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昆虫料理は昆虫の器に従う

ふつうの料理にありがちな、よろしくないことが「異物混入」です。
多くの場合、昆虫料理が入っている器のデザインは、
昆虫料理でない料理に使われているものと
共通の器ですので、あからさまに昆虫が見えると
昆虫を食べたことのない人にとっては
「異物混入」の方を強く連想してしまうのではないでしょうか。
昆虫は味に問題はありません。
むしろおいしいぐらいです。
そのため、
「最初の一口」「First bite」「お食い初め」が大事です。
とある友人が
出産祝いを送るというので「お食い初めセット」というものがあることを知りました。
うん。これだ。

「昆虫お食い初めセット」だ
そこに必要なのは
「昆虫料理が入っていて当然」な器、つまり
「昆虫食器」の開発が必要なのではないかと。考えました。
そう思ったものの、
私には食器をデザインする能力も、開発する時間も資本もありません。
とりあえず作れる範囲で手工芸でこんなものを作っていました。
「メスアカミドリシジミスプーン」

某ファミレスに、試用しにいきました。


話は脱線しますが
ミドリシジミの仲間は「ゼフィルス」と呼ばれ、その愛らしさ、美しさから愛好家が多いそうです。
一方で彼らの生態はなかなか特殊で、高所を飛び回ることから網での捕獲が難しく、
標本にするにも成虫を捕獲したのでは翅が傷ついてしまうとのこと。
そこで、昆虫学の出番です。
彼らは卵を高い木の枝に産み付け、越冬します。
その卵を冬の内に採集し、孵化させて育て、羽化まで見守ることで、
採集網に傷つけられていない「完品」を得るのです。
また、その多くは希少種で、なかなか捕まえることもできませんし
安易に捕まえまくって生息地域にダメージを与えていいものでもありません。
そこで愛好家の蛾屋さんから申し出を受け、1頭だけ味見をさせていただけることになりました。
繰り返しますが、
昆虫食は昆虫全般を対象にするため、決して1人ではカバーしきれません。
必ず専門家を通すことで、そして彼らから信頼を得ることで、
全ての昆虫を研究対象に、
イシューに合わせた養殖昆虫を開発できる体制を整えたいと考えています。
さて、メスアカミドリシジミの幼虫を頂いたのは昨年の3月。

前蛹になるまで桜の新芽を与えながら待って。

おいしいことは予想されていたこと、小さいので味を殺したくないことから
塩もポン酢も付けずに茹でて、そのままをいただきます。

おいしい。


話を戻します。
スプーンを作ったものの、他にも大物がほしいなと思っていました。
陶器の器がいい。
と考えていたら
こんなイベントが京都で開かれることに。
「いきもにあ」
生き者好きな人が創作をして即売するイベントです。
http://equimonia.jimdo.com
「生き物がすき」には多種多様があります。
私のように「食べることがすき」であったり「生物学を通じて好き」でも構いません。
ビジュアルが好き、手触りが好き、色合いが好き、質感が好き、死体が好き、骨格が好き、何でもありです。
そんな「ざっくりした場」を運営・維持することで見えてくる独特なものもあります。
私があったらいいなと思うもの、
そこに技術や時間がなくて、自分の中の優先順位が低くて
妄想レベルで留まっているもの。
それを上回る妄想力&実行力で、他の誰かがすでに形にしていたりします。
今回は工房うむきさんでした。
http://purple.ap.teacup.com/umuki/

これにノックアウトされ、はるばる京都まで買いに行くことに。
通販もできると伺ったのですが、本物がみたいなと。
そして手に入れたのがこれ。

あれ、スズメバチを買いに行ったはずなのに。
前の記事のイナゴソースの完成に前後して
「バッタの形の醤油差しをつくりたいな」という妄想も頭をよぎっていたのです。
予算をぶっちぎりましたが、2つとも購入。

もちろんそれだけで済むわけもなく。

Twitter上でお世話になってはじめてお会いする方々とか
以前からお世話になっている方に挨拶も満足にできぬまま
閉場となってしまいました。うーんなんとも。
出店者側になって、懇親会で挨拶する、
というのがもっとも親睦を深められる気がします。


ようやく念願の「昆虫食器」を手に入れ
クリスマスに作ったのがこれ。

オオスズメバチは昆虫食の対象でもあるとともに
昆虫食の捕食者でもあることから、二重の意味でストーリー性をもたせることができます。
「昆虫食器」のアイデア、まだいろいろあるので、実装していきたいと思います。


いきもにあの開催後
「いきもの好きのためのイベント」は「生き物の保全につながるか」
というトピックがありました。

このイベントは最先端の生物研究者を呼んでセミナーを行うなど、
生物に関わる専門家と、非専門家を一緒にしたお祭りみたいなことになっています。
それが
「役に立つから良いイベント」とか
「役に立たないから不完全なイベント」となるわけではありません。
もちろん、
生き物がいないことにはそれらをモチーフにすることはできなくなってしまうので
生き物の創作によって、生態系を破壊することがあってはなりません。
なので社会的な優先順位に差はあるけれども、
全ての人が優先する方にモチベーションをもたなければならない、
というのはちょっと違うと思うのです。
1つ言えることは
昆虫食を広めたい私にとって、このイベントから収穫があったように、
「生き物好きが集まるイベントは、生き物に関する他の取り組みをしたいヒトにとって収穫を得られる」ということです。
他人のイベントについて、自分の目的を達成していないからと低評価をつけていけば、
次第に自分の目的を達成してくれる他人が現れるなんて、そんな都合の良いことはありません。
目的を達成するには「主催になれ」ということですね。そして収穫物に対価を払えと。
私が昆虫食を広めるためには、今回の「昆虫食器」のように
創作の世界の技術は欠かせないと考えています。
そこではあくまでも私が「主」であり創作者は「従」ですので、
なんらかの対価を支払わなくてはならないと思っています。
逆に、昆虫食にアート要素を見出して
社会的な問題を提起するアートとして
表現してもらう時には私は技術者として「従」に徹することになるでしょう。
昆虫が社会から嫌悪されているインパクトを利用して
昆虫食が何らかのアート性を帯びるとしたら
私の目的を毀損しない範囲で技術協力をします。
その中で、
「昆虫食が社会においてどのようなアート要素を持っているか」を
言語ベースで論理的に説明してくれたら、
それは社会から感覚的に(笑)逸脱しつつある自分にとっても
大きな収穫になることでしょう。


話を戻します。
昆虫食普及には昆虫食器の開発を、という話でした。
食用昆虫にふさわしい「器」というのは何も食器だけではありません。
食べるシチュエーション、食べるヒトの経験、興味、周囲の環境などなど
様々な昆虫の周りの「器」を設計していく必要があるでしょう。
かつて、昆虫は食料でした。
そして今も、昆虫は食料としてのポテンシャルをそのまま残しています。
変わったのはヒトです。そして人を変えることができるのもヒトです。
昆虫を食べなくなったヒトが、再び昆虫を食べるようになる方法はまだわかりません。
昆虫を食べていた頃の環境や経験を完璧に再現することはできないからです。
だからといって、
経済的に困窮したヒトに強制的に食べさせることは豊かとはいえません。
個人の希望を叶える形で全く新しい「昆虫のお食い初め」が起こっていくことが理想です。
そのときの
「昆虫の器」の集積は、新しい昆虫食文化、
昆虫食ルネッサンスとして
面白いものになっていくことでしょう。

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