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Saeborg個展「LIVESTOCKS」を観てきました。

出国も迫る6月16日、サエボーグ個展「Livestock」を観てきました。イベントでのパフォーマンスが本領発揮なアーティストですが、展示として造形をじっくり観られるのもまたよいものです。パフォーマンスはまだ観れず。

ご本人も会場にいらして、「食べること」「ウンコすること」を中心に色々話しました。

センシティブなテーマであることもあって、一部撮影禁止だったり入り口からは見えない位置に置いてある作品もありましたが、全体的に「お祭り感」があるのがいいですね。ご本人も「祝祭」を意識されてるとのことでした。

どうしても作品展示というのは触れる時間が短くなりがちで、「なぜここにウンコがあるのかわからない」といった素朴な感想もあったようで、そりゃ大動物家畜がいて食肉生産をしていたら、そこにウンコがあるだろう、という発想が、どうやらない人もいるらしい、のです。

どうしても人間はピンとくる部分に目が行きがちで、作品を観に来るときはその感度が高くなっているときでしょう。そのときに「システム全体」を見ることがいかに難しいか。

ピッタリとしたラバーはきもちいい、とか、くびれやくるぶしがピタッとしていて、いいですね。

また一方で、「作る側」になると見え方が違ってきます。取材し調査し、試作と思索を繰り返し「何を強調するか」を考えるとき、「何を強調しないか」そしてその全体を把握していないと見失うものがあるのでしょう。

昆虫食と文明」という名著のあるデイビッド・ウォルトナー・テーブズ

の「排泄物と文明」にも話が及びました。

国境なき獣医師団をつくった疫学者で、学者肌の雰囲気を漂わせるナイスな翻訳文なのですが、サエボーグさん的には「めっちゃ大事なのはわかっているけれど読み込みにくい」とのこと。確かにちょっと硬いし、前提知識がいるし、サイエンスを背景にしない人にはとっつきにくいかも。

そういう意味で表現の目的ごとに「解説役」というのがいろんな形で必要なのでは、とも思うのです。対話型専門知だ。

最近リアルタイムで読書をしてメモを残していく「読書メモ」というのをやっているのですが、もともとは読書中にTwitterを占拠して、気が散るのを抑えるための苦肉の策だったのですが、意外と好評で、こういった専門知ユーザーとしての目線を増やしていく、というタイプの対話型専門知も実践できればな、と思っています。

専門知を再考する 読書メモ

https://togetter.com/li/1708730

食農倫理学の長い旅 読書メモ

https://togetter.com/li/1733281

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