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「ラオスにいるうちにセキショクヤケイを食べよう」と思いたち、私は村のニワトリをより凝視するようになりました。どこかにセキショクヤケイの遺伝子があるのではないか。彼らニワトリをニワトリたらしめているのはなにか?

書籍「ニワトリ 愛を独り占めにした鳥」においても、

セキショクヤケイの形質はゆれがあり、家畜化されたニワトリとも遺伝的交流があるとのことです。最近100年ほどでニワトリが愛玩動物、経済動物として期待され、ものすごいスピードで選抜されたときにも、遺伝子プールの多様性がその極度な合理化に、よくも悪くもついていけてしまった、と考えられます。

逆に言うと、別の要因で、遺伝的多様性がすでに失われてしまった野生生物は、すでに家畜化に適した遺伝子を失ってしまっていて、人類の歴史上、メジャーな家畜はもう二度と生まれないかもしれません。

ニワトリとセキショクヤケイはなんらかの単一形質や遺伝子マーカーでくっきり分けられることはないけれど、セキショクヤケイの性質のとことん濃いものを選んでいくことで、十分にニワトリと区別できるセキショクヤケイの形質が揃っていればOKだろう、と、この本になぞって自分の中で決めました。

5月の出張の日。午前中のオフィシャルな会議のため、村への出張で前泊しています。泊まりの出張では早起きして朝市にいくのが恒例になっていました。朝市といっても、彼らの本業は農業ですので、まだ暗い4時頃から開始します。

ラオス時間で5時半、これより早いと村の犬たちが警戒モードなので、めっちゃ追っかけてきて怖いです。

うん?これは?

ふつうニワトリはこのように死んだ状態で売られることはまずありません。傷んでしまうからです。この様子はたしかに奇妙。

こんな感じで、ふつうはカゴの中で生きたまま売られたり、
足を縛られて動けないようにして運ばれ、売られるのが、ラオススタイル。売れ残っても持ち帰れますしね。

すでに死んでいる、という売られ方は、ニワトリだとしたらすごく奇妙なのです。猟銃で獲られたときのスタイルに見えます。聴いてみました。「これは野生のニワトリか?」そうとの返事。値段は7万キープと確かにやや高めだけど、まぁ普通の値段。蹴爪が細く鋭く、さっくりと刺さりそうなのが特徴的ですね。書籍に識別情報のあったオスだけを買います。正直、メスを購入したところで識別する自信はないです。

そして一緒に売られていたものも、とても興味深いです。

養殖ヨーロッパイエコオロギの解凍(ラオスにはここまでの生産流通の仕組みがないことから、おそらくタイ産と思われます)養殖カエル、天然のキノコ、そして天然のセキショクヤケイ。

つまり養殖だから効率的、狩猟採集だから割に合わない、という単純な区別ではなく、彼らの合理性の中で、それぞれの事情をふまえて選択されている、と考えるのがいいでしょう。それぐらい自然が豊かで、人間が貧しいのがラオスの特徴です。日本の常識や、わかりやすく単純化したストーリーで語れるものはほとんどないです。

村で氷を購入し、会議の間、氷漬けで保管して、解体することにしました。ニワトリを解体した経験があるとはいえ、これは野生動物(である可能性が高い)ので、衛生管理にはめっちゃ気を使います。ダニがポツポツ見えますね、、、おそるおそる観察しつつ、、、、、

外形的な特徴をチェックしていきます。

「白い耳たぶ」と呼ばれる形質。これはセキショクヤケイの性質と呼ばれたこともあるものの、ラオスの家畜ニワトリにも見られるので、これだけで判断はできないとのことです。

グリーンに輝く黒い羽。これも死んだり乾燥したりすると失われてしまうらしく、繁殖期なのでこの美しさなのか、ニワトリとの違いははっきりわかりませんでした。

体重は測定したのですが、氷漬けの水がしみてしまい、正確ではないです。1164グラム。

羽をむしると1036g これを基準としましょうか。

消化管をチェックしていきます。そ嚢(上)と筋胃(下 砂肝ですね)に入っていたのはアリばかり。砂肝の中には、丸っこく角がけずれた石も見えました。ここまで完全にアリ食だと、短期間でも飼育されていた可能性は低いです。そしてツムギアリのような樹上のアリではないので、丹念につついて食べていたと考えられます。つまり狩猟されるまでは野生下にいた、と言えそうです。

胸肉とささみを見てみましょう。セキショクヤケイであれば飛べますから、ニワトリに比べて比率が高いはずです。

取り出してみるとふつうの胸肉、ささみに見えますが、
元々の体重が1kgと考えると、かなり割合が高いです。
書籍によると体重の15%の胸肉、5%のささみだそうで、とくにササミについて、ニワトリはそこまで大きくならないそうで、これはセキショクヤケイと判断していいでしょう。

細く長い蹴爪
白い耳たぶ
高いササミ比率
胃内容物のアリ

以上の形質から、晴れてセキショクヤケイ、と判断できました。それではこれを焼き鳥にしていきましょう。

あくまでこれは野鳥であり、鮮度その他、食中毒になっても責任はとれないと念押しした上で
食べてみました。
……硬い、、、、

野鳥なのですから当然です。以前にロードキルのキジを食べたときを思い起こします。2014年にさばいて食べた老鶏も同じような感じでした。

血抜きをしていないので血の匂いは強く、中から散弾のかけらが出てきましたし、お世辞にも「おいしい」焼鳥といえる味ではなかったのですが、これが原種の味か、、、と「おいしい経験」になりました。

最後にムリヤリに昆虫の話に戻しますが、いつでも家畜化(=目的に応じた形質を取り出すこと)ができるほどの、遺伝子プールの多様性を保つことが、まず大前提であって、ひとつの生物を家畜化するたびに、その他大勢の生物の多様性を遺伝子ごと全滅させるようなことは、遺伝子の濫獲であって、それでは今後、多様化する世界の気候やニーズに対してセキショクヤケイのようなスターはもう二度と現れないのではないかと思います。

「昆虫の家畜化プロセスにおいて、どう可逆性を担保するか」この遺伝資源の中には昆虫をおいしくたべる伝統知識も含まれます。これまで食べてきた人たちと一緒になにができるのか、
これまで食べてきた人たちを「やむをえず」置き去りにするならば、どんな問題を私達は抱えているのか。

そのような包括的な議論をしないと、効率が低い、地味なキジ科であったセキショクヤケイが世界的な家禽として君臨するようなことは怒らなかったと思われます。

今後鳥インフルエンザなどの猛威により、よりインフルエンザに耐性のある遺伝子が必要とされるかもしれません。ゲームチェンジはいきなり来る、というのは私達もコロナで体感したことです。そのときに、野生個体群が温存されているというのは、すでに絶滅してしまったオーロックスよりもずっとアドバンテージがあります。同じように、「今の価値観で役に立つ昆虫を取り出す」という近視眼的なものではなく「永続的に家畜候補遺伝子を自然界から取り出せるようにする」貯蔵庫としての自然界の必要性を、しっかり考えた上で未来を描いてもいいように思います。

英語ではKidney Garden Spider(Araneus mitificus) 日本ではビジョオニグモ(Bijoaraneus komachi)と和名がつけられているクモに似ていますが、最近、別属となったそうです。丸顔でヒゲのおじさんが腹部に見えてくるので、「プリングルス・スパイダー」として本家プリングルスまでが乗っかって通称の変更?の署名までやっています。
学名はよっぽどのことがないかぎり変えられないですが、日本では和名について共通規則はないものの、英語名ってどうなってるんでしょうか?まぁお遊びでしょうが、もしそうなった場合、文字商標とかどうなるんでしょうか。

Araneus mitificus 茹でて味見。 小さいがプチっとした食感とすこしのぬめりがあり、香ばしさと旨味が広がる。クセはまったくない。枝豆系の爽やかな香り。おいしい。プリングルスよりずっとおだやかな味わい。名前は同じになったとしても、味はほど遠いですね。しかしこれはこれでおいしいので、もっとパンチの弱いヘルシー路線で、枝豆ベースにした「プリングルス・スパイダー味プリングルス」を出すのはどうでしょうか。

読みはじめて休憩をはさみながら17時間ぐらいかかりましたが、ハードでヘビーな本です。

「未来の食」論において、なぜ地球全体のことを、先進国の賢い人が考えて、そしてみんなに広めるという植民地主義的な発想が拭えないのか、途上国のマイノリティは目に入らないのか、というラオスで感じた素朴な疑問について、フーディーという一種の社会的潮流が影響していることが示されていました。これは必読。

民主主義によって選ばれ、その他の民衆から一線を超えた「人気者」になりたいという卓越化の欲望が、更に社会格差を生み出しうる、あるいはもう生み出しているという現状まで、厳しく解析していきます。自称「フーディー」のヒトがこれを読んだら気を悪くするだろうな、という部分まで切り込んでいきます。こういったステークホルダーを「あえて配慮しない」ストイックな社会学的態度というのはすごいですね。

読後に私が感じたのが、これは「フーディー」に限った話なのだろうか、という部分です。

民主主義的な「フェアとされる」方法で資本主義的成功、つまりお金持ちになった有名人は、選ばれるまではおそらく格差に反発し、庶民に寄り添う姿勢を示しますが、次第に庶民では届かない富裕をアイコンとして「卓越化」してその影響力を、盤石なものにしていこうとします。

つまり新たな格差拡大の担い手となっただけで、格差是正に貢献したのかどうかすら、検証されていないのです。そしてこれがおそらく、多くの業界のスタンダードになっていますし、この風潮は続くでしょう。

さて、読書メモをもとにこの本を解読していきましょう。難解ですし、私がラオスで感じた疑問に答えるものでなかったら、読み終えることはできなかったでしょう。そんなハードな書籍が、翻訳で4000円という破格の安さで読めることに感謝です。

音楽の話は詳しくないんですが、ここからスタートします。なんとなく感覚はつかめますね。「音楽的雑食」と言われる場合、単純にどんな音楽もOKではなくって、本来「高尚」とされるもの、「低俗」とされるもの、「外」とされるものをあえて逸脱する、という評価があるんでしょうね。そして逸脱を評価の構造がないのに逸脱はしない。

「でたらめな味覚を持っているわけではなく、私は味覚の幅が広いのだ」いつか使おう。

非常に満足度の高い、情報密度の強い本でした。すごい。

昆虫食は未来の食糧問題を解決しない でも指摘したのですが、「未来の食糧問題」に関するテックがなぜ今の食糧問題と切断処理されているのか、未来の総量ばかりを気にして、現在の食料不均衡が悪化するのか改善するのかも曖昧にしてしまうのか。昆虫食でいうと昆虫の栄養を調べ、養殖に挑戦し、将来性を掲げる一方で、昆虫食文化のある地域の貧困と栄養不足に着目しないのか。

おそらく着目できているのは

社会学的背景のあるシャーロットさんアフトンハロランさんの二人ではないでしょうか。

学術的意義を社会の風潮にちょいと載せるときに、その風潮自体に偏見や差別が内包されていないか、吟味するための社会学的な批判は最初の課題設定のときに必要でしょう。なぜならその風潮に載せた「役に立つ」研究はそこに内包される偏見や差別の拡大再生産装置として機能してしまうからです。

自戒を込めてかなり注意。

そうすると私のこれまでやってきた昆虫の試食はフーディーの流れにある「文化的雑食」ではなく、「生物学的雑食」であり、社会から距離をとった孤独な時間が、この風潮に対する批判的な視点に気づくことができた、とまとめておきましょう。いやいやよかった。

ではこの先どうするか、という部分ですが、

「昆虫食を社会課題解決に利用できる技術をもつ集団」を作っていきます。

そして同時に、個別の社会課題解決の延長上に、未来に採用されるべきモデルが含まれている、と予言する仕事を同時にしていこうと思います。これを同時にしないと専門性にお金が落ちないからです。

逆に言うと、「今課題を抱えていない人」からは未来のソリューションなんて生まれないと強く言っておきましょう。

シビアさがないからです。未来の不確実性を自分のやりたいことをやるための資源として搾取してしまったほうが合理的です。そういう我田引水インセンティブが発生してしまいます。個別事例から精査して、拭い去るのはかなり難しいでしょう。

目の前の社会的弱者の課題解決が、未来の不確実性に対する備えになっていく、そんな好循環を作ろうとしています。「第一段階の成功」はすなわち目の前の社会的弱者「しか」救えないこと。これでも、もう十分です。国際協力としてこの部分を実装します。

さらに上乗せしたインパクトとして目指す「第二段階の成功」はそれだけでなく、社会全体の未来を提案する新たな選択肢が開発されること。でしょう。この部分に先進国が投資として実施すべきです。

昆虫食に対する知見や技術の不足は、昆虫食文化のあるラオスの足を引っ張っています。彼らの文化に応じた支援をするチャンスが失われています。しかし昆虫食文化をもたない先進国は、それに気づくチャンスすら失っています。

問題を問題と考えられない問題。これは深刻です。

そしてこの実装の現場は、私達先進国が、昆虫食というコンセプトを忘れてしまったことで失った選択肢の大きさをリマインドしてくれる現場なのです。

巨大な遺伝資源である昆虫について、食用になるというコンセプトが世界中に広まったら、生物多様性条約における「利益の配分」の概念すらひっくりかえってくるでしょう。薬用の遺伝資源はすでに考慮に入っていますが、

食用として育てやすく、美味しく、そして地域のバイオマスのディスアビリティを解消するような、そんな昆虫食の実装を各地域で実施し、そこで得られた知見を体系化していくことが、先進国フーディーの風潮に乗らない、文化の担い手をサポートしていく、真の意味での「昆虫食の参加型開発」となっていくのではないでしょうか。

この書籍のストイックさに影響されて、カタメ、キツメでまとめておきます。

要・急の情報があふれている昨今のネット社会において、不要不急の情報に飢えているみなさま、おまたせしました。

以前2017年に1から100までを作成しておいた、#いいねされた数だけ推し虫を発表する の続編をまとめました。101から200まで、完全ラオス編です。学名を間違えていたあの子も、訂正してくださった方がいたのに修正しきれずにいたあの子も、調べずに放置していたあの子も再度文献をあさり、まとめておきました。しっかり読めば140字×100ですのでそこそこの文字数楽しめます。また1から読むと日本での味見とラオスでの味見の意味合いの違いもわかってきますので、1から200まで、改めて再読をオススメしておきます。

101はやはりインパクトの大きかったキョジンツユムシからスタート。

ふんばりがすごい。

それではどうぞ! いいねが700ついてしまったので、律儀にやるならもっと味見をせねばいかんところですが。。。ひとまず今回のアップデートはここまでとします。

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バレンタインデーなのでチョコの話をしましょうか。

昆虫のもつ構造色、食えるメタリックカラーとして以前から注目していましたが、スイスがやってくれました。昆虫を含まない構造色のチョコらしく。カメレオンチョコではなくてきらめく甲虫チョコ、と言ってほしい。特許もとるらしいです。

石川伸一先生がリファレンスとして出してくださいました。非学術の領域では引用がなかなかなされないので「オリジナリティ」は言い張ったもんがちになります。こうやって別分野ですが初出をだしていただいて感無量です。構造色の昆虫、利用していきたいですね。

ニジイロクワガタのパイグラタン
森の甲虫パエリア
フェモラータオオモモブトハムシのきらめくナッツタルト

ツマベニチョウ、Hebomoia glaucippe ラオスでもよく見るチョウなのですが。借家の庭で幼虫を初めてみました。以前にどこかの昆虫館で飼育されている幼虫をみて、この青い目付きの悪い眼状紋にときめいた記憶があります。

ラピスラズリのような眼状紋が美しい。

そして食べていたのが庭に生えていた木。ホストであるギョボクであることもわかりました。ラオスの亜熱帯の植物は私にとって分類が難しく、花がつく、実がつく、そして鱗翅目の昆虫が食うことで、かなり絞れるようになるので嬉しい発見です。しかしコガネムシ、お前は何でも食う悪食なので全然参考にならぬ。

そういえばツマベニチョウって毒があったような、と検索すると、猛毒イモガイと同じ神経毒を、幼虫の表皮と成虫の翅にもち、成虫の体には存在しない、という面白い論文がありました

気になるのは、やはり「茹でれば失活するのか」というところでしょうか。

低分子のペプチドは温度を上げても失活しにくい、と一般的に言われていますが、こちらはペプチドといえどもそこそこ大きそうですし、ウェスタンブロットで泳動できているのですから界面活性剤で失活しているのでしょう。イモガイの用途は「刺して」使うタイプですが、こちらは「食べられて」何らかの影響を及ぼすタイプなので、注意が必要です。とはいえヤモリとか普通に食べてるようですが。

こちらに来ると「何らかの毒は持っているけれどそれが効く濃度か」という部分が意識されます。なんらかの防御システムをもっていない植物、動物などない、という感じです。厳しい生存競争だ。

低温調理などで「75℃1分相当」を計算する式が公開されていましたが、界面活性剤による失活なども茹で時間とか温度で計算できないものでしょうか。

チラリと見える青い目。

さて、、、、食べてみようと思ったのですが、、、、死にました。

葉脈に沿って隠れている。

糸を吐き始めたので蛹化するのかと思い、様子をみてきたのですが、蛹化することなく死にました。幼虫の体表と、成虫の(体でなく)翅にのみ局在するのですから、蛹が最も安全なのでは?との期待がありました。しかし。

次回ツマベニチョウを見つけたら迷わず味見すると心に誓いました。早く来い来いツマベニチョウ。

 

さて新年そうそう、ふしぎなイモムシが村の借家のマンゴーの木にいたのです。

マンゴーはウルシ科で毒性もあるらしく、なかなか食べる虫をみかけません。以前に食べたマンゴーイナズマは典型ですが、そうでないイモムシは初めて。そこそこの大きさで、とにかく背びれがかわいい。怪獣の子供のようだ。

そしてTwitterのカオヤイさんに教えてもらいました。モリノオナガシジミ。Cheritra freja 和名もかわいいなと。尾長の名前の由来は成虫とのことだったので、前蛹と蛹を味見したあと、一頭は成虫になるまで待ってみることに。

味見 前蛹 渋みがあり、旨味やコクが感じられない。苦味はないので食べられる味だが美味しくはない。 サナギ カリッとした食感は良いが、やはりうっすらと渋みがあり味も薄い。

うーん。味わいは今ひとつだったんですが、姿はやはり美しい、そして独特。

そしてついに今日、羽化したのです。ピロピロを見よ。

とにかくかわいい。なぜか茂木健一郎さんにリツイートされました。だれもが気軽に虫をRTできるようになるといいですね。

こんなフグが。

いつものように街の市場にいきウインドショッピングをしていると、見慣れないサカナの盛り合わせが。

ラオスは内陸国なので海水魚が入荷してもだいたい輸入冷凍で、サバやアジが入荷するのが普通なのでこれは?と思いました。「メコンでとれたもの? 」と聞くと、売っていたお姉さんはそうだとのこと。「食べれるの?」と聞くと「食べれるおいしいよ」と。

また別のラオス人に聞くと「スープにするとおいしい」という証言が。これで「食える」という証言がふたつ

食うという話しからはそれますが、淡水フグはいつか飼いたい淡水魚でした。海水水槽はやはりハードルが高く、淡水水槽でも買える淡水フグ、淡水クラゲ、淡水エイあたりは憧れでした。そんなに簡単じゃないという話も聞きましたが。

話を戻しましょう。とにかく同定したかったのですが、うーん情報不足と私の実力不足。同定がうまいこといきません。メコンフグの幼魚なのか、汽水のミドリフグが遡上してきたものか、同時に売っていたサカナから汽水域からきたかどうか、とか判断できればいいのですが。

するとTwitterでこんなお返事が。ありがとうTwitter.

そして続報。

この絵文字がすごい2020。言語を超えて伝わるコミュニケーションですね。

安全という証言が2、危ないという証言が1,そして同定ができていない。ということで味見は断念とします。以前にドクバッタのときに丸山先生にも助けていただきました。みなさまありがとうございます。

以前の味見をまとめておきましょう。 オオツバメガ Lyssa zampaが昨年12月2日の玄関に舞い降りました。大きい。

この玄関は借家の蛍光灯をブラックライトに交換しておいたもので、毎晩玄関になにかしらの昆虫がやってくる、素敵なエントランスになっています。

以前にはツバメガの仲間の死体を見つけたことも。いつか食べたいと思っていた大型のチョウ。ようこそ味見へ。

そして茹でて味見。

しっかりとした旨味があり、歯ごたえもみっしり。コクも強い。チョウのようなプロポーションだが、毛の多さ やはり蛾の系統に近い感じもする。毛が多さはあげたりするとより食べやすくなるだろう。

幼虫もたべてみたいものです。

11月16日、17日に、毎年恒例のサイエンスアゴラ2019に出展してきました。今年からはISAPHとの共同事業体としてラオス事業を進めていきますので、今後の発展を願って、日本での研究会の活動とのコラボを強めていきます。ひとまずこの動画を御覧ください。雰囲気が伝わるかと思います。

ラオスで15年以上活動する保健のNGOである、ISAPHの事業の一つに、「本邦研修」というものがあります。これはラオスの協力者である保健人材を日本に招待し、保健医療の研修をうけてもらうものです。今回はそこに追加の助成金を応募して旅費を捻出し、東京のサイエンスアゴラまでご足労を願いました。なぜ呼んだかというと

「食の未来を日本人だけで相談することのナンセンス」を明らかにしたかったからです。どうしても日本人同士で昆虫食について話すと様々ある問題点や課題をすっとばして「心理的なハードル」に集中しがちです。

日本はこれから人口が減少し、アフリカとアジアの人口が増加します。

そしていますぐ、温室効果ガスをゼロにしたとしても、今後数十年間は温暖化が進むと予想されています。つまり。

「昆虫を食べる地域(熱帯や亜熱帯)の気候帯が広がる」

「昆虫を食べる地域(熱帯や亜熱帯)の人口が増える」

ということなのです。奇しくも伝統食材として、昆虫食が残っている日本が、「なんだか昆虫食へのイメージが良くない」ということで、将来性にフタをしたり、他の食材に比べて開発が遅れていることを理由に、採用を後回しにする、といった「遅れの再生産」を起こすことは、世界全体の損失となってしまうでしょう。

つまり、「昆虫食の伸びしろを確認すること」を目的とした研究は、偏見を手放して「公平に」やるべきなのです。本当は公的研究機関がやるべきところですが。

批判はさておき、今回は、わたしたちができうる限りの「昆虫食の未来を議論するに適したメンバー」を揃えた形になります。この5角形はサイエンスアゴラの理念を示すものですが、「アゴラ」という開かれた議論の場において、

研究会は科学者と事業者としての側面、

試食提供を支援いただいた昆虫食普及ネットワーク、株式会社TAKEOは事業者、市民として。

このとき通りかかって試食をしたり、聞いてくれた方々は市民、メディアとして、

そして今回ゲストであるラオス行政の公務員と、そこで一緒に働くNGOとしてのISAPH事務局長の佐藤さんも参加いただきました。

印象的な発言をピックアップしておきます。

「一番おいしい昆虫はなんですか」(こういうのをよく聞くのですが)

に対してラオス人医師は「昆虫にはそれぞれおいしさと食べ方があるからそんなのわからないよ」との答え。「一番美味しい脊椎動物は?」と聞かれて答えにくいようなものでしょう。豚の角煮と親子丼、ビーフステーキ、どれがおいしいですか? 難しいですね。期待通りです。

また、試食提供で私がTAKEOと開発している「バッタ生キャラメル」を食べてもらったところ「バッタ本来の味が死んでいる」という美味しんぼみたいなコメントをもらいました。とてもおもしろい。

今回のシンポジウムは「前に進む実感」というよりは、立ち止まって、あるいはむしろ少し後ずさって視野が広がる、そんな感覚をもらうことができました。

シンポジウムに参加してくれた人の多くは関係者でしたが、あらためて今の活動の意義や進捗を語らう場を設ける事ができてよかったかと思います。みなさまありがとうございました。そしてこの動画を撮影・編集してくださった、なおまるさんに感謝申し上げます。