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以前の記事でsoyさんからご質問を頂きました。
「なぜ虫クロトワさんは昆虫を食べるようになったのですか?」
お答えには
ちょっと長めの文章が必要になるのと
コメント欄に返信するとなぜか妙に字が小さいので
この機会に記事にしておこうと思います。


私の初めての昆虫食は小学3年生の夏休み。
岐阜県飛騨地方の
母方の祖父母宅に遊びに行った時のことでした。
いつものように
庭遊びをしていた小学3年生の私は
縁側の隅にアシナガバチが営巣しているのを見つけました。
祖父に報告すると「じゃぁ喰うか」と
ささっと傍にあったクワで叩き落とし、
成虫を追い払い屋内に持ってきました。
母「バター醤油で炒めると美味しい」「成虫になりかけが特に美味い」
祖母「昔はカイコのサナギを煮付けて食ったもんだ」
「スズメバチの成虫は瓶詰めにされて売られ、病後の滋養のために食べさせられた」
などと
私の「昆虫って食べものなの?」という素朴な疑問は発する間もなくスキップされ、
温められたフライパンにはバターが。
「ほれ、取りな」と祖母に促され、巣を崩しながらチマチマと幼虫を取り出す。
ささっと炒められた幼虫・サナギ達。
「ほれ ここ美味いから食え」
と喰い「うん 美味しい」と答える。
正直その時の味は覚えていません
モチをバターじょうゆで食べる事が多かったので、
食べ慣れた味付けだったなぁとしか。
幼虫とサナギの味の違いもわかりませんでした。
この元体験が
私の昆虫食へのハードルを下げてくれたことは確かです。
この体験を今思い返して整理すると以下のことが言えそうです。
1,新規食材に対する嫌悪感は周囲の人に流される。
2,一度でも「食品」となった生物は大人になっても食品と認識される
3, ガキは味なんかわかっていないので、食わせてしまえば食うようになる。
4,文化とは押し付けである。


時は流れて2008年。
当時 理学部生物系の4年生だった私は
仙台で、ショウジョウバエの研究をしていました。
ショウジョウバエは一般の方には馴染みがないかもしれません。
こんなのです。

体長は3mm前後
目が大きくて赤く、可愛らしいですね。
ショウジョウバエの一群の中でも
Drosophila melanogaster (キイロショウジョウバエ)
は遺伝学の研究材料として古くから使われてきました。
そして
分子遺伝学の高まりとともに人気も上昇し、
ゲノム計画で昆虫の中でいち早く配列が読まれ、
他分野の、他生物の技術を相互に導入することで、
トリッキーな遺伝子組み換え技術が花開いていきました。
今でも多くの論文が、ショウジョウバエの実験から書かれています。
実験のため、
他の生物の遺伝子を組み入れたショウジョウバエは、
二重扉を設けた室内に閉じ込めておく必要があります。
そこで、
プラスチック製の試験管に酵母や澱粉を寒天で固めた煮こごりを注入し、
一系統ずつ(遺伝子Aを入れたもの、遺伝子Bを入れたものは別の系統として維持します。)
飼育していました。
7mlほど煮こごりを入れ冷まし、ハエの成虫オス・メスを数匹入れると数日で幼虫が発生し
一週間で次世代の成虫が生まれ、煮凝りを食べつくすまで3週間ほど世代を交代します。
実験室では、およそ二週間で新しい瓶へと交換します。残念ながら冷凍保存は出来ません。
使用済みはこんなかんじ。

同様の飼育方法で、
京都工芸繊維大学のストックセンターでは
2013年4月現在で 27000系統のショウジョウバエがストックされています。
既に、養殖昆虫は実用化されていたのです。
そこで思いました。
「このハエは食用に利用できるのではないか?」と。
同時に
「こんなハエなんか食べたくない、キモチワルイ」
という感情も沸き上がってきました。
奇妙な自己矛盾です。こういった自己矛盾=葛藤は
「合理的に説明できる部分」と
「どうしても説明しきれない部分」
に分けられます。
切り分けて、要素ごとに説明をつけることで
自分の中にある
「合理的でないけど大事な部分=食の自己同一性」を
明らかにできるのでは、と考えました。
ここの切り分けをすることなく
「ムリムリ絶対に無理。」とごっちゃにして放置しまうのは
たいへんモッタイナイ行為です。
葛藤は
合理的な理由と、合理的ではない
自身の文化的な本質の競合によって起こるので
そこに「アイデンティティ」が隠れていると思うのです。
ということで
始まりました。趣味の研究課題名
「なぜ 私は昆虫は昆虫を食べたいと思わないのか」
前述のとおり、ハチノコは食べたことがあり、
食品と認識していましたので、
同じ昆虫類のハエだけが食べられない合理的な理由は見当たりません。
残念ながらハエのエサには防腐剤・防カビ剤が含まれていますので
食用に適した養殖昆虫を他に探すことにしました。
グーグル先生に
「昆虫 料理」と検索すると
ヒットしました。「楽しい昆虫料理」

著者の内山昭一さんとは
その3年後、私の関東への引っ越しとともに
昆虫料理研究に合流しましたが、
当時は本が最初の出会いでした。
本がアマゾンから届くと(当然仙台に在庫はみつかりません)
近くの研究室でペットとして飼育していた
マダガスカルオオゴキブリに目をつけました。
食べたくない度で言ったらハエに劣らない
堂々たる存在感です。

先輩と一緒に
揚げて、カレーと一緒に
食べました。
…美味しいのです。
後でわかったことですが
マダガスカルゴキブリは消化管に臭みがあるものの
外皮や脂肪体に含まれる香りが乳製品のようでたいへん
いい香りです。
現在も増やしながら飼っていますが
家庭での残渣を使った養殖と食用に
最も適した昆虫だと思っています。
「家庭用生ごみ処理機としてのマダゴキ」
という記事をその内書きますので、ご期待ください。
さて
話は戻ります。
残念ながら私の研究
「なぜ 私は昆虫は昆虫を食べたいと思わないのか」
第一歩目で頓挫してしまいました。
食べたいと思うようになってしまったのです。
もちろん
今でも初めて食べるときは全く食欲がわきません。
それでもその先に美味しい昆虫がいると信じているからこそ
味見をするのです。
前述のとおり、
私の研究は、そしてこのブログは昆虫グルメを極めるために
開設したのではありません。
将来、
養殖昆虫食を実用化するにあたって、
昆虫学の知見を応用するための架け橋なのです。
美味しく、栄養があって、よく増やせ、環境に適応し
課題や目的に応じた昆虫を、
100万種の昆虫の中から学問的に見つけだす。
これがこのブログのゴールになります。
私の稚拙な同定間違いにお付き合い頂いた虫屋の皆様
食べる気はないけど虫好きで数多くの虫を
標本にせず分けてくださった方々
そして
虫嫌いにもかかわらず私のブログに興味を持ってくださった方々
マジキチ といって去った方々(思いの外少なかったので残念ですが。)
それらの
今まで出会わなかった方とのつながりを作ることが
わざわざ胸糞悪い(と感じる人もいる)情報を
垂れ流して炎上させている意義です。
ということでまとめましょう。
1,なぜ私が昆虫を食べることになったのか
ショウジョウバエの研究中、「これ食べる?これ食べたくない!」との
葛藤があったから
2,なぜ私が昆虫を食べ続けるのか
昆虫食を昆虫学とドッキングさせるための基礎データ収集
3,なぜ私が昆虫の味見ブログを公開しているのか
興味を持ってくださる人とのつながりを作り、昆虫食の未来を
一緒に開拓するため
こんなかんじでしょうか。
頭のなかにあったものも、形にするとすっきりしますね。