人は苦痛を感じます。あなたもわたしも、言葉が喋れない赤ちゃんも、おそらく感じているだろう、と考えられます。
そして人には幸福追求権があります。幸福を一番定義しやすいのは「苦痛の回避」です。
堪え難い苦痛を受け続けるぐらいなら、幸福を追求するために死ぬことも選べる、というのがある種の究極の選択でしょう。
さて、最近は人間以外の生物の「苦痛」も考えられてきました。動物解放論では、先の赤ちゃんや、事故や病気によって苦痛の自己申告ができない人を「限界事例」と呼び
本人が申告できなかったとしても、社会はその苦痛の回避のために尽力すべきだ、としています。
そしてもう一つ、「種差別の禁止」を組み合わせました。これは人権侵害の多くの場合において、人権が認められない理由を「種が違うから」というレイシズムで説明してきたことへの歴史的反省です。そこで、種という概念を使わずに、「苦痛の回避」が行われるべき対象を考えると、人権が人以外の動物へと滲み出してきます。
ここらへんの倫理学の入門教科書はこちらをどうぞ。
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そこで気になってくるのは「苦痛を感じる動物」の話です。
哺乳類は人間と似た神経システムを持っていますから、苦痛を感じているだろうと類推できます。そのためアニマルウェルフェアという概念によって
動物の倫理的な扱い(人と同程度の人権を与えるという意味ではなく)をすべきとしています。
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今の議論は脊椎動物の系統を遡っていき、魚類まで注目がいきましたが、ついに無脊椎動物まで
【拘束?】イタリア最高裁、氷漬けロブスターをめぐり罰金支払い命令https://t.co/b5lA1aB0xT
「不当な苦痛を与える」として、レストランオーナーに支払いを求めた。動物保護団体の主張を受け入れたものだという。 pic.twitter.com/aR0Ba55N0J
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2017年6月19日
さらに最近は「植物」といった侵害刺激を伝達するシステムも「苦痛」と呼び始めそうな勢いです。
植物は痛みを感じるのか ― ダメージを全身に伝える仕組みを埼玉大が発見 https://t.co/fjYGKcEhAF
— 財経新聞・最新ニュース (@zaikei_news) 2018年9月24日
ここでは「苦痛」ではなくより広義の「いたみ」としておきますが、ロブスターと人間と植物の間に、いますよね。
虫が。虫の「いたみ」についても考えましょうよ。
「いたみ」の議論が脊椎動物と植物だとうまいこと燃えるけど昆虫は燃えないなぁ。てんかんのひどい発作で死に至らしめるようなことを神経系の殺虫剤はやっているのでいわゆる「いたみ」はものすごいでしょうね。
— 蟲喰ロトワ 昆虫農家 蟲ソムリエ 6月からラオス (@Mushi_Kurotowa) 2018年11月14日
こういうリプをいただきました。
農薬作ってる側からの意見ですが、興奮系の殺虫剤の作用はまさにその通りです。脱皮阻害系の殺虫剤等も結構えげつないです。
現在、人が安く作物を買って食べるために、多くの虫がいたみの中死んでいることは忘れてはなりません。。
— 上原貴史 (@kggkmuntari) 2018年11月14日
脱皮阻害は全く人間の想像できない「いたみ」でしょうね。それを踏まえてどうすべきかを議論できる方がいると心強いです。ありがとうございます。
— 蟲喰ロトワ 昆虫農家 蟲ソムリエ 6月からラオス (@Mushi_Kurotowa) 2018年11月14日
ということで、昆虫の神経特異的に作用するいまの最新の殺虫剤が「苦痛を与えている」と社会が判断したら、
殺虫剤で安定した収量を確保できているベジタリアンも含めて、どうしていくんでしょうかね。脊椎動物だけ議論して無脊椎動物を議論しないのは不公平だ、という問いかけに対して、「無脊椎動物を後回しにしろとは言っていない」と反論できますが、食というのは総量があまり変わらないので、脊椎動物をことさらに優先して議論を進めることが、本来公平に扱うべき「苦痛」を不公平にバイアスをかけてしまう危険があるわけです。できるだけフェアにいきましょう。
どうすべきかって? 毒植物とそれを無毒化できる昆虫とを組み合わせた農業が、新しい「倫理的な」農業になっていく、と予言しておきましょう。
ここラオスでやるのもそういうことです。