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11月6日から3日間、某日本企業の方々に同行してずっと気になっていたタイのコオロギスナックの状況をみてきました。その企業の方のご厚意で、「業界の発展のため、すべて情報を公開していい」と許諾をいただきましたので、深い内容については研究会で議論していきますが、ここらで軽く紹介をしたいと思います。

なぜ気になっていたかというと、このスナックがよく売られていているからです。

セブンイレブンにも、ファミマにもあって、ラオスの首都ビエンチャンでも買えた、というのは結構儲かってるんじゃないでしょうか。なかなかアポが取りにくいとの情報はあったので、今回同行できたのは幸運でした。

おわかりいただけただろうか。
左下、カイコのスナックがセールになっているファミマの掲示物

養殖場と加工場、それぞれ車で行きました。

まずは加工場から。スナックを作るための乾燥・オーブン・調味の工程がすべて閉鎖系の食品工場として整備されていました。中に入るときはキャップとエプロンが必要で、中の写真は禁止。

左がコオロギ、右がカイコ。
HACCP GMP、ISO22000も。

今回話を聞きたかったのが、タイ政府(National Bureau of Agricultural Commodity and Food Standards (ACFS) )が公開した「GAP(good agricultural practice)」がどれほどの意義があったものか。という点です。結論からいうととてもうまく動いている。と感じました。

タイ政府のGAP

英語版

ガイドブック

タイで最も品質管理の厳しいシステムで動かしているのが彼らで、このGAP策定のメンバーでもあるそうです。産官学が連携してルール作りを動かしていき、「高い品質のコオロギにちゃんとした値段がついて売れること」が大事であるとの共通認識ができているようです。「産学官連携」が「すぐにみんなが儲かる話」ではなくて、こういった未来のビジョンにつなげる話になるといいですね。

翌日はコオロギ養殖場へ

平屋の建物たち。コオロギがたくさん。

翌々日は家庭レベルのコオロギ養殖場へ。これはラオスでもみたことがある。

ここと同じ方法で養殖しているのをラオスでも見たことがあったので、どこかで習ったのか、それとも情報公開をしていないか、と聞いてみると「この方法ではじめたのがうちが最初で、youtubeとかfacebookで公開しているからそれをみたんじゃないか」とのこと。メッセージにも対応して養殖相談に乗っているらしい。コオロギ養殖が商売として頭打ちになったら、とかライバルが、といった意識はまったくなく、どんどん真似してどんどん儲けてほしい、とのこと。

また、個人農家にも行政の役人が、GAPに基づいたアドバイスに来ているとのことで、品質を上げるための設備の指導などをしている様子であった。単に強制的なルールを決めて足切りをするのではなくて、業界全体が盛り上がるよう、そして硬直的で個人では実現不可能なハードな運用にならないよう、うまいこと調節できているようにみえた。

今回も含めて、タイのどこでも印象的だったのは、現実をみつつ、将来に対して楽観的だということだった。日本の企業はどうしても「囲い込み」をしたがって、市場が縮んだ時でも生き残れるよう、保険をもとめる傾向が強い。確かな保険に加入できることには投資するが、その保険に加入する費用を、オープンなイノベーションのために使おうとする気概が薄い。

そう考えると以前のレストランで見たように、「ビジョンを語れる人」というのがとても魅力的だと思う。短期的な営業利益は必要ではあるが、そのために仕事があるわけではない。私もビジョンを語るヒトになりたいが、ことあるごとに

「何をしているヒトですか?」「何を目指してるんですか?」

と聞かれることのほうが多い。もっとビジョンの発信を大事にしよう。

ビジョンとは、

日本社会が昆虫の社会的価値を再議論し、判断すること。

そのための象徴的なアイコンとして昆虫食の再導入を位置づけている。普及の推進は、日本社会が昆虫の社会的価値を判断するために必要。

もちろん昆虫食の再導入とは「すべての人が昆虫を食べるようになること」ではなくて「普通の食材として自由に昆虫を選べるようになること」である。

といったあたりでしょうか。

今日はラオスの建国記念日でお休みです。ブログネタが溜まっていたので書いておこうかと。

いつにもまして忙しかった、、、、、ですがいい出会いや 新しいアイデアの更新もありました。 どこからブログ記事に起こしておきましょうか。


「バンコクのコオロギ農家と工場を見学してきました。」

「サイエンスアゴラ2019に出展してきました」


「未来と芸術展」

「ミイラ展」

「オープンリサーチフォーラム」

「Ai Hasegawa さんセミナー」
ぐらいの順番でいきます。

オオツバメガ Lyssa zampa、というあこがれのチョウが玄関に来ていた。うれしい。

しばらくラオスにいることになったので、日本での活動はいろんな方に手渡していければいいなと思い、今回は昆虫食企業に企画を持ち込みました。

企画の持ち込み先はタガメサイダーを開発したTAKEOさん、少し前までは輸入商社として動いていた気がしたのですが、もう商品開発まで行っています。とってもスピーディー。

では、ということで、TAKEOさんのところで買ったバッタパウダーのデメリットを減らし、そしてパウダーならではの利点を活かしたこのメニューの製品化を打診しました。今回は製品開発の一環ですので、味の感想をお聞きすることになるかと思います。

みなさんにとっては私のレシピのスイーツがタダで!食える!」いう素晴らしい企画になります。そして私はラオスにいますから、ラオスからレシピだけを遠隔で飛ばして日本のみなさんに食品を提供できる。これは未来ではないでしょうか。レシピの引き継ぎは7月の帰国時に伝えました。その後大量生産に向けて改良も加わったようです。

さてその詳細はTAKEOさんところのHPで掲載されました!

反応がよければ、そしてもっと改良が進めば、製品化も?という状況です。踏ん張りどころですのでぜひ食べて、味の感想をフィードバックしていただき、おいしいバッタ生キャラメルが提供できればと思います。31日、木曜日まで!

それではこれまでのバッタ生キャラメルに至るまで、バッタ粉末と歩んだ試行錯誤の経緯をごらんください。こんなこともつぶやいていました。

バッタとスイーツの相性は2014年に気づいていました。トレハロースも。

初期は「バッタ生チョコ」として開発していました。

味の感想、お待ちしております!

そういえばバイリンガルニュースに出演したときにお二人にたべてもらったのもこのスイーツでした。

8月9日、もう一ヶ月前になりますか。とある大学のつながりで、バンコクのトークイベントに参加すると旅費をいただけるというので行ってきました。なかなか厳しい台所事情ですが、それなりに楽しみつつ、研究費や経費を確保していこうと思います。

バンコクと日本のデザイナー、建築家の方々が集まる、だいぶアウェイなかんじがしましたが、とりあえず今回のテーマ「Exixtence=実在」 について、語りました。昆虫という「実在」によって、人がどう変化し、全体のプロジェクトのデザインがどう影響されていったのか、とか言う話をしたかと思います。観覧者にはバンコクの学生さんらもいて、昆虫食に対するバンコクの若者の印象も聞いてきました。

デザインという空論であり、実現していない以上「茶番」であることを、どこまで大事にし、深く、そして自由に発想できるかというのはとても重要な営みだと思います。そしてそこに「昆虫」が参加することはこれまでまずなかった。なので一種のスパイスとか「意図的なバグ」として、私が乱数発生器のように乱入して、かき回してみようかと思いました。デザインの世界のみなさんに投げ込んだ「実在の虫」のパワーはすごく、それでいて新しい概念を自分のデザインに反映させ、咀嚼していこうという適応力もすさまじく、スパークジョイな感じでした。

タイ東北部では昆虫食が普通なので、私の昆虫の話もさほど驚かれないかな、と心配したのですが、みなさん無事驚いてくれて、学生さんも女性の一人はロットドゥアン(タケムシ)だけ食べられるけどコオロギやバッタは脚があって無理、もうひとりの女性は全部無理、男性のひとりはサソリにチャレンジしたことはあるけれど。もうひとりはレシピ次第じゃないかなという消極的な感じ。いずれもバンコクの意識の高い、そして野心も高いデザインの学生なのでバイアスはあるかと思いますが、十分に「昆虫を食べる」というアイデアが敏感な若い世代にとって斬新に映るという手応えがあったので、ここバンコクも未来的昆虫食の展開のいい拠点になるだろうなと感じました。

またいっぽうで、ベテランのバンコク在住の先生方は伝統食として普通に食べていた時代を経験していて、ひと世代のあいだにジェネレーションギャップがギュッと詰まっていていい感じです。その年配の先生がこのようなスライドを用意してくださいました。

UNJUNK THE WORLD

Un-junkというのは検索してみると脱ジャンクフード的な書籍に使われたワードのようですが、この「ジャンク=役に立たない、安っぽい、価値が低い」といったものを価値観が同じママの社会で「役に立つもの」に変えていくリサイクルの発想ではなくて、その「役に立たないものという発想そのもの」をキャンセルしていこうという発想です。社会が変わることで、そのものが変わらなくてもコンセプトが変わる。これほど省エネなことはないでしょう。つまり昆虫にも同じことが言えます。ジャンクフードの代替として、安い、コスパのいい食べ物ではなくて、文化的な、先進的な、そして人の役に立つことのできる膨大なキャパシティをもつ尊敬すべきバイオマス。

そんな「UN-JUNKE THE INSECS」をこの世代で達成してしまわないと、バンコクの若者が昆虫食をジャンクな食べ物と誤認したまま次世代をつくってしまう。赤ん坊のころに植え付けられた食の価値観を変えるのは難しいですので、この世代のうちに、変えていきましょう。みなさま、ありがとうございました!

バンコク、今回は時間が少し余裕があったので色々見てきました。ミズオオトカゲが歩いていたり、スラムと高層ビルが対比されたり、他の都市と同じように、色んな面のある街なんだろうなと。

虫展、まだやってますね。日本帰国時に行ってきたレポートです。

ハムシがトップを飾る。カブトムシ、クワガタが定番のなか攻めている。
最初の概説パネル。うるさすぎず、シンプルにデザインされている。
多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
ラオスで竹の子イモムシ、と呼ばれている大型のゾウムシ。いつか食べたい。
巨大なゾウムシの脚。びっくりさせる、ギョッとさせる目的でエントランス付近においてある。 逆に言うと、ギョッとさせる目的ではない場所で巨大な拡大模型は「過剰」なんだと思う普通の人にとっては。
ロクロクビオトシブミ。かなり小さい。深度合成写真のレベルが上ったので写真を見ると巨大な昆虫のように見えてしまうが 重力加速度の影響が少ない小さい昆虫のほうが人間が理解できない姿をしている。
カブトムシの飛翔筋の模型。
はにわや工房さんのマンマルコガネ。バンダイから出ましたがこちらが元祖ですよ。
広々とした大展示。
トビケラの巣からインスパイアされたといういくつかの作品。巨大化することで設計コンセプトが変わるだろうに、 そのまま相似拡大して「新しさ」を出しているように見える。うーん。華奢な構造のモジュール構造は人間用の建築には向かないだろう。
有名な建築家が参加。 デザインの「お手本」とするときに工学的な要素はあんまりいらないんだろうか。 バイオミミクリーというよりはインスパイアという感じ。
どれもキレイにしか見えなかったのでまぁ。メインターゲットではないんだろうなとあらためて思う。
和名のいろいろを組み合わせて新しい昆虫をつくる

話はそれますが、台湾が日本統治下にあった影響か、亜熱帯に広く住む昆虫の和名が「タイワンーーー」であることが多いように思います。 ラオスで見つけた昆虫がそのパターンである場合が多く、タイワン固有種と誤解を生みかねない不適切な和名ではないかと。実際私は誤解していました。
今後和名のルール化が目指される中で、地名が含まれるべきなのはその地域の固有種である場合ではないだろうかと思います。 (そういえば北海道にのみ生息するトウキョウトガリネズミなんてのも思い出しますね。)

昆虫食も売られてるやん!このスペースで将来、大昆虫食展を開きたいなぁとおもった。

さて、見に行く前から、うすうす気づいていましたが、そしてこの文章を読んだ方も気づいてきたかもしれないですが 、
この虫展は私はストライクゾーンに入っていません。外れ値だ。 もちろんブワーッと昆虫あふれる大昆虫展のほうがお気に入りだけれども、だがしかし。
気に入るということと、展示として興味深いことは別なのです。おそらく 展示学的にすごい判断が行われていたのではないか、と読み解きたい。それでは参りましょう。


はじめに提示するのは「世界一美しい昆虫図鑑」 クリストファーマーレー

レビューも投稿しました。そしてこちらが原著。

これは原著はアートワークなのですが、写真がたくさん入って情報が入っている分厚い本を「世界一美しい〇〇図鑑」と 名付けて売ることが一時的に流行したことを受けてのことでしょう。翻訳版が原著よりも安い、ということはそれだけ印刷したということで、一般向けに売れる方針をとらなければならないのでしょう。それは仕方ない。はたしてこれを学術的な文脈をもつ「図鑑」と位置づけていいものでしょうか。

だいたい昆虫の社会的位置づけが揺らぐと見に行くのは丸山先生、こんなことをおっしゃってました。

なるほど。学術の文脈を借りるのであれば、その文脈に対して侵害的であるのはマナーが悪い。
いくつかのアートワークでは折りたたみ、隠されている脚がいくつかの作品では取り除かれてしまっている。
丸山先生はただ批判だけして終わらない。(批判することはもちろん大事なのだが、そればかりでは外野から見ると息苦しくなってしまう) そのアンサーとして美しい書籍を送り出した。

その名もきらめく甲虫。
撮影技術、標本のクオリティ、そして角度を変えることで初めて「きらめく」はずの昆虫が 白い紙に平面に印刷されているのに、「きらめく」というそのすごさ。 大きい虫も、小さいむしもおなじぐらいに「きらめいて」いる撮影技術の一貫性 (同じように撮ってしまうと、サイズによってバラバラな写真になってしまうはずだが、そこが注意深く揃えられている。)
そして 次作

「とんでもない昆虫」
からの、共著者である東京芸大の福井さん作製のこの展示台につながるわけです。

多様性の極みともいうべき標本群。あえて分類群をまとめず、対比的に多様性を見せる並べ方をしている。
おわかりいただけただろうか。
ハムシの下の台紙の下になにかあるのを。

あえて昆虫の名前を隠すことで姿かたち、多様性に注目させ、ホワイトのバックにより清潔感をもたらす。 そしてラベルを「取り除く」という事もできたが今回は取り除かず、体の下に隠す、という方法をとった。
つまりこれは 学術標本の価値を全く損なうことなく、展示用に転用してみせたという意味ですごいのです。
更にいうと、ラベルを見せた展示もできたでしょう。 しかし見てわかるようにラベルというのは 採集当時に作られたもので、標本によっては黄ばみ、これまでの多様な昆虫標本では様々な時代、様々な人の字のクセが前に出てしまう。 このようなノイズを丹念に取り除く過程で、「ラベルを取り除く」のではなくて隠す、という選択をしたのでしょう。


この展示に敬意を送りたい。すごい。
しかし、生きた虫がいてほしかった。と「いろんな床材に苦しむカブトムシの映像展示」に釘付けになっている男の子をみて 思うのだった。生きた虫はすごい。強すぎて他の創作物を邪魔しかねない可能性を考えて、あえてここに置かなかったんだろうと思う。 生きた虫はラオスで楽しもう。そうラオスで。

ヨツボシヒラタツユムシ

以前にTwitterでテングビワハゴロモを評して「色彩構成でゼロ点」とコメントを頂いたけれど、これもまたそう。すごい。キャッサバの栽培状況を見に行っていきなりこれが現れるとインパクトがすごい。

人間の創造物だとしたら悪趣味で売り物にならない、と言われそうなデザインセンスを 「このデザインで生き残っている」という圧倒的存在感でねじ伏せる生き様!かっこいい! この虫の話もまた後でしましょう。

玉置標本さんにお誘いいただき、この虫を取りに行けることに。

タケオオツクツク Platylomia pieli

タケオオツクツク Platylomia pieli 脱皮直後成虫

実は昨年、玉置さんからおすそ分けをいただいていて、ラオス行きのバタバタですっかり味見を忘れてしまい、一年が経ってしまいました。私のズボラの不徳の致すところですが、あれからちょうど一年、ということはですよ、「セミを冷凍保存するとまずくなる」という検証を、外来種タケオオツクツクでできる絶好のチャンスなのです。ぜひ行かねば。手すりの虫のイベントでもとある方から「今年は梅雨明けが遅いのでタケオオツクツク、いい子出てますよ」とおしえていただいたりと、今年の梅雨明けを最も喜んでいた一人ではないでしょうか。

低い位置で羽化直後の成虫も見ることができ、満足です。腹側に長く伸びた鼓膜がカレイゼミの仲間の特徴のようですね。クマゼミと同じ透明の翅をもつセミですが、角度によってエッジがブルーに光る現象がみられて大変満足です。

味見 比較対象は一年前のタケオオツクツク幼虫と、今年同じ場所でとれたアブラゼミです。

幼虫 腹部の一部に苦味があり 少し残るものの歯ごたえがよく、外皮もやわらかい。胴が長いためかボリューム満点でおいしい。
アブラゼミ 木質系の香りがかなり強く、苦味は逆に少ない。旨味がやや強めでアブラゼミはおいしいセミであることがわかる。
一年前のタケオオツクツク 少しかたくなり、香りが全くダメになっている。変な臭みが発生し、苦味も引き続き残っている。美味しくない。
脱皮直後固まりかけのタケオオツクツク成虫 そっけない味で少しの苦味があり、うーんアブラゼミの旨味がやっぱり恋しい。
メス成虫 やわらかいかたまりかけ クリーミー! やはり少しの苦味があるもののクリーミーさにマスクされてきにならない。 ボリュームが有るぶん食べやすく、料理方法も工夫したいものだ。

もしかしたら、かなり美味しい種類のセミが日本の公園に大発生しているのではないか、と思います。そしてセミは冷凍しても味が落ちていく。つまり旬のセミを食べるしかない。これはセミが美味しいと知っている、昆虫食文化のある国の人からみるとたまらない状況でしょう。引き続き味見を続けましょう。

さて、この場所は私有地で、私有地のフェンスの外の遊歩道に、のそのそと歩いて出てくるセミを捕まえています。そしてこの私有地には看板。

竹の子ドロボー天罰

さて。タケオオツクツクが外来種であることも含めて、

昨年はセミ禁止令なんて看板もありました。

この「昆虫食と土地倫理の問題」どう考えていきましょうかね、とってもおもしろいです。

横浜で平日のみ、という自分にとっては厳しめの日程で開かれていたこの展覧会。

たまたま神奈川県での別の打ち合わせがちょっと早めに終わり、横浜に寄っても次の埼玉の用事に間に合いそうだったので、足を伸ばしてきました。

お目当てはTwitterでいつも拝見している福田亨さんと、奥村巴菜さんです。

まずは奥村さんのツノゼミ・ハゴロモ群。

女の子がお母さんらしき人に連続で質問していて、「ツノゼミはほんとにいるの?」「いるんだよ。」「じゃあポテトツノゼミは?」「これはいないよ」「え、ポテトツノゼミはいないの?」とのやり取り。たしかにこれは難しい。

パロディというのはなかなか成立が難しく、とくに奇天烈なツノゼミの前胸背板の多様性にインスパイアされて創作したポテトツノゼミ、トウガラシツノゼミは、年若い女子にはなかなかハイコンテクストだったのではないでしょうか。しかしポテトツノゼミのハイコンテクストに負けず、好奇心が刺激されたようでそこの文脈が伝わらなくても伝わっている部分にパワーを感じました。

そして立体木象嵌の福田亨さん

すげぇ。ゲンゴロウで水面を表現してる。。。超絶技巧の昆虫、というどえらく存在感のあるもので、日頃見慣れた水槽の水面を、何もない空間に見せてくるってすごくないですか。360°どこから見てもスキがなく、欄間や障子のような日本の風情をもつきっちりした枠に透かし彫りの水草の雰囲気と、水面のようなむらのある木材、そして生き生きと丸っこいゲンゴロウ。これはずっと見ていたくなる。

そしてTwiterで話題になったクワガタ。あえて樹皮を図案化してクワガタの生々しいエロいラインを見せてくる台座。えっちだ。

私もTwitterユーザーのはしくれとして、バズるツイートができればいいなと思っていた矢先、ふとみるとなんだか通知がうるさい。

みんな虫より○チンコが好きか。パチンコが。これまでの虫関係のややバズりつぶやきを大きく抜いて、この横浜駅前の看板がいちばんバズる。なんとも需要と供給とは難しいものですか。ね、虫を見ていってくださいよ。○チンコではなくてさ。このアカウントは昆虫食アカウントであり、このブログは昆虫食ブログですよ。そういえばシン・ゴジラでバズったことがあったな。

注意力散漫昆虫食ブログ、どうにかやっていきます。

手すりの虫インラオス でお世話になったとよさきかんじさんが出版記念イベントに。サインをもらいに行ったのと、ゲストがまたおもしろい。

金井真紀さんというそうで、ベテランのむしぎらいとのことでした。

いやー面白い対談でした。虫が好き、虫が嫌い、どちらも社会で生きづらさを抱えていて、人間社会の濃いこの東京でいちばん生きづらいのはやっぱ昆虫であろうと。数減ってるし。そういった共通認識の上で、人と人は手を取り合うことができるのではないか。みたいな新時代の希望をみました。すごい。

虫と和解せよ

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7月9日に村で会議が行われ、10日に首都ビエンチャンまで移動し、11日朝に帰国、午後から打ち合わせをこなし、12日にはつくばで打ち合わせ、13日土曜日、初めての週末に、ラオス感がまだまだ残るアタマとカラダで行ってきました。

渋谷という立地、デザインとしておしゃれで、意識が高そうで、そして学術的なニオイがあまりしない中、石川先生と西廣先生、というアカデミックなゲストを呼んで何が展開されていくのか、とても気になりました。

今回は私はタダの客ですので、
主催者の意図をそっちのけでわざわざ昆虫食をぶっこんで質問するような無粋なことをしなかったのですが、会場で「昆虫が入るとこう考えるな」と心の中でつぶやいたこと
(けれど会場では言わなかったこと)をつらつらと書いてみようと思います。

まずは講演。
西廣先生は植物生態学者、地球環境変動、主に温暖化をテーマに
温室効果ガスを減らしていく「緩和」と
すでに温室効果ガス排出を今年ゼロにする、というとても達成できないゴールを設定したとしても、存在するガスによる温暖化は進んでいくという予測から
「適応」という見逃されがちなもう一つの手段について説明していきます。

そしてこれからの未来は「適応時代」だと。

ふむふむ、たしかに昆虫食は温室効果ガスを出しにくい、という「緩和」で注目されたけれども、
熱帯に多く生息し、(参考:熱帯雨林のアリのバイオマスは同地域の脊椎動物の総和を超える推定)
40度の高温でも生育障害を起こさない種もあったり

かつて地球がもっと温暖だった頃は変温動物が幅を利かせていたことも関係しそうだし
ガスを出しにくく高密度で買える性質から閉鎖系の熱交換器(エアコン)を使った飼育系にも
適応している(排気ガスの多い反芻動物はガス交換の需要がおおいので断熱しても熱交換器の効率に限界がある。)とも言える。

お次は田んぼの生物多様性、を調べると5668種の生物
うち昆虫、クモ類1867種!やはり昆虫多い!
そして、害虫でも益虫でもない、ただの虫が多い。

今後気候変動による農地の変化に対して「緩和」するにしても「適応」するにしても
この1800種という1/3の生物を、たった177種の害虫予備軍のために平等に
(無差別に)殺虫剤を撒いてしまうことの巨大なロスをあらためて感じるわけです。

そして救荒食としての雑草。
東大阪大学の松井欣也先生は救荒食としての昆虫に注目して研究していますし

次の話者である石川伸一先生も東日本大震災の経験をもとに話題にしていまして

「もしも」に備える食 災害時でも、いつもの食事を」にも、「もしものときに、いつもの食が手に入ったときの安心感はすごい」
と東日本大震災の被災時の実感を込めて書いていらっしゃるので
「非常時のみの食品」というよりは「非常時にも、そうでないときでも災害備蓄を確認するイベントとしての採集食」という位置づけが生まれてくると思います。緊急時の飢餓を回避する目的で、食べ慣れないものを無理やり食べる、というのは災害食としてはふさわしくないですし、戦時中の昆虫食の体験を記録している方も、やはりトラウマ的な記憶のようだ、と話されていました。
これでは豊かな文化とはいえません。

また、ラオスにおいては「失業しても稲作を手伝って野生動植物(昆虫を含む)をとってくれば死なない」
という生態系ベーシックインカムとして機能しています。

ちなみにですが、「データ栄養学のススメ」によると
東南アジアの(おそらく天水の)稲作の効率は焼き畑に次ぐカロリー収集効率で、熱帯モンスーン気候を生かして乾季は雑草伸び放題、雨季は雨の到来にあわせて土を耕し、苗を用意し田植えをする様子はかなりの省エネです。

とはいってもこの生態系ベーシックインカム機能は不完全で、野生食材に依存して生活している世帯の子供は栄養不良が多い状態が続いています。

つづいて石川先生は新書
「食の進化史」から。

「なぜ人は食の未来に興味をもつのか」ウーン。これは気になる。
関心が強い、食の研究者だけでなく、素朴な普通の人においても「食の未来」は気になってしまう。

私は一種のSFの潮流だと思っています。少し前までは
巨大な資源を投資して地球外に出ることで、なにか救世主(逆に展開すると破滅者)がやってくるのではないか、という展開が好まれました。

しかし宇宙開発が年々縮小し、ソユーズを使い続けている現状では、なかなか未来のビジョンとして大成功した宇宙開発、というイメージは懐きにくいとおもいます。
一方で「胃袋を掴む」ではないですが、食の主体性を獲得した個人、もしくは組織は強いです。

そういう意味で社会性の原始的な形が「食」で、生命の持続可能性のためには持続可能な「食」がないといけない。
マッドマックスがおそるべき搾取的で、かつ効率的な食糧生産を
イモータン・ジョーの恐ろしさを説明する背景として設定にいれたのも
ブレードランナー2049でデッカードの隠遁生活を藻類と昆虫の養殖で示し、昆虫による物語の展開が起こったり、昆虫を養殖するファーマーとして死ぬことを選んだレプリカントがいたりと。
インターステラーは旧式に見える宇宙船で、地球の食料が壊滅することを理由としてやっとこさっとこ資源を調達して打ち上げ、新しい星を探しにいっていました。

未来の安心には食が欠かせない、とSFの世界(≒一般の人が感じる科学的な未来)が気づいてきたという納得の潮流です。

石川先生からはいったん科学を手放して、先生の知識をもとに
「歴史学的に」もぐっていこうという試みをこの本でも行っています。

「食の進化史」を読むとわかるのですが、専門分野の論文だけでなく
食に関する文芸、料理、アートまで先生の膨大な知識から
「未来を予測する」試みをしています。

そしてイベント最後、年表を用意し、過去から未来まで、食の歴史をひもとき
未来に「何が起こるのか」みんなで考えようというパフォーマンスアートが展開されます。

やはり「食べて考える」ことの五感の刺激度はすごいと実感しました。
視覚や聴覚を通じて、刺激的な文字情報、映像を見せたとしても
口の中や体内に取り入れることの「実感」にまさる情報量はないでしょう。
そこに「食べる」ことの決断性も含まれているように思います。
食べようと思わない限り食べないのが人類です。

しかし、今回は沈黙を貫きましたが昆虫に関する
直感的に想像できない項目については、
どうしても沈黙してしまうことも感じました。

日本人には相容れない、まだ早いという食文化を持つ人が日本に来た時に 日本人がどう準備できるか。そこに食の専門家がどうサポートできるか。— 蟲喰ロトワ 蟲ソムリエ しばらくラオス 一時帰国11月予定 (@Mushi_Kurotowa) July 13, 2019

西廣先生は耕作放棄地の生態学的調査を通じて
かわりゆく、温暖化が進みゆく地球でどのように対策するか
という一種の「適応」についてもその地域の現場に参加する中で研究しています。

日本では農業の成りてが減っていき、耕作放棄地も増えています。
一般に耕作放棄地は生物多様性が減少すると思われがちですが(私がそう思っていました)

かんたんな水張りと水路の管理によって生物多様性の豊かなビオトープのような土地が出現するとのことです。こういった「生態系サービスの供給源」としてのかんたん管理の耕作放棄地

もうちょっといい言い方をすると「水田リタイアビオトープ」のような感じでしょうか。
そこで「虫」の相談をしていただきました。近いうち動き出せればと思います。

生態系にこんなにも昆虫がいるのに、その料理法やメニューをもたない文化というもののアンバランスさを、知らない人は感じることもできず、

そしてそういった人には昆虫食の未来を予測することも困難です。

今回のパフォーマンスアートにもコオロギが少しだけ、未来の年表にも少しだけ昆虫の話がありましたが、「過去に昆虫が食べられていたという事実」を年表には示せていません。

つまり、
主観が入る余地が明確な「予測」だけでなく客観的な情報収集における収集者のバイアスですら、現在の食文化によるバイアスが網羅的な、中立的な未来予測を妨げかねないのです。

どうしても思うのが、
「未来や過去を想像するとき人間は現在の価値感に引きずられる」という一般的な傾向です。
そしてその緩和には、メンバーを日本人だけでにすること、あるいは先進国の人間だけにすることの不足を感じました。

もうちょっと具体的に言うと、
日本人だけで未来の予測をできると素朴に信じていることのはやっぱり危険です。

私から提案できるのは、
昆虫食文化を持つ、これから人口が増える国の人達との対話、そして場が温まってきたら、ゆくゆくはガチの議論ですね。

そんなイベントをしたいと画策しております。お待ち下さい。

新しいハリウッドのゴジラ、観てますか。こちらは観れませんのでTwitterを見ながら嫉妬しています。

うらやましいのでプライムビデオのゴジラ関連を観て、悔しさを紛らわしています。そしてひっそりと一年ほど前からウォッチリストに入れていたマイナー映画にプライムビデオのマークがついたので、早速観ました。オススメできる怪獣映画ではないのですが、おもしろい「怪獣の映画」でした。

ソウルに怪獣が出現、理不尽に街を破壊する。「怪獣は足元を見ない」「普通腰ぐらいのところにビルがあったら避けるか何かするだろう」「だからあれは生物ではなくて無生物とかロボットだ」などとこれまでの怪獣映画を若干ディスる発言もあり、なかなかおもしろいです。怪獣映画のフォーマットをしっかり踏まえた上で、インディーズ映画として(予算も節約しながら)どう解釈し、人物とストーリーに還元していくか、王道ではなく外道ですが、随分と考え練られた「怪獣の映画」です。

どうやら当初の企画段階ではソウルを東京に、怪獣がゴジラになるというプロットだったそうですが、もしこれが実現していたら異端のゴジラ映画として、マニアに名を残す存在になったことでしょう。東宝は懐が狭い。これはゴジラ映画に入れておくべきものだったと思いますよ。興行が振るわなくても後から再評価されるビオランテみたいな映画になったはず。

主人公グロリア(アンハサウェイ)はアルコール依存症のダメ人間として描写され、ネット炎上で休業状態。面倒見のいい彼氏からも見捨てられ、ニューヨークから誰も住まない田舎の実家に戻る。そこで小学生以来会っていなかったオスカーと再開し、彼のバーを手伝うことになるが、朝まで飲み明かすダメ生活に戻ってしまう。

ダメ人間、というのの掘り下げを怪獣を使って行うのがすごい巧みです。社会からの疎外と、報われない承認欲求が蓄積していくことで、一瞬定番のロマンス、あるいはそれからこじれたストーカーチックな気配は匂わせるものの、皆が孤独なモンスターを抱えており、加害と許容、という形でしか承認を満たせないかもしれない、という恐怖と戦い、そしてその具現化である怪獣を嫌悪し、畏怖しつつも少し憧れていることを隠しきれない。

つまり外道の怪獣映画ですが、観客を内包するという意味で王道の怪獣の映画なのです。ソフビ人形を持って砂場でドシャーンバキーンと無法を働くごっこ遊び。それが具現化し、遠くソウルの人たちを蹂躙していると知った時、人はどう動くか。

グロリアがオスカーの暴走を止められず、ソウルが蹂躙される様子を想像して地元の公園の砂場でガチ泣きするシーンが最高ですね。確かに昔のごっこ遊びはガチだった。

アンハサウェイが善人ではなくダメ人間として描かれ、そしてロマンスではなく性欲と承認欲求が素朴に描かれることで、男女というジェンダーから離れた、怪獣的な破壊衝動をうまいこと描いています。女性ジェンダーからの暴力衝動、というのは今後SFで盛んに描かれていくと思いますが、面白いです。アリータなどもそこらへん意識されていますね。そして怪獣デザインがうっすらプルガサリに似ていると思うのは気のせいでしょうか。

買えとオススメできないけれど、アマゾンプライムだからこそオススメしたくなる、そんな映画です。同じように買えとは言えないけど一度は見ておいたほうがいい、と言われて見たゴジラ映画がヘドラ。これもすごいです。ゴジラ以外全部おかしい。映像も音楽もヘドラも人間もサイケ。ゴジラだけが癒し。突然飛ぶのもご愛嬌にしか見えない。ありがとうゴジラ。信頼と実績のロマン輝くゴジラ。