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「蟲ソムリエ」 は私 佐伯真二郎の商標で、「昆虫ソムリエ」「虫ソムリエ」は株式会社昆虫食のentomoの商標です。 「蟲ソムリエ」と「昆虫ソムリエ」「虫ソムリエ」は独立のものであり、相互に資本、技術その他の提携関係は存在しません。 「昆虫ソムリエ」「虫ソムリエ」商標に関する問い合わせは、商標権者となる株式会社昆虫食のentomoへお願いいたします。

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昆虫食の推進するにあたっての大きな壁となっている、「虫が嫌い」という概念を理解して、これからの「虫」の社会的位置づけを考えようとしています。しばらく試行錯誤していたのですが、少しばかり前進がありましたのでかるくまとめておきます。

キーとなるタイミングは「虫の死」ではないかと。そして虫が死ぬ際に生じる「さびしさ」こそがこのストレスの本丸なのではないか、と思い始めました。「嫌悪や怒り」を示しているのかと思っていたのですが、どうも雰囲気が異なる気がしてきたのです。

ヒトは多様ですし、虫はもっと多様です。そしてヒトと虫の相互作用によって行動はさらに可塑的になります(あなたが手を出すことで、虫が動くのです)。

膨大なパターンの「虫とヒトの出会い」があるでしょう。そして不幸な記憶、トラウマ記憶の恐ろしいところは、フラッシュバックという現象があることです。目の前に虫がいるだけでなく「トラウマ記憶を想起させる虫に関する断片的な情報」があるだけで、虫とヒトの不幸な遭遇体験がリアルに再現され、そのストレスがまた虫に対する拒否感を再生産するという悪循環をうみます。そしてその拒否感の再生産は事実かどうかを問わない(妄想によってすら加速する)のです。これはおそろしい。

そして「多様な虫に対する体験」は、多様すぎて一般化できない、そして多様すぎて体系化できない難点があります。

「人それぞれ、虫それぞれでなんとも言えない」というのが虫嫌いを克服したいと相談されたときの私の返答なのですが、当然ですが残念そうな顔をされます。

どうにか虫と人の関係性で、特に普遍的な、多くの人にとってキーポイントとなる切り口を考えたいと思っていました。そしてそれが、「虫の死」による「さびしさ」ではないかと考え始めています。

気づかせてくれたのはバイリンガルニュースでお会いしたMamiさん。

わたしは食用も含めて虫が色んな意味で「好き」になっちゃったので、共感的に理解することはできません。そのため、いわゆる虫を苦手とする人達に共感できず、いわゆる「センスがない」状態です。なんとも仕方がないことなので、言語化と推論でその全体像に迫っていこうと思います。

家庭用殺虫剤などを「虫ケア」で商標登録した会社がありました。

あなたは虫が苦手で、生きた虫を殺さずにハンドリングする自信がない。そして分類の情報ももちあわせていない。そこに出てくる虫。分類するための記憶や情報もなく、虫から目を離して図鑑をしらべる余裕もない。生きたまま捕獲することもできない。

手にしたのは虫ケア用品、殺虫剤。

こう考えると、本当はたくさんの「虫と人の出会い(と別れ)」があったはずが、虫ケア用品によってそのほとんどを「死に別れ」という画一化した、そして決してハッピーではない結末へと誘導されてきたように見えます。

この感情は「さびしい」ではないでしょうか。怒りや嫌悪であれば、殺したことでもっとハッピーに(苦痛が取り除かれた状態に)なるのではないでしょうか。

「さびしさ」というのはなかなか不思議なストレスです。

さみしさ、疎外感、そしてノスタルジックといった様々な感情が混ざってる印象です。

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">「必ずしも解消がゴールではない」のがさみしさストレスの複雑なところ。さみしがる、というコーピングもまたある。究極的に死別もそうだろうなぁ。さみしさ。</p>— 蟲喰ロトワ プロ蟲ソムリエ @ラオス中部 次回帰国11月11日 (@Mushi_Kurotowa) <a href="https://twitter.com/Mushi_Kurotowa/status/1184712039081467904?ref_src=twsrc%5Etfw">October 17, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

昆虫が苦手、という方の中には「生きている虫より死んでいる虫のほうが苦手」とか、「昆虫が自分に殺すことを選ばせるので苦手」という方もいました。

私も昆虫が死んだらさびしいです。愛着のある生物として、養殖できた収穫の喜びとして、新鮮な食材として、そして興味深い好奇心の先として。そして私の好奇心や食欲によって殺された結果、もはや生きているときには戻らない不可逆性について。

いろんなさびしさが「虫の死」によってやってきます。

「昆虫が死んでさびしい」というのは虫好きも虫嫌いも共通に持ちうる感情として、もしかしたらひろく一般に共感できるのではないでしょうか。

私は生食を推奨しませんので、「虫の死」は昆虫食の前提として、なくてはならないものです。そして「食べる」ということが「昆虫が死んでさびしい」という気持ちを和らげるような気もしています。

また「食べるなら虫を殺していい」ようなコメントをもらうこともあります。一種の慰霊(食べて供養)のような仕組みなのかとおもいましたが、今考えているのは「さびしさの緩和」です。ほとんどの宗教も、死に別れに対する対応が含まれていると思います。かなり普遍的なストレスではないかと思いました。

虫の「死」のタイミングに生じる「さびしさ」に注目して、しばらく考えてみようと思います。なにかエピソードがあったら教えて下さい。

こちらで共同事業体を結成して動いている国際NGO,ISAPHの母体である聖マリア病院が取材を受け、こちらのラオスの活動をメインに記事化されました。ウェブでも見れますが有料記事なのでとりあえず写真だけ見れる状態です。今昆虫プロジェクトのパートナーとしてコンサワン君が紙面デビューであります。

池袋ジュンク堂書店で7月中に開催していた蛾売りおじさんの出版記念展示会 および7月28日のサイン会に行ってきました。

私が書籍を購入し、 整理券をゲットして展示会場に行くと、エスカレーターで上がってきた通りがかりの男子が、確認できただけで2名、食い入るように見に来ました。それほど吸引力があったのでしょう。
うち1名の謎の発言。なにいってるかわからないけどわかる。

表現とモチーフの間にある「解釈」を経ることで、ときに、人によっては実物よりも実物らしい存在感を感受する、という現場を目の当たりにしました。すごい。
蛾売りおじさんの刺繍はなんと裏と表を違う模様を縫い付けているそうで、その少し粗いテクスチャや整然と並んだときのつややかにひかる反射などコンセプトの段階で勝ち確定のすごいアイデアで、そしてそのまま技術と妄想に突き進んだ王道の表現だと思います。本当に写真に映らなくてつらいので、実物を見に行ってください。

そして28日サイン会、開始時間すこしあとぐらいにいったら大行列でサイン会の終了間際にようやく私の番に。すごい。ファンがもうすごい。
サイン会特典、おおきなカイコさんと写真をとっていただきました。
食べごたえがありそうですね。
ちなみにですが、蛾売りおじさんはおじさんでもないし、ひとりでもなかったことをこっそりお知らせします。蛾売りおじさんとは概念なのです。

先週は村に行き、新しい農地の開墾に立ち会ってきました。3月までの活動でパイロット農家の5世帯が無事ゾウムシの養殖に成功し、今は我々からの成虫と村で手に入りにくい糖蜜の供給だけで、他のエサ材料は彼らの自腹で続けてくれています。一度美味しい昆虫を口にしたことで、それぞれに養殖を続けるモチベーションが生まれたようで、そこらへんも社会学的調査として調べておきたいところです。とは言っても低地のこの村の農地のほとんどは水田で、少し高い土地は陸稲が植えられているので村人のほとんどは稲以外の農法を知りません。なので予想していたことですが、キャッサバを村の中で手に入れることが難しくなってきました。そのような「不足感」を共有できたことで、こちらがトラクターのレンタル費用を活動費から提供し、農家は彼らのもつ土地を提供することで新しいキャッサバ農地の開墾をする、という次のゴールが共有できました。

予約したトラクターにドタキャンされたり、道が悪いから値上げを要求されたりと、さすがラオス的なちょっとしたアクシデントもありましたが、ともあれ無事(?)に作業を見届けて村の借家に帰ると充電もしていないのに部屋の中で点滅するものが。ホタルだ!

ラオスの大自然が素晴らしいなと感じつつ、眠いのに寝れないなと。そういえばこれまでホタルを味見していなかったと思い直し、村から都会に帰ってきた週末に茹でて味見することに。なぜ味見していないかというと毒があるからです。(発光のシステムとは全く別。)

とは言っても、ホタルによる中毒事故の報告を聞いたことがないです。もしご存知だったら教えてください。

ここで仮説として考えられうるのが、「とんでもなくマズい」ことです。食べられてしまうほどの味だからこそ中毒事故がおこるわけで、とんでもなく不味ければ、事故に至らないはずです。さてそんな不安(期待)をもちつつ食べてみましょう。

キイロスジボタル?のようなホタルの成虫メス。 ホタルがあることが知られているので茹でて味見したあと飲み込まない。というか苦!マズ!とても飲み込める味ではなく、強烈な苦味と青臭さでビリビリと舌が刺激される。これは擬態されるのも納得のマズさ。

私はこのような昆虫を知らないのでググったのですが、Sclerotia ballantyne に32.50ペセタ。。。🐝🐝🐝https://t.co/9KzytN3apU— ねずねずみ (@nezu_nezu) 2019年5月11日

そしてTwitterで北タイの詳細な分類の論文も教えていただきました。交尾器を比較していないので同定は難しそうですが、調べておきます。

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