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中は撮影禁止です。

日本科学博物館でやっている企画展「ミイラ展」に行ってきました。ここで扱われるミイラは自然と人工の2タイプがあり、遺体が偶然によって長期間保存された状態の自然ミイラとは異なり、人為的な介在のある人工ミイラには本人もしくは他人の手が加わっており、そしてそこには後世の人間に伝えたいメッセージ性のある『表現物』とみることもできます。

今回は「遺体」というよりもある意味、「究極の表現物」としてのミイラについて考えたいと思い、観にきました。

昆虫のさみしさについて考察したこともありましたが、やはり身近な人の死別、というのは大きなストレスとなる経験です。「配偶者の死」をストレス度100、結婚を50として、ストレス指数を測定する、という「ライフイベント法」という尺度もありました。

葬送を目的としたミイラはいずれも「念」がこもっているように見えます。遺体という「場合によっては無価値にもなるもの」に貴重品や高い技術を用いた保存技術などで「装飾」することで、その価値の高さを示しているようにも見えます。一見して価値のわかるものにはむしろ装飾の意味はないのかもしれません。

特に自分に負荷が大きかったのは、「即身仏」といった自らの意志で生前から遺体を加工し、その遺体に込められた「念」を後世に伝えるものです。即身仏はどうしても移動したり外気に晒すと痛みますから、門外不出のものが多いように思います。その中でその保存と補修を目的として、「科学的に」調査を進めたのが小方保(おがたたもつ)博士だった、とのことです。即身仏という非常にナイーブな存在にたいして、それを保管する寺の価値観に寄り添い、「保存と修繕」を目的として学術調査までできるように交渉する。科学の及ばない範囲にある存在にたいする科学者のアプローチとは、このように相手方の価値観に沿う提案であってほしいものです。

科学者ということでもう一つ、江戸時代の本草学者によるものと伝えられるミイラ。宗教目的でない、自らの意思によるミイラはほとんどないとのこと。全体が茶色く変色した異質さと、死の間際に大量の柿の種を摂取してタンニン源とする元気さ、力のこもった(ようにみえる)ポーズも含めて、これはすごい「表現物」だと感じました。

さて、科学者が自らの命を削って表現物(論文)をつくるのはそれほどまれなことではありません。そういう意味で科学もまた宗教じみた信念といえるのかもしれませんが、ピロリ菌による胃潰瘍の発症は論文著者自身の「人体実験」が1984年に行われたとのことですし、表現者が自らの肉体を傷つけて行われる表現行為は、なかなか甘美な魅力があります。私の昆虫の「味見」も表現者が自らの肉体を傷つける表現行為、である可能性は残ったままです。

しかし、現代の「法」はそれを許していません。自殺の自由はあっても教唆・幇助は許されませんし、論文では倫理規定により掲載されなくなるでしょう。

そして表現者自らの「死」によって生み出される圧倒的な「やり逃げ感」は死後に作品の値段があがる、といったアートの風習も相まって、事故死があとから神聖化されることはっても、表現者自らが作品の価値を高めるために行った自傷行為は、おそらく普通のアート市場では取り扱いができないように思います。(アート業界の倫理について、芸術教育の倫理ぐらいしか見当がつかないんですが明文化された、あるいは評論されたなにかがあるのでしょうか。ご存知でしたら教えて下さい。)

自分は柿の種を飲み込んでミイラになろうとする二番煎じ自称草本学者なのではないか、と頭をよぎることはありますが、ひとまず健康に、そして学問に忠実に参りましょう。

この、死んでいる人の割合が極めて高い会場で唯一かつ絶対のいやし要因となっていたのがネコのミイラ。みなさんがふと足を止めて、体力回復ポイントのようにじっと観ていました。そばにあったはやぶさのミイラはあまり注目されず、ネコだけに注目が集まっていたのが印象的でした。

他の「事故により自然に保存された」ミイラ、あるいは人工的に本人が承認したと思われる文化的背景のある人工ミイラと比較すると、「ネコのミイラ」は副葬品ですので、ヒトのミイラへの装飾のために「殺された」と見るのが妥当でしょう。つまり「合意のない殺害があった」ことから、無念の気持ちは数あるミイラのなかで、かなり上位に位置するとは思うのです。しかし。

見る側の人間とは勝手なもので、やさしく布の巻かれたネコのミイラ。グッズとしてもいいですし、手も出しやすい。私も買いました。なんとも身勝手なものです。

そして日本館で行われていた「風景の科学」へ。風景写真家による作品に「科学的な解説」が加わると、解説を読む前と読んだあとで、その作品の見え方がどう異なるか。やっぱカキに引きずられますね。なかなか実験的な試みで、驚きもあり、どんどんやってほしいと思います。無料なので募金しました。

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さて、ラオスにいる時間が長いとTwitterに流れる日本での催し物に対して、とても「飢えた状態」になります。どれだけ行きたくとも、行けないという物理的制約です。「いきもにあ」に嫉妬してこんなことをしたこともありました。

そうすると日本に帰国した時に煽られていろんなイベントに参加したくなります。無理してでも。むしろ日本にいた時より年間の頻度は増してるかもしれないです。

最初に行ってきたのは、他の打ち合わせが早めに終わったので近場でこれ。

未来と芸術展

森美術館というオサレ空間を見てきました。やはり気になるのはこれら。なぜ建築家はビルにコケをはやしたがるのか。

なぜ建築家はビルにコケをはやしたがるのか。それで食糧生産、的なストーリーがついているのです。

都市、という不特定多数のニンゲンが密集する狭い狭い空間において、食糧の一次生産=光合成にするというのはなかなかナンセンスです。たとえ光合成効率100%というとんでもないものが生まれたとしても、そもそも利用可能な太陽光のうち、都市に降り注ぐのはわずかですし、都市、というのは田舎への依存によって成立する空間ですので、利用可能な土地全部が都市になってしまってはいけません。そして迷子がいるかもしれない都市で巨大な農業機械をぶん回すなど、危険すぎます。棲み分けがだいじです。というかこれらを考えている人と、評価する人、あなた都市にしか住んだことないですよね、と薄々見えてきます。

田舎はグリーンとかピュアとかナチュラルといった「都会の無機質・閉塞感」のアンチテーゼから想像されるお花畑ではないんです。

「都市」が様々な資源(電力・食料・人的リソース・そして価値観)をその周囲から搾取していることを強烈に意識しているのが会田誠のNEO出島。東京という「日本の大将」たる都市の上空に、「グローバルエリート」というコンプレックスを刺激しまくるさらなる搾取の上位存在を浮かばせる、という、なんと田舎根性の卑屈な作品が作れるんだろうか。たぶん都市に住んでるのに。田舎出身の私としてはひどくスッキリしたものです。

ネオ出島。アリータの世界観にも近い。

次に見たのがNASAの火星移住プロトタイプ。現地の土で簡便なシェルターをつくり紫外線を遮り、中にもちこんだ空気圧式の居住スペースを展開していく。「宇宙船地球号」と呼ばれる地球そのものも巨大な半閉鎖系なのですが、こういった宇宙開発というロマンと組み合わせると、閉鎖式の生態系模倣型農業も、閉塞的なストレスが減り魅力的に見えてきます。

そして見たかった「POP ROACH」

ゴキブリを遺伝子組換えをすることで新たなフレーバーをもたらした昆虫食の新しい形、の架空の広告という設定のAI Hasegawaさんの作品。

AI Hasegawaさんは以前から存じ上げていて、とてもリサーチが強い、専門家からの批評にも耐える強度の高い作品を作られる方です。もう2点、生殖医療をテーマにした作品も展示されています。この話は後で紹介しますが、この作品でも、アートの反実仮想によって想定された「複数の親がいる子供の可能性」について、「専門家」にデメリットから先に語らせるという動画が流れています。

このゴキブリ作品も以前から知っていたのですが、なぜか、妙に、唐突で強烈な「不快感」が出てきたのです。

「私たちはゴキブリを食べられるのでしょうか?」

「不快だ」だけは面白くないので、なぜそう感じたのか、読み解いていきましょう。

ゴキブリ、という都市で汚染されたミームを持つ存在を取り上げていますが、多くの昆虫食文化は都市以外、つまり田舎で育まれてきたので、ゴキブリを食べる文化はさほど多くありません。森に行かないとまとまって手に入りにくく、独特の集合フェロモン臭があるからです。そして家屋の周りをうろついているゴキブリは衛生上の問題があります。それは「ニンゲンの生息環境が汚い」だけで、ゴキブリのせいでもないのです。

つまり典型的な昆虫食文化を背景にすればゴキブリを代表として選出するとは考えにくく、「昆虫食文化の文脈を意図的か非意図的に無視している」という点です。

これが意図的でないことはあとから解説します。アート、および建築意匠にかかわる人材の都市集中による構造的な問題かと思います。

そして次に「遺伝子組み換えによる風味の改変」です。

ゴキブリに一年間チョコを食べさせると味が変化する という実験からもわかるように、遺伝子組換えをしなくとも、エサによってでも風味を変えることは可能で、遺伝子組換えを登場させる意義としては弱くなってしまいます。もともと遺伝子組み換えと昆虫の相性はよいので、例えば自然界にない物質への栄養要求性を付与し、脱走すると死ぬ安全な食用昆虫とか、甲殻類アレルギーを緩和する作用のある昆虫などなど、今後活用される場面は色々考えられると思いますが、「ゴキブリにフレーバーをつける目的で行う」のはかなり後回しでしょう。

ゴキブリはタンパク質をあまりふくまない廃棄バイオマスからも効率的にタンパク質を回収できる、という論文もあるので、もちろん都市に適応したゴキブリを、都市型の廃棄物再処理目的で飼うことは全く筋が通っています。

しかし、それを「昆虫食の第一歩」「果たしてあなたは食べられるか、という踏み絵と」して提示されていることに、一種のさみしさを感じたのです。

あぁ私たちは無視されていると。ラオスに滞在しているからって「私たち」と総称することもまたおこがましいですし、それをもって都市生活者を攻撃するのもナンセンスなんですが。率直な気持ちとして。

と同時に、2015年にはこの作品を知っていて、こんな不快感は全く沸き起こらなかったことを思い出します。つまり、「私の不快感」はラオスに行くことで大きく変わったといえるでしょう。

すると愛読していた火の鳥までもが、昆虫食への偏見(火の鳥太陽編でのシャドーの食生活の酷さを示すためにゴキブリやざざむしが使われる)にまみれていることにイラッと来ますし、森美術館という都市のまんなかで、都市生活者だけで食の未来を語れると素朴に思っていることこそがおこがましい、とまで怒りは膨らんでいきました。展示の場所にも影響されている気がします。

ある現代アートに対して、「スペキュラティブだ」と評価がつくことがあります。作家が意図的であることを前提として、社会に向けて問題提起するパワーが強いことを美術批評家が発します。日本は批評家やキュレーターが豊富とはいえないので、そのように評価されたことを、アーティスト自らが発信しなくてはいけない側面もあります。(本来はアーティストが自分への評価を広告するのはやらなくていいはずですが)

するとこういった「スペキュラティブさ」は

都市部の、お金持ちの、人口密集地の「社会」に対するメッセージ性で測定され

辺境の、貧乏の、過疎地の、もう一ついうとマイノリティの「社会」は見逃されがちであるという点に、多くの(貧乏な時代を過ごしたはずの)アーティストが自覚を失ってしまうことこそが、構造的な危険性をはらんでいるように見えてきました。

報われないアーティストが上流階級に入り込むため、同じような報われない境遇にある、非アーティストを踏みつけた作品を作るとしたら、それこそ表現の地獄というやつになると思います。そしてその多くは「非意図的に」「無自覚なリサーチ不足で」起こっている。

無自覚なリサーチ不足によって、アーティストが「お客さんとならない弱者」を採算から度外視することで、差別を再生産するとき、それに共感する「お客さん」の存在によって、アーティストの評価は決まってしまいます。

アウトサイダーである、ここでいうと昆虫を日常的に食べている人たちの声によって、アーティストの名声が落ちることは構造的にありません。アート・ワールドのこの構造を変えろということはないですし、コネと政治によって不当に高く評価されている論文(によって一般市民の健康が不当にバイアスがかかってしまう)が学術界は多々あるので、他山の石としたいものです。

他業界におけるアラが目についてしまうのは、お互いにないものねだりといえるでしょう。つまりこれから、どのような表現物に対しても「リサーチ不足」が致命的になりかねない、あるいはそうなるべきだとも思います。

幸いにも、この作者であるAI Hasegawaさんに、この疑問、不快感、問題を直接受け取めてもらうことができましたので、しばらくこの話は続きます。結論からいうと、コラボを企画することになりました。いつまでに、というものではないので気長に待ってください。いつかやりたい、とラブコールを改めて発しておきます。

次は人体を使った、ある意味「究極」の表現物、ミイラ展につづきます。

自己を犠牲にした究極の表現物「即身仏」はどのような「強さ」をもつのか。表現者がそれをやりたくなる衝動について、現代社会はそれを許容していいものか。

11月16日、17日に、毎年恒例のサイエンスアゴラ2019に出展してきました。今年からはISAPHとの共同事業体としてラオス事業を進めていきますので、今後の発展を願って、日本での研究会の活動とのコラボを強めていきます。ひとまずこの動画を御覧ください。雰囲気が伝わるかと思います。

ラオスで15年以上活動する保健のNGOである、ISAPHの事業の一つに、「本邦研修」というものがあります。これはラオスの協力者である保健人材を日本に招待し、保健医療の研修をうけてもらうものです。今回はそこに追加の助成金を応募して旅費を捻出し、東京のサイエンスアゴラまでご足労を願いました。なぜ呼んだかというと

「食の未来を日本人だけで相談することのナンセンス」を明らかにしたかったからです。どうしても日本人同士で昆虫食について話すと様々ある問題点や課題をすっとばして「心理的なハードル」に集中しがちです。

日本はこれから人口が減少し、アフリカとアジアの人口が増加します。

そしていますぐ、温室効果ガスをゼロにしたとしても、今後数十年間は温暖化が進むと予想されています。つまり。

「昆虫を食べる地域(熱帯や亜熱帯)の気候帯が広がる」

「昆虫を食べる地域(熱帯や亜熱帯)の人口が増える」

ということなのです。奇しくも伝統食材として、昆虫食が残っている日本が、「なんだか昆虫食へのイメージが良くない」ということで、将来性にフタをしたり、他の食材に比べて開発が遅れていることを理由に、採用を後回しにする、といった「遅れの再生産」を起こすことは、世界全体の損失となってしまうでしょう。

つまり、「昆虫食の伸びしろを確認すること」を目的とした研究は、偏見を手放して「公平に」やるべきなのです。本当は公的研究機関がやるべきところですが。

批判はさておき、今回は、わたしたちができうる限りの「昆虫食の未来を議論するに適したメンバー」を揃えた形になります。この5角形はサイエンスアゴラの理念を示すものですが、「アゴラ」という開かれた議論の場において、

研究会は科学者と事業者としての側面、

試食提供を支援いただいた昆虫食普及ネットワーク、株式会社TAKEOは事業者、市民として。

このとき通りかかって試食をしたり、聞いてくれた方々は市民、メディアとして、

そして今回ゲストであるラオス行政の公務員と、そこで一緒に働くNGOとしてのISAPH事務局長の佐藤さんも参加いただきました。

印象的な発言をピックアップしておきます。

「一番おいしい昆虫はなんですか」(こういうのをよく聞くのですが)

に対してラオス人医師は「昆虫にはそれぞれおいしさと食べ方があるからそんなのわからないよ」との答え。「一番美味しい脊椎動物は?」と聞かれて答えにくいようなものでしょう。豚の角煮と親子丼、ビーフステーキ、どれがおいしいですか? 難しいですね。期待通りです。

また、試食提供で私がTAKEOと開発している「バッタ生キャラメル」を食べてもらったところ「バッタ本来の味が死んでいる」という美味しんぼみたいなコメントをもらいました。とてもおもしろい。

今回のシンポジウムは「前に進む実感」というよりは、立ち止まって、あるいはむしろ少し後ずさって視野が広がる、そんな感覚をもらうことができました。

シンポジウムに参加してくれた人の多くは関係者でしたが、あらためて今の活動の意義や進捗を語らう場を設ける事ができてよかったかと思います。みなさまありがとうございました。そしてこの動画を撮影・編集してくださった、なおまるさんに感謝申し上げます。

11月の内容もまとまらないままもう12月も終わりですよ。なんですかこのスピードは。

11月

「サイエンスアゴラ2019に出展してきました」


「未来と芸術展」

「ミイラ展」

「オープンリサーチフォーラム」

「Ai Hasegawa さんセミナー」
ぐらいの順番でいきます。

12月

オオツバメガ Lyssa zampa 味見

タガメナイト

さんわかセミナー

あたりまで書きます。本当に書きます。宣言まで。

もうひとつ美味しい糞虫、Onthophagus mouhoti これの味見レポートを9月に書くべきだったのを忘れていたので書きます。

Onthophagus mouhoti

11月6日から3日間、某日本企業の方々に同行してずっと気になっていたタイのコオロギスナックの状況をみてきました。その企業の方のご厚意で、「業界の発展のため、すべて情報を公開していい」と許諾をいただきましたので、深い内容については研究会で議論していきますが、ここらで軽く紹介をしたいと思います。

なぜ気になっていたかというと、このスナックがよく売られていているからです。

セブンイレブンにも、ファミマにもあって、ラオスの首都ビエンチャンでも買えた、というのは結構儲かってるんじゃないでしょうか。なかなかアポが取りにくいとの情報はあったので、今回同行できたのは幸運でした。

おわかりいただけただろうか。
左下、カイコのスナックがセールになっているファミマの掲示物

養殖場と加工場、それぞれ車で行きました。

まずは加工場から。スナックを作るための乾燥・オーブン・調味の工程がすべて閉鎖系の食品工場として整備されていました。中に入るときはキャップとエプロンが必要で、中の写真は禁止。

左がコオロギ、右がカイコ。
HACCP GMP、ISO22000も。

今回話を聞きたかったのが、タイ政府(National Bureau of Agricultural Commodity and Food Standards (ACFS) )が公開した「GAP(good agricultural practice)」がどれほどの意義があったものか。という点です。結論からいうととてもうまく動いている。と感じました。

タイ政府のGAP

英語版

ガイドブック

タイで最も品質管理の厳しいシステムで動かしているのが彼らで、このGAP策定のメンバーでもあるそうです。産官学が連携してルール作りを動かしていき、「高い品質のコオロギにちゃんとした値段がついて売れること」が大事であるとの共通認識ができているようです。「産学官連携」が「すぐにみんなが儲かる話」ではなくて、こういった未来のビジョンにつなげる話になるといいですね。

翌日はコオロギ養殖場へ

平屋の建物たち。コオロギがたくさん。

翌々日は家庭レベルのコオロギ養殖場へ。これはラオスでもみたことがある。

ここと同じ方法で養殖しているのをラオスでも見たことがあったので、どこかで習ったのか、それとも情報公開をしていないか、と聞いてみると「この方法ではじめたのがうちが最初で、youtubeとかfacebookで公開しているからそれをみたんじゃないか」とのこと。メッセージにも対応して養殖相談に乗っているらしい。コオロギ養殖が商売として頭打ちになったら、とかライバルが、といった意識はまったくなく、どんどん真似してどんどん儲けてほしい、とのこと。

また、個人農家にも行政の役人が、GAPに基づいたアドバイスに来ているとのことで、品質を上げるための設備の指導などをしている様子であった。単に強制的なルールを決めて足切りをするのではなくて、業界全体が盛り上がるよう、そして硬直的で個人では実現不可能なハードな運用にならないよう、うまいこと調節できているようにみえた。

今回も含めて、タイのどこでも印象的だったのは、現実をみつつ、将来に対して楽観的だということだった。日本の企業はどうしても「囲い込み」をしたがって、市場が縮んだ時でも生き残れるよう、保険をもとめる傾向が強い。確かな保険に加入できることには投資するが、その保険に加入する費用を、オープンなイノベーションのために使おうとする気概が薄い。

そう考えると以前のレストランで見たように、「ビジョンを語れる人」というのがとても魅力的だと思う。短期的な営業利益は必要ではあるが、そのために仕事があるわけではない。私もビジョンを語るヒトになりたいが、ことあるごとに

「何をしているヒトですか?」「何を目指してるんですか?」

と聞かれることのほうが多い。もっとビジョンの発信を大事にしよう。

ビジョンとは、

日本社会が昆虫の社会的価値を再議論し、判断すること。

そのための象徴的なアイコンとして昆虫食の再導入を位置づけている。普及の推進は、日本社会が昆虫の社会的価値を判断するために必要。

もちろん昆虫食の再導入とは「すべての人が昆虫を食べるようになること」ではなくて「普通の食材として自由に昆虫を選べるようになること」である。

といったあたりでしょうか。

今日はラオスの建国記念日でお休みです。ブログネタが溜まっていたので書いておこうかと。

いつにもまして忙しかった、、、、、ですがいい出会いや 新しいアイデアの更新もありました。 どこからブログ記事に起こしておきましょうか。


「バンコクのコオロギ農家と工場を見学してきました。」

「サイエンスアゴラ2019に出展してきました」


「未来と芸術展」

「ミイラ展」

「オープンリサーチフォーラム」

「Ai Hasegawa さんセミナー」
ぐらいの順番でいきます。

オオツバメガ Lyssa zampa、というあこがれのチョウが玄関に来ていた。うれしい。

しばらくラオスにいることになったので、日本での活動はいろんな方に手渡していければいいなと思い、今回は昆虫食企業に企画を持ち込みました。

企画の持ち込み先はタガメサイダーを開発したTAKEOさん、少し前までは輸入商社として動いていた気がしたのですが、もう商品開発まで行っています。とってもスピーディー。

では、ということで、TAKEOさんのところで買ったバッタパウダーのデメリットを減らし、そしてパウダーならではの利点を活かしたこのメニューの製品化を打診しました。今回は製品開発の一環ですので、味の感想をお聞きすることになるかと思います。

みなさんにとっては私のレシピのスイーツがタダで!食える!」いう素晴らしい企画になります。そして私はラオスにいますから、ラオスからレシピだけを遠隔で飛ばして日本のみなさんに食品を提供できる。これは未来ではないでしょうか。レシピの引き継ぎは7月の帰国時に伝えました。その後大量生産に向けて改良も加わったようです。

さてその詳細はTAKEOさんところのHPで掲載されました!

反応がよければ、そしてもっと改良が進めば、製品化も?という状況です。踏ん張りどころですのでぜひ食べて、味の感想をフィードバックしていただき、おいしいバッタ生キャラメルが提供できればと思います。31日、木曜日まで!

それではこれまでのバッタ生キャラメルに至るまで、バッタ粉末と歩んだ試行錯誤の経緯をごらんください。こんなこともつぶやいていました。

バッタとスイーツの相性は2014年に気づいていました。トレハロースも。

初期は「バッタ生チョコ」として開発していました。

味の感想、お待ちしております!

そういえばバイリンガルニュースに出演したときにお二人にたべてもらったのもこのスイーツでした。

8月9日、もう一ヶ月前になりますか。とある大学のつながりで、バンコクのトークイベントに参加すると旅費をいただけるというので行ってきました。なかなか厳しい台所事情ですが、それなりに楽しみつつ、研究費や経費を確保していこうと思います。

バンコクと日本のデザイナー、建築家の方々が集まる、だいぶアウェイなかんじがしましたが、とりあえず今回のテーマ「Exixtence=実在」 について、語りました。昆虫という「実在」によって、人がどう変化し、全体のプロジェクトのデザインがどう影響されていったのか、とか言う話をしたかと思います。観覧者にはバンコクの学生さんらもいて、昆虫食に対するバンコクの若者の印象も聞いてきました。

デザインという空論であり、実現していない以上「茶番」であることを、どこまで大事にし、深く、そして自由に発想できるかというのはとても重要な営みだと思います。そしてそこに「昆虫」が参加することはこれまでまずなかった。なので一種のスパイスとか「意図的なバグ」として、私が乱数発生器のように乱入して、かき回してみようかと思いました。デザインの世界のみなさんに投げ込んだ「実在の虫」のパワーはすごく、それでいて新しい概念を自分のデザインに反映させ、咀嚼していこうという適応力もすさまじく、スパークジョイな感じでした。

タイ東北部では昆虫食が普通なので、私の昆虫の話もさほど驚かれないかな、と心配したのですが、みなさん無事驚いてくれて、学生さんも女性の一人はロットドゥアン(タケムシ)だけ食べられるけどコオロギやバッタは脚があって無理、もうひとりの女性は全部無理、男性のひとりはサソリにチャレンジしたことはあるけれど。もうひとりはレシピ次第じゃないかなという消極的な感じ。いずれもバンコクの意識の高い、そして野心も高いデザインの学生なのでバイアスはあるかと思いますが、十分に「昆虫を食べる」というアイデアが敏感な若い世代にとって斬新に映るという手応えがあったので、ここバンコクも未来的昆虫食の展開のいい拠点になるだろうなと感じました。

またいっぽうで、ベテランのバンコク在住の先生方は伝統食として普通に食べていた時代を経験していて、ひと世代のあいだにジェネレーションギャップがギュッと詰まっていていい感じです。その年配の先生がこのようなスライドを用意してくださいました。

UNJUNK THE WORLD

Un-junkというのは検索してみると脱ジャンクフード的な書籍に使われたワードのようですが、この「ジャンク=役に立たない、安っぽい、価値が低い」といったものを価値観が同じママの社会で「役に立つもの」に変えていくリサイクルの発想ではなくて、その「役に立たないものという発想そのもの」をキャンセルしていこうという発想です。社会が変わることで、そのものが変わらなくてもコンセプトが変わる。これほど省エネなことはないでしょう。つまり昆虫にも同じことが言えます。ジャンクフードの代替として、安い、コスパのいい食べ物ではなくて、文化的な、先進的な、そして人の役に立つことのできる膨大なキャパシティをもつ尊敬すべきバイオマス。

そんな「UN-JUNKE THE INSECS」をこの世代で達成してしまわないと、バンコクの若者が昆虫食をジャンクな食べ物と誤認したまま次世代をつくってしまう。赤ん坊のころに植え付けられた食の価値観を変えるのは難しいですので、この世代のうちに、変えていきましょう。みなさま、ありがとうございました!

バンコク、今回は時間が少し余裕があったので色々見てきました。ミズオオトカゲが歩いていたり、スラムと高層ビルが対比されたり、他の都市と同じように、色んな面のある街なんだろうなと。

虫展、まだやってますね。日本帰国時に行ってきたレポートです。

ハムシがトップを飾る。カブトムシ、クワガタが定番のなか攻めている。
最初の概説パネル。うるさすぎず、シンプルにデザインされている。
多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
ラオスで竹の子イモムシ、と呼ばれている大型のゾウムシ。いつか食べたい。
巨大なゾウムシの脚。びっくりさせる、ギョッとさせる目的でエントランス付近においてある。 逆に言うと、ギョッとさせる目的ではない場所で巨大な拡大模型は「過剰」なんだと思う普通の人にとっては。
ロクロクビオトシブミ。かなり小さい。深度合成写真のレベルが上ったので写真を見ると巨大な昆虫のように見えてしまうが 重力加速度の影響が少ない小さい昆虫のほうが人間が理解できない姿をしている。
カブトムシの飛翔筋の模型。
はにわや工房さんのマンマルコガネ。バンダイから出ましたがこちらが元祖ですよ。
広々とした大展示。
トビケラの巣からインスパイアされたといういくつかの作品。巨大化することで設計コンセプトが変わるだろうに、 そのまま相似拡大して「新しさ」を出しているように見える。うーん。華奢な構造のモジュール構造は人間用の建築には向かないだろう。
有名な建築家が参加。 デザインの「お手本」とするときに工学的な要素はあんまりいらないんだろうか。 バイオミミクリーというよりはインスパイアという感じ。
どれもキレイにしか見えなかったのでまぁ。メインターゲットではないんだろうなとあらためて思う。
和名のいろいろを組み合わせて新しい昆虫をつくる

話はそれますが、台湾が日本統治下にあった影響か、亜熱帯に広く住む昆虫の和名が「タイワンーーー」であることが多いように思います。 ラオスで見つけた昆虫がそのパターンである場合が多く、タイワン固有種と誤解を生みかねない不適切な和名ではないかと。実際私は誤解していました。
今後和名のルール化が目指される中で、地名が含まれるべきなのはその地域の固有種である場合ではないだろうかと思います。 (そういえば北海道にのみ生息するトウキョウトガリネズミなんてのも思い出しますね。)

昆虫食も売られてるやん!このスペースで将来、大昆虫食展を開きたいなぁとおもった。

さて、見に行く前から、うすうす気づいていましたが、そしてこの文章を読んだ方も気づいてきたかもしれないですが 、
この虫展は私はストライクゾーンに入っていません。外れ値だ。 もちろんブワーッと昆虫あふれる大昆虫展のほうがお気に入りだけれども、だがしかし。
気に入るということと、展示として興味深いことは別なのです。おそらく 展示学的にすごい判断が行われていたのではないか、と読み解きたい。それでは参りましょう。


はじめに提示するのは「世界一美しい昆虫図鑑」 クリストファーマーレー

レビューも投稿しました。そしてこちらが原著。

これは原著はアートワークなのですが、写真がたくさん入って情報が入っている分厚い本を「世界一美しい〇〇図鑑」と 名付けて売ることが一時的に流行したことを受けてのことでしょう。翻訳版が原著よりも安い、ということはそれだけ印刷したということで、一般向けに売れる方針をとらなければならないのでしょう。それは仕方ない。はたしてこれを学術的な文脈をもつ「図鑑」と位置づけていいものでしょうか。

だいたい昆虫の社会的位置づけが揺らぐと見に行くのは丸山先生、こんなことをおっしゃってました。

なるほど。学術の文脈を借りるのであれば、その文脈に対して侵害的であるのはマナーが悪い。
いくつかのアートワークでは折りたたみ、隠されている脚がいくつかの作品では取り除かれてしまっている。
丸山先生はただ批判だけして終わらない。(批判することはもちろん大事なのだが、そればかりでは外野から見ると息苦しくなってしまう) そのアンサーとして美しい書籍を送り出した。

その名もきらめく甲虫。
撮影技術、標本のクオリティ、そして角度を変えることで初めて「きらめく」はずの昆虫が 白い紙に平面に印刷されているのに、「きらめく」というそのすごさ。 大きい虫も、小さいむしもおなじぐらいに「きらめいて」いる撮影技術の一貫性 (同じように撮ってしまうと、サイズによってバラバラな写真になってしまうはずだが、そこが注意深く揃えられている。)
そして 次作

「とんでもない昆虫」
からの、共著者である東京芸大の福井さん作製のこの展示台につながるわけです。

多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
おわかりいただけただろうか。
ハムシの下の台紙の下になにかあるのを。

あえて昆虫の名前を隠すことで姿かたち、多様性に注目させ、ホワイトのバックにより清潔感をもたらす。 そしてラベルを「取り除く」という事もできたが今回は取り除かず、体の下に隠す、という方法をとった。
つまりこれは 学術標本の価値を全く損なうことなく、展示用に転用してみせたという意味ですごいのです。
更にいうと、ラベルを見せた展示もできたでしょう。 しかし見てわかるようにラベルというのは 採集当時に作られたもので、標本によっては黄ばみ、これまでの多様な昆虫標本では様々な時代、様々な人の字のクセが前に出てしまう。 このようなノイズを丹念に取り除く過程で、「ラベルを取り除く」のではなくて隠す、という選択をしたのでしょう。


この展示に敬意を送りたい。すごい。
しかし、生きた虫がいてほしかった。と「いろんな床材に苦しむカブトムシの映像展示」に釘付けになっている男の子をみて 思うのだった。生きた虫はすごい。強すぎて他の創作物を邪魔しかねない可能性を考えて、あえてここに置かなかったんだろうと思う。 生きた虫はラオスで楽しもう。そうラオスで。

ヨツボシヒラタツユムシ

以前にTwitterでテングビワハゴロモを評して「色彩構成でゼロ点」とコメントを頂いたけれど、これもまたそう。すごい。キャッサバの栽培状況を見に行っていきなりこれが現れるとインパクトがすごい。

人間の創造物だとしたら悪趣味で売り物にならない、と言われそうなデザインセンスを 「このデザインで生き残っている」という圧倒的存在感でねじ伏せる生き様!かっこいい! この虫の話もまた後でしましょう。

玉置標本さんにお誘いいただき、この虫を取りに行けることに。

タケオオツクツク Platylomia pieli

タケオオツクツク Platylomia pieli 脱皮直後成虫

実は昨年、玉置さんからおすそ分けをいただいていて、ラオス行きのバタバタですっかり味見を忘れてしまい、一年が経ってしまいました。私のズボラの不徳の致すところですが、あれからちょうど一年、ということはですよ、「セミを冷凍保存するとまずくなる」という検証を、外来種タケオオツクツクでできる絶好のチャンスなのです。ぜひ行かねば。手すりの虫のイベントでもとある方から「今年は梅雨明けが遅いのでタケオオツクツク、いい子出てますよ」とおしえていただいたりと、今年の梅雨明けを最も喜んでいた一人ではないでしょうか。

低い位置で羽化直後の成虫も見ることができ、満足です。腹側に長く伸びた鼓膜がカレイゼミの仲間の特徴のようですね。クマゼミと同じ透明の翅をもつセミですが、角度によってエッジがブルーに光る現象がみられて大変満足です。

味見 比較対象は一年前のタケオオツクツク幼虫と、今年同じ場所でとれたアブラゼミです。

幼虫 腹部の一部に苦味があり 少し残るものの歯ごたえがよく、外皮もやわらかい。胴が長いためかボリューム満点でおいしい。
アブラゼミ 木質系の香りがかなり強く、苦味は逆に少ない。旨味がやや強めでアブラゼミはおいしいセミであることがわかる。
一年前のタケオオツクツク 少しかたくなり、香りが全くダメになっている。変な臭みが発生し、苦味も引き続き残っている。美味しくない。
脱皮直後固まりかけのタケオオツクツク成虫 そっけない味で少しの苦味があり、うーんアブラゼミの旨味がやっぱり恋しい。
メス成虫 やわらかいかたまりかけ クリーミー! やはり少しの苦味があるもののクリーミーさにマスクされてきにならない。 ボリュームが有るぶん食べやすく、料理方法も工夫したいものだ。

もしかしたら、かなり美味しい種類のセミが日本の公園に大発生しているのではないか、と思います。そしてセミは冷凍しても味が落ちていく。つまり旬のセミを食べるしかない。これはセミが美味しいと知っている、昆虫食文化のある国の人からみるとたまらない状況でしょう。引き続き味見を続けましょう。

さて、この場所は私有地で、私有地のフェンスの外の遊歩道に、のそのそと歩いて出てくるセミを捕まえています。そしてこの私有地には看板。

竹の子ドロボー天罰

さて。タケオオツクツクが外来種であることも含めて、

昨年はセミ禁止令なんて看板もありました。

この「昆虫食と土地倫理の問題」どう考えていきましょうかね、とってもおもしろいです。