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あの昆虫大学とはなんだったのか 中編

2016年12月17.18日の昆虫大学の話から
まずはこちらをお聞きください。


昆虫大学校歌

(1番)
幼き頃は 虫まみれ
大人の今も 虫まみれ
訝る視線 背(せな)に受け
今日も進むは 虫の道
学舎(まなびや)持たぬ 流浪の学徒
ああ 我ら 昆虫大学
(2番)
灯りにたかる 蛾の如く
集う我らの 多様性
芸術家から 博士まで
誇りも高き 少数派
茨の道も 虫あればこそ
ああ 我ら 昆虫大学
(3番)
好奇心こそ 生きる糧
思考はいつも 斜め上
虫への愛を 突き詰めて
この人生に 悔いはなし
イナゴはおやつ 蚕はペット
ああ 我ら 昆虫大学

学長自らもおっしゃってましたが
昆虫大学というイベントを最もよく表しているのがこの校歌だと思います。
HPから引用しますと
「2016テーマ "KONKATSU~昆虫の婚活、そして人間の昆虫活動"
昆虫大学は、昆虫その他の「蟲」のもつ多様な魅力をプロから学ぶ不定期開催イベントです。作家・芸術家・研究者・昆虫を生業とする人々を講師としてお招きし、虫と虫好きの異様な熱気に満ちた世界をチラ見せすることを目的とします。2012年にアートフェス「TRANS ARTS TOKYO」にとつぜん出展、以後は決まった学舎を持たず、さすらいの昆活(昆虫活動)をつづけています。」
だそうです。二年に一度のペースで開催していまして
2012年 昆虫食研究も、何もかも走り始めたばかりの自分に
昆虫のいる未来を見せてくれたのはこのイベントの初回でした。

我ながらいいこと書いてる。
さて、今回は昆虫夜学のライトニングトーク、講師としての参加です。
ライトニングトークの内容の前に、
このイベントへの参加を決めたときに
私の脳内にある映像がよぎりました。
「参加者にバッタのマスクをかぶってほしい。」
バッタマスクの開発は2012年に遡ります。
11月23日偶然にも、メレ子さんがゲストとしてお越しいただいた
昆虫食イベント「東京虫食いフェスティバル」にて、その初期型となるものを作っていました。
バッタマスク第一号

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色んな人にかぶせてみたときに
「マスク」の匿名性と、アイデンティティの喪失にすごく面白みを感じました。
我々はヒトの顔を認識することに高度に長けています。
そのため、美人、イケメンなど、優れた造形の顔に対して強く反応します。
マスクはその「顔」というアイデンティティを奪う装飾品です。
マスクをしたとき、「バッタの養殖をする村」の村民となるのです。
イネ科の草を育て、バッタに与えて養殖する集落においては
産業廃棄物としてバッタのフンが集まるだろう。
バッタも、他の作物も育ちにくくて人手の余る季節には
それらを使った工芸がおこるだろう、というものです。
古い文化をハックして、新しくしていく課程において
単純な「食用としての昆虫」だけでなく
多面的な「システムとしての昆虫利用」というところまで踏み込んで
新しいビジョンを提案したいものです。
関連記事としてこういうのもありました。

蟲ソムリエへの道 昆虫食をブームで終わらせないために

さて、2016年昆虫大学

私はバッタマスク4号をつくって、会場に行きました。

もちろんマスクの材料の半分はバッタのフンです。

今回は、だれでもかぶれるように、中の仕組みもしっかりしこんであります。

それまでに

「ときめき昆虫学」に登場させてもらった弐号機

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参号機

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そして 2016年の新作

4号機

4号機はいろいろと貸し出すことで

おおくの「バッタ村の住人」を生み出すことができました。

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このナゾの特攻服は、とよさきかんじさんの私物です。

頭の中をカラにして、ナメられないよう、激しく、楽しく。

こうしてバッタの村は、

バッタ仮面であふれました。

そうなんです。こういうことを「表現」したかったんです。

バッタの効率や、ライフサイクルアセスメントなどは

バッタの村がいかにすごいかを示すための頑強さをもたらす基盤であって

その上に何を載せるか、誰に何をどう見せるのか、見せたいのか

というところまでつめていく必要があると思います。

「虫と表現」は誰に虫をどう見せるのか、昆虫食の場合はその上で食べさせるのか。

いろいろと人生空回りしつつ、ようやく見えてきたように思います。

ひとまずここで切ります。

後編は昆虫大学における「虫と表現」の話と、夜学の話をまとめます。

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