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2015年に創刊された学術誌、Journal of Insects as Food and Feedが、2020年6月の段階で意見記事を出していました。私が気づいたのは9月ですが、(しばらく下書きで放置していました)素早い対応に感謝します。社会全体が不安に煽られるとどうしても弱いもの、嫌悪感をそそるものに攻撃が行きがちです。解説しておきましょう

EUでは昆虫のヌーベルフード(新規食材)としての審査が最終段階にありますが、いずれも養殖昆虫を指していることから、この意見記事には採集昆虫に対する言及はなさそうです。

この感染症が発生当初から、センザンコウやコウモリなどの野生肉由来ではないか、と推察されてきたことから、中国では野生肉の食用を禁止する動きがありました。しかしロックダウンをするような事態になると、むしろ自給自足で野生動物の肉を食べている田舎において、流通の停止はむしろ栄養状態を悪化させてしまいかねません。

また一方で、風邪ウイルスの一種としてこれまでにも蔓延している「新型ではない既存のコロナウイルス」の研究では、ラットの肉が感染症を広げるのは、田舎ではなく食品卸売市場であるとの指摘。これはベトナムでの調査で、田舎ではなくむしろ都市の需要が、感染を拡大させている。とのことです。

つまりウイルスは「平等」にヒトに対して広がるのだけれど、リスクそのものは都市の市場が高める構造がありつつ、アクセスの悪い田舎にその対応を押し付ける(野生肉の禁止)という不平等になっています。これはこれまでの格差の構造を強化するかもしれない点で、留意されるべきでしょう。

ユニセフはこの事態に対して、途上国の子供の健康状態が悪化すると警告しています。

しかしまた一方で、ラオスの活動地、農村部では2020年4月の一ヶ月のロックダウンでは、「特にいつもと変わらない」と反応がありました。ピーマイという仏教正月を延長し、村では稲作の準備がおこなわれていたようです。また両親の出稼ぎは世帯収入を改善させるものの、子供の世話が高齢者の祖父母にたよられがちで、栄養リスクになる現状もあります。国境が閉鎖されてタイやベトナムからの帰国により、むしろ栄養状態は改善する可能性すらあるのです。

ここらへんも早期にラオスに戻れると、状況を観察したいところです。

久々の更新です。ラオスから日本に戻って1年。いろんなことがありました。

2020年9月の「おいしい昆虫記」出版から文字書きの依頼をいろいろといただきまして、セミナーなどでスライドを書いたりしていて、ブログが放置されていました。

過去記事を読み返してみると、情報のアップデートが必要なものもありつつ、「その時の空気」がおもしろかったりするので、本来のライフログと、個人としての自由な思考実験をできるようなブログをちょいちょい残していければとおもいます。

さて今年は4月末に渡航できるか、、、?という微妙なところで、関係者と交渉を続けていますが、できればタイミングがあれば渡航してしまって、ラオスからオンラインでできることを増やしていこうと思います。

日本に帰って、ラオスの活動を話す機会が増えたのですが、「貧困地域の貴重な栄養(だから自分は食べなくていい、自分は無関係)」という受け取られの多さに気づきました。「昆虫には栄養がある」という客観的事実ですら、偏見を助長しかねないのです。

「サルやコウモリ、ネズミや鳥が主食にしていますから、当然栄養はありますよね、さて」というように、短いセミナーではササッと避けて次の話をするようにしています。

というのも、「おいしい昆虫記」でラオスでの活動を「貧困地域の貴重な栄養」と誤解されたくないために私の半生をあえて読者に追体験してもらうことで、偏見を助長しないようストーリーを組むことにした、という経緯もあります。

つまり、とうとうやってきました。「昆虫食を社会の課題としてとらえる」という、これまで手を付けられていなかった本丸にとりかかろうとしています。

昆虫を食べなくなった私たちが、どのような社会を生きているのか。

昆虫を食べるラオスの人々が、どのような偏見にさらされているのか。

そして、ラオスでの活動は、小規模ながら「昆虫を食べるほど得をする社会」の構造を作ろうとしています。特をするならば、そこにお金を落とす人が増えますし、食べない人は損をするだけです。正直、「食べてほしい」という啓蒙や広告に、あまり興味がないのです。

私が昆虫の味見をすすめていく中で、昆虫が美味しそうに見えてきた辺りから、「食べたくない人」「食べたことのない人」の感覚がわからなくなってきたので、ここらでアーティストやデザイナーに任せていこうと思います。

アーティストやデザイナーのコンセプトの根幹に関わる議論をふっかけていければ。つまり社会問題です。

やはり強烈な書籍であった「フーディー」がこの一年の思考を深めてくれました。ラオスへ行きたい、という気持ちと、なぜ私はラオスで、大きく思考が変化したのか、という部分と、それが「日本に居ながら」変化をつくることができたら、更に発展するでしょう。

逆に言えば、「観光したから」「スタディーツアーしたから」といって、わかった気になってしまうのも困りものです。実際に行くことのよさは、どうしても言語化しないといけません。

もう一つ、難解な書籍ですが「専門知を再考する」もすごい書籍です。

昆虫食の分野を異分野の対話を続ける場である「対話型専門知」として高めていくことで、そのままその分野が「貢献型専門知」として社会に認められ、研究室がどこかの公的研究機関に設置されればいいと思います。

そのときに今、足りていないのが開発学の視点です。「応用昆虫学」のいち分野として再定義するのも、実は足りないのです。なぜ応用昆虫学から昆虫食が外れてきたのかという歴史的な反省と、それにより辺境に追いやられた昆虫食文化の回復、が大きな技術開発やガイドラインの軸になります。

開発学を現地で実現するには、社会学と人文科学の営みも必要で、ここらへんが今年の攻めどころではないでしょうか。なんてことをぼやきつつ。

ひとまず一年!くじけずに生存ができました。ラオス行きたい。

「おいしい昆虫記」発売一ヶ月が過ぎました。
みなさまのお手元に届いているでしょうか。

某所でコラボを始めようとしている企業の方が、「おいしい昆虫記」を読みはじめてくださったとの報告をいただきました。また別のラオス関係の方から、本を熟読してくださり、信用を頂いたとのことでいろんな方をご紹介いただきました。

やはり、ひとまず信用を勝ち取るにはエモい部分が必要なんだろうと思います。その後にまでエモさで押し切るのはプロとしてよろしくなくて、私の手に余ることについては適切な専門家へと橋渡しをして、ビジネスとして成立するよう後押しするのが、蟲ソムリエの役割でしょう。

だいぶ前になってしまいました。

私のたっての希望で、AI HASEGAWAさんとトークイベントをできることになりました。同時に代官山蔦屋書店で昆虫食本のフェアもしてくださるとのことです。

非常に濃い時間になりました。ご覧いただいたみなさま、ついてきていただけたでしょうか。ここではもうちょっと補足を入れつつ、振り返ってみましょう。私とこのあたりの分野との、はじめの出会いはここらへんの書籍から。

最初は反発から入りました。「スペキュラティヴ・デザイン」問題を解決ではなく問題提起をするデザイン。
問題をほじくり出して、解決しようとしない。なんと無責任なことだろう!

このスペキュラティヴ・デザインの流れでバイオアートも説明されることが多くあります。バイオロジーを背景とする表現物でありながら、論文ではなく専門家による査読もない。評論は美術畑の人からはあるのに生物学からはほとんどない。反発そして嫉妬ですね。当時は私が論文がかけずに苦悩していた時期でしたので、余計に憎悪が募ったと思います。最近これを読み返すと、「思ったことをプロトタイプの状態で世間に出せるというのはなんと自由なんだろう!」というまた違った感情もわきあがってきました。ヒトの情動とは変化するものです。

そして、未来と芸術展での「POP ROACH」の展示。

こちらも以前から知っていた作品なのに、六本木という土地柄もあり、「都市」に寄り添うものの、昆虫食文化をもつラオスには縁遠い、と感じるようになりました。少しの寂しさと、フェアネスについて物申したい感じ。そして「おいしい昆虫記」を出したこともあり、日本の出版においてラオスの昆虫食の「リアル」を日本にただ、そのままを持って帰っても、「遠く異国の昆虫食」と、リアリティの薄い、地続きで見てくれない、という反応も気になってきました。

ラオス産の昆虫を日本に持ち込んだときに、「遠く異国の昆虫食」では売れないでしょう。そこにラオスと日本を共有する、リアルではなく「リアリティ」のスペキュラティヴなデザインを仕掛けないといけないのでは、と考えたのです。

そしてイベント直前、流れがまとまらずウンウンうなっていたとき、愛さんから送られてきた参考文献の中に、こんな本が出てるではないですか!

ラオスでバタバタしていて、帰国後はおいしい昆虫記を書いていたので、お恥ずかしいことにまったく気づいていませんでした。さっそく購入して、授業を受けてみることに。

どうしても通常のビジネス、デザインでは「望ましい」部分しか可視化されない。

PPPP図という、ピコ太郎みたいな図から入ります。現在から未来に向かって、可能性は円錐状に広がっていると考えてみると、人間の想像の限界によって、あるいは資本主義的な投資、投機のバイアスによって、どうしても今の構成員による「望ましい」未来しか想定されなくなってしまう。すごくよくわかります。昆虫食とほかの食資源の将来性を「直感に従えばフェアに比較できるとピュアに思いこんでいる」という場面によく出くわします。

縄文時代に昆虫食があったのか、証拠は見つかりにくいときに、「あっただろうと想像する」ことができなくなっている。

未来を考えるときに、昆虫を食品レベルの値段で養殖する技術はあるのに、その技術がまだない培養肉のほうが「望ましい」ので「起こりそう」と思われてしまっている。

おいしい昆虫記についても、前半は個人的な話ですが、後半はスペキュラティヴ、つまり社会的動機から問題提起をしたい、という構造になっています。

最後にワークシートがついています。この「スペキュラティヴ・デザイン」というのは対話型専門知の一つ、と言い換えられるかな、と思いました。

実際に空欄に入れていく、という行為によって、どっちつかずだったものを「とりあえず当てはめてみる」という思考の整理が進んでいきます。それが自分のモヤモヤのすべてを表すものではなくても、「選んで当てはめる」ということが大事。目指したいのはラオス発の昆虫養殖技術が世界に広がり、各地から多様な昆虫食材が貿易されて、みんなが食べたい昆虫を食える未来。

そして大資本が富裕層向けに昆虫を売り、ラオスの貧困層は労働搾取される、これが最悪のシナリオでしょうね。

やっぱり不思議だったのはこれまで書いてきた計画書との違いですね。「え、自分の痛みって必要なの?」と面食らいました。しかしNGOや研究者も、様々な個人的な背景から、熱意を継続している方が多くいます。なるほど、痛みか。。。。

私にとって「痛み」とは「自分が変人に見られたくない」ということでした。昆虫を食材として扱う、というまったくおかしくないことが、「奇妙キテレツ」に見られてしまうことで、これから昆虫食が取り組むべき技術的課題ではなく、見た目の問題に矮小化されてしまうのを見てきたからです。フェアに議論したい。そのときに偏見は大きく邪魔をしてきます。それが今は痛い。

さて、今回はあえて「おいしい昆虫記をスペキュラティヴ・デザインから解剖する」ということを愛さんと一緒にやってみました。

対談の中でいろいろとアイデアが湧いてきて、「演じてみる」ということが私のこれからの余白だろうなと思えてきました。自分じゃない人だったらどうするか。イーロン・マスクだったら昆虫を宇宙に打ち上げるだろうし、クリストファー・ノーランだったら緊張感が3時間つづく映画を作るだろう。

そしてやはり、昆虫は「悪目立ち」してしまう。先の森美術館の展示でも、poproachよりもアートとして高く評価されている作品、Shared baby やImpossible babyよりも、SNSでつぶやかれたのはPoproachのほうが多かったそうなのです。そして色を変えてゴキブリを食べやすくするという発想自身が「ルッキズム」ではないかという指摘をされて驚いた、とおっしゃっていました。

ゴキブリには人権がないので、この作品そのものはルッキズムにはあたらないのですが、その茶色い見た目が嫌悪されている構造から、肌の色を理由とする差別のような、ある種のルッキズムを連想させてしまったようなのです。これは驚いた。

以前に別の作家さんから「昆虫は無価値であることが社会的に共有されている」という話をもらったことを思い出しました。無価値だからこそ、食べない愛好家と、私のような食べる人が一緒に話ができる。

また無価値だからこそ、ある種のミームのように、自分の思い入れが自由に投影されてしまう。のでしょう。

昆虫食の見た目解決として、「すりつぶす」というのはルッキズムの度外視、とは言えそうですが、果たしてルッキズムからの解放、といえるのか、むしろ「すりつぶせば食える」ことこそルッキズムに縛られていないか。

ここらへんも新しい切り口です。ルッキズムと昆虫を、あえて近づけたり遠ざけたりして教材にしていくような、そんな攻め方ができそう、という、私にとっても非常にスペキュラティヴな経験でした。長谷川愛さん、ありがとうございました。

愛さんからも、「苦手な昆虫と向き合ってみる」という宣言をいただきました。アーティストが本気で昆虫と向き合っていく先に、どんな挑発的なデザインが生まれてくるか、とても楽しみです。

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以前に「害虫展」に応募した写真作品ですが、使ってみたかった「メタルプリント」での出力をしました。これはアルミ板に昇華印刷をしたもので、光沢や発色が優れているだけでなく耐候性が非常に高く、「アルコールにも耐える」という今の感染制御のご時世でピッタリの性質をもつ、写真パネルとのことでした。これを昆虫料理レストランに飾りたいのです。

返却してもらっておいしい昆虫記、出版記念の一日店長でも飾らせてもらいました。

強度はアルミ板のまま。曲がらない限り印刷は痛みません。かなり丈夫です。角は気をつけたいところですが、取り回しは楽でした。

さて、このパネル、本当にアルコールに耐えるのか。やってみたいのですがこの大きめパネルだとちょっと決心がつかない。

ということで光沢のある昆虫の質感も確かめたいと、ちょうどやっていたモニター募集に応募することにしました。

そして、

とどいた!

そして、買っておいた蒸留エタノールで拭く!

問題ないですね。重さもこの大きさぐらいまでだったら気軽に持ち運べます。ブルーの構造色が美しいフェモラータオオモモブトハムシのメタルな雰囲気も十分に伝わっています。

今回のモニターは、パイオテック株式会社さまの協力で実現しました。


 [HP]
 ・メタルプリント本サイト https://www.metal-print.jp/
 ・ペット特集サイト    https://www.metal-print.jp/lp/pet/
 ・趣味特集サイト     https://www.metal-print.jp/lp/hobby/
 ・コスプレ特集サイト   https://www.metal-print.jp/lp/cosplay/
 [SNS]
 ・YouTube  https://www.youtube.com/channel/UCkJx6l52i2-Wi_se9bhxABA
 ・BLOG    https://www.piotec.co.jp/blog/
 ・Twitter   https://twitter.com/piotec_hd_print
 ・Instagram  https://www.instagram.com/piotec_hd_print/
 ・Facebook  https://www.facebook.com/Piotec-HD-Print-335658950230225/

この画像、パネルについても、貸し出しサービスに使われるかも、とのことでした。なかなか画像や動画では伝わりにくい質感ですので、見て確認するといいかと思います。

▼貸し出しサービス

https://www.piotec.co.jp/blog/?p=708

さて、「きらめく」といえば、ちょうどこんな本が出ました。

肉眼で「きらめき」を感じるとき、光源とそれを反射する物体の関係から、左右の目には異なる反射が入ってくるでしょう。つまり立体映像と「きらめき」は相性が良い。VRなんかで映えるのでしょう。

一方で、印刷物、とくに液晶画面のように発光しない面で「きらめき」を表現しようと思うと、かなりいろんな表現技法が使われています。

そんな難しい事を考えなくても、ビジュアルがひたすらによいのがいいですね。オススメです。

美しい干物を見る気分で楽しめました。一部麻酔された昆虫がいる感じがしますが、ほとんどは乾燥標本です。

表紙になっているプラチナコガネは乾燥にともなう収縮で「貫入」のようなヒビが入っています。それを単なる学術標本の劣化ではなく「ある種の別の美しさ」としてテクスチャ表現したい、とのことでした。すごい。変態だ。(褒め言葉)

著者で最も若い法師人響さんは「アリの巣の生きもの図鑑」を見て昆虫の世界に入ったとのこと。そう。若いのです。

図鑑は単なる図鑑ではなくって、思い入れのある著作物は人の人生を揺さぶるパワーがあるなと改めて実感する、新世代の写真集でした。

このブログや私の表現物もそうなりたいと願う年齢になってきましたね。

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発売日は取り扱いによってまちまちだったのですが、販売が始まっておよそ10日間、いろんなイベントをしました。

立派なお花をいただきました。

立派なお花を出版社からいただきました。ありがとうございます。

最速はこちら!

今の御時世で、なかなかリアルイベントが開けません。昆虫関係者にも夏の昆虫イベントの中止が相次ぎ、苦しんでいるとの話も聞きます。また一方で、TAKEOは通販の会社です。そもそもの食品衛生の管理があり、その上で対面で長時間会話しない、という性質上、通販はレストランよりもずいぶんとリスクが低い、と試算されているようです。そしてさらに、テイクアウトの店先がある。おお、これは。

一つのリアルイベントの可能性として、挑戦してみようとTAKEOのみなさんと打ち合わせをしました。

1,私は会計を扱わない。サイン本のみ。

これは今回、1日店長という形ですが、客さばきを仕事とする「副店長」のような役割です。通常営業のみうら店長が引き続き会計とテイクアウトメニューの対応を行い、私が通常業務の衛生リスクを上昇させないようにしています。またサイン本についてはネット会計を済ませており、本人確認をした上で、手を洗った私がサインを手渡す、という一方向でのやり取りに抑えました。

2,店内へ入れるのは二組まで

こちらは軒先の私の仕事です。基本的に店外に顔を出した状態で会話します。幸い天気もよく、換気も十分にされていたとおもいます。狭い店内ですので、会計が必要な方、持ち帰り用のTAKEO商品をご購入の方のみ、私の案内で店内に入ってもらいます。

3,時間帯予約を入れてもらう

結果的に混雑することはなかったのですが、一時間ごとで時間帯予約をいれてもらいました。細く長く、客足が途切れない状態なので、小さなお店、小さなテイクアウトカウンターではおまたせ時間が減っていいかもしれません。

4,やっぱりリアルイベントの偶発的な出会いは必要

いまのオンラインで大きく不足したのが「雑談」と「偶発的な出会い」です。

防犯上仕方ないのですが、オンラインでは宛先のはっきりした出会いしか、いまのところありません。「とおりがかり」や「たまたま」の出会いが作られるのがこのリアルイベントの大事なところです。もちろん私の著書を買ってくださる、という極めて趣味の近い方が出会う場にもなるでしょう。無事何組か、知り合ってほしかった皆さんを近づけることができました。オンラインでは私の著書を介してのつながりしかなかったものが、オフラインで出会うことで私の介在なしに、勝手に話が進みそうで、すごく楽しみです。

こういった「リアルの出会い」によってオンライン上の関係性を一気に多重にして、「介在」という伝書鳩的ロスを省略してしまうのがリアルイベントのはっきりとした機能になるような気がしてきました。会うコストが高くなるにつれ、はっきりとした意義をもたせたリアルイベントが、今後増えていくでしょう。

今後の課題は「ランダム性」と「偶発性」をいかに防犯しつつ作り出していくか、でしょうか。あのリアルはなんだったのか、考えて整理する機会にもなりそうです。

さて次はオンラインイベント ロフトプラスワンウエスト主催でのトークイベントです。主催が大阪、会場は出版社の東京、ゲストはギリコさん、お客さんは全国、となんだかイベントとして「どこにあるイベントか」わからなくなるバーチャル感がありますね。

 

ギリコさんも「蟲ソムリエ」に。

無事終えました。アクセスいただいたみなさま、ありがとうございました。

さて(いまのところ)出版イベント最後はこちら!

代官山蔦屋書店からお声掛けをいただきまして、書店から無観客オンラインイベントを配信することになりました。お相手はわたしのたっての希望で「AI HASEGAWA」さんです。

じつは細く長いおつきあいがありまして、作品を何度も見に行っています。

非常に「硬派」な文脈の作品を作られるので、素人の私が見ても、あるいはアートとしてではなく「論文をベースとする表現物」として外から見ても、誠実で頑強なロジックが貫かれています。

私の願望が強く出過ぎた 笑 イベントなので、ちょっと説明が必要に思います。こんな経緯なのです。

ということで、何を話そうか、また新しい挑戦でハラハラしております。

27日の日曜日、お昼過ぎにオンラインでお会いしましょう!

ええと、もしや、、売れているんですか?正直なところ、Twitterでしか反応が見えないのです。いつも見る「昆虫を食べないみなさん」が買ってくださって、勇気づけられるコメントをいくつもいただきました。

すごくありがたいなぁと思うとともに、ふと一般書店を見ても(当たり前ですが)置かれているので、「Twitterを見ない方」にどれほど手にとっていただけているか、正直まったくわからないのです。

レビュー書いていただけるとありがたいです!

あと、10月にラオスとのオンラインでの調印式のあと、私がラオスに戻れるのは年明けになる予定になってしまいました。私はすぐ戻りたいのですが。ラオスは封じ込めに成功した国ですので、感染リスク制御については国際的な取り決めにならうしかありません。

そのため「ラオスの活動の広報」という形で、年内は国内でセミナーや講義などお引き受けできます。ラオスに行ってしまうと、日本に戻るのは難しいのでオンラインが基本になるでしょう。詳細はお問い合わせください

二倍マクロ、気になっていたLaowaのレンズがこれまでいくつかありました。


虫屋さんの間で評判がよく、あらたにマウントを導入しようかと迷っていたときに、ついに

とうとうマイクロフォーサーズが登場

以前に同じ画角のレンズを導入していたのですが、古いZuikoレンズで、明るいものの、ハーフマクロです。そして前から持っていたオリンパス60mマクロ、比較していこうと思います。まずはファーストインプレッション。

たまたま、8月末にライトトラップへのお誘いをいただきまして、虫を撮りまくろうと某田舎に行ってきました。しかし暑い、、熱中症には注意をしつつ、、

そして某田舎へ。

ひさびさに虫とふれあいました。そしてカリッカリに写ってくれるLaowa まったく深度合成もなく、RAW現像もしてないので撮って出しですが、自動絞り最高!は言えます。ピントを先に決めてしまって近づいて、被写体とカメラの位置を調整している時、たいてい片手は空いていてほしいのですが、自動絞りでカメラ側から操作でき、またフォーカスピーキングを使うときに明るい状態でチェックできるのでありがたいです。

しかし、、無限遠から二倍マクロってかなりの振れ幅ですが、ハーフマクロあたりからフラッシュなしには厳しいです。オリンパスの60mmマクロと比べると防塵防滴がなく、カメラ内深度合成もないので、この描写が好きな人が買うことになるでしょう。このレンズの「味わい」みたいなところまで引き出せたらと思います。私の写真のゴールは「美味しそうに映るか」ですので。精進します。

そしてEm5 MK3とともにもう1台、G9のほうで撮影していたら、、、

チェックしたらオリンパス機では一切ゴミがなく、G9だけでした。

カメラのキタムラでクリーニングをしてもらい一件落着。オリンパスってすごいな、、と思いつつみなさま、メンテには注意しましょう。

さて、タガメ基金に続いて温めていた企画、「トノサマバッタの食利用」について 進展がありました。私は今回も蟲ソムリエであり、議論には参加しますがプレイヤーではないので関与したことだけをプレスリリースに載せてもらっています。写真提供もしています

これまで多くの大学では、昆虫食の研究は「机上の空論」と突っぱねられてきました。 市場もないのに研究するのは昆虫学者の的外れの好奇心でしかなく、昆虫食に必要なのは嫌悪感をどうにかするマーケティングとデザインである、との主張を某大学の水産学部の先生からメールをもらったこともありました。

全然そんなことないんですけどね。「やらない理由」を賢く考えることは誰にもできますが 「やってみたら気づくこと」を丁寧に拾い上げ、体系的な知識として構築する能力こそが研究者だと思います
そんな「売れるかわからないから手を出しづらい」大学と 「もう売っているけど知識や技術をもっとほしい」昆虫食専門会社とのマッチングです。


私もプッシュしたこともあり、TAKEO「むし畑」企画の第一弾としてトノサマバッタが2019年にスタートしたのですが、

どうしても企業の体力で研究開発を進めるには限界がありました。プッシュした責任として私も日本にいれたらよかったのですが 、ラオスで長期滞在する関係上、オンラインでアドバイスする程度しか貢献できていませんでした。
さて、このトノサマバッタの食利用、私が学位に挑戦したテーマでもあります。 時間切れ、能力不足、さまざまなメンタルな理由も含めて学位取得は失敗したわけですが そこらへんも「おいしい昆虫記」に書きましたので読んでください(宣伝)


その時はTAKEOはバッタをスタートしておらず、 菅原博士はより分子生物学寄りの仕事をしていました。
ひょんなことから菅原博士が弘前大学に移ったとのこと。私のバッタのボス、田中誠二博士の母校でもあり、 イナゴ研究といえば、安藤先生が長年研究してらして、様々な分野の基礎昆虫学のサラブレッドを輩出した研究室です。
そして昆虫食にも手を貸してくれそう、との手応えを感じていました。 オンラインで議論をすすめ、一度弘前大の状況を確認して話し合いたいと、TAKEOの三橋さんと私で GOTOキャンペーンの前にこっそり、弘前に行ってきました。


当初は今後の方針について話す予定だったのが、菅原博士がもう予備実験をいくつかしていて、 〇〇なアレをすることで、大幅なコストダウンを実現できそうな、幸先の良い結果が続いております。 こんな発見ができたら学位取れていたのでは!? と嫉妬する内容でした。まだナイショです。


トノサマバッタ研究をしていたときは私の担当で8000頭ぐらい維持していたのですが、 本当に世話が大変で、試算したら、どえらい高コストなバッタを生産していました。
この技術はそれらを解決する可能性を秘めていますが、 知財化を狙っておりますので、私がおいそれと書くわけにはいかないのです。
私の肩書である「合同会社TAKEO技術顧問」というのも、秘密保持契約を結んで 「来たるべき時までナイショの情報を守る」という企業側の要望と 「そのナイショの情報を吟味し、ナイショにすべきでないものは公開し、ナイショなものも来たるべきときには公開できるようにする」という私の要望の契約です。
私はすべての情報を、業界そのものの発展のためにオープンにしたいと、お花畑な願望を目論んでいますが、それでは企業や大学は成り立ちません。なので「ナイショの範囲と期限を設ける」ことで知見のオリジナリティを守り、オリジナリティが主張できない情報は放流し、過度に死蔵されないように、と動いています。


このように目的の異なる法人、事業主が、合意形成をして共通のゴールを設定し、期間限定のチームを作る、 いまでいうところのアベンジャーズ結成みたいなのを、蟲ソムリエの仕事としてやっていきたいと思っています。 この企画にはもう一法人、参加しているのですが、これもまだナイショです。
この技術がどこまで高度な設備が必要なものとして成立するかはまだ不明ですが


縁起でもない話として、 「最悪、知財化できる技術がひとつもなかった」ときに、何が起こるかを考えてみましょう。 「ラオスでみんなが真似できる」のです。
天然では季節性の強いバッタを、季節を問わず、育児中や農作業の繁忙期でも、家庭内で手に入れることができたら、 ラオスでは喜ばれる食材になるでしょう。人件費の最も安い国ですので、手作業による生産地という面でもラオスは強みがあります。


そんな様々な当事者がゆるやかにつながることによる 「失敗という概念の喪失」(ムーンショットの概念図でも話題になりましたがガチな概念として)を目指したいものです。
いまのところ、ラオスでもバッタの養殖ができることを確認していますが、養殖普及を先に進めているゾウムシのほうが 簡単でよく増え、アリの襲撃にも耐えるのでバッタは待機しています。
この共同研究によってさらに手間がかからず、簡単にバッタの養殖ができるようになれば、ラオスも生産地の候補として、 そして自給自足でバッタを年中食べられる栄養としても、機能してくれることでしょう。
様々な下心をもつ当事者、マルチステークホルダーといいますが、その中にマイノリティを含むことについて、 ちょっと前までは「足を引っ張る」と考えられていた時期もありましたが、マジョリティはとかく鈍感で、社会課題という マジョリティ側の鈍感さが引き起こす問題については、悲しいことに気づきにくいものです。
そして「マジョリティ性」というのは絶対的なものではなく、個人の中に多種多様なマジョリティ・マイノリティが多面的に含まれています。

「社会課題を解決する」というソーシャルなビジネスが増えていますが、それが 当事者のうめき声だけでも社会を動かせませんし、投機を目的としたビジネスマンだけでも無理です。
マルチステークホルダーがゆるやかにつながることで、「失敗という概念を喪失」した仮説検証型の 社会課題解決の事業が営まれるといいなぁと、蟲ソムリエとして希望を高く掲げておきます。

ようやく発売することになった「おいしい昆虫記」ですが、当初の予定ですと9月頃、発売日にはラオスに戻っているだろうと思っていました。

しかし、国境ルールは緩和されず、ラオス行きの経由便もなかなか見つからない。ラオス政府との調印式をオンライン開催することで、10月後半の渡航を目指しています。まさにニューノーマルです。

さて、そうしますと本の売上を伸ばす営業活動をしないといけません。オンラインイベントが1件、リアルイベントがもう1件、決まりましたのでお知らせします。

まず最速は9月12日昼から、リアルイベントの開催として
「飲食店のテイクアウトコーナーを借りる」という形をチャレンジします。

決済も時間指定もオンラインで事前にお願いすることで、混雑を緩和してリスクを下げていきます。私はマスクを着用し、手洗いを行います。お一人10分程度でしたらお話も可能ですし、TAKEOの店頭ですので、そのまま昆虫食品を購入して持ち帰ることもできます。ぜひぜひお立ち寄りください。

もうひとつはロフトプラスワンウエスト、平日夜19時半からのオンライン開催です。私とムシモアゼルギリコさんは東京会場で、配信は大阪から行いますが、オンラインですので世界中どこからでも参加いただけます。遠方の方、感染がやはり心配な方はこちらの完全オンラインもどうぞ。書籍が少しお得に買えるチケットもあります!こちらは宅配で書籍が手元に届きます。

告知ばかりですみませんが、著者としてできることを尽くすのみです。私だけでは決して完成しなかったものですので、手を貸してくれた方々へのお礼として、しっかり売れてくれることが恩返しになると思います。ぜひお力添えをよろしくお願いいたします。

読みはじめて休憩をはさみながら17時間ぐらいかかりましたが、ハードでヘビーな本です。

「未来の食」論において、なぜ地球全体のことを、先進国の賢い人が考えて、そしてみんなに広めるという植民地主義的な発想が拭えないのか、途上国のマイノリティは目に入らないのか、というラオスで感じた素朴な疑問について、フーディーという一種の社会的潮流が影響していることが示されていました。これは必読。

民主主義によって選ばれ、その他の民衆から一線を超えた「人気者」になりたいという卓越化の欲望が、更に社会格差を生み出しうる、あるいはもう生み出しているという現状まで、厳しく解析していきます。自称「フーディー」のヒトがこれを読んだら気を悪くするだろうな、という部分まで切り込んでいきます。こういったステークホルダーを「あえて配慮しない」ストイックな社会学的態度というのはすごいですね。

読後に私が感じたのが、これは「フーディー」に限った話なのだろうか、という部分です。

民主主義的な「フェアとされる」方法で資本主義的成功、つまりお金持ちになった有名人は、選ばれるまではおそらく格差に反発し、庶民に寄り添う姿勢を示しますが、次第に庶民では届かない富裕をアイコンとして「卓越化」してその影響力を、盤石なものにしていこうとします。

つまり新たな格差拡大の担い手となっただけで、格差是正に貢献したのかどうかすら、検証されていないのです。そしてこれがおそらく、多くの業界のスタンダードになっていますし、この風潮は続くでしょう。

さて、読書メモをもとにこの本を解読していきましょう。難解ですし、私がラオスで感じた疑問に答えるものでなかったら、読み終えることはできなかったでしょう。そんなハードな書籍が、翻訳で4000円という破格の安さで読めることに感謝です。

音楽の話は詳しくないんですが、ここからスタートします。なんとなく感覚はつかめますね。「音楽的雑食」と言われる場合、単純にどんな音楽もOKではなくって、本来「高尚」とされるもの、「低俗」とされるもの、「外」とされるものをあえて逸脱する、という評価があるんでしょうね。そして逸脱を評価の構造がないのに逸脱はしない。

「でたらめな味覚を持っているわけではなく、私は味覚の幅が広いのだ」いつか使おう。

非常に満足度の高い、情報密度の強い本でした。すごい。

昆虫食は未来の食糧問題を解決しない でも指摘したのですが、「未来の食糧問題」に関するテックがなぜ今の食糧問題と切断処理されているのか、未来の総量ばかりを気にして、現在の食料不均衡が悪化するのか改善するのかも曖昧にしてしまうのか。昆虫食でいうと昆虫の栄養を調べ、養殖に挑戦し、将来性を掲げる一方で、昆虫食文化のある地域の貧困と栄養不足に着目しないのか。

おそらく着目できているのは

社会学的背景のあるシャーロットさんアフトンハロランさんの二人ではないでしょうか。

学術的意義を社会の風潮にちょいと載せるときに、その風潮自体に偏見や差別が内包されていないか、吟味するための社会学的な批判は最初の課題設定のときに必要でしょう。なぜならその風潮に載せた「役に立つ」研究はそこに内包される偏見や差別の拡大再生産装置として機能してしまうからです。

自戒を込めてかなり注意。

そうすると私のこれまでやってきた昆虫の試食はフーディーの流れにある「文化的雑食」ではなく、「生物学的雑食」であり、社会から距離をとった孤独な時間が、この風潮に対する批判的な視点に気づくことができた、とまとめておきましょう。いやいやよかった。

ではこの先どうするか、という部分ですが、

「昆虫食を社会課題解決に利用できる技術をもつ集団」を作っていきます。

そして同時に、個別の社会課題解決の延長上に、未来に採用されるべきモデルが含まれている、と予言する仕事を同時にしていこうと思います。これを同時にしないと専門性にお金が落ちないからです。

逆に言うと、「今課題を抱えていない人」からは未来のソリューションなんて生まれないと強く言っておきましょう。

シビアさがないからです。未来の不確実性を自分のやりたいことをやるための資源として搾取してしまったほうが合理的です。そういう我田引水インセンティブが発生してしまいます。個別事例から精査して、拭い去るのはかなり難しいでしょう。

目の前の社会的弱者の課題解決が、未来の不確実性に対する備えになっていく、そんな好循環を作ろうとしています。「第一段階の成功」はすなわち目の前の社会的弱者「しか」救えないこと。これでも、もう十分です。国際協力としてこの部分を実装します。

さらに上乗せしたインパクトとして目指す「第二段階の成功」はそれだけでなく、社会全体の未来を提案する新たな選択肢が開発されること。でしょう。この部分に先進国が投資として実施すべきです。

昆虫食に対する知見や技術の不足は、昆虫食文化のあるラオスの足を引っ張っています。彼らの文化に応じた支援をするチャンスが失われています。しかし昆虫食文化をもたない先進国は、それに気づくチャンスすら失っています。

問題を問題と考えられない問題。これは深刻です。

そしてこの実装の現場は、私達先進国が、昆虫食というコンセプトを忘れてしまったことで失った選択肢の大きさをリマインドしてくれる現場なのです。

巨大な遺伝資源である昆虫について、食用になるというコンセプトが世界中に広まったら、生物多様性条約における「利益の配分」の概念すらひっくりかえってくるでしょう。薬用の遺伝資源はすでに考慮に入っていますが、

食用として育てやすく、美味しく、そして地域のバイオマスのディスアビリティを解消するような、そんな昆虫食の実装を各地域で実施し、そこで得られた知見を体系化していくことが、先進国フーディーの風潮に乗らない、文化の担い手をサポートしていく、真の意味での「昆虫食の参加型開発」となっていくのではないでしょうか。

この書籍のストイックさに影響されて、カタメ、キツメでまとめておきます。

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私は屋号として「適切なヒトに適切な虫をオススメする蟲ソムリエ」を名乗っているのですが、全然普及しないですし真似するヒトも出てこないので、積極的に「蟲ソムリエする」動詞形を使っていこうかと思います。
ちょっとかしこまって言うと、
「行動原理の異なる事業者同士を、虫でつなげて目的を同じくしたチームをつくる仕事」です。

合同会社TAKEOから情報公開の許可が下りましたので、ちょっと前の話ですが書いておきます。

タガメナイトに参加したときともつながるのですが、そもそもタイワンタガメの飲料を作ろうと始めたのはフェロモンデータベースを読みながら思いついた、2011年のタガメウォッカが最初です。引用されている論文は1950年代から60年代のもの。前後して油にとかしたラー油を作ってみたりしたのですが、ニオイは飛んでしまい、うまくいきませんでした。

分子構造からアルコールに溶けそうだなと、タイワンタガメのオスの性フェロモンの香りをアルコールに移すことで、誰にでも楽しめる飲料にならないか、と、開発しました。
焼酎とかジンも試したのですが、タガメの香りを邪魔しないウォッカベースに決定。

美味しくできたものの、虫フェスなどの集まりで改良を重ねたのですが、漬けたあと2週間ほどで泥臭さが出てしまい長期保存に難があることが問題でした。このときが2011年。

時は流れ2019年、TAKEOに入社した食用昆虫科学研究会の古参メンバー(といっても私より年下ですが)が前職の香料メーカーの専門性を発揮し、なんと特許技術まで開発してこの泥臭さ問題を解決し、長期保存できるタガメの香りを保ちつつ、泥臭くなく、そしてほんのちょっとのタガメのクセを残したサイダーができたのです。

その後、タガメLethocerus deyrollei(タイワンタガメではなく日本のタガメ)の商用販売禁止となる、特定第二種国内希少野生動植物種に指定されました。

「なんかタガメサイダーの売上から、日本のタガメ保全に還元できる仕組みって作れないですかね?」との相談をTAKEOから受け、収益から寄付をすることとして合意し、各方面に情報収集をしながらその「タガメ基金」の行き先を決めることになったのです。

そこで思い出したのは、タガメウォッカの思い出です。1950年代の、生化学によって様々な機能性の化学物質が抽出されていた時代、応用を前提としていない基礎研究の情報を読んだことが、タガメ飲料のきっかけとなったのですから、「基礎研究に還元する」という方向性で話し合いました。

幸いなことに、タガメの生態研究といえば、と複数の情報提供元から推薦があった、長崎大学の大庭准教授が、このタガメ基金の寄付先として、引き受けてくださいました。

少額ですが、使い勝手の良い研究費として活用してくださるとのことでした。

タガメの匂いがアリを撃退している、というニオイの関連する新しい成果もありましたし、我ながら上々のマッチングができたかと思います。

確かに検索するとタガメ放流といった、直接的な保全をうたうグループもありますが、タガメは農薬に激弱な性質から、生息地の分断されている現状をみると、もし地域外から種苗を移入していたら、放流はむしろ国内外来種の移入となり、地域個体群を破壊してしまうという、保全に逆行する行為かもしれないのです。

また正直なところ、ふさわしい活動団体を精査するほどのつながりがなかった、ということも今回の判断の理由です。

この「基礎研究に還元する」という方針について、もうちょっと社会的意義を考えてみましょう。

利用するにしても、保全するにしても、基礎的な知見を抜きに語れませんし、情報不足によって強行されてしまった取り返しのつかない環境破壊や、逆に保全に逆行するほどの過度の利用制限など、応用や保全の分野での残念な事案を見ることがあります。

基礎研究として発表・評価された論文は、利用や保全に大してウソをつくインセンティブが低いので、「保全する側」「利用する側」いずれにしても、議論における、信頼性の高い情報リソースになります。

この件で「公益性」について、あらためて考えることにもなりました。

寄付により直接的な保全活動の資金となることと、保全に使える知見の間接的な蓄積になることのどちらが公益性が高いのか。前者のほうが、直接的で歯車が噛み合っているようにも見えます。後者のほうがまどろっこしくて因果関係が遠いようにも見えます。

また一方で、製品にタイワンタガメを消耗する以上、企業の社会的責任が利益相反にも影響することになります。今回は全く少額ですが、将来的に、高い収益を上げる昆虫食企業が、その昆虫資源の研究に、巨額の研究費を出資していた場合、その信頼性について疑問を呈されてしまうのは当然でしょう。

寄付と結果が近いほど公益性が高い、というわけでもないのです。

学術と企業がほどよい距離感を保ちつつ、少額でも確実に未来のためになることを、と考えた時、「学術的意義」によってピアに評価されてきた基礎研究への寄付という選択肢は、企業にもっと活用されていいように思います。

企業にとって不利でも有利でも「事実」を明らかにする基礎研究に還元することで、利益誘導との疑念を最小限にできる社会貢献活動だと言いたいです。

また、「昆虫を食べる」というコンセプトがほとんどなかった先進国において、ここまで食用に利用できる基礎研究の蓄積があったということも驚くべきことです。「役に立つ」「役に立たない」を数年のトレンドで評価することのバイアスが、基礎研究を曲げてしまうことを懸念します。

利用するにしても、保全するにしても、昆虫基礎研究が充実してくれないことには議論も進みません。現在の「役に立つ」研究の流れとして、昆虫食にも声がかかる事が増えましたが、その前段階として、多様で裾野の広い基礎研究の状況が改善することを願って、「タガメ基金」の設立をお手伝いしました。

そしてこの活動のもう一つの面白さは、「タガメサイダーを買うことで応援ができる」という参加型であることです。クラウドファンディングのように期間限定でもありません。いつでも、今すぐにでも、これを飲むことで少額ながら確実に、タガメ基礎研究に届くという実感は、多くのタガメ愛好家にとって「おいしい」話ではないでしょうか。

ぜひぜひ、この暑い夏にタガメサイダーを飲みながら、タガメの基礎研究に思いを馳せてはいかがでしょう。