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ニワトリの食性と消化を見ることができたので、
次に
「ニワトリを食料として利用する」
ということを考えてみましょう。
ニワトリは高効率な動物として知られています。
食肉用のブロイラーでは、2kgのエサを与えると800gの体重増加します。
この割合を(0.4)「飼料要求効率」といいます。
同じニワトリ用のエサを使うコオロギも(バラつきますが)近い値を出します。
同じ指標でウシは 0.1以下と言われていますので、
ニワトリやコオロギは特に効率的な動物といえそうです。
また、
卵用のニワトリは性成熟までに100日飼育する必要がありますが、
飼料効率1.0、つまりエサを食べた分だけ卵になる、という
恐ろしい効率を示します。
(飲水と水分含量が含まれていないのであくまで目安ですが)
さて
ニワトリという動物の「戦略」について考えてみましょう。
原種はキジ科の「赤色野鶏」
と言われています。
キジといえば日本の国鳥、
近所でもけっこうな数がうろうろしています。
このあたりは元々昆虫の研究所だったことから、
圃場には殺虫剤が撒かれておらず
このブログで紹介してきた数々の昆虫が豊富にいますので
キジにとってもいい環境なのでしょう。
昆虫や穀物など何でも食べ
いつもトトトっと歩き
よっぽど驚かないと飛びません。
体も重そうです。
盛んに飛ぶ鳥と比較して
軽量化に重点を置いていないようですので
おそらく消化に特化しているのでしょう。
お腹もでっぷりとして重そうです。
鳥類の消化の大きな特徴といえば
「アンモニアの処理」
でしょうか。
生物は、窒素化合物の代謝に伴い、
毒性の強いアンモニアが発生してしまうので、尿素に変換し
我々哺乳類は尿として大量の水とともに
排出します。
ところが、爬虫類や鳥類は「尿酸」という
固体にして総排出口からフンとして排出します。
そのため、水の利用効率が高いのです。
ウシは一日に60リットルもの水を飲むとのことで、
水を節約する食肉生産には、鳥類はもってこいです。
(バッタも草だけで飲水する必要はないので、ウシよりも水の節約に向いています。)
体温の保持も脂肪ではなく「羽毛」
暖かい空気を保持し、冬の寒さの中でも代謝に適した高温を保つことができます。
冬にダウンジャケットを着てみると、羽毛の偉大さが身にしみることでしょう。
「体温の保持」は冬に成長できない変温動物には勝てない利点です。
そのため
豚やウシのように皮下脂肪が層状に貯まることはなく
硬い皮膚も要らないので
ニワトリの羽根をむしると、
黄色い脂肪がうっすらついた柔らかい
(取り除かなくても食べられる)皮膚が
ついています。
また、家畜化にあたって「飛ばない」個体を選抜することで
管理を容易にし、飛翔によるカロリーのロスを減らすことができます。
逆に、セキュリティは下がります。
イタチやヘビの襲撃に対し、飛翔して逃れることはできませんので
ヒトが何らかの方法で守ってやる必要があります。
エサは、10%~20%のタンパク質が必要とされ、
植物性タンパク質だけでは産卵率や孵化率が下がってしまい
卵や肉の味やニオイへの影響から、
肉骨粉や魚粉が最も多く利用されています。
肉骨粉はバイオマスの「再利用」ではあるのですが、同じ生物間
で何度も循環させると、感染症を培養する危険が高く、プリオン病の原因にもなります
「魚粉」に関しては、以前からふれているように 
「完全採集品」です。大規模な漁船で魚群を追い、
カタクチイワシなどの小魚を一気に捉え、ミンチにします。
海は広大なので、
その資源量がどれほどか、確実なことは言えません
ただ、年々ハイテクになる漁法に対し、漁獲量は年々減っているのです。
現状では確実なことは言えませんが
他の飼料原料が農産品=在庫管理が可能であることと比較すると
「採集品」は資源管理をずさんにし、乱獲したほうが楽に低コスト化に成功しますので、
経済的な指標ではなく、
行政としての国際的な管理が必要です。
逆に言うと、
魚粉以外の「おいしい動物性蛋白質」が農産物から作れたら
魚粉の高騰による経済的ダメージの回避や、禁漁などの強制力の強い
資源管理の発動も楽に行えるでしょう。
ここでは養殖昆虫の飼料化に期待したいところです。
温室効果ガスの計算も
なかなか難しいのですが
家畜による食肉生産を「エサを準備する段階」も含めた計算方法を取る場合
農産物を栽培する際に必要なエネルギーは算入するものの、
輸送や捕獲のエネルギー、エサ生物の代謝に伴う温室効果ガスなど
「数値予測が難しい」項目については、やむを得ず無視していることがあります。
なので、
エサに魚粉が含まれるコオロギやニワトリは、ウシ(穀物や牧草)やカイコ(桑)
よりも低く見積もられていることもあるのです。
魚粉は栄養価が高く、ミンチになっており消化効率もよいので、
それらが
「温室効果ガスゼロ」で供給されるとすれば、当然低い値になります。
一方、草を消化管内で発酵させ、
強固なセルロースからエネルギーを取り出すウシは、
多くの副産物(メタンなどの温室効果ガス)を発生させてしまいます。
脊椎動物にはセルロースの消化酵素をもつ種は居ないので、
微生物を利用する必要がありますし、ウシによって酵素効率の高い温度が保たれるわけですから
特に寒冷地においては、牧草をタンパク質に変える優秀な培養装置です。
このように
科学的な指標を用いても
「絶対的に汎用性のあるモノサシ」というのは存在しません。
モノサシの特徴を捉え、比較したい項目についてきちんと比較できているか、
考える必要があるのです。
思いの外
長くなりました。
すみません。
次回「後編」にて調理し、味見します。

2

昆虫食をやっていると言うと
「昆虫を食べるなんて可愛そう」

言われることがあります。
特に
昆虫を身近に感じている小学生が、
とても素朴な感性でレスポンスしてくれます。
真当な質問ですし、私も食べる時そう思います。
こういう時はチャンスです
「じゃあ鶏や魚はかわいそうだと思う?」
と聞いています。
ううん〜? と
首を傾げる小学生。
いまひとつピンときていないようです。
さて。今回は
昆虫の食べ方がそろそろわかってきたところで
「逆にニワトリを食べてみる」

に挑戦したいと思います。
昨年8月に、単位取得のため実習で
血抜き済みのニワトリの精肉方法を習いましたので
「失血死させるところから」きちんとやっておきたい。
そして、
昆虫食を作る時との「主観的な情動の動き=感情」を
比較してみたいと思いました。
ちょうど知り合いの方が高齢の雌鶏を
処分するとのことで
譲ってもらえることになりました。
年明けの1月9日に譲り受け、1月13日に食べました。
食肉処理は次回に報告しますので
前編として、ニワトリにトノサマバッタと、
バッタの食べ残しであるサトウキビの芯を与え
その消化の様子を観察しましょう。
そこから
「サトウキビのモノカルチャー経済における自給的バッタ(ニワトリ)飼育」
を考えてみます。
ニワトリにバッタを与えると
活発にバッタに食いつきます。

この時、確実に頭部を一回攻撃を加え、
バッタの動きが鈍くなってから頭から食べます。
バッタが抵抗した場合は、二度三度地面に打ち付けてから丸呑みします。
このニワトリは
飼育中にバッタを与えたことはないそうなので、本能行動だとすると、
キジ科を由来とするニワトリにとってバッタは生得的な食料であったといえそうです。
次に、
バッタの食べない硬い部分、サトウキビの芯を与えました。
まず、喉の下の方、「そのう」と呼ばれる消化管の膨らみに
丸呑みされたバッタやサトウキビが溜まります。
ニワトリを初め多くの鳥類は「丸呑み」ですので
かたちが残っています。90g入っていました。

次に、「砂嚢=筋胃」と呼ばれる、いわゆる砂肝の部分で
強力な筋肉をもってしっかりすり潰されます。

ここでは、繊維状ではあるものの、
バッタの姿は消えてしまいました。
ニオイは胃酸の酸っぱい臭いと、
バッタ由来と思われるエビ系、及び植物系のニオイがします。
フンに繊維は残っていますが、下痢をすることもなく、きちんと食べて分解しています。
そしてフン。ここにはもう
バッタの姿はありません。

以上から、
サトウキビを使ってトノサマバッタを飼育すると
サトウキビの芯とバッタを与えることで、
ニワトリの二次養殖ができる可能性が見えてきました。
(もちろん不足する栄養素を調べる必要があります。)
ここから、
さとうきび畑のあるモノカルチャー経済の地域において
具体的な提案ができるかもしてません。
さとうきびはC4植物で、
作物の中で最も光合成効率が高いため
熱帯の発展途上国における商品作物として
広大な畑がつくられ、安価な砂糖が先進国に輸出されています。
それらの畑には、
本来は自給用の作物が植えられていたのですが
現地の人々は、さとうきび畑に変えることで、現金収入を得ることを選びました。
彼らは、サトウキビ栽培で得られた現金を使って国内の市場で食料を買うのです。
畑は、光合成効率の高いサトウキビに換えられたことで
土中の栄養分がグングン消費されてしまいますので、
段々土壌が痩せていきます。
そのため、
一度サトウキビに換えられた畑は、
元の自給用作物を植えてもうまく育たないのです。


砂糖は先進国で大量に消費される「手堅い」食料源として
フィリピンやタイなどの温暖な発展途上国で盛んに採用されました。
ところが、
オーストラリア産の甜菜糖や
アメリカ産のコーンを原料とする異性化糖(果糖ぶどう糖液糖)
などの台頭により1985年、砂糖の国際的な価格が暴落し
大きな打撃を受けてしまいました。
サトウキビの現金収入だけでは
食料が十分に買えなくなった住民は
自給的農作物を求めたいところですが、
先ほど述べたように、一度サトウキビ畑にすると
自給的作物の栽培には戻せません。
そのため、経済的な打撃を受けてしまうと、
「豊かな畑の中で飢餓になる」という
危機的な状況を招いてしまったのです。
逆に言うと
「売れなくても食える・保存できる作物」
というのは、
飢餓リスクを考えると非常に安全だといえるのです。
「売れなくて高コストの米」を国内で作るかどうか、
日本の経済が暴落し、海外の米が買えなくなる可能性をどの程度見積もるか、
海外の気候が変動し、米の禁輸措置をとる可能性をどの程度見積もるか。
難しい話です。


今回の観察より、
砂糖が売れない時、
サトウキビ畑でバッタを養殖し、
そのバッタを自給的に食べていれば、
もしくは
サトウキビの芯とバッタを使って、ニワトリを二次養殖し卵を食べていれば
サトウキビを自給作物として利用出来たかもしれないのです。
ここから考えられる
植食性昆虫利用の優れた点として
時間がかかる、あるいは不可逆な転作を行うこと無く、
最終生産物を短期間で(バッタが成虫になるまで30日)変えられる点が、
不安定化する農産物価格のリスクを抑える方法として有効になるかもしれません。
今回は長くなったのでここまで。
次回はニワトリでスープカレーを作ります。
その時の
「屠殺者の主観的な情動」に注目して
昆虫とニワトリとを比較しました。
もちろん廃棄率も計算しています。
なかなかいい経験ですね。
では次回までお待ちください。

「ヒトが何を食べるべきか」
これは人類にとって大きな問題ですし、
昆虫食を行うにあたって私も常々考えている課題です。
狩猟採集から栽培養殖まで、様々な形態の食があり、
そのモノサシは様々です。
自然科学的な視点では
1栄養学的な視点
「食べると寿命を伸ばす食品」(栄養や必須微量元素を含む生物)
「食べないことで寿命を伸ばす食品」(水銀やヒ素、毒を含む生物)
2生態学的な視点
「食べることで生態系を保全する食品」(害虫・害獣化した生物)
「食べないことで生態系を保全する食品」(生態系において重要で回復しにくい生物)
人文科学的な視点では
3文化的な視点
「食べることで集団の維持に役に立つ食品」(儀礼に用いる食品)
「食べないことで集団の維持に役に立つ食品」(宗教的タブーな食品)
4心理的な視点
「食べることで心理的に安定する食品」(食べ慣れた食品)
「食べないことで心理的に安定する食品」(嫌悪・不衛生と感じる食品)
5経済的な視点
「食べることで経済状態を向上させる食品」(多くの農作物)
「食べないことで経済状態を向上させる食品」(観光資源・ザトウクジラ)
これらのパラメータを比較し、
自身の状態を踏まえ
取捨選択することで、健康で長生きし、楽しく文化的に豊かな人生を
目指すことが、好ましい食選択といえるでしょう。
ある視点からの食選択には
別視点から見てもリーズナブルである場合も多々ありますし
(豚は寄生虫が多いのでイスラム圏では禁止)
トレードオフ(あっちをたてればこっちがたたず。)の
状態になることもあります。
例えば
栄養学的な食選択を推進した結果、日本は食の欧米化がおこり、食事から塩分が減少し、
高血圧や血管疾患が減少しました。同時に、脂肪の摂取が増え、生活習慣病が増加しました。
経済的な食選択の結果、アメリカの貧困層に安く十分な食料が届くようになりましたが
炭水化物と脂肪が多く、肥満人口が増えました。
といったように、
完璧な食選択、というのも無く
時と場合に応じてバランスをとることが大事です。
そして
選択できる自由こそが、
すべての食選択の前提として守られるべきものです。
つまり、
残念ながらこれらの食選択には上下の関係があるのです。
私達が食べる食品は生物由来のものが不可欠ですので
食選択の自由度、すなわち生物の多様性を失うわけにはいきません。
つまり
2生態学的な視点
これだけは他の視点よりも優先するしかありません。
他の視点を優先させることで、生態系がバランスを崩し、
その食品が得られなくなっては本末転倒です。
このことから、
様々な視点を持つヒトが食選択について「べき論」を戦わせるとき、
生態学的な視点をもって他人の食選択の欠点を指摘する方法が有効です。


例:ウシは食用にもなる飼料を食べ、
低効率な食肉生産をしているので肉食をやめ菜食主義になるべき


よく聞かれる話です。確かに現在の大規模牛肉生産は環境負荷が大きく、問題になっています。
ところが、これには論理の飛躍があります。
低効率な牛肉生産は止めるべき 
であって
牛肉食を禁止すべき、とは言えないのです。
例えば
アルプスの少女ハイジの風景を思い浮かべてみましょう。
山間部の短い日照と低温により植物は牧草ぐらいしか育たず
傾斜地なので機械耕作も危険です。
ジャガイモや寒さに強い麦をわずかな平地に植え、
傾斜地に自生する植物をウシに食べさせ乳製品や皮革に。
羊に食べさせ衣料に。
牧草が不足する季節には当然食肉にも利用すべきでしょう。
ウシは「反芻」という強力な消化システムを持ち、
恒温動物という特徴をもつので
冷涼で貧相な牧草地帯でのタンパク質生産を可能なのです。
ここのような地域での菜食主義の徹底は
ウシを腐らせるだけ、その地域で生活できる人数を減らすだけで
生態系にとってはマイナスです。
なので、菜食主義が徹底できるのは平地と温度に恵まれた
一部の地域だけ、といえるのです。
このように、生態学的に考えると
地球上の様々な環境・地域において最適な食料調達方法は異なると
いえるでしょう。気候区分、更に文化によって
パッチ状に様々な効率的な農業畜産が行われる、という未来が
持続可能な食料生産の形ではないかと考えています。
そこに昆虫も参加させたいですね。
そんなことを考えさせてくれた名著
生態学から「人類のあり方」を考える

「生体適応科学」
私の同級生も(おそらく)参加した
いい本が
東北大学GCOEの太っ腹会計のおかげで
電子書籍版無料!
内容は大学生向けですが、なにしろ無料なので、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。


私達が「持続可能な食料生産」を達成するためには
多様な生物を利用する必要があります。
害虫や害獣をただ殺すのではなく利用し
栽培や養殖といった効率を上げる方法を採用し
「考えうる最高の持続可能な食料生産」
を達成した時、
理性的な、世界的な人口抑制政策が
取られると思います。
それまで、
私は学術的な調査研究を通じて
すべての生物を平等に扱い、
人類の共通知識を蓄積し、
最大限に利用する
「雑食主義」
をここに宣言します。
そして
「非昆虫食主義」という残念な偏見を打ち砕き
豊かな雑食文化を気づいていこうと思います。
賛同していただける方、一緒に考えませんか?

6

今日は「味の表現」について考えます。
テレビやラジオなどのグルメ番組では
「外はサクッと」
「中はジューシー」
「香ばしい香り」
「甘くとろける」
こういった表現ばかりが目につきます。
画一的でツマランと批判する論調がありますが、
「マスメディア」という一対多のメディアが疲弊しつつある今、
「ハズレがないこと」が優先されている結果だと思います。
「美味しい=まずくない」と言った感じでしょうか
雑味のない味、クセのない味、甘い。離乳食のような味。
ハズレのない味が、多くの人にとっての正解なのでしょう。
冒頭の表現を聞いた時に
不味いと感じる方はほぼいないでしょう。
例えばシュークリームとか

焼きそばとか。(これはカップ焼きそばですが)

巷にありふれていますね。
この味や食感は、多くの人に受け入れられるので、
原料は世界中の大規模農場・畜産場で莫大な量が生産され
コストが下がった結果
最も安い食品=ジャンクフードとして大量に消費されています。
この「安く、まずくない食品」たちは
アメリカでは逆に肥満原因として問題になるほど、
多くのヒトが
生理的に好む味に仕上がっているのです
言い換えると
ヒトはジャンクフードが
美味しく感じるように進化した、
とも言えると思います。
ただ、これらの食品は奇妙です。
なぜなら
由来の異なる様々な生物
(小麦の実を脱穀精白後・粉砕したもの+鶏卵の黄身+牛乳の分離脂肪or植物油脂)を
複雑に加工(発酵・乳化・焼成・揚げ)し、
もはや
元の生物とはかけ離れたものになっているからです。
ヒトの味覚の進化はおそらく
文明が出来るはるか前に起こったでしょうから
これらの食品への「欲求」のとなる、
希少で美味しい食品があったものと類推されます。
では何でしょうか。
もう一度言います。
「外はサクッと」
「中はジューシー」
「香ばしい香り」
「甘くとろける味」
もうお分かりですね。
そうですね。昆虫です。

多くの昆虫は茹でただけで香ばしい香りや、植物由来の香りがします。
内部は乳化しており、タンパク質と脂質が分離すること無く混ざり合っています
表皮はサクッとしていて、中はジューシーです。
かつて
昆虫は希少で栄養たっぷりの食料でしたが
人類に技術がなく、安定的な大量養殖が
できなかったことから、
仕方なく
小麦を育て、牛を飼い、鶏卵を生ませ、
それらを分離混合し、更に酵母を作用させ、
バニラエッセンスや火で焼き付け
香ばしい香りや食感を再現することで、
ようやく
「昆虫の代替食」をつくることに成功しました。
しかし現在、
科学と文明の発展とともに、研究用にも、
産業用にも、ペットとしても、飼育されている昆虫が多くいます。
それら養殖昆虫が
食用に利用可能であることに世界の人々が気づいてしまうと、
牛乳も、鶏卵も、穀物も、イモも もはや売れません。
人々の大きな食習慣のシフト(=目覚め)は
世界恐慌を優に超える経済的なダメージをもたらすことでしょう。
そこで、既存の食料生産と既得権益を守ろうとする人々は
世界から昆虫食を駆逐するネガティブ・キャンペーンを開始しました。
「虫は貧困者の食べ物」
「牛肉こそが合理的で豊かな食べ物」
「小麦を焼いてウシを挟んだものとジャガイモを大豆油で揚げたものを
とうもろこし澱粉由来の糖液に色と香りをつけたもので流し込むのがかっこいい」
「虫なんて絶滅してしまえばいいのに」

公言しているヒトを見かけないでしょうか。
あるいは、
ダレが言っているか聞いたこともないのに、
いつの間にか自分に刷り込まれていないでしょうか
実際に
虫が絶滅したらどうなるか知っていながら、
そのような態度をとる彼らは、
世界の食料生産を牛耳る人々の手先なのです。
このブログをみて「食べたくない」
と思っているあなたは
もう
…彼らに洗脳されているのです。ーーーーーーーー
ーーーーという陰謀論を書くのは楽しいですね。
「この陰謀が証明できないのはこれが陰謀だという証拠だ」
という循環論法を元にする陰謀論は
「証明できない枠組みの中でしか遊ばない」
オカルトの紳士的な嗜み方といえるでしょう。
近頃の陰謀論にはユーモアが足りません。
陰謀論なのだから証明の仕様がないのに、
他人に信じてもらえないとギスギスして
自分の負のスパイラルに
どっぷりハマり込んでしまうヒトがいます。
ユーモアあふれる陰謀論である
「納豆陰謀論」をぶちあげたクマムシ博士のように
みなさんも様々な陰謀論をつくって
楽しんでみるのはいかがでしょうか。