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ものすごい本が出ました。一般書です。公衆衛生学の教授が、妻と息子を共著者としてチームで作った、という家族崩壊しかねないのではないかと心配してしまう本です。これは全くの邪推で、素晴らしい良書に仕上がっています。公衆衛生学のはじめの教科書としても読めますので、私のラオスでの活動の意義を知りたい時の下地となるデータ集としても、もちろんオススメですが、私の驚きはそこではないです。

「平均」以外の統計用語を使わず、「GDP」以外の経済用語も使わずデータの重要性と、そこからファクトに近いものを選んでいこうという心構えを平易な文章で説明しています。本文で語られるいくつかの心構えのうち

直線本能 世界の人口はひたすら増え続ける、という思い込み

なんかは以前の記事「昆虫食は未来の食糧問題を解決しない。」とも直結する話です。


感想を呟いたら翻訳者にお返事をいただきまして、原著の志を汲み取り、「偉そうな文章を書かない」ことを心がけたようです。すごい。「だ、である」調は学術書を書く時に普通の文体で、翻訳版の価格が上がらないよう、紙の節約ぐらいの意識で使われてきたように思います。それを「偉そうに感じる」という理由でですます調を選んだ、というところに、やはり不特定多数の社会に向かって情報発信するからには、非専門家と専門家がタッグを組むことの重要性を改めて感じたのでした。専門家が一般向けに書籍を書く場合、専門書を読む前の要約入門書、のようなものになりがちです。しかし往往にして、ある分野の専門家になりたい人、というのはこういった本を読まずにガチの教科書に当たることが多く、専門家になりたくない人はそこまで興味を持ちません。この本は専門家の実体験や統計を駆使したデータの読み方、そしてデータは大事だけれども、それだけでは真実にたどり着かないことなどの失敗経験を通じて、「ファクトフルネスという態度」に気づかせようと作られたものです。なので専門家のスキルや経験はあくまでファクトフルネスに至るためのプロセスであって、それを手法としてうまいこと利用している、という点でものすごく一般書のあり方に自覚的であると思います。

そして見事な13問。バイアスを引き出すという意味で、3択の問題は恣意的にコントロールされています。これは回答者のありのままの考えを引き出すアンケートとしては良くないのですが、公衆衛生学の教授なのであえてバイアスが見えるようにやっていると思われます。世界はよりスリリングでドラマティックであるかのような思い込みを引き出された回答者は、ランダムに3択を答えるはずのチンパンジーの回答率を下回ってしまうのです。

もう一つお勧めしたいのが、この回答をチンパンジー以上に答えられた知識のある人です。統計や公衆衛生、世界の問題に自覚的に取り組んでいる方だと思います。統計の用語を理解しないとここら辺の理解は不可能だろうと私は思っていたのですが、この本は統計によってデータを扱うスキルではなく、その大切さ、というエッセンスを伝えることに成功していると感じました。伝え方。コミュニケーションの方法として、ものすごくストイックで、そのストイックさがとっつきやすさにつながっていますので感心することしきりです。つまりこの13問に答えられた人も、答えられなかった人もこの本のターゲットなのです。すごい。これぞ一般書。

そして、日本語訳者の宣伝の仕掛け方が新しくおもしろい。冒頭の13問(サービス問題を除く12問)に到達するには、本来ですとKindleの試し読みをダウンロードする必要がありますが、そのアクセシビリティを高めるためにウェブサービスとして実施しています。

このブログも多くはスマホで読まれているようです。一般向けにどう情報発信していくか。今は多様な手段がありますので、バチっとハマれば大きな資本がなくてもできてしまいます。すごい時代になったものです。それだけにどれを選んでいいかわからない。同じ分野の前例に習えばいい、となりがちです。

この宣伝活動を見て専門家が、非専門家とタッグを組んで、新しい価値を社会に向かって創り出せる時代がやってきた。未来は明るい、と感じました。

一方で、主著者の専門である公衆衛生で「世界は良くなっている」とは述べつつも、彼は「専門外ではわからないことはわからないと言う」という態度こそファクトフルネスと書いていますので、もうちょっと生態系と人間とのこれからの付き合い方について「ファクトフルネス」の続きが読みたいな、と思えてきました。

残念ながら「世界の生態系は悪くなっている」というのは彼が指摘するようなドラマティックな思い込みではないです。また、彼の専門分野である公衆衛生と生態系は密接に関連しています。1日2ドル以下でくらす最貧困層は生態系への依存度が高い自給的生活をしていますので、その土地の生態系を抜きに現金収入だけで一括りにすることもできません。(余談ですがアフリカの砂漠地帯での1日2ドル以下、とこちらラオスでの1日2ドル以下、の生活は随分と異なります。ラオスは割と現金を使わずに、それなりに豊かな狩猟採集生活ができる生態系があります。)また、気候変動に大きな影響を受けるのは私たち現金収入が十分なレベル4の人ではなく生態系依存度の高いレベル1の彼らである、という非対称性があります。この非対称性が、生態学の専門知識をもって最貧困層を支援すべき理由となるでしょう。今年は持続可能な開発を掲げたSDGsなんかが盛り上がっており、国際協力とビジネスを組み合わせることで、いつまであるかわからない寄付や助成金だけに頼らない持続可能な形にしよう、という「経済的持続可能性」はよく話題に登るのですが、その活動が現場の生態系に対してどこまで負荷をかけるのか、どこまで環境収容力があって拡大可能か、とのアセスメント がなされることがほとんどなく「生態学的持続可能性」をかたるSDGsビジネスはほとんどないです。経済的持続可能性をアピールしたいがために無限に活動が広まったら(ビジネス的に)無限に持続可能だ、といった生態学的持続可能性を無視した言い方をしてしまうアピールをしばしば見ています。

つまり援助業界のSDGsの流行に際して、サステナビリティの語源となったはずの生態学の専門家がなんとも不足しているのです。生態学の専門家と、おそらく非専門家とのタッグがいいと思います。ファクトフルネスの生態学分野での続きを、どなたかよろしくお願いいたします。


2019 0317 翻訳者からコメントをいただきましたので追記しました。

非常に丁寧にコメントをいただき、原著者に対して批判的なコメントすらいただけました。なかなか原著者に対する批判的な態度というのは難しいものだと思います。今回のやりとりは非常に満足度の高いポスト読書の経験で、「ファクトフルネス」を地でいく翻訳者の態度に感銘をうけました。これはすごいことをしていて、そしてここをマネタイズすることが翻訳、という世界の革命になっていくんだろうなと。特に一般書ですが、翻訳者は本当に原著を読み込んだ最初の人で、ローカル版(今回は日本語版)をつくるにあたっての最大のキュレーターでもあるんだろうと感じました。日本語版注釈について、かなりの日数と文字数をかけて(この具体的な数値があるのもマネタイズすべき分量が可視化されていてファクトフルネスですね)うーん。重ね重ねすごい。

そしてこれは真似していくべきなんじゃないかと。かかった労力を開示して、その価値を見出してもらい、この先はマネタイズをしないとこんなにいい体験は持続可能じゃないぞ、と危機感をもたせる。「書籍」が何冊売れた、という部分を大きく超えた「読書体験の提供」があるような気がして、わくわくしました。

Twitterで反響がありまして、いくつかライフハックもおしえていただきましたので紹介しておきます。きっかけはこちら。

モンベル、すごかったんですよ。こちらの街に来ている日本人の方でもお腹の弱い方が多いようで、暑くて汗かいて汗冷えしてもまたお腹を下してしまう。トイレのグレードが日本のものには程遠く、なかなかいい環境のトイレにめぐりあえずにストレスになってしまうなど、暑い地域でのお腹の問題はなかなか困ったものがあります。個人差があったり、プラセボに近いものがあるとは思いますが、とりあえず自分のものと教えてもらった情報をまとめておきます。

私がこちらにきてからまだ半年ですので、そのほかライフハックがありましたらおしえてほしいです。

お寿司、というたいへん有名な日本料理があります。Sushi と呼ばれ、もう世界中でメジャーな存在となってきました。こちらラオスでも屋台でたまに見ます。カニカマが使われたり、鮮やかに色付けされた、とびっこが使われたりと、なんらかのアレンジが効いているのがいいですね。「寿司」というのは縁起を担いだ当て字で、魚を使ったものは「鮨」が一応の本来の漢字のようです。

ラオスの屋台のSUSHI

では魚を使わずに虫を使った鮨はどうなるか。探してみたら中国語にこの漢字がありました。𧊙 。虫偏に旨いと書いてzhiという読みで、意味がよくわからないのですが中国語を理解できる方がいらっしゃいましたら教えてください。

ということで今回はラオスで「お𧊙」を作ります。2キロほど離れた市場にいけば買える昆虫に対して、「鮨」の材料はきわめてアクセシビリティが悪いものです。とにかく日本食材が売っていない。いろんなもので代用していきます。まず台座。寿司下駄みたいなやつがほしかったので、二百円ほどでラオスで使われている木を輪切りにしたまな板を購入してその代替としました。笹みたいな敷き紙も欲しかったので、借家のバナナの葉をとってきました。長粒種のうるち米、カオニャオを買い、パイナップル酢とみりんの代わりにパームシュガー、そして味の素(こちらの味の素はキャッサバ由来)でつくります。そして海苔。これは代替はどうにもなりません。市場のお店でたまたま安売りしていた(とは言っても日本の倍ぐらい高い)味付け海苔があったので、購入してみました。次に無事熱帯の素材で「酢飯」らしきものができました。正直昆虫以外の食材を揃えて味を整える方が大変でした。

次に具材を決めましょう。養殖したゾウムシをピュアな味にしたかったので、一晩臭みのない食材をたべさせる、という従来の糞抜きではなく背開きにして消化管を取り除く、という物理的な背わた抜きで対応しました。背開きの後、脂肪が流れないよう注意してバナナの葉の上に置き、2分トーストしてから常温に戻すと溶け出した脂がチーズのように固まり、滑らかな脂肪の表面があらわれます。

ツムギアリは年中手に入る食材ですが、今の時期はちらほら女王アリを含む幼虫が売られていることがあります。女王は体積にして10倍程度でしょうか。食感としてはちりめんじゃこぐらいだった働きアリの幼虫に対して、プチプチ感がたまらず、イクラぐらいあります。プチっとした食感と、深いコクが特徴です。小さい皿で価格も2倍くらい。彼らも女王がおいしくて高いことを知っています。ツムギアリはさっと茹でた後、すぐに氷水に入れるとプリッパチッとした食感が戻ります。

Pupae and larvae of Oecophylla smaragdina ツムギアリの働きアリと女王の幼虫、成虫の比較。

それでは盛り付けて完成です。

ツムギアリ女王の前蛹と幼虫だけの軍艦。働きアリと混ざって売られていたものから箸で一頭一頭つまみ上げ、さっと湯通しして氷水に入れるとプリッとして透明感も戻る。イクラと甘エビのような味。陸上生物なのに磯の香りもする。白イクラと名付けようか。ネギがシャキッと磯臭さをまとめあげる。
ツムギアリ女王サナギだけの軍艦。サナギになると味が澄むかわりにコクは減り、シュクっとした食感。コーンで甘みとプチプチ感をプラス。成長段階の味の違いをはっきり比べられる軍艦に。
ゾウムシの開き。背ワタを破らないよう慎重にとりのぞき、トースターで2分。脂がこぼれないよう数分待って、とろけるチーズぐらいの硬さになったらトッピング。木の香りがするトロ。トロに比喩するのが失礼なリッチな森の味わい。

残念ながら、「𧊙」の字はブラウザによって文字化けするようです。

おつきあいいただきありがとうございました。いい字が見つかったので積極的に使っていきたいと思います。

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まとめていなかったのでまとめ直しておきます。

2017年、初めてラオスに訪れた際に、村人からドクバッタをもらいました。
「誰も食べない」と言われたドクバッタ。笹を食う、とその時は教えてもらいました。教えていただきましたがAularches miliaris が一番近そうです。

ということで結局味見はしていません。大発生して稲を食害する、という話もあるので、キョウチクトウなどの毒草を食べさせずに無害化できたら、彩りがよく動きも遅く、捕食者に狙われにくいので素晴らしい家畜になると思います。完全養殖したいですが、もうちょっと生態についても調べておきます。

あけましておめでとうございます。2019年はラオスに入り浸りになりそうな予感です。昨年11月から試験的に導入した昆虫養殖が予想以上にうまいこといっており、養殖された昆虫の「売り先」を確保しつつ持続可能な昆虫養殖ビジネスへとつなげていく必要性が目の前に迫ってきたのです。

支援先の村人や公務員からよく言われるのが「NGOは技術だけ教えてプロジェクトが終わったら何も残らない。売り先がないから村人はやめてしまう」とのこと。最近流行のSDGsには二つの「持続可能性=サステナビリティ」があります。一つはNGO、NPOの活動の持続可能性です。そしてもう一つは生態系から見た持続可能性です。

ななむしがゆ

参加し始めたばかりでこの業界について語るのも恐縮ですが、国際協力活動は、そのほとんどが寄付か助成金に頼っています。クラウドファンディングも含めて「寄付」は来年以降も続くとの確約がなく、そして助成金は3年などのプロジェクト単位での期限付きです。その中で「生計向上」を掲げるプロジェクトはその技術が普及したことを成功の指標としてデザインされていることが多いそうです。しかし、しかしですよ。技術を持っても生産するにはコストがかかるんですから、売り先がないことには持続可能にはなりません。3年プロジェクトで技術を普及させて、報告書を書いて、その後その団体が地域から去っていって誰も続けない、という残念な結果がよくあるとのことです。

そして、もう一つの持続可能性は生態系の持続可能性ですね。こちらは人間の都合が効かない、というか人間の活動は生態系が持続可能である前提で持続可能なので、もうちょっと重視されてもいいのですが、昆虫食の売り文句としてよく使われています。前に「昆虫食は未来の食糧問題を解決しない」でも触れたのですが、昆虫であれば、自動的に持続可能になるわけではありません。持続可能でない、生態系に負荷の大きい昆虫養殖は誰でも簡単にできます。なので、そこに監視の目が必要で、それをブランディングしていくことが、昆虫食の健全な拡大に貢献することになるでしょう。

ということで、現在は国際協力活動として助成金のスキームを使っていますが、その後は売り先を確保し、ソーシャルビジネスとして成立させ、売り上げを生計向上や栄養支援につなげながら拡大するのが社会貢献になるだろうと考えています。NPOという形態をとらないことで、専門人材をそれなりの待遇で迎え入れるための投資を募ることもできていくでしょう。

ともあれ忙しい一年になりそうです。年末年始の疲れを癒す、ななむしがゆを作って正月をおだやかに過ごしましょう。冷凍庫を覗くと中に7種ぐらいの昆虫があったので、在庫整理も兼ねて簡単に「ななむしがゆ」の料理をします。

揚げる食材

香ばしさとカリカリを楽しむ具材は揚げておきます。今回はゾウムシ幼虫、ゾウムシ成虫、トノサマバッタ、タガメとヒメカブトの前胸を揚げました。ヒメカブトとタガメは硬いので飾りです。

揚げない食材

タガメの胸肉、ヒメカブトの胸肉、ツムギアリの幼虫、タケムシの幼虫などの柔らかい昆虫素材たちはオムレツに巻き込みます。そのほかパクチー、揚げ玉ねぎ、ねぎ、トマト、ライムなどのラオス風おかゆ(カオピヤックカオ)に必要なオーソドックスな食材を用意しておきます。揚げ玉ねぎと一緒に、茹でて干して粉末にしておいたヤゴを振りかけて、風味をつけます。

鶏ガラで出汁をとったら、おかゆモードでうるち米を炊き、具材をトッピングしたらライムを搾り、軽くナンプラーをかけて完成です。辛いものが多いラオスでのお腹に優しい滋味深い味わいです。

ななむしがゆ

さて、新年もやさしく参りましょう。今年もよろしくお願いいたします。


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「昆虫食は未来の食糧問題を解決する」という話を巷でよく聞くようになりました。

「日本の風邪には」「ルルが効く」みたいなもんで、
「未来の食糧問題に」「昆虫食」とよく言われます。ゴロがいいですね。

うん。わかりやすい。

この文章はキャッチーですが、昆虫食に対する優良誤認を与えかねない文言なので、慎重に使っています。「昆虫食が未来の食糧問題を解決?」のような疑問形で言い切りを回避することが多いです。これも一時的な責任回避であって無責任と批判されても仕方ありません。当然ながら、「それって本当?」という質問や問い合わせも増えてきていますので、その説明責任を果たすべく、この記事を書きました。

さて、このキャッチフレーズには二つの大きな問題があります。

1つは、食糧や人口予測に対し、昆虫食が影響する根拠がまだまだ弱いこと。

もう1つは、解決すべき「未来の食糧問題」の設定があやふやであることです。


1、食糧や人口予測に対し、昆虫食が影響する根拠がまだまだ弱い

地球規模の未来予測には数多くのパラメーターが関与していますが、いまのデータが揃っていない昆虫食では、それらに影響できるほどの確たる根拠がありません。昆虫の中では一番データが揃っているコオロギですら、まだ技術的未来予測を含む段階です。ひとまずこちらにまとめましたのでお読みください。

コオロギ食について整理してみないか 1
コオロギ食について整理してみないか 2
コオロギ食について整理してみないか 3

温室効果ガスのデータがあるコオロギでこのまま突き進めばいい、というわけでもありません。コオロギの餌の組成が、人の健康に適した栄養バランスである以上、コオロギの餌となる穀物、大豆、魚粉などの供給が人の食料と競合しかねないからです。また、コオロギ養殖の主な環境負荷要因が、コオロギの餌の生産(ニワトリ用配合飼料の生産)であるとの指摘もされていますので、そもそも食用と競合しかねない飼料を生産すべきか、という前提まで検討する必要があります。他の昆虫、特に「人には十分足りている栄養成分のバイオマスを餌とする昆虫」あるいは「人が食べても栄養にならない餌を食べる昆虫」を検討し、単純な効率ではなく、機能としての養殖昆虫を検討しないといけないと考えています。

表題の煽り文句をちょっとマイルドにするならば、
現段階のデータでは、「未来予測に必要な昆虫食のエビデンスが揃ってない。」といったところでしょうか。食糧危機の根拠によく使われている、世界の人口増加予想も、出生率が変わるだけで、大きく発散する可能性もあれば、小さくおさまってしまう可能性もあります。

https://population.un.org/wpp/Graphs/DemographicProfiles/ から引用

現状では、この世界的な出生率に影響しそうな、あるいは出生率に応じた世界的な食料増産につながるような、強いエビデンスはまだありません。昆虫食の戦いはこれからだ!といったところです。


2、解決すべき「未来の食糧問題」の設定があやふや

こちらの方が問題は大きいでしょう。世界人口の増加から予測される「未来の食糧問題」は総量を想定していますが、総量が足りなくなってから訪れる未来の食糧問題、という想定は、現在の食料問題を反映していません。
現在の食料問題は総量不足ではなく分配の不均衡ですので、「未来」と「現在」の問題を切り離してしまった結果、「食料が適切に分配される社会システムが整った未来において」という、無理のある設定を「未来の食糧問題」に込めてしまっているのです。

このような都合のいい「未来の食料問題」に対して、昆虫食が貢献する可能性を積み重ねてしまうのはむしろ、実現性を怪しくするでしょう。総量がほぼ足りている現在ですら、分配の不均衡から栄養の問題が発生していますので、総量が足りなくなる未来になれば、その不均衡はさらに悪化すると考えるのが順当でしょう。現在の昆虫食マーケティングによって富裕層に昆虫を食べ始めさせることが、かえって貧困層の食用昆虫を将来的に奪ってしまう可能性すらあります。ではどうすればいいか。


私からの提案は昆虫食の未来予測をするためにも、

「昆虫食は、現在の食料問題を解決できるか」から始めませんか、です。

私は、ラオスの栄養問題に対応すべく、ここに来ています。
栄養問題といっても一般的に思いつきがちなガリガリのお腹の空いた子供たち、のような「飢餓による痩せ」はラオスでは大きな問題ではなく、お腹は空いていません。「カロリーは足りているが他の栄養素が足りない」という低身長の子供達が多い状況です。
では他の栄養素にアクセスできるにはどうすればいいか。単純に栄養のあるサプリをプレゼントしても、彼らが自力で栄養を得る手段にはつながりません。足りていない栄養を補う技術として養殖昆虫食を提案しているところですが、同時に教育や貧困対策も複合的に関わってきます。ではどのようにアプローチできるか。これは国際協力における「地域保健」と呼ばれる分野になります。貧困と栄養は分けて考えられがちですが、「洪水により作物がとれなかったときに現金で市場に買いに行ける」といった具合に、現金収入の向上は間接的に栄養改善にも影響します。なので、我々の技術提供によって養殖された昆虫が直接農家に食べられなかったとしても、複合的に栄養改善につなげるサポート体制を整えようとしています。
そして、この活動は現場の生のデータがとれる「昆虫養殖場」がラオスに誕生することでもあります。地域の自給自足のバイオマスを使い、廃棄物は土地に還元し、村で利用されてこなかった余剰のバイオマスから、栄養バランスのいい食品へと濃縮する機能性が、昆虫に求められています。その第一目的は、交通の便が悪く、現金収入のほとんどない村落において、都市部に遜色ない昆虫養殖のランニングコストを達成するためですが、それは同時に、持続可能な昆虫農業の新しいモデルを作ることでもあります。


昆虫食文化のある地域において、その地域にあるバイオマスを使い、僻地であっても持続可能な農業が栄養を補っていく、あるいは地域外に向けて現金収入になる生業を普及させていくというアイデアは、昆虫を使うこと以外はまったく王道の、オーソドックスな国際協力といえます。そしてそのような「現場」が生まれることは、昆虫食に足りない様々なエビデンスの源泉といえるでしょう。
ラオスには昆虫食に対する偏見はありません。苦情を言ってくるご近所もいません。私の今の借家の大家さんも寛容で、環境は整っています。つまりこれまでの昆虫食普及論で言われがちだった「これから社会の偏見を減らす必要があるだろう」と締めくくることはできないのです。とても責任を感じてヒリヒリします。
昆虫食は「採集から養殖へ」という大きなポテンシャルがありながら、昆虫養殖を使って栄養を届ける国際協力プロジェクトはこれまでほとんどありませんでした。なぜなら先進国に昆虫食の概念がなかったために、他の家畜や農業に比べて知識や技術も乏しく、成功例もなかったからです。
一方で、すでに栄養の足りている先進国の間で「昆虫食には栄養がある!」「未来の栄養!」と(私を含めて)声をあげてビジネス化を急いでしまうことは、今まで昆虫以外の生物で起こってきた、遺伝資源の搾取や文化の盗用につながりかねない、危なっかしい状況と感じています。

あなたが食べている昆虫、本当に持続可能ですか。
あなたが誰かに食べさせている昆虫、本当に持続可能ですか。

私は月に3から4回、村に出張して最初の昆虫農家を指導しながら、都市部の拠点では3種類の昆虫について、卵の安定供給のための技術開発をしながら、村にあるバイオマスをつかって餌を完全自給できるよう、組成を改良する実験もしています。当然ながら、人材と資金が足りません。
未来の話をするためにも、「現在の食料問題に」「昆虫食で」できることはありませんか?

これがうまいこといったら、
「現在の食料問題には昆虫食が効く」ので
「未来の食料問題にも昆虫食が効きそうだ」ということが
ようやく言えてくると思います。

様々な背景を持つ、みなさんの参入を歓迎します。

ラオスに来てしばらく見守ってきたマンゴーイナズマ。以前にイナズマチョウの仲間でありながら毒がないことを確認しましたので、
私は調子に乗っています。

お、いっちょまえに毒のある虫っぽいムーブをするやんけ、かわいのうかわいいのう。

借りている家の庭にマンゴーがたくさん生えており、大家さんからも自由にマンゴー食っていいと言われているので、確認してはいないですがマンゴーイナズマも自由に食べていいはずです。

彼らは大食漢なのですが、他のイモムシのようにひと枝まるごと丸坊主にすることはありませんでした。擬態の背景として欠けのない葉も残しておく必要があるためでしょう。頻繁に場所を移動しながら食っているようです。そしてあの擬態のうまさですから、食痕がみつかるわりには、なかなか見つからないのです。見つけた時にはもう蛹になっていることもよくあります。お見事。

Euthalia aconthea 蛹。なめらかな内部と適度な噛みごたえの外皮がおいしく、渋みも苦味もまったくないスッキリした味わい。
マンゴーから豆腐がとれたようでうれしい。
美しい多面体でどこから見てもエッジが美しい。

ようやく2頭の成熟した幼虫を見つけ、冷凍し、料理開発に備えていました。

私は考えていたのです。マンゴーイナズマの擬態を生かす、美味しい料理をつくりたいと。

大葉の天ぷらのように、マンゴーの葉ごと天ぷらにしてしまう、ということも考えたのですが、マンゴーの葉をかじってみると苦味と渋みがあり、風味がなくあまりマンゴーイナズマを載せるものとしていい味とは言えません。

すると、ふと目についたのがまだ熟れていない青いマンゴー。

マンゴーは他の果物とは異なり、熟れていない状態でも渋みがありません。
酸っぱく、すっきりとした味わいですので、完熟マンゴーの甘さに飽きた時にオススメです。
ラオス人も青いマンゴーが好きで、皮をむき野菜スティックのように切った青マンゴーに塩や唐辛子の粉をちょいちょいとつけて食べています。

このとき、ふつう皮は食べないのですが、ふと「チップスにしてみたらどうだろう」と思い、実験してみました。
青マンゴーのフルーツチップスです。めんどくさいので皮ごとスライスしてみたところ、この皮がパリッパリになって、
身の部分はナスの揚げ物のようにしっとりしなやかになり、なんともおいしい酸味の爽やかなフルーツチップスができました。これはおもしろい。

青いマンゴーをスライスします。

揚げると青マンゴーチップス。

身の部分が柔らかでパリパリにならないので、長期保存はできなそうですが、食べた後酸味ですっきりするので、焼肉のお供なんかにいいと思います。

基本の青マンゴーチップスができたので、次はマンゴーイナズマ擬態チップスです。

スライスした青マンゴーに

軽く衣をつけておきます。

解凍したマンゴーイナズマを載せて

ジュー。

この分岐した毛がサクフワな食感でめちゃめちゃ美味しいです。体は適度に水気がのこってホックホク。

おいしく揚がりました。擬態チップスですので普通のと一緒にしておきましょう。

マンゴーイナズマは加熱すると美しいグリーンが消えてオレンジになるのですが、それもマンゴーっぽくていいですね。

それでは実食
毛がサックサクでコクも旨味もあって、青マンゴーの皮の部分がカリッカリで酸っぱくて食べた後すっきり。マジ美味しい。売れる。これはマンゴーの新しい恵みだ。

本当に美味しいです。これは養殖するしかない。

食べてみて感想を書いて気づいたのですが、「カリカリでふわふわ」という美味しさが、今までの食品ではおそらく存在しないのではないかと思います。というのも分岐を必要とするからです。
マンゴーイナズマのしなやかな毛から揚げ調理によって水分が抜け、毛先はふわふわ、根元はカリカリになることで
同時にカリフワが達成します。ところが、分岐によるテクスチャをもつ食材は普通見当たりませんし、連続整形できないので、
加工品でも見ることはないと思います。(もしあったら教えてください)不均一な混合物ではなく、単一の食材が、異なるテクスチャを口の中で演出する、という面白みを感じました。これはもっと拡張性があるので考えたいところです。3Dプリンタ食品なんかも、分岐が得意な形成技術なので今後登場するかもしれません。

一つの夢が叶いました。

勘違いする人がいるといけないのであらかじめ断っておきますが、日本産ヨナグニサンを採集できるところはありません。
沖縄にしか分布せず、沖縄の条例で県全域で採集が禁止されてしまっているからです。

なにしろ翅の面積が世界最大と言われていた蛾(どうやら第二位らしいですが)、
日本最大は揺るぎません。コレクション欲求から開発で減ってしまった彼らにとどめをさすこともあり得る、との判断だったのでしょう。

某所保護施設では養殖ヨナグニサンがあるとのことですし、研究という形であれば許可を得られる可能性もあるらしいとの噂も聞きました。「味見をしたい」が果たして研究として認めてもらえるのか。悶々としていましたが、ここで大きな誤解をしていたのです。

和名ヨナグニサンというぐらいですから与那国の固有種だと勘違いしていました。東南アジアに広く分布するとのことです!

話はそれますが、同じように東南アジアに広く分布するタイワンタガメ、タイワンツチイナゴ、タイワンダイコクコガネなんかも
和名が誤解を招きそうです。ルール化をしていくといいんだろうなぁと思います。特に海外種の和名付けのルール。

ということで、私もラオスに滞在することになり、いつかヨナグニサンに出会えたらいいなと思っておりました。

そしてついに、その日が来たのです。

その日というのはラオスに工場をもつ日本の会社の社長さんがこちらに来られるとのことで、街の日本人に声をかけて夕食会をする、というものでした。社長さんに我が家で育てた焼きゾウムシを食べてもらえたので、これはこれで満足なのですが、
まぁ他にやることが溜まっていて、飲み会に参加するのもしんどいなと思いながらの帰宅だったのです。

レストランを出て家に帰る途中の、大きな街路樹のある道路。自転車で帰りつつ、右目の隅に、枯葉がふわりとはためくのを、ヘッドライトが照らしたような気がしたのです。

もう一度振り返ると、またふわり。

いたーーーー!!!!!!!

ヨナグニサン Attacus atlas

感動ですよ。というか飲み会帰りという日常の一コマにやってきたヨナグニサン。心臓に悪いほどびっくりしました。夜中に道端でウオオオッて吠える変な外国人が誕生してしまいました。近所の犬に少し吠えられました。犬は正しい。

Attacus atlas

Attacus atlas

Attacus atlas

Attacus atlas

Attacus atlas

さて、茹でていただきましょう。
腹部に残るバシッバシっとはじける卵のコクとすこし苦味と木の香があるが気にならない。
ヤママユガの普通の味。翅の面積にくらべてさほど体は大きくないので、
タサール蚕のほうがボリュームがあった。ぜひ次は幼虫を。食樹を探そう。

成虫になると翅の面積にもっていかれちゃって、やはりボリュームがあるのは幼虫だと思うんです。

トウダイグサ科がいけるらしいんですが、探してみます。

もうあまりに嬉しくて、翌日この写真を見せながら、一緒に仕事をするラオス人スタッフに言ったんですよ。
「あぁこれよく街灯に集まってよくいる。もっとでかいのもみたことあるよ」

…そうだけど!東南アジアに広く分布する普通種だけど! わたしにとっては幻の虫で嬉しいんだよ!

外国人がマイマイカブリにはしゃぐ気持ちが少しわかりました。

人は苦痛を感じます。あなたもわたしも、言葉が喋れない赤ちゃんも、おそらく感じているだろう、と考えられます。

そして人には幸福追求権があります。幸福を一番定義しやすいのは「苦痛の回避」です。

堪え難い苦痛を受け続けるぐらいなら、幸福を追求するために死ぬことも選べる、というのがある種の究極の選択でしょう。

さて、最近は人間以外の生物の「苦痛」も考えられてきました。動物解放論では、先の赤ちゃんや、事故や病気によって苦痛の自己申告ができない人を「限界事例」と呼び
本人が申告できなかったとしても、社会はその苦痛の回避のために尽力すべきだ、としています。

そしてもう一つ、「種差別の禁止」を組み合わせました。これは人権侵害の多くの場合において、人権が認められない理由を「種が違うから」というレイシズムで説明してきたことへの歴史的反省です。そこで、種という概念を使わずに、「苦痛の回避」が行われるべき対象を考えると、人権が人以外の動物へと滲み出してきます。

ここらへんの倫理学の入門教科書はこちらをどうぞ。

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そこで気になってくるのは「苦痛を感じる動物」の話です。

哺乳類は人間と似た神経システムを持っていますから、苦痛を感じているだろうと類推できます。そのためアニマルウェルフェアという概念によって
動物の倫理的な扱い(人と同程度の人権を与えるという意味ではなく)をすべきとしています。

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今の議論は脊椎動物の系統を遡っていき、魚類まで注目がいきましたが、ついに無脊椎動物まで

さらに最近は「植物」といった侵害刺激を伝達するシステムも「苦痛」と呼び始めそうな勢いです。

ここでは「苦痛」ではなくより広義の「いたみ」としておきますが、ロブスターと人間と植物の間に、いますよね。
虫が。虫の「いたみ」についても考えましょうよ。

こういうリプをいただきました。

ということで、昆虫の神経特異的に作用するいまの最新の殺虫剤が「苦痛を与えている」と社会が判断したら、
殺虫剤で安定した収量を確保できているベジタリアンも含めて、どうしていくんでしょうかね。脊椎動物だけ議論して無脊椎動物を議論しないのは不公平だ、という問いかけに対して、「無脊椎動物を後回しにしろとは言っていない」と反論できますが、食というのは総量があまり変わらないので、脊椎動物をことさらに優先して議論を進めることが、本来公平に扱うべき「苦痛」を不公平にバイアスをかけてしまう危険があるわけです。できるだけフェアにいきましょう。

どうすべきかって? 毒植物とそれを無毒化できる昆虫とを組み合わせた農業が、新しい「倫理的な」農業になっていく、と予言しておきましょう。
ここラオスでやるのもそういうことです。

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大阪府箕面公園昆虫館の館長、こぶ屋博士がいきなり、こんな問題提起をしてくださいました。

これに対する私のアンサーはこちらです。

害虫に対する基礎知識は「害虫の誕生」をお読みください。すごく面白いっす。
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さて、改めて考えてみましょう。
よく聞く名称である「不快害虫」というのは「愉快益虫」の対義語なのでしょうか。

快不快、というのは個人のお気持ちです。
益虫、害虫というのは先の「害虫の誕生」にもありますように、社会の判断です。
害虫の誕生は殺虫剤の誕生と強く関連します。殺虫剤によって取り除ける「害」であることが認識される前は、虫の害は風水害のような天災の一種でした。

農学研究においては「害虫化する」あるいは「潜在的害虫」と呼ばれるように、地球に生活している昆虫たちの多くは無益無害です。

また、害虫という虫がいるのではありません。害をもたらしたことでその虫を害虫と呼ぶ、つまり害虫は事後的に決まるものなのです。
事前に決まるのは「害虫可能性」といった確率的パラメーターぐらいでしょうか。基本的に、潜在的害虫も生態系の一員ですので、いくら害虫可能性が高くとも、
予防的に殺虫することはほとんどできません。

例外的に、衛生害が極めて大きいマラリア感染地域における蚊や、農業的に被害の大きいウリミバエなどの、侵入して間もない侵略的外来種などは予防的に不妊虫放詞などで選択的な個体数抑制が行われます。

さて、独立するパラメーター「快不快」「有害無害」「有益無益」を以下のように分類しましたが、これはどうにも「不快害虫」の一般的な用法と一致しません。

この分類では不快、でかつ有害なものが「不快害虫」と呼ばれるはずなのですが、そのような用法は見たことがないです。これらは単に害虫と呼ばれます。

「不快益虫」「不快無益虫」「不快無害虫」といった、社会的に有害有益と判断されていない、あるいは有益と判断された虫が「不快害虫」と紛らわしい名前をつけられて総称されているのです。

ちなみに「害」を想定しない「不快虫」は「Nuisance」という用語があります。個人のお気持ちとして不快に感じる虫、なので不快虫に対して散布される殺虫剤はプライベートな空間での使用を目的とした「家庭用品」なのです。

ようやく見えてきました。「不快虫」を「不快害虫」と読んでしまうことで、この用語に混乱が生じているのです。

つまりこぶ屋博士のいう「不快害虫」は「不快虫」と読み替えるべきで、「愉快虫」が対義語になります。
形容詞としての快不快は、個人のお気持ちに属しますので、虫そのものを不快をひきおこす、愉快を引き起こす、と形容するのはあまり普遍性がありません。
ある人にとっては愉快な、またある人にとっては不快な、あるいは時と場合と場所によって、愉快になったり不快になったり。虫と人との関係は一定ではありません。
「おいしい牛乳」みたいなものと考えていいかと思います。

あなたにとってのおいしい牛乳があるように、あなたの心の中に愉快な虫、不快な虫が住んでいるのです。

また、農業には農薬取締法、衛生害虫などの殺虫には薬事法が使われ、明らかな被害と、それに対する効果がはっきりしているものしか使えません。
殺虫剤は耐性昆虫を生みますので、メリットとデメリットをきちんと検証せずに、お気持ちだけで好き勝手に野外に撒くことは、「殺虫剤の効かない虫」という虫嫌いにとっては恐怖の昆虫を生み出すことに加担してしまうのです。

一方で、「不快害虫用殺虫剤」の法律上の区分は化審法ですので、
「農薬や殺虫薬品と同じ殺虫成分を含む家庭用品」です。「今日の髪型を保つためのヘアスプレー」と同じ扱いになります。つまりプライベートで楽しむぶんには家庭用殺虫剤を使っても構わないですが、それが社会の常識といいはったり、野外や農地で噴霧するのはよろしいことではありません。

ヘアスプレーで例えてみると
「他人の家に来てヘアスプレーを散布する」とか「他人にヘアスプレーの使用を強要する」というと、そのパーソナルな用途がわかりやすくなるかと思います。

さて、家庭における殺虫をプライベートな事案として押し込めてしまったことで、殺虫せざるを得ない、虫が苦手で、虫の情報も、虫の対処法も、ググることすら不快が強すぎてできない、という情報の少ない人達が生まれた、と考えられます。彼らは自らの不快を虫からの「被害」とすり替えてしまうことで、勇気を奮い立たせて「私刑/死刑」をしているのでしょう。

しかし、そのような私刑の後に残るのは、虫の死体です。「死体の方が怖い」もしくは「生き返ってしまうのでは」という恐怖にも襲われ続けます。それにより、家庭用にはより強く、より素早く動きを止め、神経に作用するタイプの強い薬剤が好まれていくのでしょう。いつまでもエスカレートし続けることでしょう。私たちも彼らも生きているだけで、遭遇は互いにとっての不幸な事故で、人間側が「なれる」ことでしか、この事故のダメージを減らすことはできないからです。

さて、今こそ、虫に対する法的な議論を始めるときです。
好き嫌いに関わらず、そろそろ昆虫は食用になります。
ラオスではすでに食用です。最先端です。

昆虫に対する人類の社会的態度とはどうあるべきか。

「不快に感じる人もいるんだから殺虫すべき」なのか

「ペットや食用にする人もいるんだから殺虫剤は公害」なのか。

「愉快に感じる人の目の前で昆虫を殺すことは嫌がらせ」なのか。

「飲食店で食用の昆虫を逃してしまったときは威力業務妨害」なのか。

いろんな事例で考えられますね。

いまこそ。昆虫の社会的扱いについて、家庭用殺虫剤メーカーに任せずに、虫好きも、虫嫌いも一緒に始める時でしょう。

では、「虫が苦手で画像すら見たくない」という人に、このブログをみてくださいといえるか。

NOですね。風の噂ではだいぶキツイそうです。

「虫ユニバーサルデザイン」というものも考えていきたいと思います。