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テーマが昆虫食だったのに、途中から昆虫食、関係なくなっちゃってない?問題。

ハライチのあの感じですね。

今回の話と関係ない画像。

近頃、自由研究や大学レポート、アイデアコンテストなどで昆虫食の情報収集を進めている若い人たちから相談に乗る事が増えてきました。小学生だったら「考えて、実際に昆虫を料理して食べてみた」という結論でじゅうぶんに大団円なのですが、真面目な高校生や、大学生になってくると、アレ、となにかに行き詰まってしまった生徒、学生さんからの相談が来ます。はい、正しいです。

そこで専門家として、なにか助け舟を出せればいいんですが、「専門家もいいと言ってくれました」みたいな自説を補強する無茶な大団円をもたらすのは教育に良くないですし、外部の専門家からお墨付きをとってこれたこと、そのものがレポートの評価を高めるような度胸試しに使われても不本意ですので、まぁ心を鬼にして「途中から昆虫食、関係なくなっちゃってない?」と脳内の澤部さんとともに、指摘するようにしているわけです。

よくあるやつを再編集しました。

「①昆虫は牛肉より環境負荷が低い
②昆虫をもっと食べれば世界が救われる。
③もっと食べるようになるべき。
④しかし見た目が悪いのでみんな食べない。
⑤すりつぶしたらいいだろう。
⑥すりつぶしてたべてみました。
⑦このレシピに専門家のコメントください!」

次は私の副音声とともにお送りします。

①昆虫は牛肉より環境負荷が低い(一部の昆虫について、事実)
②昆虫をもっと食べれば世界が救われる。(過度な推測)
③もっと食べるようになるべき。(推測から規範を導くには弱い。食の主権とぶつかる。)
④しかし見た目が悪いのでみんな食べない。(今食べている人たちを知らないか、仕方なく食べているだろうという偏見)
⑤すりつぶしたらいいだろう。(すりつぶした商品があるのを知らない?なぜ売れていない?調査不足)
⑥すりつぶしてたべてみました。(体験は重要だけど個人の感想と結論との関係が不明。それで何がわかる?)
⑦このレシピに専門家のコメントください!(え、お墨付きを出せと?ノーコメントじゃダメ?)」

この⑦だけに好意的に加担してしまうのは、①から⑥の「探求」の流れを肯定してしまうわけで、専門家としてどうにもアレなわけです。単純に文献調査として、昆虫食の背景が調査されていない、のです。ここで私は心の中の澤部さんと一緒にコメントします。

「これって、昆虫関係なくなっちゃってない?牛肉より環境負荷が低いマイナー食材、全部そうじゃない?」と。

「①〇〇は牛肉より環境負荷が低い②〇〇をもっと食べれば世界が救われる。③もっと食べるようになるべき。④しかし見た目が悪いのでみんな食べない。⑤すりつぶしたらいいだろう。⑥すりつぶしてたべてみました。⑦このレシピに専門家のコメントください!」

たとえば藻類、ウサギ、ティラピア、ダチョウ、なんかも当てはまるわけですね。
じゃあメジャーな大豆とニワトリでもいいじゃん、と。

昆虫食をテーマにしたはずなのに、ほかの食材を当てはめても同じになる結論が導かれる、とき、
気にしなくてはいけないのが「結論ありきでスタートしていないか」ということです。どんな情報も、結論を補強するためだけに調査をするのであれば、最初から調査しないほうがまだマシです。

昆虫が美味しそうだから食べてみたい。
これで十分な理由ですし、しっかり自分にとってのあたらしい食材として、取り組めばいいと思います。

「昆虫を食べる自分を肯定してほしい」だとすると、心細い気持ちはわかります。
食べているときに冷たい視線を投げかけられることも、キモいと否定されることもたくさんあるでしょう。そうすると「なぜ心細いか」「昆虫をこれまで食べてきた人たちに私達も冷たい視線をなげかけていないか」自己反省する必要があります。そのために後ろ盾がほしい、お墨付きがほしい、その気持は痛いほどわかりますが、だからこそ、自分の願望に沿うだけの情報では、何もいえないのです。

自分自身という主観的な体験はとても大事な1ケースです。それを等身大の1ケースとして、拡大解釈もせず、過小評価もせずに向き合うこと、については社会学が大きな蓄積があります。が、社会学って高校生までで手にする「社会」とは大きく違うので、これってどう伝えればいいんでしょうかね。

社会学の研究者、岸政彦先生が、「ゴシップ的消費」について、注意喚起をする一節があります。

調査の前から、調査者自身が「ものの捉え方」をバージョンアップする気がなく、結論が決まりきっている社会調査は、やらないほうがマシ、となってしまうわけです。

さて、結論ありきで自説を補強するための「調べ学習」をしている皆さん、行き詰まったら、チャンスです。自分自身の「ものの捉え方」が変わる瞬間は、私にとっても、これから昆虫食に関わる教育を考えたい私にとっても、大きなチャンスです。ぜひ「行き詰まったときこそ」相談してください。

最期にヒントです、「昆虫食ならではの状況」というのは、どこを探ると何が出てくるでしょうか。

昆虫は自然環境にたくさんいるということ、つまり昆虫学です。昆虫そのものの性質、生態系における昆虫の役割をもとに、未来の食糧生産を考えてみましょう。

昆虫を食べる文化は長い研究の蓄積があります。分野は人文地理学です。日本のような先進国で、なぜ手作業で手間のかかる昆虫食が、一部地域で残ってきたか、マイナーサブシステンスで検索してみましょう。

FAOの昆虫食「以外」の食糧問題についても読んでみましょう。どんな未来が必要だと言っているか、調べてみましょう。Google翻訳でいいので、FAOのサイトを読んでみてください。

「昆虫が置かれている状況」「昆虫食が置かれている状況」この2つをしっかり見つめることで、「昆虫食ならでは」の色んな発見があると思います。みなさんの柔軟な発想に期待します!

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