これまでに第1巻、第2巻と感想を書きまして、そしてなんと昆虫食回、13話に監修として参加させていただいたなんともありがたい今作、3巻にて物語が一旦幕を閉じました。西塚emさんはスターシステムのようなものを採用しているので、いろいろな背景を変えて、また別の作品で彼らに会うことができるでしょう。ひとまずお疲れ様でした、そして通して読んでも昆虫食回がまったく浮かない、凄まじいフェチの全力疾走を見せていただきました。すごい。
さみしい、のですが、なかなかこのマイノリティである、虫好きの心をえぐるというか、私にとってはヘビーな物語でした。何度か3巻を通読してようやく感想が書けるようになったのでここにまとめておきたいと思います。売上に貢献するには発売後すぐに公開すべきところなんですが、なかなかこれは一筋縄ではおわらねぇぞと。
蟲やクセの強い生き物を愛する、「虫塚」を主人公として女性ヒーローとしての「ねね」というこれまたクセの強い登場人物、それらを学園であったり学校もの、日常モノというある種のお約束に入れ込むことでなんとなくマンガ的なものになっていく。そしてお約束の水着回と、恋愛?要素。
かと思いきや、「アンタの普通はアンタの基準で作ればいい。他人の基準を使って自分だけ擬態しようなんて許さん」とライバルである園芸部の花崎から厳しい一言。
これまでの虫ものマンガを否定するわけではないんですが、虫や虫好きは大抵物語上、マイノリティとして登場します。その虐げられてきた虫に対する愛着や知識が、効果を発揮してストーリーを展開させ、一躍ヒーローになるどんでん返し、スカッと展開、という形が数多く見られましたが、この漫画はそれを「許してくれない」のです。これは大変だ。
普通に対する憧れ。人生で一度も普通になれたことがないけれど、もしそこに「戻れたら」そこから見られる景色はなんとも安心で生きやすいものなんだろうという憧憬。そういった普通に一歩近づけるためにマイノリティのために用意されてきた「スカッと展開」なんだろうと思います。みんなを救ったり窮地をしのいだり、それによって達成されるのは「マイノリティな自分の趣味がマジョリティに『普通に』受け入れられる瞬間」なのでしょう。
しかし、しかし。
この物語はそれを許してくれない。普通を達成する、という課題設定そのものが普通ではないし、他人の借り物である。たとえ自分が植物性愛、昆虫性愛であることを自認をせざるを得ない状況に追い込まれたとしても、そしてそれを自認した上で他人に隠す選択をしたとしても、自分で自分の基準で自分をつかむまでが青春なんだと。青春とは客観的に測定できる解決や達成ではなく主観的にヌルい寛容と受容と先延ばしなのかもしれない。
そして転校生の女性ヒーローは虫の世話を手伝うばかりで何もしない。普通に戻れない、普通などないという最初から存在した事実を改めて明るく照らしてくれるヒーローだった。
人生をこれから決して共にしないだろう、全く価値観の違う、相入れない人物たちと、たまたま未成年の制約で同じ空間を共有したあの「青春」はなんだったんだろうか。
自らの力で人間関係を構築するようになった「オトナ」にはもう現れない。思い出される彼らが私に寛容だったのか。それとも諦念だったのか。それはもう青春という蟲籠だか蟲塚の向こうに霞んでしまってもう見えない。
もしかしたらそれは一種の共有された悪夢だったのかもしれない。