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みなさま、週末の巨大台風の影響は落ち着いてきたでしょうか。Twitterを見ているだけで、ここラオスにも台風が来るのではないかとそわそわしてしまいました。私の次回の帰国は11月です。

研究会では毎年サイエンスアゴラに出展してきたのですが、今回はラオスで協力する保健NGOであるISAPHの「本邦研修」という保健人材育成事業とコラボする形で、研修に来ているラオス人公務員に少しばかり東京まで足を伸ばしてもらい、一緒にこれからの昆虫食について語ろうというトークイベントを開催します。11月16日午後14時半ぐらいを予定しています。サイエンスアゴラで語らいましょう。おさらいしておきますが、サイエンスアゴラのコンセプトはこちら。

サイエンスアゴラとは、あらゆる人に開かれた科学と社会をつなぐ広場の総称です。サイエンスアゴラは、異なる分野・セクター・年代・国籍を超えた関係者をつなぎ、さまざまな人たちが各地で主体的に推進する活動の広場です。この広場に集まる人たちが多様な価値観を認め合いながら、対話・協働を通じて、これからの「社会とともにある科学」と「科学とともにある社会」の実現を目指します。

https://www.jst.go.jp/sis/scienceagora/about/

そして2019のテーマはこちらです。

Human   in the New Age   -どんな未来を生きていく?-

あなたは、科学技術の開発がさらに進んでいるであろう未来に、どんな暮らしをしていたいですか?
望む未来に必要な技術とは?機械や新技術に委ねたくない人間性とは?
サイエンスアゴラ 2019 では、そもそも人間とは何なのか、自分は何を選びたいのか、目の前のものをどう使いたいのかを、さまざまな視点から考える機会を提供します。

https://www.jst.go.jp/sis/scienceagora/exhibition/

ぴったりだと思いません?

しかし、一緒に語らうにあたって日本側に大きなハンデキャップがあります。



多くの日本人は昆虫を食べる自分を
イメージできない。

以前に「食の未来を考える」トークイベントに客として参加した際、日本の文化を背景とする人だけがリサーチし、これまでの年表をまとめ、歴史学風に未来を想像するという流れでしたが、どうしても抜け漏れが発生してしまっていました。自然の昆虫を食べてきたという日本の歴史がすっぽり抜け落ち、未来のコオロギがふんわり乗っかるという、とても浮世離れした未来予測になってしまっていたのです。

それではいかんだろうと、一つ対策として考えられるのが、このときのゲストの一人であった西廣先生の分野です。西廣先生は生態学をベースに植物の救荒食としての可能性を見出し、今後(温室効果ガス低減をどれだけがんばっても)不可避である温暖化に備え、さまざまな適応策を考えておこうとする立場の研究者です。もちろんそこに温室効果ガスを出しにくく、そして既存の恒温動物よりも熱中症に強い昆虫も推したいところですが、こちらの話はまた今度すすめます。

このような生態学ベースの「未来の食提案」に昆虫が含まれるのは妥当です。生態系をみても昆虫を主な食料にする哺乳類は多様にありますし、もちろん人間も食べてきました。一部の危険な虫を除いて体力のない子供でも、高齢者でも扱えることから、栄養源としてまだまだ伸びしろがあります。

そして今回のアゴラでのチャレンジは「昆虫食文化が濃くある地域」からの提案をうけとめきることです。ラオスでは昆虫を食べる文化が普通にあり、私が提案してきた「昆虫養殖で地域貢献」というアイデアはほかの食材と同じように至って普通のものとして、ラオス側に受け入れられてきました。

というのもラオスは「飢えない最貧国」とも呼ばれ、NGOを始めとした外国からの開発援助を常に受け入れてきた国です。その中でも地元の農作物や畜産物に対して高度な技術支援をするというのは当たり前の、ごく普通のプロジェクトとして行われてきました。しかし、たしかに昆虫を使ったものは明らかに少ないのです。

その原因は「先進国に昆虫食文化を持つ国が少なかったこと」といえるでしょう。先進国は食の技術をレベルアップすることで安定に、そして安全に食生活が営める社会をめざしてきました。

そして残念ながら、その中から昆虫食はこぼれ落ちてしまい、昆虫は「殺虫剤で殺して除外するもの」という位置づけになってしまいました。そのため昆虫を食利用するという技術を、先進国すらも持っていないのです。その中で「支援」をしつつ「技術開発」をするというホットな研究活動現場を作ろうとしているのですが、この話もまた別でまとめます。

そこで今回のテーマです。

日本側参加者の課題は「昆虫を食べる自分をイメージできるようになること」です。当日は試食も用意しますが、本当に無理して食べる必要はないですし、「食べる必要があるから食べる」では食のイメージがあまりに貧困です。おいしいから、食べ物だから食べるイメージを、ロールプレイのつもりでラオス人ゲストとともに高めてください。

その上で、ラオスの抱える栄養問題を知り、その支援をしたいときに、日本から何が提案できそうなのか。また今後(というかもう来ているんですが)、ラオスの昆虫食文化をもつ若者が日本にやってきたときに、日本からどんな食材で、料理でオ・モ・テ・ナ・シができるのか。一緒に考えていきましょう。

さて、今回は日ラオの通訳の関係で、事前に質問事項を整えておきたいです。

ラオスの昆虫について、ラオスの栄養の問題について、その他いろいろ、聞いてみたいことがありましたら、お知らせください。多様な視点からの質問をお待ちしております!

さて、先月は「あえて昆虫をオススメしない」という活動をしていました。ナンバンカラスウリという栽培が容易なウリ科の多年草をオススメし、そこからビタミンAを摂ってもらおうというものです。しかし村にとって新しいものとはいってもそれを食べる虫はやってきてしまうものです。広食性昆虫おそるべし。こんな虫が来ていました。

うごきがひょうきんでかわいい。

以前に見たマンゴーミバエによくにています。

しかし、その後私の顔はこわばります。

たまごうんでる!

そうなのです。ウリといえばウリミバエ。詳しい方にセグロウリミバエではないか、と教えていただきました。ウリミバエは刺したり噛んだりせず、その地味な生態に比べて、育った幼虫が実を腐らせてしまうことから、経済的なダメージの大きい虫として知られています。

沖縄では不妊虫放飼法という、放射線処理をしたオスを大量に野外に放つことによって、近縁のウリミバエの根絶に成功したという事例があります。

セグロウリミバエも植物検疫で水際で見つかったりと、要注意な虫なのですが、ここはラオス、自然分布域です。遠慮なく観察しましょう。

カボチャミバエと同様に、ウリミバエの幼虫はジャンプできます。みてみましょう。まずは180fps

よくわかりませんね。次が480fps

ぐいぐいと、筋肉パワーが無明逆流れのように溜まっていくのがわかります。すごい。そしてこのスローでも詳細がつかめないほどのスピード。肉眼では本当に消えたように見えます。それでは食べてみましょう。

しっかりした筋肉の弾力があり、薄皮で食べやすく、パチンと弾ける皮の食感もよい。 味は淡白で特徴が薄いが、それだけ拡張性があると考えられる。蛹化に失敗した個体がいくつかあるので蛹化用の足場を考えよう。

跳ぶ寸前。

とても美味しかったです。マイクロポークビッツみたいな。

チチュウカイミバエを使ったイスラエルの昆虫養殖スタートアップもありますし、ミバエも管理次第では化けていくかもしれませんね。

私はゾウムシの養殖指導、もう一つのチームは看護師が村へ訪問するアウトリーチ活動の途中でした。その行った先の村人から「バナナの葉に包まれたイモムシがいる」とのことで見せてもらいました。くるくるっとルマンドのように巻かれたバナナの葉の中には草大福のように粉まみれのやわらかそうな幼虫が。本当においしそう。調べてみるとバナナセセリErionota torusという虫で、日本では沖縄だけに住みおそらく外来種。日本最大のセセリチョウとのことです。確かに小さい印象のあるセセリチョウにしてはデカい。

ラオス人お墨付きの美味しい昆虫とのことで3頭もらい、活動を終えて街に帰るころには1頭が黄色みがかって前蛹になっていたので、幼虫状態と比較して食べてみました。

前蛹 粉は茹でると消えてしまった。 蒸した芋のようなそそる香り。口に入れて弾けるボディ。タケノコのような少しの渋みがあり爽やかで、コクとうまみのバランスも良く、ウマッと声が出るおいしさ。
幼虫 消化管内容物のため茹でても青い。 バナナの葉の香り!バナナの葉で包んで蒸した料理の香りがする。葉の粒感が気になってしまい自分は前蛹派だけれどどちらも美味い。

バナナの葉は色んな所に使われ、市場で昆虫を売るときの敷物や、蒸すときの包みなど、土に還る万能の梱包材です。そして蒸すとバナナの葉の独特のムレ臭がうつり、朴葉の包み焼きみたいな美味しい感じに仕上がります。それがバナナセセリの幼虫にはあった!これがなかなかおいしいです。

追記します!そして9月25日に蛹になり

クリーム色の美しい形。バナナの葉にくるまれている

そして10月4日、成虫へ。味見しましょう。これはオスですね。

香ばしい!鱗粉が口に残るものの、バナナの香りはなくなり茹でただけで焼き芋のような強い香ばしさ。 甘み、コク、旨味のバランスも良く、体重もしっかりあるので食べ応えもそこそこある。

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すごい虫に出会いました。後ろにあるのはキャッサバ畑。5月に植えたキャッサバの様子を見に来たら、そこにいた。村の人が言うには木によくいるとのこと。キャッサバの葉にいたけどそれを食うかはよくわからず、しばらく飼育して試してみました。結局よくわからなかったので茹でて味見することに。

ヨツモンヒラタツユムシ Sanaa intermedia
ヨツモンヒラタツユムシ Sanaa intermedia

まずデザインがやばい。4つのモンに分断され、ヘリにはギザギザの意匠のあるグリーンとブラウンのツートンカラーの前翅。そしてグリーンの裏側に相当する部分は黄色。そして後翅のモダンなメンズ扇子のような紺と水色のデザイン。めっちゃかっこいいけれどモリモリ過ぎて情報過多。バッと翅を広げたときのインパクトはすばらしい。

ヨツモンヒラタツユムシ 伏せた状態は結構地味に見える。
裏側はビビッドカラーがすごい。背側からみるとグリーンの部分は裏から見ると黄色で
裏地が派手なヤンキーの学生服を思わせる。

さて、ここまで警戒色を出していて食えるのか?かるく文献を調べたものの、見つからず、捕まえたときに黄色い、青臭い体液を出していたので少なくとも全くの無毒ではないだろうと警戒しつつ、情報を集めながら飼育していました。しかし何も食べない。

キャッサバやツユムシが食べそうないくつかの葉っぱを試したけれど、そもそも食事行動をなかなかせずにじっとしている。

そしてふと試してみたら食ったのがなぜかモモの皮。北部高原地帯シェンクワンで育てられているとのこと。硬めだけど日本の白桃の仲間と思われ、とてもおいしい。けれどこいつの生息域と一致しない。謎。

結局キャッサバの萎びた葉っぱを食べたのを見たのを最後に味見をすることにした。茹でると胸部から黄色の体液が出てきて、少なくともてんとう虫程度の苦味物質だろうと思われる。飲み込まず口に入れて、味を見てみる。

そしてこの翅の模様をスキャンしたい。

この翅の模様を意匠として扇子とか発注したいなとおもいまして、味見の前に翅を外し、スキャンしました。

ヨツモンヒラタツユムシの後翅

うつくしい。藍染で再現できないだろうか。

味見  全体的に青臭い。渋みの強い黄色い体液が胸部を中心に全身にひろがり、美味しいとはいえない。腹部と足の筋肉はタンパクで柔らかく、食べやすいがはっきりと毒とも言い切れない微妙な味。胸部の渋みと臭み以外、味はキョジンツユムシと大差ない印象だが、今回は大事をとって飲み込まないこととした。全体に筋肉が少なく、図体のわりにコクが少ない。食べて一日が経ちましたが体調に変化はなし。うーん。毒とは言い切れないけれど美味しくはない。彩りとしてどこかに使いたいなぁ。パフェっぽさがある。

あれ、そういえばキョジンツユムシの味見のブログを書いていない。後で書きます。

虫展、まだやってますね。日本帰国時に行ってきたレポートです。

ハムシがトップを飾る。カブトムシ、クワガタが定番のなか攻めている。
最初の概説パネル。うるさすぎず、シンプルにデザインされている。
多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
ラオスで竹の子イモムシ、と呼ばれている大型のゾウムシ。いつか食べたい。
巨大なゾウムシの脚。びっくりさせる、ギョッとさせる目的でエントランス付近においてある。 逆に言うと、ギョッとさせる目的ではない場所で巨大な拡大模型は「過剰」なんだと思う普通の人にとっては。
ロクロクビオトシブミ。かなり小さい。深度合成写真のレベルが上ったので写真を見ると巨大な昆虫のように見えてしまうが 重力加速度の影響が少ない小さい昆虫のほうが人間が理解できない姿をしている。
カブトムシの飛翔筋の模型。
はにわや工房さんのマンマルコガネ。バンダイから出ましたがこちらが元祖ですよ。
広々とした大展示。
トビケラの巣からインスパイアされたといういくつかの作品。巨大化することで設計コンセプトが変わるだろうに、 そのまま相似拡大して「新しさ」を出しているように見える。うーん。華奢な構造のモジュール構造は人間用の建築には向かないだろう。
有名な建築家が参加。 デザインの「お手本」とするときに工学的な要素はあんまりいらないんだろうか。 バイオミミクリーというよりはインスパイアという感じ。
どれもキレイにしか見えなかったのでまぁ。メインターゲットではないんだろうなとあらためて思う。
和名のいろいろを組み合わせて新しい昆虫をつくる

話はそれますが、台湾が日本統治下にあった影響か、亜熱帯に広く住む昆虫の和名が「タイワンーーー」であることが多いように思います。 ラオスで見つけた昆虫がそのパターンである場合が多く、タイワン固有種と誤解を生みかねない不適切な和名ではないかと。実際私は誤解していました。
今後和名のルール化が目指される中で、地名が含まれるべきなのはその地域の固有種である場合ではないだろうかと思います。 (そういえば北海道にのみ生息するトウキョウトガリネズミなんてのも思い出しますね。)

昆虫食も売られてるやん!このスペースで将来、大昆虫食展を開きたいなぁとおもった。

さて、見に行く前から、うすうす気づいていましたが、そしてこの文章を読んだ方も気づいてきたかもしれないですが 、
この虫展は私はストライクゾーンに入っていません。外れ値だ。 もちろんブワーッと昆虫あふれる大昆虫展のほうがお気に入りだけれども、だがしかし。
気に入るということと、展示として興味深いことは別なのです。おそらく 展示学的にすごい判断が行われていたのではないか、と読み解きたい。それでは参りましょう。


はじめに提示するのは「世界一美しい昆虫図鑑」 クリストファーマーレー

レビューも投稿しました。そしてこちらが原著。

これは原著はアートワークなのですが、写真がたくさん入って情報が入っている分厚い本を「世界一美しい〇〇図鑑」と 名付けて売ることが一時的に流行したことを受けてのことでしょう。翻訳版が原著よりも安い、ということはそれだけ印刷したということで、一般向けに売れる方針をとらなければならないのでしょう。それは仕方ない。はたしてこれを学術的な文脈をもつ「図鑑」と位置づけていいものでしょうか。

だいたい昆虫の社会的位置づけが揺らぐと見に行くのは丸山先生、こんなことをおっしゃってました。

なるほど。学術の文脈を借りるのであれば、その文脈に対して侵害的であるのはマナーが悪い。
いくつかのアートワークでは折りたたみ、隠されている脚がいくつかの作品では取り除かれてしまっている。
丸山先生はただ批判だけして終わらない。(批判することはもちろん大事なのだが、そればかりでは外野から見ると息苦しくなってしまう) そのアンサーとして美しい書籍を送り出した。

その名もきらめく甲虫。
撮影技術、標本のクオリティ、そして角度を変えることで初めて「きらめく」はずの昆虫が 白い紙に平面に印刷されているのに、「きらめく」というそのすごさ。 大きい虫も、小さいむしもおなじぐらいに「きらめいて」いる撮影技術の一貫性 (同じように撮ってしまうと、サイズによってバラバラな写真になってしまうはずだが、そこが注意深く揃えられている。)
そして 次作

「とんでもない昆虫」
からの、共著者である東京芸大の福井さん作製のこの展示台につながるわけです。

多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
おわかりいただけただろうか。
ハムシの下の台紙の下になにかあるのを。

あえて昆虫の名前を隠すことで姿かたち、多様性に注目させ、ホワイトのバックにより清潔感をもたらす。 そしてラベルを「取り除く」という事もできたが今回は取り除かず、体の下に隠す、という方法をとった。
つまりこれは 学術標本の価値を全く損なうことなく、展示用に転用してみせたという意味ですごいのです。
更にいうと、ラベルを見せた展示もできたでしょう。 しかし見てわかるようにラベルというのは 採集当時に作られたもので、標本によっては黄ばみ、これまでの多様な昆虫標本では様々な時代、様々な人の字のクセが前に出てしまう。 このようなノイズを丹念に取り除く過程で、「ラベルを取り除く」のではなくて隠す、という選択をしたのでしょう。


この展示に敬意を送りたい。すごい。
しかし、生きた虫がいてほしかった。と「いろんな床材に苦しむカブトムシの映像展示」に釘付けになっている男の子をみて 思うのだった。生きた虫はすごい。強すぎて他の創作物を邪魔しかねない可能性を考えて、あえてここに置かなかったんだろうと思う。 生きた虫はラオスで楽しもう。そうラオスで。

ヨツボシヒラタツユムシ

以前にTwitterでテングビワハゴロモを評して「色彩構成でゼロ点」とコメントを頂いたけれど、これもまたそう。すごい。キャッサバの栽培状況を見に行っていきなりこれが現れるとインパクトがすごい。

人間の創造物だとしたら悪趣味で売り物にならない、と言われそうなデザインセンスを 「このデザインで生き残っている」という圧倒的存在感でねじ伏せる生き様!かっこいい! この虫の話もまた後でしましょう。

場所は伏す。ことにします。

というのも私以外の関係者が多いのと、さまざまな(私じゃない)ツテをたよってたどりついたので、突撃されてもご迷惑になることもあるのでこのあたり伏せておきます。

タイ国内のとあるエリサン養殖場に連れて行ってもらいました。

元気なエリサンさん
エリサンいため

こちらの話はもうちょっと形になってから情報解禁、ということで、今回の驚きはこっちじゃないのです。

「バッタ養殖の村には副産物であるフンを使った工芸がおこるだろう」との予言とともに制作されたバッタ仮面

記念すべき一号機

順調に弐号機から四号機までつくり、

そして染め物まで。

そして、ついに出会ってしまったんです。「シンクロニシティ」に

この桶は。。

場所はエリサン農家の染色場。といっても台所のような共同作業場です。そこでさまざまな天然素材で色をつける工程をみせてもらいました。その中にあったエリサンのフン。ドキドキしながら「これはなんの用途?」と聞くと

「染めるんだよ」 キター!!!!

遠くタイで、バッタとエリサンのちがいはあれど、養殖した昆虫のフンで工芸(染色)する村はたしかにあったんです。めっちゃ興奮しました。

本当はエリサンの繊維をエリサンのフンで染めたものが最高だったんですが、コットンを染めたパンツを買いました。ありがとう。ありがとう。

理論と妄想で膨らませてきた昆虫の未来が、こんなかんじで実装されているのをみると自分は孤独じゃないと安心できますね。もっといろんなフンの染め物が見たい、とリクエストをしてこの村を後にしました。また来るぜ!

エリサン染めのパンツはいいパンツ。強いぞー
そもそもデンプン用のキャッサバ農地をもっている家庭が副業としてエリサンを育てている状況。そうだよこれこれ!

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7月9日に村で会議が行われ、10日に首都ビエンチャンまで移動し、11日朝に帰国、午後から打ち合わせをこなし、12日にはつくばで打ち合わせ、13日土曜日、初めての週末に、ラオス感がまだまだ残るアタマとカラダで行ってきました。

渋谷という立地、デザインとしておしゃれで、意識が高そうで、そして学術的なニオイがあまりしない中、石川先生と西廣先生、というアカデミックなゲストを呼んで何が展開されていくのか、とても気になりました。

今回は私はタダの客ですので、
主催者の意図をそっちのけでわざわざ昆虫食をぶっこんで質問するような無粋なことをしなかったのですが、会場で「昆虫が入るとこう考えるな」と心の中でつぶやいたこと
(けれど会場では言わなかったこと)をつらつらと書いてみようと思います。

まずは講演。
西廣先生は植物生態学者、地球環境変動、主に温暖化をテーマに
温室効果ガスを減らしていく「緩和」と
すでに温室効果ガス排出を今年ゼロにする、というとても達成できないゴールを設定したとしても、存在するガスによる温暖化は進んでいくという予測から
「適応」という見逃されがちなもう一つの手段について説明していきます。

そしてこれからの未来は「適応時代」だと。

ふむふむ、たしかに昆虫食は温室効果ガスを出しにくい、という「緩和」で注目されたけれども、
熱帯に多く生息し、(参考:熱帯雨林のアリのバイオマスは同地域の脊椎動物の総和を超える推定)
40度の高温でも生育障害を起こさない種もあったり

かつて地球がもっと温暖だった頃は変温動物が幅を利かせていたことも関係しそうだし
ガスを出しにくく高密度で買える性質から閉鎖系の熱交換器(エアコン)を使った飼育系にも
適応している(排気ガスの多い反芻動物はガス交換の需要がおおいので断熱しても熱交換器の効率に限界がある。)とも言える。

お次は田んぼの生物多様性、を調べると5668種の生物
うち昆虫、クモ類1867種!やはり昆虫多い!
そして、害虫でも益虫でもない、ただの虫が多い。

今後気候変動による農地の変化に対して「緩和」するにしても「適応」するにしても
この1800種という1/3の生物を、たった177種の害虫予備軍のために平等に
(無差別に)殺虫剤を撒いてしまうことの巨大なロスをあらためて感じるわけです。

そして救荒食としての雑草。
東大阪大学の松井欣也先生は救荒食としての昆虫に注目して研究していますし

次の話者である石川伸一先生も東日本大震災の経験をもとに話題にしていまして

「もしも」に備える食 災害時でも、いつもの食事を」にも、「もしものときに、いつもの食が手に入ったときの安心感はすごい」
と東日本大震災の被災時の実感を込めて書いていらっしゃるので
「非常時のみの食品」というよりは「非常時にも、そうでないときでも災害備蓄を確認するイベントとしての採集食」という位置づけが生まれてくると思います。緊急時の飢餓を回避する目的で、食べ慣れないものを無理やり食べる、というのは災害食としてはふさわしくないですし、戦時中の昆虫食の体験を記録している方も、やはりトラウマ的な記憶のようだ、と話されていました。
これでは豊かな文化とはいえません。

また、ラオスにおいては「失業しても稲作を手伝って野生動植物(昆虫を含む)をとってくれば死なない」
という生態系ベーシックインカムとして機能しています。

ちなみにですが、「データ栄養学のススメ」によると
東南アジアの(おそらく天水の)稲作の効率は焼き畑に次ぐカロリー収集効率で、熱帯モンスーン気候を生かして乾季は雑草伸び放題、雨季は雨の到来にあわせて土を耕し、苗を用意し田植えをする様子はかなりの省エネです。

とはいってもこの生態系ベーシックインカム機能は不完全で、野生食材に依存して生活している世帯の子供は栄養不良が多い状態が続いています。

つづいて石川先生は新書
「食の進化史」から。

「なぜ人は食の未来に興味をもつのか」ウーン。これは気になる。
関心が強い、食の研究者だけでなく、素朴な普通の人においても「食の未来」は気になってしまう。

私は一種のSFの潮流だと思っています。少し前までは
巨大な資源を投資して地球外に出ることで、なにか救世主(逆に展開すると破滅者)がやってくるのではないか、という展開が好まれました。

しかし宇宙開発が年々縮小し、ソユーズを使い続けている現状では、なかなか未来のビジョンとして大成功した宇宙開発、というイメージは懐きにくいとおもいます。
一方で「胃袋を掴む」ではないですが、食の主体性を獲得した個人、もしくは組織は強いです。

そういう意味で社会性の原始的な形が「食」で、生命の持続可能性のためには持続可能な「食」がないといけない。
マッドマックスがおそるべき搾取的で、かつ効率的な食糧生産を
イモータン・ジョーの恐ろしさを説明する背景として設定にいれたのも
ブレードランナー2049でデッカードの隠遁生活を藻類と昆虫の養殖で示し、昆虫による物語の展開が起こったり、昆虫を養殖するファーマーとして死ぬことを選んだレプリカントがいたりと。
インターステラーは旧式に見える宇宙船で、地球の食料が壊滅することを理由としてやっとこさっとこ資源を調達して打ち上げ、新しい星を探しにいっていました。

未来の安心には食が欠かせない、とSFの世界(≒一般の人が感じる科学的な未来)が気づいてきたという納得の潮流です。

石川先生からはいったん科学を手放して、先生の知識をもとに
「歴史学的に」もぐっていこうという試みをこの本でも行っています。

「食の進化史」を読むとわかるのですが、専門分野の論文だけでなく
食に関する文芸、料理、アートまで先生の膨大な知識から
「未来を予測する」試みをしています。

そしてイベント最後、年表を用意し、過去から未来まで、食の歴史をひもとき
未来に「何が起こるのか」みんなで考えようというパフォーマンスアートが展開されます。

やはり「食べて考える」ことの五感の刺激度はすごいと実感しました。
視覚や聴覚を通じて、刺激的な文字情報、映像を見せたとしても
口の中や体内に取り入れることの「実感」にまさる情報量はないでしょう。
そこに「食べる」ことの決断性も含まれているように思います。
食べようと思わない限り食べないのが人類です。

しかし、今回は沈黙を貫きましたが昆虫に関する
直感的に想像できない項目については、
どうしても沈黙してしまうことも感じました。

日本人には相容れない、まだ早いという食文化を持つ人が日本に来た時に 日本人がどう準備できるか。そこに食の専門家がどうサポートできるか。— 蟲喰ロトワ 蟲ソムリエ しばらくラオス 一時帰国11月予定 (@Mushi_Kurotowa) July 13, 2019

西廣先生は耕作放棄地の生態学的調査を通じて
かわりゆく、温暖化が進みゆく地球でどのように対策するか
という一種の「適応」についてもその地域の現場に参加する中で研究しています。

日本では農業の成りてが減っていき、耕作放棄地も増えています。
一般に耕作放棄地は生物多様性が減少すると思われがちですが(私がそう思っていました)

かんたんな水張りと水路の管理によって生物多様性の豊かなビオトープのような土地が出現するとのことです。こういった「生態系サービスの供給源」としてのかんたん管理の耕作放棄地

もうちょっといい言い方をすると「水田リタイアビオトープ」のような感じでしょうか。
そこで「虫」の相談をしていただきました。近いうち動き出せればと思います。

生態系にこんなにも昆虫がいるのに、その料理法やメニューをもたない文化というもののアンバランスさを、知らない人は感じることもできず、

そしてそういった人には昆虫食の未来を予測することも困難です。

今回のパフォーマンスアートにもコオロギが少しだけ、未来の年表にも少しだけ昆虫の話がありましたが、「過去に昆虫が食べられていたという事実」を年表には示せていません。

つまり、
主観が入る余地が明確な「予測」だけでなく客観的な情報収集における収集者のバイアスですら、現在の食文化によるバイアスが網羅的な、中立的な未来予測を妨げかねないのです。

どうしても思うのが、
「未来や過去を想像するとき人間は現在の価値感に引きずられる」という一般的な傾向です。
そしてその緩和には、メンバーを日本人だけでにすること、あるいは先進国の人間だけにすることの不足を感じました。

もうちょっと具体的に言うと、
日本人だけで未来の予測をできると素朴に信じていることのはやっぱり危険です。

私から提案できるのは、
昆虫食文化を持つ、これから人口が増える国の人達との対話、そして場が温まってきたら、ゆくゆくはガチの議論ですね。

そんなイベントをしたいと画策しております。お待ち下さい。

昨日ラオスに戻りました。バンコクでも何日か休日をはさんでいたんですが、いろいろと用事が入ることで結局休みなしのままラオス入りです。

8月4日に紙版で掲載していただいた昆虫食記事のラオス取材部分を、ウェブ版ではたくさんの写真とともに紹介してくださっています。

実は2つ記事がありまして、紙版と同内容の記事と、写真を集めた記事があります。合わせてお読みください。

ひとまず疲れた。。。。。ラオスの急な雨とべったりと張り付くような湿気を楽しみながら、順応していきます。

一ヶ月ぶりのラオス。いつも食べていたカオヂーパテに豚肉から作られた田麩がはいっていて時代の変化を感じました。ラオスは着実に前に進んでいる。

日本に帰っています。いろいろと打ち合わせをしつつ、ラオスにもどるのは6日です。日本にいるうちに一つイベント告知です。今回はゲストではなくわたしたち食用昆虫科学研究会主催ですので、イベント慣れしていないところもあるかもしれませんが存分に話し合う事ができる場を用意しました。

府中でプチジビエ会を開催します。主なターゲットはセミです。ラオスの活動報告もしますのでしっかり食べ、話しましょう。詳細はこちら

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先週は取材対応をしていました。無事デングがおさまったあとだったのでよかったです。
昆虫食のイベントで2012年頃に知り合い、何度か昆虫食の記事を書いてくださった記者の方が世界の昆虫食について取材企画を立ち上げ、その一貫として私達のラオスでの昆虫食の活動を取材してくださることになりました。

ラオスでの取材受け入れの手続きなどなどをこなし、いざお迎えに。(ラオスは社会主義国なので関連省庁に報道関係者の活動について書類を提出しておく必要があります)
一日目、タイ側で昆虫を売っているスーパーをチェックし、ラオス側に陸路で入国、事務所のある街でまず作業場での昆虫養殖、市場を見に行き、二日目、村まで100km、ぬかるみの道を同行し、私達の昆虫グループの活動、ゾウムシ養殖とキャッサバ栽培を見てもらいました。3日目は村落栄養ボランティア育成の活動をあわせて見てもらいました。

やはり事前の知識が深く、これまでの昆虫食の流れも理解されているので質問も鋭く、私が聞いておくべきだった内容をズバッと農家に聞いていて、改めてプロはすごいと実感しました。


最終日、空港に移動する前に街のもう一つの市場に行ったのですが、レンタカーのおじさんが「タイに行くのが記者さん一人なら子どもたちも連れてっていい?」と聞いてきてあぁラオス人らしいなと思ってOKし、そこで別れたのですが、あとから記者の方からきくと、なんとドライバーの妻、娘二人、息子のオール家族がついてきたそうです。ラオスらしい。


取材内容については記事をみていただきたいので、ここでは触れませんがGlobe 8月4日版に掲載予定とのことです。購読中の方はぜひ見てください。ウェブ版も同時に公開されるとのことで、紙版を購読していない方もお読みいただける予定です。ひとまず告知でした。
7月12日頃から8月5日ごろまで、日本に一時帰国します。その間にイベントしたりなんだり、という予定をいま急いで組んでいるところです。