使っています。

後述しますが、簡易スタジオのような所でほとんどの写真を撮っているので
事前に撮影条件を決めておき、カスタム登録しているので、
今のところこの条件では問題ありません。
AFが甘いので、MFの勉強にもなる(笑)スグレモノです。
簡易スタジオ
電球形蛍光灯と反射板を組み合わせた簡易スタジオです。
研究室のものを使わせていただいています。

反射板にはディンプル加工(つぶつぶ)がしてあり、
ディフューザー(白い透過性の布)もついているので
昆虫にありがちなテカリと白飛びを抑え、自然で美味しそうな昆虫を撮影することができます。
同時に、昆虫料理の撮影にも使えますので一石二鳥です。

三脚
「ゴリラポッド」を使っています。
コンパクトカメラなので、簡易三脚でも十分保持できます。
また、氷冷した昆虫が半分起きた「寝起き」を撮影するので、
虫が変な向きになった時でも自在に対応できるのが魅力です。
麻酔
エーテルなどの有機溶媒は食用に適さないので使いません。
二酸化炭素の装置などがあればラクなのですが、
基本的に氷冷麻酔をしています。低温になると「突っ伏した」状態なのですが
半分起きてくると脚を踏ん張り、上体が起きた状態になります。
起きたままうかうかしていると完全に起きて飛んでいってしまうので、
アシナガバチやキイロスズメバチではビビりながらの撮影となりました。
編集
コンパクトカメラの特徴を活かして、「寄る」のが好きなので
若干虫の前にカメラの影がうつりこんでしまいます。また、白飛びがキライなので
すこし暗めの仕上がりです。取り込んだ写真はAdobe Bridgeで軽く編集し、
解像度を落としてブログに挙げています。
蛇足
野外撮影においては、XZ-1はかなり酷い出来栄えです。(笑)
フルオートではNDフィルターも光量の調節もできず、AFも合わず
虫を撮影したいのにいつもあさっての方向にピントを合わせます。

マクロとスーパーマクロの切り替えも
何度もボタンを押さなくてはならず
よくシャッターチャンスを逃します。
中古25000円で買ったわりにはよく働いてくれるのですが。
次はとうとう一眼に手を出すべきか。悩ましいです。
PentaxのK-30が値下がりしていますね。
昆虫写真と料理写真しか撮らないので
ボディとWPマクロレンズだけでも買ってしまおうか
などなど
予算がないくせに妄想は膨らむばかりです。

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今回は味見の話ではありません。
ご興味のない方はスルー推奨です。
当ブログのタイトル「蟲ソムリエへの道」は
今はまだ素人な著者が、
そのうち「蟲ソムリエ」になれたらいいな、
という願望をこめて命名しました。
では
「蟲ソムリエ」とは何になるということでしょう。
モヤモヤしていたので
ソムリエのことはソムリエに聞け、ということで

田崎真也さんの著書を読みました。
ソムリエは
まだ封を切っていないワインについて、
言葉だけの表現でお客さんに飲む決意をさせる仕事をしています。
味わえば一発で分かることを、
その前に言葉だけで伝える。
舌の確かさだけでなく、
言語での表現力が求められる仕事といえるでしょう。
そうなんです。蟲ソムリエもそうありたいものなのです。
では、
当ブログの過去のエントリを見てみましょう。
「ギンヤンマに似た味」
「典型的なコガネムシ味」
「何の味だよ!」とツッコミのコメントも頂いたようですが
全く仰るとおりです。
これではゼロ点です
「虫を食べたことのない人に虫を伝える表現力」が必要になります。

どうすれば身につくのでしょうか。
田崎真也さんの著書の中で
「五感を鍛えるトレーニング」が紹介されておりました。
「五感でキャッチした感覚を言葉に置き換えて記憶するテクニックを鍛える」
「物事を多面的・多角的に感じる能力が優れてくるとそれを表現する言葉も増える」
「表現力が豊かになるということは感受性も豊かになる」
いいことづくめではないですか。
味だけですと味覚に偏ってしまうので
五感全てを動員して
「虫の魅力を虫に興味が無い人に伝える言葉のトレーニング」
をやってみることにします。
実はこの本を読む前から
漠然とやっていたことなのですが、
ようやくその意味が分かってきたのでここにご紹介したいと思います。
1,カマキリの女性らしさ
フランスで出会ったカマキリがとても女性らしかったので、
言葉でどう表現すればいいか考えた結果「緑の浴衣の見返り美人」

という結論になりました。
こちら。

とてもセクシーです。
2,シロスジカミキリの顔
シロスジカミキリの成虫を捕まえた所、大変ワルそうな顔をしていました。
ワルそうなサングラスをかけて、でも髪はおさげ、というどこかユーモラスな風貌に見えてきました。
ということでコチラ。

3.エビガラスズメの蛹の合わせ
エビガラスズメの蛹はどこか女性的なラインがあり
髪の長い女性が着物を着たような感じを思わせます。
「ブータンの王女」という表現に落ち着きました。
こちら。

4,ニイニイゼミのマッチョイズム
ニイニイゼミの幼虫を捕まえた際、羽化が始まってしまいました。
狭い殻の中から大きく上体をそらし、膨らむ様は
胸部の6つに割れた腹筋六本脚も相まって
ボディービルディングの選手のようなマッチョイズムが溢れていました。
こちら。

5,オナガミズアオの風格
頭部に豊かな黄色の触角をつけ、どっしりとした風格の白いボディ。
体の各部に鮮やかなピンク色の差し色が入り大変見応えがあります。
これは直感的に理解しやすかったです。
コチラ。

6,タガメの脱皮
食用にするかどうかわからないのですが、タガメを飼育しています。
脱皮直後はいつものくすんだ茶色とは似ても似つかない鮮やかな色をしているのですが
なぜか幼虫脱皮は緑色、成虫脱皮はピンク色だったのです。
その蛍光っぽい色と透け感が何かに似ていないかと
探した結果、見つけました。なんだか成虫と幼虫の色の違いが説明できたかのようで
大変愉快な気分になりました。

このように
「昆虫の魅力を何か別の言葉で表現するトレーニング」は
昆虫を研究し、
一般にその魅力を発信する際にも使える力が身につくと思います。
逆に考えると、
「なんかムズカシイことしてるんだね」と思われてしまう研究者は
「専門用語を別の一般的な言葉で表現する」
トレーニングが不足してるのではないでしょうか。
虫に対する風当たりが強い昨今、
「言葉にして伝える技術」
虫と人とをつなぐ事になるのかもしれません。
このブログで磨くスキルとして、
大事にしたいと思います。

当ブログでは、
「昆虫学をベースとした昆虫食開発」を実践してきました。
その基礎段階として今までに176種類の昆虫の種・ステージ・調理法を比較し、
昆虫を食材とするにあたっての基礎的な情報が集めてきました。
が、
「昆虫食の最大の問題は昆虫に対する嫌悪感である」

多くの昆虫食界隈の人たちは考えています。
ENTO と名付けられたイギリスのプロジェクト

「アートでカッコよく、昆虫の姿を見えないようにして嫌悪感を無くする」
というものでした。
ですが、
「姿が見えるから昆虫に嫌悪感がある」という推測は
エビ・カニ・小魚などの「姿の見える食品」が
好んで食べられている事実と一致しません。
私の考えですが、
昆虫への嫌悪感はもうちょっと複雑で、
この製品は昆虫を破砕して「昆虫という認知をぼかす」ことで
昆虫っぽくない食品を創りだすで昆虫嫌悪感の回避に成功したのでしょう。
さて
「破砕昆虫入の昆虫っぽくない食品」は
2つの問題を持っています。
1つは調理の問題。
破砕すると昆虫の特色である歯切れのよい外皮の食感が失われてしまいます。
「えびはえびしんじょ以外ダメ」と言われると途端に味気なくなります。
昆虫食を食文化として定着させるためには
多様な食べ方も食品としての魅力になりますので、粉末一辺倒は避けたいところです。

2つめは認知の問題
「昆虫という好ましくない成分が混入している食品」が
果たして定着するでしょうか。それに継続的な付加価値がつくでしょうか。
食品に採用される昆虫は養殖モノになることは確実ですので
(採集品だと大きく生態系を破壊する可能性があります)
昆虫が入るということはそれだけ高価になるということです。
最近
コオロギバーなるものがアメリカで売られ
ニュースになりましたが
食べてみたところ甘くてとてもタンパク質補助食品とはいえませんでした。
「そのタンパク質はなぜダイズ(soyjoy)ではいけないのか」
という問いにも答えるものではなく、一時のブームに終わると考えられます
そのため「定着した常食」になるためには、
「昆虫は好ましい食品であること」という
根本的な昆虫に対する認知の転換が必要だと思います。
そこで、
「昆虫嫌悪症=entomophobia」とその克服について調べたのですが
収穫はいまひとつです。

Feelings Into Words

Contributions of Language to Exposure Therapy
クモに対する嫌悪は言語で詳細に表現することで低減する

という論文に行き着いたのですが、これもアメリカ人のタランチュラに対する嫌悪症の
論文で、日本の昆虫嫌いを反映したものとはとても言えませんでした。
昆虫食の伝統がある日本でなぜ近年、昆虫がここまで嫌われるようになったのか
年齢によって、種によって昆虫への嫌悪感が変遷するのはどんな要素が考えられるのか
昆虫ぎらいを再生産する構造にはどのようなものがあるのか
なぜ昆虫嫌いは本人の意志で克服できないのか

という「日本人独自のむしぎらい」に
先進国と昆虫の新たな関係性が見られると考えています。
ということでたちあげました
昆虫食研究スピンオフプロジェクト
「むしぎらい文化研究所」
twitter: Mushi_Girai  どうぞ末永くご贔屓に。

※2019年2月現在、ここらへん停止しています。改めて活動再開します。

投稿者・研究者を募集しています。
一緒に日本の独自の新文化、むしぎらいについて
考えてみませんか?
というわけでしばらく更新止まっていたのは
コチラをやっていたからであります。お待たせしました。
ちなみに
一つの答えは既に出ています
「むしを食えばむしぎらいが克服できる」
これは紛れもない事実です。ヒトは単純なもので
美味しい生物はどうしても嫌いになれないのです。
ただ「食う前」に克服出来ればそれに越したことはありません。
ということで
「昆虫を食う前プロジェクト=むしぎらい文化研究所」
ご協力をお願い致します。

1

以前「昆虫料理写真展」のご案内をしましたが
その写真展の内容に加筆修正を加え、レシピまでつけた
完全版、「昆虫食写真集」が完成致しました。
お問い合わせはむしくい.netまでお願いします。

私もこの写真集に企画から参加させて頂きました。
この企画にかける熱い思いは写真展の時に大抵書きましたが、
今回は更に補足。
各シーンのコンセプトを紹介。

むしの市 (ロケ地:都内某所のお祭り)
将来昆虫食が定着、日本の場合「復活」としたほうが良いかと思いますが、
伝統昆虫食が新しい形で文化として定着する、そんな未来を想定しています。
むしの市のお祭りの雰囲気の中、
リンゴ飴ならぬむし飴をかじりつつ
着物姿の女性が
虫のお面をかぶって
出店でイナゴをおみやげに

今回ロケ地で偶然イナゴを売ってるオバちゃんに出会えたので、
そのまま撮影させて頂きました。
小規模ですが既にだるま市は一部むしの市であったといえるでしょう。

インセクトドーナツ ロケ地:某所某ドーナツ店の付近
ドーナツはアメリカ人が大好きなデブ食品です。
アメリカ人は同時に「ヘルシー」が好きです。
ヘルシーであれば、どんな新しい、奇抜なものでもすぐに取り入れてしまいます。
そんな自己矛盾を抱えたドーナツがアメリカから逆輸入、というコンセプトです。
油たっぷりのドーナツにチョコをかけ、ヘルシーな各種昆虫をトッピング
というナンセンスドーナッツ。
今後
昆虫食のブームはこのような病的に新しいものを求める集団から
起こるのかもしれません。

バグパエリア ロケ地:某所工事現場付近
バグパエリアは昨年、東京虫食いフェスティバルvol.4での企画、
「昆虫レシピコンテスト」においてグランプリを獲得した作品です。
海の幸や山の幸のそのもの味をシンプルな味付けでいただくスペイン料理パエリア。
山の幸昆虫をいただくにもピッタリの料理法といえるでしょう。
モデルにレシピ作者も登場するというご褒美感。来年もこのようにしたいですね。
コンセプトは「ブルーカラーの食事=丼飯」
某牛丼店をパロディしたパッケージに
たっぷりのバグパエリア。

労働者の食欲をウシに依存するのは環境に負荷が大きいので、
チェーン店各店舗での残渣や米ぬかを利用した自給的タンパク質生産により
実現した手軽でヘルシー、ガッツリ食べられる逸品です。

バグフラペチーノ ロケ地:某所某コーヒーチェーン店
香ばしいナッツはフラペチーノのトッピングとして最高。
それでもたっぷりかけるにはカロリーが心配。
そんなあなたにピッタリのトッピング「バッタ」
高タンパク低脂肪でサクサクパリパリ、香ばしい最高の食材です。
バッタはコーヒー園で発生するイネ科雑草の下草処理のために養殖されたもの。
もちろんコーヒーもバッタも無殺虫剤です。
De-caffeinated=デカフェではなく De-pesticides 殺虫剤抜き の商品を
選ぶことがクール、と思われる時代も来ることでしょう。

Mothバーガー ロケ地;某所某ファストフード店
ファストフード店に
ヘルシーなイメージを融合させたことで有名な
Mothバーガー。
完全農産物由来の昆虫バーガーが完成しました。
サツマイモのパティと、
そのサツマイモの葉から養殖されるエビガラスズメをたっぷり使った
トマトソースバーガー。
既存の農業では、サツマイモの葉はそのまま畑に漉き込まれてしまう
廃棄物ですが、このハンバーガーでは肉質の具材に変身してしまいます。
付け合せの揚げ物も二種類の蛾類の幼虫を使用し、
ドリンクはカイコのフン茶という徹底したMothっぷり。

サメハチ弁当  ロケ地;某所某公園

食糧資源の供給は時にアンバランスになります。それは
資本主義の貧富の格差拡大から生まれることもあるでしょう。
既に問題になっているフカヒレーサメ肉問題。
嗜好性の高いフカヒレの需要と、その数百倍の重量となるサメ本体の需要が
一致せず、サメ肉がどうしても余ってしまいます。
そこで賢い家庭はそのような「余剰食糧資源」をおいしくお弁当にしてしまいましょう。
きちんと処理されたサメ肉はササミのようで全く臭くありません。
同時に、近所に発生して駆除したもらったハチノコもトッピング。
食糧資源は地産地消が原則です。タンパクでウナギに似た味のハチノコは
サメ肉との相性もバッチリ。双子のお子様をもつご家族にモデルに成って頂きました。

虫BAR ロケ地:都内飲食店(よるのひるね
虫はタンパク質を味わうものとは限りません。
含まれる微量成分による滋養強壮や、香り成分によるカクテルなど、
オトナの嗜好品として楽しむべく蒸留酒に漬け込んだものを作ってみました。
今回はタガメ酒、カメムシ酒、スズメバチ酒を作って
キャンディでコートしたコガネムシやバッタをつまみに飲んで頂きました。
タガメやカメムシはフェロモンや威嚇に使う強い匂いを蓄積しており、
数匹お酒に入れるだけでその香りが楽しめます。
このような嗜好性の高い昆虫食も、
これから豊かな食生活を楽しむ上で重要な要素になってくると思います。

最後に
「冊子として発行することについて」
この冊子の元データは文字も写真もすべてデジタルですので、
当初は
電子書籍で作り、売れば印刷代もかからないし、
在庫を抱えることもない、世界中の誰にでも届くし
いいことづくめだ、と思いました。
ただ、今回の写真集は
「今まで紙媒体で新しい刺激を得てきたヒト」に
届けたい
と思い、
このような形(小部数の同人誌)にしました。
手に届くまでに時間と手間がかかるし、エコでもありません。
しかし、
今求められているのは
「自腹切ってまで発信したい責任のある情報」
ではないでしょうか。
まだまだweb情報には責任の所在が曖昧な情報ばかりです。
どんなにしっかりした根拠のある理論にも
「〇〇 トンデモ」と検索すれば陰謀論やウソ論がいくらでも出てきます。
web検索で自分の好きな情報は手に入れられるのですが、
自分と相容れない情報を受け入れる手段として、
やはり、
紙媒体の方が今のところ文化的に馴染んでいると思えるのです。
これから
全ての読み物をデジタルデータで読んできた次世代が
出てきます。
彼らにとっては紙媒体とデジタルデータへの
信頼度は同じようなものかもしれません。
このブログにも家庭でプリントアウトして読んでくれている
小学生読者が居ました。身の引き締まる思いです。
(将来が心配でもあります)
これからは、
ブログのように、
ベータ版のような新しく不完全な無料データと
書籍(電子書籍)にように
改変不可能で半永久的に残る有料データ
の2つになっていくと思います。
その点で電子書籍はまだまだ心もとないですね。
だれもがリーダーを持っているわけではないですし
端末の強度にも不安が残ります。
そして会社が倒産すれば
もう読めなくなってしまうという永続性がもうちょっとかな。。。。
と 思ったりしています。
この先、売れ行きによっては
電子書籍版がでるかもしれませんが。
というわけで
われわれ昆虫料理研究会は
写真画質フルカラー32pの冊子200部の在庫
抱えております。
どういうことかお分かりですね。
買って下さい。
欲しい方はまずお問い合わせを。

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今日はラジオの話から食育の話へとつながります
最近
作業BGMとして最近TBSラジオの録音を聞いています。
研究用のバッタ飼育室は年中30℃に設定されている
ウォークイン・インキュベーター。いわゆる冷蔵庫なので、
ラジオを聞こうにも電波が全く届きません。
なので録音したものや、Podcastで楽しんでいます。
今日もいつもと同じように聞きながらバッタの世話をしていると
お気に入りのラジオのひとつ、TBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」の
1コーナー「わっ!びっくりした!」において
こんな投稿が読まれました。
11:00分〜 ぜひ聞いて下さい。(Podcastで聞けます)
以下概要。
長野出身の投稿者(ドンゴリラさん)の少年時代の話。
お気に入りのおやつ「イナゴの佃煮」を食べたいとおばあちゃんに言ったところ
「一緒に作ろう!」とのおばあちゃんの提案により
一緒に採り、フライパンで殺し、美味しく食べた経験がユーモアたっぷりに語られます。
「小一時間ほどで麻袋一杯にイナゴが採れ」
「フライパンに載せた麻袋(イナゴ入)が沸騰するようにボコボコしてきて」
「おばあちゃんに『麻袋の口押さえてろ!』とイナゴが逃げないよう任され」
「隣のコンロでは逃げたイナゴを直火焼きに」
「麻袋に感じるイナゴのうごきがだんだん弱くなり」
「おばあちゃんと美味しく食べ、近所におすそわけした。」
という
おばあちゃんによる「命の授業」。の話でした。
このような
「伝統的文化」の文脈の中で伝えられる
「命を奪って食べる」という食育
は、
子供へのショックが裏目にでないよう、
いくつかのポイントがあることがわかります。
この経験はまず「大好きなイナゴ」と
「大好きなおばあちゃん」との信頼関係の元行なわれたこと。
投稿者がイナゴをとって殺して食べる、という「知識」はあること。
「知識」はあっても「具体的にイナゴを殺すとはどういうことか」体験していないこと。
「いつものやさしいおばあちゃん」が豹変して、強制的にイナゴが死ぬ瞬間を体験させたこと。
イナゴ調理の結果「美味しく調理し、ご近所におすそわけする」という「楽しい体験」がもたらされたこと。
こんなにも完璧な「食育」があるでしょうか。
投稿者は「イナゴが死にゆく手の感触」によって
おばあちゃんの伝えたかったことを直感的に理解したのでしょう。
このイナゴ食による食育は
「日本の伝統的採集食としての昆虫食」のすばらしい文化的価値ではないかと思います。
さて、
近年「食育として家畜を屠殺する」というものがあります。
これは果たして「命の授業」といえるものでしょうか。
考えてみましょう。
鶏を使ったものと、ブタを使ったものがありますが、大抵が以下の様な流れです。
1,生徒はパック詰めされた肉を日常から食べている。
2.生徒も先生も、通常屠殺は行なわない。
3,屠殺する家畜・家禽は生徒がペットとして育てる
4,屠殺は先生が生徒の目の前で行う(家禽)
  もしくは生徒の目の前で屠殺場に輸送する(家畜)
5,生徒はその精肉されたものを食べる
さて、
この「命の授業」で生徒が体験することは何でしょうか。
生徒の担当するのは「ペットとして育てる」「殺される瞬間を目撃する」部分です。
ここで、日常と「命の授業=非日常」を繋げると以下の様な文脈になります。
「私達が日常食べているパック詰め肉は畜産農家がペットを殺すようなショックを伴って出荷されたものである。」
ここには2つの問題点が見受けられます
1,「ペットを殺す」経験を畜産農家はしていない
畜産農家は生活のため、家畜を殺すことを前提として
飼い始めます。ソレがイヤなら飼わなくて良いのです。
ところが、生徒はそのような飼い方を知りません。あくまでペット「コンパニオンアニマル」としてしか
家に動物を迎え入れることはありません。
一般的に動物を殺すことの抵抗感はヒトから離れるほど低減します。
しかし
残念ながらコンパニオンアニマル・伴侶動物は、
ヒトに準ずるレベルで「殺すことへの抵抗感」が強いのです。
近年ですとペットロス症候群の増加がコンパニオンアニマルの強い精神的影響を表しています。
つまり、
畜産農家の追体験をするはずの「命の授業」が
ペットを殺すという
現実的でない精神的ショックを生徒に与えてしまっている
のです。
2,生徒は「家畜を殺す」知識は持っており、「映像的に知識が補強されるだけ」になってしまっている。
この命の授業では基本的に生徒は家畜の命を奪いません
これは
ケガや感染症の危険性や、上に述べたペットを自らの手で殺すショックを低減するためと考えられるのですが、
これは命の授業で最も大切なはずの
『命を奪って食べる体験』
あくまで映像的な知識の増強にしかなっていません。
「映像的な知識の増強」が必要なのであれば、
先生が慣れない屠殺方法で生徒に見せることではなく、近代的な屠殺方法を
映像で見せるべきですし、このような上質なドキュメンタリが公開されています
「OUR DAILY BREAD」(邦題:いのちの食べ方)

以上のことより、
私は家畜を飼育し、屠殺するという「命の授業」は
「ペットを殺す体験をさせる」という意味で現実の畜産業を追体験したものではない点と
生徒が「命を奪う体験ではなく目撃しかできない」という点において不十分、もしくはショック過多であると考えています。
その点ではイナゴの佃煮を作る、という伝統的文化に即した経験は
今回のラジオ投稿にみられるように「手の感触としての体験」として
ショックは少なく、教育的効果が高いと考えています。
近年はイナゴ採集食を含め
昆虫食が「貧乏で野蛮な文化」として
廃れつつありますが、
このような日本ならではの食育ができるコンテンツとして
現代社会においても利用価値の高いものであり、
現代の食文化の変化の中で消えるべきでない、むしろ啓蒙していくべき
誇らしい食文化だと思うのです。
今回の記事作成にあたり、ラジオ投稿について
Twitterからの情報提供を頂きました、この場を借りてお礼申し上げます。

2

カレハガの写真を簡単にGIFアニメにしてみました。
某モジャモジャの方の命名に習うとアハ体験?と言えるかと思います。

今回はサナギで採集して羽化させたので対面出来ましたが
街角で出会ったらご挨拶デキる気がしません。
ヒトですら雑踏の中顔を見ても同定出来る自信がありません。
ヒトは同種なので
個体変異だけで認識しなければいけないので大変ですね。
枯葉とカレハガぐらい見分けられるようにならないと
都会に進出してはいけないような気がして来ました。