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ダンジョン飯12巻は「保健」の物語だった。

「命より大切なものがある」というのは生命倫理を学ぶ上で、なかなか直感にあわない難関でしょう。


ときに単なる延命より大事なものとして「保健」が挙げられます。
健康寿命、という言い方は聞いたことがあるのではないでしょうか。つまり苦痛の状態を長引かせず、健康に命を全うし、尊厳が保たれ、残された他者が後悔しないようにできれば、よりよいだろう、と。
他人の命を、その本人の意に反して短くすることはもちろんときに欲望をそそのかして延命することさえも、暴力になりうるのです。

しかしマイルドに、命を長くすることも、短くすることも私達は日々行っています。それは食事。
多くの人が、同じようで少し違う食事をそれぞれ行うおかげで様々な食事と健康の関係がデータとして蓄積し、統計学を駆使してその関係がわかってきました。

玄米などの未精製の穀物はいいらしい。牛肉や豚肉は食べ過ぎたらダメっぽい。酒は結局少量でもいいことがないらしい。野菜や果物はたべたほうがいい。コーヒーは適度に飲むとよい。


などなど。しかしその学術的な結論とは裏腹に、個人の食事の「成果」が個人の命の長短と直結するわけではないのが人生の、そして統計学の悩ましいところです。
どれだけ食生活を整えても、人は死ぬときは死ぬし病気になるときはなるというものです。こればっかりは仕方がない。後悔のないように生きましょう。


とはいえ、さも「正しい生活」のような体で行動を押し付けられると、自由を求める個人としては反発もしたくなるものです。体に毒であるとわかってもタバコを吸いたくなるし、酒も飲みたくなる。スナック菓子を食べながら映画を見たくなる。人間に許された自由のうち、愚行権もまた、答えの出ないものです。しかしその葛藤を「コメディ」として、説教臭くなく、沁みるように届けられたら。これはすごい。


ということで前置きが長くなりました。ダンジョン飯です。コメディ、RPGのパロディとして、一話目はスタートしています。

https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_EB06000001010001_68


冒険者がダンジョンに潜るとき、食事(やウンコ)はどうしてるのだろう?HPやMPといったパラメーターは表示されているが食事ではなく魔法や(少しの薬草的な)アイテムで回復するし、宿屋に戻って一晩寝れば全回復。
そういったRPGの定番に対して、無粋なリアリティを押し付けてパロディ化する。そんな出オチの設定かのように、「ダンジョン飯」はスタートしました。

大サソリの水炊き」を作ったり、コイン虫によく似た虫を食べたり、連載当初からダンジョン飯とは長い付き合いですが、ダンジョンの生態系を最大限利用するにあたって昆虫食「も」当たり前に食材候補になる、という意味で象徴的な使われ方をしています。とはいえ人間に近い由来や姿をした魔物もいますので、そっちのタブーに比べると昆虫系はマイルドですね。


主人公パーティーはダンジョン攻略の中でレッドドラゴンに遭遇し空腹のため勝てないまま苦戦します。主人公の妹がドラゴンに食べられる寸前、最後の魔法でダンジョンの外へと逃されます。
残金も少なく、メンバーも抜ける中、「ダンジョンのモンスターを食べながら進もう」と主人公は突拍子もないことを言い出し、ダンジョンに住む変人、センシをダンジョン食の先人として新たな仲間に加え、死んだ妹を回収すべく、進むことにします。
ダンジョンの中で死んだ人の魂はその場に留まり、蘇生魔法があれば生き返すことができるからです。ここまでは、RPGのパロディといえるでしょう。


しかし途中から、ダンジョンの攻略が進むにつれ話の本筋はパロディどころではなく、本筋である「命と食」そして「欲望」の話であることが「攻略」されていきます。
あとから第一話を振り返ってみると、これまでのRPGの設定には「食」の要素がなかったために、生命の本質を既存のダンジョンだけで表現するには力不足だった、というわけです。そして話も佳境になってきました。

(以下最新単行本のネタバレをします)


「ダンジョンの主」が現れます。
当初、ラスボスらしき存在として登場したのは「狂乱の魔術師」でしたが、更に裏ボス「悪魔」の存在が明かされます。悪魔は人間の欲望を食べる存在で、ダンジョンを通じて異世界からはみ出し、人間の欲望をかなえ、現実世界を飲み込むことを欲望しています。
悪魔の目的達成のため、ダンジョン内では人間は「死ぬことができず」蘇生魔法によってまた生き返ることができてしまうのです。
悪魔とは無関係に、種族的に「しばらく死ねない存在」も明らかになりました。第一話ではエルフとして登場した、マルシルです。マルシルは人間とエルフの子供、ハーフエルフとして生まれたために成長が安定せず、子孫を残せない代わりに、1000年というエルフよりも長寿命が運命づけられています。
ラスボスらしき「狂乱の魔術師」を無力化した主人公、ダンジョン飯の発案者ライオスが悪魔にそそのかされて次世代のダンジョン主になるか、と思われたとき
悪魔はマルシルを選びます。そしてマルシルの欲望とは「みんなと一緒に長生きしたい」というものでした。マルシルの欲望がダンジョンの外へと漏れ出すとき、悪魔は世界を飲み込みます。
しかし1000年という長寿命に人間や多種族がさらされる世界はどういうものか、その「欲望」は度が過ぎたものではないか、とマルシルが仲間たちに諭されるシーンが、単行本11巻のクライマックスです。


俺たちはもうずっと前から寿命を延ばせる方法を知っているだろう?
バランスのとれた食生活。
生活リズムの見直し
そして適切な運動この3点に気をつければ、自ずと強い体はつくられる!!


これは別れの言葉です。
種族ごとの寿命の差を肯定し、超長寿命・子孫を残せないハーフエルフであるマルシルに寄り添い
そして全力で健康を保ち、寿命を全うして別れを告げる、やさしくて残酷な、最期の言葉なのです。

種族として寿命を全うし、100年後に、孤独に900年残される「仲間」に対する言葉。精一杯自由に、かつ健康に生き、残された仲間と笑って別れる最期の理想が語られているのです。
これこそが「保健」の理念であり真髄でしょう。「それ以上」を求める、あるいは他者に押し付けるのはもう「欲望」の領域になってしまう、と。

単行本ではここまでなので、じゃあ最初の目的だった妹の蘇生はどうすんだ、とかなかなかヘビーな展開は続きそうですが、単純で、アタリマエだけど、ちょっと窮屈で、直感に反することを、異世界でユーモアとともに伝える、という保健の語りの新しい展開をみることができました。今後も楽しみです。

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