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バレンタインデーなのでチョコの話をしましょうか。

昆虫のもつ構造色、食えるメタリックカラーとして以前から注目していましたが、スイスがやってくれました。昆虫を含まない構造色のチョコらしく。カメレオンチョコではなくてきらめく甲虫チョコ、と言ってほしい。特許もとるらしいです。

石川伸一先生がリファレンスとして出してくださいました。非学術の領域では引用がなかなかなされないので「オリジナリティ」は言い張ったもんがちになります。こうやって別分野ですが初出をだしていただいて感無量です。構造色の昆虫、利用していきたいですね。

ニジイロクワガタのパイグラタン
森の甲虫パエリア
フェモラータオオモモブトハムシのきらめくナッツタルト

こんなフグが。

いつものように街の市場にいきウインドショッピングをしていると、見慣れないサカナの盛り合わせが。

ラオスは内陸国なので海水魚が入荷してもだいたい輸入冷凍で、サバやアジが入荷するのが普通なのでこれは?と思いました。「メコンでとれたもの? 」と聞くと、売っていたお姉さんはそうだとのこと。「食べれるの?」と聞くと「食べれるおいしいよ」と。

また別のラオス人に聞くと「スープにするとおいしい」という証言が。これで「食える」という証言がふたつ

食うという話しからはそれますが、淡水フグはいつか飼いたい淡水魚でした。海水水槽はやはりハードルが高く、淡水水槽でも買える淡水フグ、淡水クラゲ、淡水エイあたりは憧れでした。そんなに簡単じゃないという話も聞きましたが。

話を戻しましょう。とにかく同定したかったのですが、うーん情報不足と私の実力不足。同定がうまいこといきません。メコンフグの幼魚なのか、汽水のミドリフグが遡上してきたものか、同時に売っていたサカナから汽水域からきたかどうか、とか判断できればいいのですが。

するとTwitterでこんなお返事が。ありがとうTwitter.

そして続報。

この絵文字がすごい2020。言語を超えて伝わるコミュニケーションですね。

安全という証言が2、危ないという証言が1,そして同定ができていない。ということで味見は断念とします。以前にドクバッタのときに丸山先生にも助けていただきました。みなさまありがとうございます。

さて12月の帰国はこちらが本丸。交通費を出していただけたので、一時帰国して昆虫食の話をしてきました。第34回さんわかセミナー 

「タンパク質危機に挑む ~代替タンパク質の未来~」

とのことです。日本農芸化学会の産学官連携若手セミナー、さんわかセミナー。代替タンパク質としての昆虫の話。

代替タンパクの総論を、三井物産戦略研究所 の方がやってくれましたし、培養肉、藻類の有名な方がいらっしゃるので、昆虫食のほうは立派な「イロモノ」としてのびのびとやって来ようとおもいました。会場の反応も良好で、良いスパイスになれたかと思います。

おおまかなスライドを公開しておきます。(大事なデータは会場限定です。)

日本の昆虫食のデスバレー。多くのベンチャー企業が直面しますが、昆虫食は偏見が厳しいので状況は悪い。けれども頑張っている人がいるので徐々に変わりつつあります。

では「偏見があるかぎり昆虫食ではなにもできない」ではなくて、昆虫食文化のあるラオスで今すぐできることがしたい。せっかちなもので。

フードセキュリティはよく聞くけれども、その反対語であるフードインセキュリティって皆さん知りませんでした。ここをおさえたいのが理論編。

フードセキュリティを高めるポテンシャルは昆虫食も十分にもってます。

じゃあフードインセキュリティはどうか。「緑の革命」の成果物である農薬と高効率な種苗がまだ届いていないラオスにおいて、最新技術と効率化はいつになったら届くのか。それまで栄養不良にさらされなくてはいけないのか。

この事実を知ったときにわたしのあたまをよぎったのは以下の図。「昆虫を食べる地域ほど栄養状態が悪い」という疑似相関だったとしても寝覚めの悪い悪夢でした。

いまの活動は地域保健活動における潜在資源へのアクセス向上、という役割を担っています。潜在資源で先進国が技術を持たない昆虫について、ラオス発の技術を開発していくことが、途上国が他の国と渡り合える技術立国になる道として王道ではないでしょうか。

整ったインフラが前提となる「効率化技術」に比べると、インフラがないゆえに栄養不良にさらされている人たちにその技術が届くのは当分先になってしまいます。

じゃあ「最貧困層でも養殖できる」手軽さを持つ昆虫がソーシャルビジネスとしてスタートしたとき、2050年に昆虫を食べる人たちが、中間層になるのです。つまり大きなビジネスチャンス。

いまのところNGOの活動の枠組みですが、育てた昆虫を売る先は先進国のほうがいいです。高価格で買ってくれるので。品質を管理して、輸出して、ラオスに外貨をもたらす産業になってほしい、という意図でこちらに登壇してきました。お待ちしています!

会場で食べたもらったのは開発中のバッタ生キャラメル。おおむね好評でした。製品化は間近か!

最後、じかんがなくて表示できなかったんですが、セミナーの内容をみて寄付したくなったらこちらにどうぞ! 助成金獲得に割かれる様々な事務手続きを楽にしてくれる寄付は、かなり活動にとってありがたい存在です。よろしくおねがいします。

培養肉も藻類も、真面目に多くの研究者が参加していて、さまざまな裏話も聞けました。また「一般に向けて」どのようにアプローチしていくか、見慣れない食材としてどうやってアクションを起こしていくか、という話も盛り上がりました。昆虫食を日本でどう位置づけるか、ラオスでどう位置づけるか。

どうしてもラオスに滞在するとラオス的価値観になっていくので、いったん日本的価値観を再インストールして、バランスをチューニングしていこうと思います。

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さて、ラオスにいる時間が長いとTwitterに流れる日本での催し物に対して、とても「飢えた状態」になります。どれだけ行きたくとも、行けないという物理的制約です。「いきもにあ」に嫉妬してこんなことをしたこともありました。

そうすると日本に帰国した時に煽られていろんなイベントに参加したくなります。無理してでも。むしろ日本にいた時より年間の頻度は増してるかもしれないです。

最初に行ってきたのは、他の打ち合わせが早めに終わったので近場でこれ。

未来と芸術展

森美術館というオサレ空間を見てきました。やはり気になるのはこれら。なぜ建築家はビルにコケをはやしたがるのか。

なぜ建築家はビルにコケをはやしたがるのか。それで食糧生産、的なストーリーがついているのです。

都市、という不特定多数のニンゲンが密集する狭い狭い空間において、食糧の一次生産=光合成にするというのはなかなかナンセンスです。たとえ光合成効率100%というとんでもないものが生まれたとしても、そもそも利用可能な太陽光のうち、都市に降り注ぐのはわずかですし、都市、というのは田舎への依存によって成立する空間ですので、利用可能な土地全部が都市になってしまってはいけません。そして迷子がいるかもしれない都市で巨大な農業機械をぶん回すなど、危険すぎます。棲み分けがだいじです。というかこれらを考えている人と、評価する人、あなた都市にしか住んだことないですよね、と薄々見えてきます。

田舎はグリーンとかピュアとかナチュラルといった「都会の無機質・閉塞感」のアンチテーゼから想像されるお花畑ではないんです。

「都市」が様々な資源(電力・食料・人的リソース・そして価値観)をその周囲から搾取していることを強烈に意識しているのが会田誠のNEO出島。東京という「日本の大将」たる都市の上空に、「グローバルエリート」というコンプレックスを刺激しまくるさらなる搾取の上位存在を浮かばせる、という、なんと田舎根性の卑屈な作品が作れるんだろうか。たぶん都市に住んでるのに。田舎出身の私としてはひどくスッキリしたものです。

ネオ出島。アリータの世界観にも近い。

次に見たのがNASAの火星移住プロトタイプ。現地の土で簡便なシェルターをつくり紫外線を遮り、中にもちこんだ空気圧式の居住スペースを展開していく。「宇宙船地球号」と呼ばれる地球そのものも巨大な半閉鎖系なのですが、こういった宇宙開発というロマンと組み合わせると、閉鎖式の生態系模倣型農業も、閉塞的なストレスが減り魅力的に見えてきます。

そして見たかった「POP ROACH」

ゴキブリを遺伝子組換えをすることで新たなフレーバーをもたらした昆虫食の新しい形、の架空の広告という設定のAI Hasegawaさんの作品。

AI Hasegawaさんは以前から存じ上げていて、とてもリサーチが強い、専門家からの批評にも耐える強度の高い作品を作られる方です。もう2点、生殖医療をテーマにした作品も展示されています。この話は後で紹介しますが、この作品でも、アートの反実仮想によって想定された「複数の親がいる子供の可能性」について、「専門家」にデメリットから先に語らせるという動画が流れています。

このゴキブリ作品も以前から知っていたのですが、なぜか、妙に、唐突で強烈な「不快感」が出てきたのです。

「私たちはゴキブリを食べられるのでしょうか?」

「不快だ」だけは面白くないので、なぜそう感じたのか、読み解いていきましょう。

ゴキブリ、という都市で汚染されたミームを持つ存在を取り上げていますが、多くの昆虫食文化は都市以外、つまり田舎で育まれてきたので、ゴキブリを食べる文化はさほど多くありません。森に行かないとまとまって手に入りにくく、独特の集合フェロモン臭があるからです。そして家屋の周りをうろついているゴキブリは衛生上の問題があります。それは「ニンゲンの生息環境が汚い」だけで、ゴキブリのせいでもないのです。

つまり典型的な昆虫食文化を背景にすればゴキブリを代表として選出するとは考えにくく、「昆虫食文化の文脈を意図的か非意図的に無視している」という点です。

これが意図的でないことはあとから解説します。アート、および建築意匠にかかわる人材の都市集中による構造的な問題かと思います。

そして次に「遺伝子組み換えによる風味の改変」です。

ゴキブリに一年間チョコを食べさせると味が変化する という実験からもわかるように、遺伝子組換えをしなくとも、エサによってでも風味を変えることは可能で、遺伝子組換えを登場させる意義としては弱くなってしまいます。もともと遺伝子組み換えと昆虫の相性はよいので、例えば自然界にない物質への栄養要求性を付与し、脱走すると死ぬ安全な食用昆虫とか、甲殻類アレルギーを緩和する作用のある昆虫などなど、今後活用される場面は色々考えられると思いますが、「ゴキブリにフレーバーをつける目的で行う」のはかなり後回しでしょう。

ゴキブリはタンパク質をあまりふくまない廃棄バイオマスからも効率的にタンパク質を回収できる、という論文もあるので、もちろん都市に適応したゴキブリを、都市型の廃棄物再処理目的で飼うことは全く筋が通っています。

しかし、それを「昆虫食の第一歩」「果たしてあなたは食べられるか、という踏み絵と」して提示されていることに、一種のさみしさを感じたのです。

あぁ私たちは無視されていると。ラオスに滞在しているからって「私たち」と総称することもまたおこがましいですし、それをもって都市生活者を攻撃するのもナンセンスなんですが。率直な気持ちとして。

と同時に、2015年にはこの作品を知っていて、こんな不快感は全く沸き起こらなかったことを思い出します。つまり、「私の不快感」はラオスに行くことで大きく変わったといえるでしょう。

すると愛読していた火の鳥までもが、昆虫食への偏見(火の鳥太陽編でのシャドーの食生活の酷さを示すためにゴキブリやざざむしが使われる)にまみれていることにイラッと来ますし、森美術館という都市のまんなかで、都市生活者だけで食の未来を語れると素朴に思っていることこそがおこがましい、とまで怒りは膨らんでいきました。展示の場所にも影響されている気がします。

ある現代アートに対して、「スペキュラティブだ」と評価がつくことがあります。作家が意図的であることを前提として、社会に向けて問題提起するパワーが強いことを美術批評家が発します。日本は批評家やキュレーターが豊富とはいえないので、そのように評価されたことを、アーティスト自らが発信しなくてはいけない側面もあります。(本来はアーティストが自分への評価を広告するのはやらなくていいはずですが)

するとこういった「スペキュラティブさ」は

都市部の、お金持ちの、人口密集地の「社会」に対するメッセージ性で測定され

辺境の、貧乏の、過疎地の、もう一ついうとマイノリティの「社会」は見逃されがちであるという点に、多くの(貧乏な時代を過ごしたはずの)アーティストが自覚を失ってしまうことこそが、構造的な危険性をはらんでいるように見えてきました。

報われないアーティストが上流階級に入り込むため、同じような報われない境遇にある、非アーティストを踏みつけた作品を作るとしたら、それこそ表現の地獄というやつになると思います。そしてその多くは「非意図的に」「無自覚なリサーチ不足で」起こっている。

無自覚なリサーチ不足によって、アーティストが「お客さんとならない弱者」を採算から度外視することで、差別を再生産するとき、それに共感する「お客さん」の存在によって、アーティストの評価は決まってしまいます。

アウトサイダーである、ここでいうと昆虫を日常的に食べている人たちの声によって、アーティストの名声が落ちることは構造的にありません。アート・ワールドのこの構造を変えろということはないですし、コネと政治によって不当に高く評価されている論文(によって一般市民の健康が不当にバイアスがかかってしまう)が学術界は多々あるので、他山の石としたいものです。

他業界におけるアラが目についてしまうのは、お互いにないものねだりといえるでしょう。つまりこれから、どのような表現物に対しても「リサーチ不足」が致命的になりかねない、あるいはそうなるべきだとも思います。

幸いにも、この作者であるAI Hasegawaさんに、この疑問、不快感、問題を直接受け取めてもらうことができましたので、しばらくこの話は続きます。結論からいうと、コラボを企画することになりました。いつまでに、というものではないので気長に待ってください。いつかやりたい、とラブコールを改めて発しておきます。

次は人体を使った、ある意味「究極」の表現物、ミイラ展につづきます。

自己を犠牲にした究極の表現物「即身仏」はどのような「強さ」をもつのか。表現者がそれをやりたくなる衝動について、現代社会はそれを許容していいものか。

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今日は昆虫をオススメしない蟲ソムリエの話です。

先週8月最終週、味の素ファンデーションの助成で行われてきた村落栄養ボランティア研修を開催しました。その中で私は「栄養教育の完了したボランティアに、次の段階として栄養を得る方法を教える役割」を果たしています。昨年はゾウムシを一期修了生におすすめし、無事彼らの期待に答えてすべての希望者が継続的に昆虫養殖ができるようになりました。

こちらが2017年スタート時の様子です。

さて、昨年と今年の2月に実施された栄養調査によって、活動地の村において、「ビタミンAと油脂を含む食材の頻度」が相対的に不足しているという結果が出て、日本国際保健医療学会で発表されました。これまで気にしていたタンパク質の豊富な貝、魚、昆虫、そしてタケノコなどの、昆虫を含む野生食材は相対的にわりとみなさん食べている、という結果でした。当初タンパク質リッチで脂質の少ないバッタの導入を計画していたので、この結果は予想外でしたが、我々の目標は栄養なので、地域の問題に沿った提案をしなくてはなりません。

なぜなら問題を抱えているのはあくまでこの村の人達で、昆虫をオススメすることが自己目的化してはダメだからです。

昆虫で栄養を、というプロジェクトや企業からいくつか相談を受けましたが、その導入先の地域がどんな栄養の問題を抱えているか、というリサーチ抜きにスタートしているグループがいくつかあります。現地に行ったあとで、その昆虫がミスマッチだったとしたら、彼らはどの程度、現地に合わせて方針を変えられるでしょうか。

昆虫の多様性を利用したり、現地の生態系を俯瞰して提案できる食材が昆虫以外であったときに、どう動けるか、そのフレキシビリティが試されるとおもいます。

これから始まるJICAのプロジェクトの目標には、昆虫が栄養に至る経路については2つ準備をしています。一つはわかりやすい、直接食べるルート、もう一つは積極的に昆虫を売って、そのお金で別の食材を買う。あるいは市場に売りに行ったアクセスを利用して、その家庭に足りない栄養豊富な食材を買って帰ることです。昆虫を売って設けたお金で清涼飲料水やスナック菓子を買っては本末転倒ですし、昆虫養殖にかまけて育児がおろそかになってもいけません。

「売るならば栄養豊富でなくてもいい」という言い方もできてしまいますが、村の栄養状況に合わせた食材の養殖を推奨する中で、たとえ満足に売れなかったとしても、売れ残りを食べて栄養に貢献できるだろう(逆に言うと売れ残りを食べて栄養状態が悪化しかねないのが炭水化物です)という消極的な栄養貢献の役割も、含めてあります。

なのであくまで「栄養の問題を意識させ、改善していくこと」を常に目標として掲げ、養殖希望者には必ず栄養教育を受けてもらうことことなどを徹底する仕組みにしていきます。もちろんISAPHが今後の栄養状態についても追跡しますので、「昆虫養殖を導入したら栄養状態が悪化した」なんてことが万が一あっても検出できる、ステキな緊張関係を保ちつつ進めていきます。

この、昆虫養殖ビジネスが保健NGOと連携する仕組みのパッケージを開発することで、「昆虫食が栄養に貢献する社会実装」を実現しようとしています。

話がそれました。ビタミンAの供給源を何にするか。そしてそれが昆虫ではないということ。

ざっと検索してみたところ、アフリカの聞いたことのないバッタがビタミンAを多めに持っているという文献を見つけましたが、植物質の食品に比べると安定的にビタミンAをもっている昆虫はみつかりませんでした。ビタミンAは有力な栄養不良の要因の一つなので、(だからといって夜盲症が頻発しているわけではないのであくまで候補の一つ)ニンジンやかぼちゃなどの栽培も検討してきました、が、ラオスの雨季と乾季の水供給の差は激しく、ニンジンは乾季にフカフカになるまで手をかけた土壌を使い、袋栽培をするとある程度育つことが確認できたものの、雨季は全く育たず、かぼちゃも雨季は受粉がうまく行かず、ウリハムシにやられて失敗してしまいました。食糧事情が不安定なときの補完的な食品としての活躍を期待したいので、これではいまひとつです。

2018年乾季には人参栽培に成功。しかし手間とコストが大きい。

そこで雨季と乾季の両方を耐えうる、つまり「多年草化・樹木化」する植物にフォーカスを移し、情報収集を進めていたところ、昨年7月にこちらにたどり着いたのです。

ガックフルーツ。聞き慣れない名前ですがビタミンA前駆体のβカロテンが豊富に含まれていて、なにしろ栽培に失敗しにくい。つる性で雨季の増水も、乾季の乾燥にも耐え、広く葉を広げ、ウリハムシにも強く、植え付けから8ヶ月で実がなり始め、安定的に成り続けるというすごい特徴があります。

食べたことのない食品だったので子供に与えていいか検索したところ、ベトナムの未就学児185人を対象にした30日投与の論文が見つかったので、ひとまず安全性については大丈夫かと判断しました。ちなみに日本の場合、「モクベツシ」という生薬としてタネが使われてきた経緯から薬事法で種子の経口摂取用途の販売には縛り(pdf)があります。ご注意を。

タネからはトリプシンインヒビター(pdf)が見つかっており、下手に食べると下痢をしてむしろ栄養にマイナスに働いてしまうので、「タネは食べない」としておきます。今回も希望者に苗木で渡しました。

肖像の関係で顔の掲載はISAPH公式だけになってます。

この植物については全く世話の必要がなく、土地さえマッチすればどんどん生育し、その土地に肥料が足りなくなれば身が小さくなるので、各家庭の菜園の状態を把握することも、この配布の目的の中にあります。

先にこの村の栄養の問題、そしてビタミンAの話をして、

調理実習。ガックフルーツの果肉をつかった魚のスープ、ガックフルーツのパルプをつかった赤いドーナッツ、そしてパルプを使った甘いジュースをつくりました。こちらは料理学校の先生から提案されたもの。ガックフルーツはあまり一般的な食品ではないので、そのレシピから「美味しい料理」として村への導入を提案していきます。

ビタミンAはガックフルーツに任せるとして、油についてはゾウムシの出番です。来月はゾウムシにフォーカスにして、オススメするレシピと栄養の講義をしようと思います。
本家のソムリエと同じように、「適切でない場合はオススメしない」というのもソムリエの大事な仕事です。蟲ソムリエが昆虫をオススメするときは対象者が問題やニーズをもつとき。そうでないときは、昆虫よりもふさわしい別の食品を提案します。

逆に言うと、問題もニーズもないのに「昆虫の押し売り」をするのはソムリエとして恥ずべき行為といえるでしょう。幸いここラオスでは昆虫食文化があり、昆虫も他の食材と同じように扱ってくれます。一方で昆虫学の専門家はほとんどいません。そのギャップを日本の昆虫学とラオスとをつないで埋めていくことで、昆虫食文化が地元のニーズに沿って発展していくことをサポートするのが蟲ソムリエのしばらくのメイン仕事になると思います。

その中で「蟲をオススメしない」という結論に至った今回の活動は、たとえ昆虫が最適でないとしても対応できる前例となったので、蟲ソムリエらしい仕事ができたと自負しています。

更にいうと、「昆虫じゃない」という結論に至れる冗長性をもたないプロジェクトは、必要のない昆虫を住民にゴリ押ししてしまうリスクがあります。

本当に現場に昆虫が必要なのか、ご都合主義で昆虫養殖を自己目的化していないか、昆虫食プロジェクトを行う人も、それに支援する人も、皆様適度な懐疑主義とともに、相互批判をしつつ健全な業界になっていくよう、進んでいきましょう。

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7月9日に村で会議が行われ、10日に首都ビエンチャンまで移動し、11日朝に帰国、午後から打ち合わせをこなし、12日にはつくばで打ち合わせ、13日土曜日、初めての週末に、ラオス感がまだまだ残るアタマとカラダで行ってきました。

渋谷という立地、デザインとしておしゃれで、意識が高そうで、そして学術的なニオイがあまりしない中、石川先生と西廣先生、というアカデミックなゲストを呼んで何が展開されていくのか、とても気になりました。

今回は私はタダの客ですので、
主催者の意図をそっちのけでわざわざ昆虫食をぶっこんで質問するような無粋なことをしなかったのですが、会場で「昆虫が入るとこう考えるな」と心の中でつぶやいたこと
(けれど会場では言わなかったこと)をつらつらと書いてみようと思います。

まずは講演。
西廣先生は植物生態学者、地球環境変動、主に温暖化をテーマに
温室効果ガスを減らしていく「緩和」と
すでに温室効果ガス排出を今年ゼロにする、というとても達成できないゴールを設定したとしても、存在するガスによる温暖化は進んでいくという予測から
「適応」という見逃されがちなもう一つの手段について説明していきます。

そしてこれからの未来は「適応時代」だと。

ふむふむ、たしかに昆虫食は温室効果ガスを出しにくい、という「緩和」で注目されたけれども、
熱帯に多く生息し、(参考:熱帯雨林のアリのバイオマスは同地域の脊椎動物の総和を超える推定)
40度の高温でも生育障害を起こさない種もあったり

かつて地球がもっと温暖だった頃は変温動物が幅を利かせていたことも関係しそうだし
ガスを出しにくく高密度で買える性質から閉鎖系の熱交換器(エアコン)を使った飼育系にも
適応している(排気ガスの多い反芻動物はガス交換の需要がおおいので断熱しても熱交換器の効率に限界がある。)とも言える。

お次は田んぼの生物多様性、を調べると5668種の生物
うち昆虫、クモ類1867種!やはり昆虫多い!
そして、害虫でも益虫でもない、ただの虫が多い。

今後気候変動による農地の変化に対して「緩和」するにしても「適応」するにしても
この1800種という1/3の生物を、たった177種の害虫予備軍のために平等に
(無差別に)殺虫剤を撒いてしまうことの巨大なロスをあらためて感じるわけです。

そして救荒食としての雑草。
東大阪大学の松井欣也先生は救荒食としての昆虫に注目して研究していますし

次の話者である石川伸一先生も東日本大震災の経験をもとに話題にしていまして

「もしも」に備える食 災害時でも、いつもの食事を」にも、「もしものときに、いつもの食が手に入ったときの安心感はすごい」
と東日本大震災の被災時の実感を込めて書いていらっしゃるので
「非常時のみの食品」というよりは「非常時にも、そうでないときでも災害備蓄を確認するイベントとしての採集食」という位置づけが生まれてくると思います。緊急時の飢餓を回避する目的で、食べ慣れないものを無理やり食べる、というのは災害食としてはふさわしくないですし、戦時中の昆虫食の体験を記録している方も、やはりトラウマ的な記憶のようだ、と話されていました。
これでは豊かな文化とはいえません。

また、ラオスにおいては「失業しても稲作を手伝って野生動植物(昆虫を含む)をとってくれば死なない」
という生態系ベーシックインカムとして機能しています。

ちなみにですが、「データ栄養学のススメ」によると
東南アジアの(おそらく天水の)稲作の効率は焼き畑に次ぐカロリー収集効率で、熱帯モンスーン気候を生かして乾季は雑草伸び放題、雨季は雨の到来にあわせて土を耕し、苗を用意し田植えをする様子はかなりの省エネです。

とはいってもこの生態系ベーシックインカム機能は不完全で、野生食材に依存して生活している世帯の子供は栄養不良が多い状態が続いています。

つづいて石川先生は新書
「食の進化史」から。

「なぜ人は食の未来に興味をもつのか」ウーン。これは気になる。
関心が強い、食の研究者だけでなく、素朴な普通の人においても「食の未来」は気になってしまう。

私は一種のSFの潮流だと思っています。少し前までは
巨大な資源を投資して地球外に出ることで、なにか救世主(逆に展開すると破滅者)がやってくるのではないか、という展開が好まれました。

しかし宇宙開発が年々縮小し、ソユーズを使い続けている現状では、なかなか未来のビジョンとして大成功した宇宙開発、というイメージは懐きにくいとおもいます。
一方で「胃袋を掴む」ではないですが、食の主体性を獲得した個人、もしくは組織は強いです。

そういう意味で社会性の原始的な形が「食」で、生命の持続可能性のためには持続可能な「食」がないといけない。
マッドマックスがおそるべき搾取的で、かつ効率的な食糧生産を
イモータン・ジョーの恐ろしさを説明する背景として設定にいれたのも
ブレードランナー2049でデッカードの隠遁生活を藻類と昆虫の養殖で示し、昆虫による物語の展開が起こったり、昆虫を養殖するファーマーとして死ぬことを選んだレプリカントがいたりと。
インターステラーは旧式に見える宇宙船で、地球の食料が壊滅することを理由としてやっとこさっとこ資源を調達して打ち上げ、新しい星を探しにいっていました。

未来の安心には食が欠かせない、とSFの世界(≒一般の人が感じる科学的な未来)が気づいてきたという納得の潮流です。

石川先生からはいったん科学を手放して、先生の知識をもとに
「歴史学的に」もぐっていこうという試みをこの本でも行っています。

「食の進化史」を読むとわかるのですが、専門分野の論文だけでなく
食に関する文芸、料理、アートまで先生の膨大な知識から
「未来を予測する」試みをしています。

そしてイベント最後、年表を用意し、過去から未来まで、食の歴史をひもとき
未来に「何が起こるのか」みんなで考えようというパフォーマンスアートが展開されます。

やはり「食べて考える」ことの五感の刺激度はすごいと実感しました。
視覚や聴覚を通じて、刺激的な文字情報、映像を見せたとしても
口の中や体内に取り入れることの「実感」にまさる情報量はないでしょう。
そこに「食べる」ことの決断性も含まれているように思います。
食べようと思わない限り食べないのが人類です。

しかし、今回は沈黙を貫きましたが昆虫に関する
直感的に想像できない項目については、
どうしても沈黙してしまうことも感じました。

日本人には相容れない、まだ早いという食文化を持つ人が日本に来た時に 日本人がどう準備できるか。そこに食の専門家がどうサポートできるか。— 蟲喰ロトワ 蟲ソムリエ しばらくラオス 一時帰国11月予定 (@Mushi_Kurotowa) July 13, 2019

西廣先生は耕作放棄地の生態学的調査を通じて
かわりゆく、温暖化が進みゆく地球でどのように対策するか
という一種の「適応」についてもその地域の現場に参加する中で研究しています。

日本では農業の成りてが減っていき、耕作放棄地も増えています。
一般に耕作放棄地は生物多様性が減少すると思われがちですが(私がそう思っていました)

かんたんな水張りと水路の管理によって生物多様性の豊かなビオトープのような土地が出現するとのことです。こういった「生態系サービスの供給源」としてのかんたん管理の耕作放棄地

もうちょっといい言い方をすると「水田リタイアビオトープ」のような感じでしょうか。
そこで「虫」の相談をしていただきました。近いうち動き出せればと思います。

生態系にこんなにも昆虫がいるのに、その料理法やメニューをもたない文化というもののアンバランスさを、知らない人は感じることもできず、

そしてそういった人には昆虫食の未来を予測することも困難です。

今回のパフォーマンスアートにもコオロギが少しだけ、未来の年表にも少しだけ昆虫の話がありましたが、「過去に昆虫が食べられていたという事実」を年表には示せていません。

つまり、
主観が入る余地が明確な「予測」だけでなく客観的な情報収集における収集者のバイアスですら、現在の食文化によるバイアスが網羅的な、中立的な未来予測を妨げかねないのです。

どうしても思うのが、
「未来や過去を想像するとき人間は現在の価値感に引きずられる」という一般的な傾向です。
そしてその緩和には、メンバーを日本人だけでにすること、あるいは先進国の人間だけにすることの不足を感じました。

もうちょっと具体的に言うと、
日本人だけで未来の予測をできると素朴に信じていることのはやっぱり危険です。

私から提案できるのは、
昆虫食文化を持つ、これから人口が増える国の人達との対話、そして場が温まってきたら、ゆくゆくはガチの議論ですね。

そんなイベントをしたいと画策しております。お待ち下さい。

今回の村の滞在目的は農地の新規開墾でした。ゾウムシの餌になるキャッサバがどうにも村の中で手に入れることができず、その一方で水稲に向かない傾斜地や高台は放置され、藪になっている現状もありました。キャッサバは乾燥に強い作物です。ではそういった土地で自給してみよう、と持ちかけ、開墾に至ったということです。この話は近々まとめます。

その帰り、他の活動をしているラオス人スタッフと合流するためにその家に寄ったところ、こんな鍋が。

こちらはパグガエル、と教えていただきました。ラオス人に聞いた通り、夏眠の性質があるそうです。これ以外のカエルについては以下にまとめ直しておきます。

美味しそうですね。

こうした旬のカエルを含む野生食材というのは彼らの栄養をしっかり支えていることがわかってきました。日本で言うところの「野食」というものとは随分と異なります。

日本の野食は都会で現金収入を得られる人たちだからこそできる(というか現金収入がない状態で、手作業メインでの自給自足生活をすることは日本ではほとんど困難です。)趣味であって、栄養をそれで賄っているわけではありません。

ラオスの栄養の問題、と言うと「足りないタンパク質を昆虫で解決」のような簡単なストーリーが思いつきがちのようで、ここらへんの栄養調査の結果に基づく、あるいは国連などの国際機関の調査、判断に基づく戦略についても、理解を広めていきたいところです。

アウトサイドジャパン展と同じ日、夜に少し時間が取れたので行ってきました。

装飾に用いられる穴の空いた自然物、という括りでのビーズ展。元々は2017年に国立民俗学博物館で行われたものに、科博とのコラボによって再編集されたものです。

特に好きなのがこれ。猿の歯として民博に収蔵されていたものが、科博によってイルカと同定されたもの。こういったコラボの醍醐味ですね。

ずっと見たかったのがこれ。オオスズメバチの顔の首飾り。存在は知っていたんですが展示がされていなかったので見れなかったものです。よく見るととても折れやすい触角が綺麗に残っており、いわゆる首飾り、ネックレスのような使用するものではなくて、お守りのような大事に繊細に扱うものであることがわかります。見れてよかった。

何も聞いていなければアウトサイダーアートではないかと思うこの緻密なビーズ。所変われば文脈も変わるわけで、全ての表現物のうちそのほとんどは今現在の市場価値だけで見るとアウトサイダーアートなのではないかと思います。専門家にしかわからない価値、というのもそれかと。

くやしかったのは同時開催の「大哺乳類展」に標本が取られてしまって実物展示のなかった剥製たち。くやしい。あっちは有料の企画展、こっちは常設展示の片隅。仕方ないとはいえ。私は日本館の渋い企画展を応援します。行こう。科博の日本館。

こうしてみると食べたものの残りを装飾に使う、というのは普通の感覚で、私が昔に作ったバッタのふんのマスクも民芸という意味では普通の表現活動なのではないかと思ったり。アウトサイドジャパンと同日に見れたことでなかなか広がりのある1日になりました。

気になる。

サトウキビを絞って氷を入れただけの飲料がおいしいです。安くて砂糖水なので、なかなか栄養的に微妙なんですが、暑い日に飲むと、精製されないサトウキビ本来の甘さやうまみ、風味、雑味などが体に吸い込まれるようで、あー生きてるなぁと感じるほどのうまさです。こういったものは日本で飲むとおいしくないんでしょうね。気候や風土に即した文化な気がします。

3月の初めに、この女性に目がいきました。峰不二子のような。

キリッとした女性。そしたら今週、キリッとしていない女性がいることもわかり、どうにも気になる存在に。どうやら手描きのよう。1つとして同じものがない。

変遷。系統樹をつくりたい。

昔は水牛で絞っていたようですね。ベトナム製の機械らしい、という話は聞いたのですが、この女性の詳細をご存知の方、教えていただけると嬉しいです。楽しい週末になりました。

8

お待たせしました。
捌きます。
今回は卵用に長期間飼育されたもので、個人での飼育ですので、
サルモネラ菌を始めとする感染症について全く検査されていません。
サルモネラ菌は、食中毒を起こす代表的な細菌で
家畜やペット、特に両生類や爬虫類に保菌が多いようで
近縁の鳥類にも保菌者がいます。
ニワトリに関してはフンに含まれるほか、
生殖腺に感染することによる卵内部への侵入感染があるそうです。
そのため、卵の生食を行う文化圏は少なく、
日本の「卵かけごはん」は危険食品として
海外のニュスースサイトで話題になりました。
その対策として
卵の徹底洗浄や、ワクチンの投与が
行われているそうですが、
耐性菌の出現やコストの増加など、「本当に必要なのか」
きちんと判断する必要が有ると思います。


今回は安全性を優先させ
「圧力鍋でスープカレー」
を料理に選びました。
100度以上、高圧による殺菌は
細菌を利用した分子生物学実験においても
「滅菌操作」として利用されていますので
細菌感染はほぼ防げると思います。


さて。
ここからは
「屠殺者の主観」を重視しますので
再現性はないですし、客観性もありません。
ただ。個人の感覚ですので、
同様のことが起こりうる、として
読み進めてください。


飼い始め 1月9日
ニワトリを頂いた。メスのため
大変におとなしく、捕まえようとすると逃げるが、
掴んでダンボールに入れ、暗くすると落ち着いて動かなくなる。
大変扱いやすい。寒い中つかむと温かい。
トノサマバッタをやると活発になり、
頭を確実に突いて丸呑みする。とてもほほえましい。
家畜飼育者のアドバイスの通り、名前は付けない。
一日目、卵を産んでいた。これも後で頂く。
市販品に比べてフンにまみれていて汚らしい。
総排泄孔から出てくるのだから当然だが。


二日目
小型の出刃包丁を買う。
頸動脈を切るので切れ味がよいほうがよいだろう。
ニワトリの頸動脈を確認してみる。
捌き方をネットで確認する
夜に見に行く。
体を丸めて寝ており、ダンボールに入れてやる


土日
忙しくて割りと放置
朝にバッタとサトウキビをやる。
バッタを差し出すと間違えて突かれるが
攻撃として突くことはなさそう。あまり痛くない。


月曜午後
バッタの世話を終えた後、祝日だということで
日のあるうちに決行。先輩に補助と撮影をお願いする。
脚をガムテープで縛り、吊るす場所を近くの雑木林に決め、
決行


屠殺
羽根を押さえ、首元に出刃包丁を刺し、しっかりと骨に達するまで刃を滑らせる。
やはり暴れる。
一人では無理そうだったので補助は有りがたかった。
頸動脈が切れると黒みがかった血が たーっと出てくる。
勢いは1Lペットボトルのめんつゆを注ぐぐらい。
気管も傷ついているらしく、
口から泡を伴って血が出ており咳き込んだようになっている。
一分ほどで不規則に痙攣するようになる。
中枢が酸素不足により麻痺してくるので、
筋肉が不随意的に動くと思われる。
念のため3分間は押さえておく
静かになったら吊るして血抜きの続きを行う。
30分ほど放置する。
結果として目算で150mlほどの血が抜けた。


写真
先輩に撮影をお願いしたにもかかわらず
ニワトリの「状態の悪い」写真
(血が滴っていたり目が半開きだったり)
を撮影されることに対して不快感が湧いてきた。
屠殺者は
ニワトリに対して少なからず感情移入してしまうようで
屠殺によって直後は強めのストレス状態になっていると思われる。
この時、
屠殺の事実を明らかにする行為=撮影に対する後ろめたさと
殺されたニワトリへ残酷な行為があったと誤解されかねない被写体の状況
そしてニワトリを弔うにあたって写真がそぐわない、
というヒトの葬儀に似た感情が湧いてきた。
「親族の墓を暴かれる」ような羞恥心と違和感。


これらの感情について
ちょっと考察してみましょう。
「写真」は、
「被写体」「撮影者」「閲覧者」の最低3名。
被写体が複数の場合は被写体間の関係が想定されます。
「閲覧者」は、基本的に被写体に感情移入します。
そのため撮影者の意図は無視され、被写体の強烈な感情と
閲覧者とが直接対峙したように感じます。
写真メディアの強いところは「撮影者の存在感の薄さ」です。
被写体となった私は、強烈に閲覧者を意識します。
気分的には「突然公衆の面前」に立たされているのです。
どう思われるか、誤解されないか、
批判されないか、様々な感情が沸き起こります。
公衆の面前に堂々と立つには、「一般化」という作業が必要でしょう。
その社会に
一般的に受け入れられている行為に見えるようにする、
受け入れられない場合は、
その違和感を利用したメッセージ性があると主張する
でしょうか。
なので
「撮影される」と「自己を一般化(正当化)」しようとする感情が湧き、
私の脳内で再生される
公衆イメージに合うように撮って欲しい、と
思うようなのです。
撮影技術や機材に一定以上の水準があると安心感があるのはこのためではないかと思います。
「取材に一眼レフ」というのは被写体との信頼関係の上で重要なのではないでしょうか。
「ケータイで写メ」の不快感はこの逆だと思います。
撮影技術も機材も撮影者もなんのポリシーもない写真で
勝手なイメージを作られることに不快感を覚えるのです。
これは昆虫料理の時にはほとんど沸き起こらない感情で、
大変興味深い体験でした。
そして、この
「一般化」できていない屠殺中の写真情報を
そのままこのブログで公開するのは相応しくない、
と今のところ判断しています。
少なくとも
「アクセス数を稼ぐため」だけであれば、
ニワトリの死体の写真を利用するのは「悪趣味」に分類されるでしょう。
残念なことに、そしてありがたいことに、
現在は屠殺の現場は日常から離れています。
もしかすると今食べている肉は、
地球の反対側で知らない誰かが屠殺した可能性も大いにあります。
ブラジル産もも肉なんかよく流通していますね。
もし、日本において、ニワトリを生きたまま各家庭で買うことが主流で
どこでも屠殺が行われていたら
当然公開します。一般的な「ありふれた光景」だからです。
ですが、
今回はニワトリ食の残酷性を訴え昆虫食へ勧誘するもの
ではありませんし
写真情報は、勝手にこのブログから切り離され独り歩きしてしまいます。
幸いなことに、
文章による表現はかなり刺激の強いところまで許容されていますので
このまま文章での公開にしたいと思います。


精肉
ニワトリのさばき方は
習った通り、初心者向けの「4つばらし」にて行います。
まずは血抜きしたニワトリを
65℃の湯にくぐらせ、羽根をとれやすくします。
丹念に羽根をとり除きます。
もも肉、胸肉、ササミを切り離し、
砂肝と肝臓、心臓、頭を残して捨てることにします。
消化管内容物との接触は感染症リスクを高めますので
できるだけクリーンな部位として確保したいものです。
内臓を傷つけないよう、そして感染症リスクを下げるため
決してケガをしないよう、最新の注意をはらいます。
羽をむしった1.32kgの鶏に対し
 
肉(もも・むね・手羽・肝臓・心臓・砂肝)は700g、
鶏ガラは640g
およそ半分が食肉になりました。


料理
すべての料理は死体写真です。
なので、調理は「死化粧」といってもいいかもしれません。
調理への気配りはその料理の姿として現れます。
そのため「料理写真」は調理者のメッセージが含まれていると言っていいでしょう。
刺し身や活き造りも「残酷」というのはたやすいですが
殺して活力を失った魚の魅力を、料理で再現し、みずみずしい新鮮な印象
復活させることに成功しています。それには料理人のプライドと技術が必要です。
私の目指すのもこのあたりだと気づきました。。
昆虫の生きていた当時の印象を守り
昆虫の命に思いを馳せる料理ができたら、と思います。


話はそれますが
「欧米では〜」という観点が押し付けられることがよくあります。
欧米は市民が議論を尽くし政治的な判断をすることが根付いています。
それは数多くの革命の失敗の教訓です。
そのため、欧米から論を輸入すると「一見根拠がしっかりしている」と感じます。
ですが「自らが議論に参加せず鵜呑みにすること」こそが、
彼らが最も恥ずべきこととして議論を研鑽してきたのですから、
当然、欧米から論を輸入する我々日本人は、大前提として、鵜呑みにしてはいけません。
そこを起点に、長期に渡る議論が展開できることが理想です。
活き造りやクジラ食など、欧米で議論が整理され「わかりやすく編集」された
論で批判されると納得しがちですし「他国の文化に口出すな」と感情論が起こるのも
その「わかりやすさ」のパワーへの反発といえるでしょう。
ですが、
「神に近いNo.2のヒト」が「他の生物のヒエラルキーを決めること」に
何ら違和感のない欧米に対し、(かつて黒人はヒトではないとヒエラルキーが定められました)
日本は八百万の神、と言われる「すべての事物に神が宿る」
という観点があり、私はこちらの観点が優れていると思っています。
そのため、
養殖用の家畜でも、植物でも、微生物でも、野生の動物でも
すべての命が神様であり、尊いのです。そして感謝しながら食べることが
「いただきます」なのです。
植物だけが欲しいからとムダに虫を殺戮したり
ゲテモノだからと筋肉以外の部分に口を付けなかったり
賢い神様の順番に勝手に序列をつけるような、無礼な真似はできないのです。
(いただきますの代わりに神に感謝する欧米とは決定的に異なりますね)
議論は「わかりやすい概念」だけを取り出すためのものではありません。
わかりやすい概念の奥にある、とても大事で言語化しにくい「わかりにくい概念」
をあぶりだすために使うべきだと思っています。。


話を戻します。
今回は衛生面に自信がなかったため
圧力鍋を使ったスープカレーにしました。


材料
玉ねぎ 2個
セロリ 1本
生姜  ひとかけ
トマトピューレ 一缶
ヨーグルト 150g
ギャバン カレー粉 適量

(これ、安くてかなり美味しいです。)

鶏肉(骨付き)
醤油
ナンプラー
エリンギ
野菜系の材料をすべてフードプロセッサーで破砕し
鶏を漬け込んだ後エリンギとゆでたまごを加え
圧力鍋で30分煮込みました。
ニワトリの力強い脚と、卵という恵みを
スープカレーで味わう料理になりました。
シンボルとして
トサカを真ん中にトッピングしています。
今までの昆虫料理写真と共通するのですが
「生きていた当時を思い起こさせる料理写真」
あることを重視しました。


味見
通常鶏ガラを使ってきちんとダシをとらないと
薄味で、味気なくなってしまうスープカレー。
年をとったニワトリは「丸鶏」と言われ
ラーメンスープにも使われるほど言いダシが
取れるとのことなので期待したのですが。
脚や手羽の骨しか入れていないのに
濃く、いい味のダシがとれています。

ウロコがあり、鶏が恐竜の子孫であることを再認識。筋張っており食べるところは少ない
もも肉
若鶏よりも筋張っており、昆虫も鶏も年をとると筋張るのは共通であることを確認。噛み切るのが難しいほど硬いが、とても味が良く旨味が強い。
通常食べている「鶏肉」が、
50日飼育したブロイラーというたった一日の味でしかないことを実感。
胸肉
やや硬いが味がしっかりしており、パサパサというかムッチリがっしりした肉。
筋張っているが弾力もあるので、胸肉のパサパサ感が苦手な人は年取らせたほうがいいかも。かなり食味が良好な部位。
手羽先
肉がだいぶ少ない。皮下に繊維が発達しており、肉と皮とが一体となったしっかりとした噛みごたえ。味も強く美味しい。羽根の取り残しが多く、食味を低下させるのできっちり羽根は取る必要がある。
トサカ
プリプリで食べやすく、味もしみており大変美味しい。もっと欲しいが貴重なので味見程度。
心臓
プリプリとしており食べやすい。やや血の匂いがするが市販品レベル。これも年寄りだからといって味が強いわけではなさそう。
肝臓
血なまぐさくなく、風味があってとても美味しい。いわゆるレバーの味。ここは若鶏とほぼ変わらない印象。
砂肝
内壁が肥厚して硬くなっており、ほのかな苦味がある。市販品よりもクセが強い印象。色もやや黒いかと。
噛みごたえはバツグン。

市販の卵も年寄りから生まれているので全く変わらず。


まとめます。
1,家畜の解体が一般的でない現代において、ニワトリの屠殺は昆虫に比べストレスが多く、屠殺者が動揺することがわかった。
2,大型の動物、しかもヒトに近縁の動物は共通感染症の危険が高く、可食部位も限られているので食べるまでの作業量が多い。(屠殺からカレーづくりまで3時間)
3,「一般的でないもの」特に動揺の大きいコンテンツに関しては、編集し一般化するか、メッセージ性を持たせてから社会に発信しないと逆効果であったり誤解を招くリスクがある
4,料理は死化粧である。日本の料理は「素材が生きていた姿」を想起させることで、
そのみずみずしさやありがたさを感じさせる調理法といえる。
5,料理研究家は、一般に違和感のある料理を発表、提供することで研究成果をメッセージとして発信する人物である。(平野レミさんは料理愛好家)


最後に
私の食べ残しは我が家のマダゴキたちが食べてくれました。
たった一晩で
骨格標本にできそうなほどいい仕事しています。

ごちそうさまでした。