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今週は村の栄養調査に同行した。前回は2017年に実施したことから、短期滞在日程と重ならず、同行できなかったため今回とても大事。前回と同様、昆虫を含めて村人が何を食べているか、どのくらいの量食べているか、乳幼児を中心に調べていく。前回は雨季、今回は乾季なので、湖沼や川などの水場へのアクセスが遠くなっているところに着目している。食材へのアクセシビリティはどう変化している、と言えるか。やはり地域保健の専門家と共同でやることで「昆虫が栄養に貢献しうるか」という可能性の議論を深くできることがありがたい。昆虫に栄養素があったとしても、それが地域の栄養に貢献するかは昆虫そのものではなく人の行動にかかっている。

この日は村への滞在時間は長くなり、いつも使っているレストランに行くにはちょっと遠い場所で昼食の時間になったので、村の村長さんにお願いしてお昼を作ってもらった。

突然にやってくる新しい味の体験。「奇食を求めて」ではなくて日常の活動の中で出会いがやってくるその自然さがとても楽しい。レモングラスと一緒に煮込んであるが臭みは牛肉よりも穏やかで、プリンプリンとした食感が日本人好みだと思う。鶏胸肉よりモモ肉派の人にオススメしたい。ただ美味しくアクセスのいい食肉としてふるまわれたヤマアラシ。記念に針をもらった。欲しいと聞いた時にはほとんど捨ててしまったとのこと。それほど普通の食肉なのだろう。

ヤマアラシの針。鳥の羽の軸のように中空で軽い。しかし丈夫。

ヤマアラシの針。何に使おうか。バイオマスの副産物から新しい工芸品が産まれる予感もする。軽量で鳥の羽根の軸のような中空構造。よく見ると内側に筋があり、リブ状にすることで強度を高めると考えられる。ヤマアラシにアタックされた犬の痛ましい写真を以前にネットで見たことがあるが、つまめる指を持つ人間やサルならともかく、犬猫などの食肉目がこの針にやられたらかなりのダメージだろうと思う。ともあれごちそうさまでした。また食べたい味。養殖は可能だろうか。懐くのか。食べたことで家畜として色々と興味を持った。

ファージみたいなツムギアリ。

連載第3回、更新しております。若干のホームシックかもしれませんが、日本食を作ると元気が出ます。記事にいれなかったのですが、見つけると噛まれると痛いことはわかりつつちょっと開けてみたくなるツムギアリの巣です。

さてひと段落ということで、昨年4月から取り組んでいた「蟲ソムリエ実験農園」のキャッサバ農場が完成しそうです。

最初に始めたのは私の借家の庭。200本ほど植えたでしょうか。6月に始まった雨季ですべて水没して枯死。

かなしいので街から30kmほど離れた場所の大規模キャッサバ畑をノンアポで突撃して、見学させてもらうことに。傾斜地に生え揃ったキャッサバたち。美しい。すべてデンプン加工用に来年5月に芋を干してタイかベトナムに輸出するとのこと。

ご近所に高台の農地を借りることができたのでスタート。最初は「キャッサバなんて枝切って刺しときゃ勝手に増える」とのラオス人の言葉を信じてそれをやってみる。どうにも成長が遅い。先のキャッサバ畑のよりずいぶんと成長が進まない。葉っぱが黄色くなっていく。ふとみると、キャッサバの枝の中身が空洞になり、泥が詰まっている。シロアリだ!

なんということでしょう。キャッサバはもうシロアリの住処になっていたのです。劇的アフター。

気を取り直して除草してから植える。これにより雑草と競合しないので少しは早く育つだろう。すると、なんということでしょう。近所のニワトリがつっつきに来るではありませんか!キャッサバは葉に毒を持つので害虫がほとんどいない、といいつつこちらではサラダがわりに葉を食べる人もいれば、このように食いに来る近所のニワトリがいる。フェンスを作ろう。

ニワトリがつついたキャッサバの苗
ニワトリ予防フェンス

そして草を取り、穴を開け、別の場所で発根させておいたキャッサバの枝を刺す方法でとりあえず600本。それでもまだ効率が低いのと、耕運機を入れずに穴を掘るのがなかなか辛い。乾季に入ってしまったので土は日に日に硬く固まり、そしてラオスで手に入る鍬は品質が低い。

もう怒ったぞ。ということでついに耕運機を招集。こちらの耕運機は日本の回転刃のついたチゼルプラウというものではなくて、ディスクプラウという効率が低い代わりに固い土もしっかり起こせるタイプ。反転させてふわふわになった土はなんとも穴が掘りやすいこと。

そしてエリサンは発根を促してから植えることに。直植えだと枝で待機する時間が長いので、そこをシロアリにやられる可能性が高くなってしまうのでスピーディーに。

拡大はしなかったけどコナカイガラムシの発生も。これは怖い。昆虫用途だと殺虫剤が使えないので、疾病対策にも生産拠点は分散させておきたいものです。

現段階では根出しをしたキャッサバの枝を耕起した後に掘った穴にエリサンのフンかゾウムシのフンと一緒に埋めるメソッドを採用予定。これも水だけのものを対照実験として実験しております。しばらく育ったら最も長い新芽の長さあたりで効果を比較しようかと思います。そして2000本、理論的には月産1000頭前後のエリサン、ゾウムシを養殖できるはず。これもデータを取ります。これによって村にどの程度キャッサバを植えれば、自給的に昆虫養殖が可能になるか、示すことができるでしょう。

あー疲れた。腰が、腰が辛い。

この作業はラオス人スタッフと二人での作業だったので暑い日に耐え、よく頑張ったと誰かに褒めて欲しくなってブログにしました。村に導入しているゾウムシ養殖は、他から購入したキャッサバを使っているので、これから自給できるよう村の農地を順次整えていく予定です。

オフタイムの合間を縫って書いているエッセイのようなものが

第二回、配信されました。今回は毒があるかもしれないケムシに対して一喜一憂しながらどうにかして食べることを考える話です。突然昔の記憶がリフレインされました。どうぞご確認ください。記事には出てきませんが蛹はこんな姿です。

 Euthalia aconthea 蛹。なめらかな内部と適度な噛みごたえの外皮がおいしく、渋みも苦味もまったくないスッキリした味わい。 マンゴーから豆腐がとれたようでうれしい。 美しい多面体でどこから見てもエッジが美しい。

美味しいタガメアイス。近所で売ってるココナッツアイスにちょい足し。

近頃暑いですね。アイスの美味しい季節です。今日の気温は33℃。これから乾季の後に「暑期」というものが来ます。ラオスでは6月から10月が長い梅雨、雨季でそのあと10月から3月中旬ぐらいまでを乾季、そして3月から6月まで最も暑くて乾燥する暑期が来るそうです。4月には仏教正月「ピーマイ」があり、1週間ほど公的機関はお休み、市民の人たちも4月後半は休み休みダラダラしていて、道端でビニールプールを出し、道ゆく人に無差別で氷水をぶっかける活動(?)に勤しみます。熱中症対策として素晴らしいと思います。東京オリンピックでもボランティアはプールに浸かって案内するといいと思います。

近所に「ファミリーミニマート」というお店ができました。ファ(ミリー)ミ(ニ)マ(ート)、ファミマです。

ファ(ミリー)ミ(ニ)マ(ート)

ラオスに日本のファミマは進出していないので商標権とかは多分大丈夫です。ここの店主が英語を少し話せるのでよく行くのですが、そこで美味しいココナッツアイスを出しています。今回はそれをベースに使わせていただきました。70円でトッピングを2つ選べるココナッツアイス。

今日はお昼の休憩時間に数日前に作っておいたタガメアイスをトッピングしに行きました。タガメアイスのレシピはこちら。

  • タガメ(フン抜きしたもの)       2頭
  • 生姜                                         5g
  • バニラアイス           50g
  • ゴマ              適量
  • タピオカ粉            50g
  • 屋台で売っているココナッツアイス1人前

タガメを清潔な水に入れて5日間、毎日水を換えてフン抜きをし、横開き(ハサミで片側面を切り落とし、横に開く)してから、腹部の脂肪体と胸部の翅と脚の基部の筋肉をスプーンでこそげ落とす。生姜をみじん切りにしてタガメを合わせ、包丁で細かくたたく。なめろうを作る感じ。

タガメのなめろう

筋状の肉がほぐれ、脂肪体と混ざり合い、生姜の粒が見えなくなったら一旦容器ごと冷凍し、しっかり冷えたらバニラアイス50gと練り上げる。翅と脚は水で溶いたタピオカ粉とゴマに浸してから油でさっと揚げて冷やす。

揚げタガメの脚と翅

ファミマのココナッツアイスを購入し、アイスにトッピングしてタガメの翅を飾り付けて完成。

タガメアイス完成。木漏れ日がいい雰囲気。紫のご飯は仕様。スイーツによく合うよう甘めに炊いてある。

口に含むと先にやってくるタガメの強い香りと、後から生姜の粒をかみしめることで広がる爽やかな生姜のピリッとした味と香り。バニラの香りに負けていない。トッピングのグミのフルーツ香料にもふんわりと合うウソくさいフルーツ臭さ。そしてフン抜きのおかげで水臭さはほとんど感じられない。肉質の旨味はアイスとして吸収されていて違和感もない。見事なバランス。ココナッツアイスと負けないぐらいの個性があるので味比べも楽しい。ゴマの香ばしさをまといパリパリとした翅も具材として調和している。揚げてしまうとタガメの風味は消えてしまうことからこれまで揚げ調理に消極的だったが、「風味担当」の中身と「食感担当」の外皮を分けて料理し、後で合体する、という今回の調理法は風味と食感を同時に楽しむ上で効果的と思った。ごちそうさまでした。

動物倫理がここまで来たかと、感心してしまうイベントが開催される模様です。引き続きウォッチしていきます。

名付けられたゴキブリ

こちらの記事によると、アメリカテキサス州のエルパソ動物園で、別れた恋人の名前をゴキブリにつけて、昆虫食性のミーアキャットに与える様子をライブストリーミングするというもの。Quit bugging me! イベントなので「五月蝿い黙れ!」といったニュアンスでしょうか。嫌な思い出として葬り去りたい過去の名前を、ミーアキャットに食べてもらおうという企画です。

金銭のやり取りはないですが、SNS拡散を狙ったネーミングライツのようなもの、と言えそうです。ミーアキャットは相変わらずいつもと同じ養殖昆虫を食べるだけですので悪影響はないですし、育てられた生き餌用のゴキブリも名前をつけられたからといって食べられる運命に変わりはありません。なので先にはっきりさせておきますが、動物福祉、アニマルライツ、どこから見ても全く問題のないイベントです。問題ない、ということはここからいろんな派生を想像して教材として利用することができます。それでは参りましょう。

ゴキブリをヒヨコかハムスターにするとどうか。

めっちゃ触れる動物園、という色々と飼養に問題が指摘されている個人経営動物園があったのですが、そちらではめっちゃ触られたヒヨコとハムスターが他の肉食動物の餌として使われていました。

PIECEという動物愛護団体がこちらに挙げた質問書では、それそのものへの嫌悪感が書いているわけではなくて、それにより感染症などの悪影響を増大する可能性はないか、質問としてあげています。なので今回の場合、名付けイベントによって衛生状態が悪化することはないでしょうから、ゴキブリをヒヨコにしても衛生上の問題はないでしょう。少なくともバレンタインイベントとしての楽しみ方は少し減るような気もします。

金魚ならどうか。

多くの子赤(縁日の金魚すくいでよくいるシュッとした赤いフナ)が肉食魚の餌として使われています。赤い色合いもバレンタインらしくいいでしょう。魚に関する「苦痛」の研究は盛んですが、現在の効率的な漁業のあり方がだいぶ魚に肉体的な負担をかけるものなので、研究が魚全般の扱いを変えるまでの政治運動になるのはちょっと時間がかかるような気もします。イベント参加者が金魚がかわいそう、となるのか。ここら辺が分水嶺として気になるところです。ライブストリーミングをした映像とその食べ方(丸呑みタイプの方がいいかもしれないです)にも影響される気もします。

藁人形ならどうか。

ここからトリッキーになってきます。

「クソがきども」などと脅し文句を書いたわら人形を小学校の通学路につるしたとして、東京都江戸川区の男性(41)が9月27日、脅迫の疑いで警視庁小松川署に逮捕された。

https://www.bengo4.com/c_1009/c_1403/n_6816/

なるほど。イネ科の植物の死体を束ねて人型にしたものを吊るし、不特定多数の不幸を願う文言を書いて吊るすと脅迫罪。

さてこうするとゴキブリをミーアキャットに食わせるという「呪術」が公知の事実として知られている、恐怖感を感じるかどうかが争点になりそうです。逆にいうと、ゴキブリを食わせるという露悪的なイベントが「もともと一般市民がゴキブリへ感じている恐怖感を殺して減らす」という効果があるならば、そこに批判(嫌悪)は生じないような気もします。

スーパーでやると威力業務妨害

スーパーマーケットの店内にゴキブリ10数匹をまき散らして業務を妨害したとして、兵庫県警垂水署は5日、威力業務妨害容疑で、神戸市西区学園西町、市立小学校事務員の女(56)を逮捕した。「ゴキブリを生かしておきたくて、逃すなら餌がたくさんあるスーパーだと思ったが、業務妨害をしようとは思っていない」と容疑を否認しているという。

https://www.sankei.com/west/news/160705/wst1607050024-n1.html

証言だけ見ると心優しいゴキブリ飼育者に聞こえるんですが、どうやら言い逃れのようです。私も日本でゴキブリ飼育をしていましたが、絶対に逃さないよう、皆様気を付けましょう。

すると「ゴキブリに元恋人の名前をつけてミーアキャットに食わすという呪術」が一般的でないからこそ脅迫罪に問われず、動物園で隔離された状態でライブストリーミングするので衛生的に問題がないため威力業務妨害にならず、ミーアキャットは名付けられたゴキブリといってもいつもの食事をするだけで、それでいてSNSで拡散するので宣伝にもなる、というなかなか多方面に配慮の行き届いた、そして攻めた企画であることがわかりました。

ゴキブリがおもちゃにされて殺されるイベントに不快感を覚える人や、本来生き餌用に衛生的に養殖されたゴキブリと、全く別種の、別の場所の衛生害虫としてのゴキブリ嫌悪を混同したような、分類学を無視したイベントの悪趣味さ、それを学問を司るという建前の公立動物園で開催するという点に辟易する人も、私を含めているかもしれません。

もしやめさせたい場合は、狙い目は脅迫罪です。人型に整形した稲ワラでいけるわけですから「ゴキブリに元恋人の名前をつけてミーアキャットに食わすという呪術がある」という都市伝説(今時はフェイクニュースといいますか?)を広めることで、悪趣味に嫌悪を煽られて消費されるゴキブリが救えるかもしれません。戦略的に参りましょう。

Twitterでお声かけいただいて、こちらのラオスでの活動の自由時間(オフタイム)に何をしてるのか、まとめて連載をすることになりました。こちらのメディアはこのブログとは随分と異なる読者層とのことをお聞きしましたので、今までお会いしたことのない読者層方面に向けて届いたらいいな、と思って文章を書いています。日記形式のブログではなく改めて昆虫ごとで情報をまとめると、なかなか面白いものだなと思います。アドベンチャー枠ではなく「ライフスタイル」としての参加をしておりますのでよろしくお願いします。

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先日公開したゾウムシ養殖の動画、とても反響が良いとISAPH事務所からもお褒めの言葉をいただきました。動画パワーはやはりすごいです。「写真よりも動画の方が美味しそうに見える」との面白いコメントもいただきました。人の動きが入ることで、虫が社会的存在になって、得体の知れない違和感、というのがなくなっていったのだと考察しています。なので動画パワーをもっと使っていこうと考えています。


昨年に公開された、助成元である味の素ファンデーションからも、動画が公開されています。この時はGH4を持ったプロのカメラマンさんに撮ってただきました。

... "動画パワー" を続けて読む

現在、味の素ファンデーションからの助成を受け、国際協力NGOであるISAPHの協力のもとで昆虫養殖普及のためのパイロット農家の育成を行っています。
ゾウムシはあくまで「斥候」のようなもので、簡単で養殖しやすく、飼料も比較的安くバランスがいいため一番手にしました。その後には少し養殖に手間のかかる昆虫や、市場ニーズの強いもの、あるいは養殖コストが安く効率の高いものが二の矢、三の矢として控えています。そのような段階を踏んて効果測定をしながら活動を進めていくことを、こちらの業界では「ラダー(ハシゴ)を組む」と呼ぶそうです。それが単に徐々に難易度を上げることで離脱を防ぐ効果だけではなく、昆虫養殖への動機付けが促進したり、今後の課題の理解が促進するようなスペキュラティヴ(問題を提起する)な効果があったと感じたので、その経過をここにまとめておきます。これまでの活動の動画を作りました。村での会議でも上映してもらい、好評だったとのことです。

初めはみなさんドン引きでした。私も(今思い返せば)安易なもので、昆虫を食べている地域であれば、昆虫を養殖して食べることも受け入れてくれるだろう、と気軽に構えていたのです。ところが。この8月の写真。

... "スペキュラティヴ・ゾウムシ" を続けて読む

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ものすごい本が出ました。一般書です。公衆衛生学の教授が、妻と息子を共著者としてチームで作った、という家族崩壊しかねないのではないかと心配してしまう本です。これは全くの邪推で、素晴らしい良書に仕上がっています。公衆衛生学のはじめの教科書としても読めますので、私のラオスでの活動の意義を知りたい時の下地となるデータ集としても、もちろんオススメですが、私の驚きはそこではないです。

「平均」以外の統計用語を使わず、「GDP」以外の経済用語も使わずデータの重要性と、そこからファクトに近いものを選んでいこうという心構えを平易な文章で説明しています。本文で語られるいくつかの心構えのうち

直線本能 世界の人口はひたすら増え続ける、という思い込み

なんかは以前の記事「昆虫食は未来の食糧問題を解決しない。」とも直結する話です。


感想を呟いたら翻訳者にお返事をいただきまして、原著の志を汲み取り、「偉そうな文章を書かない」ことを心がけたようです。すごい。「だ、である」調は学術書を書く時に普通の文体で、翻訳版の価格が上がらないよう、紙の節約ぐらいの意識で使われてきたように思います。それを「偉そうに感じる」という理由でですます調を選んだ、というところに、やはり不特定多数の社会に向かって情報発信するからには、非専門家と専門家がタッグを組むことの重要性を改めて感じたのでした。専門家が一般向けに書籍を書く場合、専門書を読む前の要約入門書、のようなものになりがちです。しかし往往にして、ある分野の専門家になりたい人、というのはこういった本を読まずにガチの教科書に当たることが多く、専門家になりたくない人はそこまで興味を持ちません。この本は専門家の実体験や統計を駆使したデータの読み方、そしてデータは大事だけれども、それだけでは真実にたどり着かないことなどの失敗経験を通じて、「ファクトフルネスという態度」に気づかせようと作られたものです。なので専門家のスキルや経験はあくまでファクトフルネスに至るためのプロセスであって、それを手法としてうまいこと利用している、という点でものすごく一般書のあり方に自覚的であると思います。

そして見事な13問。バイアスを引き出すという意味で、3択の問題は恣意的にコントロールされています。これは回答者のありのままの考えを引き出すアンケートとしては良くないのですが、公衆衛生学の教授なのであえてバイアスが見えるようにやっていると思われます。世界はよりスリリングでドラマティックであるかのような思い込みを引き出された回答者は、ランダムに3択を答えるはずのチンパンジーの回答率を下回ってしまうのです。

もう一つお勧めしたいのが、この回答をチンパンジー以上に答えられた知識のある人です。統計や公衆衛生、世界の問題に自覚的に取り組んでいる方だと思います。統計の用語を理解しないとここら辺の理解は不可能だろうと私は思っていたのですが、この本は統計によってデータを扱うスキルではなく、その大切さ、というエッセンスを伝えることに成功していると感じました。伝え方。コミュニケーションの方法として、ものすごくストイックで、そのストイックさがとっつきやすさにつながっていますので感心することしきりです。つまりこの13問に答えられた人も、答えられなかった人もこの本のターゲットなのです。すごい。これぞ一般書。

そして、日本語訳者の宣伝の仕掛け方が新しくおもしろい。冒頭の13問(サービス問題を除く12問)に到達するには、本来ですとKindleの試し読みをダウンロードする必要がありますが、そのアクセシビリティを高めるためにウェブサービスとして実施しています。

このブログも多くはスマホで読まれているようです。一般向けにどう情報発信していくか。今は多様な手段がありますので、バチっとハマれば大きな資本がなくてもできてしまいます。すごい時代になったものです。それだけにどれを選んでいいかわからない。同じ分野の前例に習えばいい、となりがちです。

この宣伝活動を見て専門家が、非専門家とタッグを組んで、新しい価値を社会に向かって創り出せる時代がやってきた。未来は明るい、と感じました。

一方で、主著者の専門である公衆衛生で「世界は良くなっている」とは述べつつも、彼は「専門外ではわからないことはわからないと言う」という態度こそファクトフルネスと書いていますので、もうちょっと生態系と人間とのこれからの付き合い方について「ファクトフルネス」の続きが読みたいな、と思えてきました。

残念ながら「世界の生態系は悪くなっている」というのは彼が指摘するようなドラマティックな思い込みではないです。また、彼の専門分野である公衆衛生と生態系は密接に関連しています。1日2ドル以下でくらす最貧困層は生態系への依存度が高い自給的生活をしていますので、その土地の生態系を抜きに現金収入だけで一括りにすることもできません。(余談ですがアフリカの砂漠地帯での1日2ドル以下、とこちらラオスでの1日2ドル以下、の生活は随分と異なります。ラオスは割と現金を使わずに、それなりに豊かな狩猟採集生活ができる生態系があります。)また、気候変動に大きな影響を受けるのは私たち現金収入が十分なレベル4の人ではなく生態系依存度の高いレベル1の彼らである、という非対称性があります。この非対称性が、生態学の専門知識をもって最貧困層を支援すべき理由となるでしょう。今年は持続可能な開発を掲げたSDGsなんかが盛り上がっており、国際協力とビジネスを組み合わせることで、いつまであるかわからない寄付や助成金だけに頼らない持続可能な形にしよう、という「経済的持続可能性」はよく話題に登るのですが、その活動が現場の生態系に対してどこまで負荷をかけるのか、どこまで環境収容力があって拡大可能か、とのアセスメント がなされることがほとんどなく「生態学的持続可能性」をかたるSDGsビジネスはほとんどないです。経済的持続可能性をアピールしたいがために無限に活動が広まったら(ビジネス的に)無限に持続可能だ、といった生態学的持続可能性を無視した言い方をしてしまうアピールをしばしば見ています。

つまり援助業界のSDGsの流行に際して、サステナビリティの語源となったはずの生態学の専門家がなんとも不足しているのです。生態学の専門家と、おそらく非専門家とのタッグがいいと思います。ファクトフルネスの生態学分野での続きを、どなたかよろしくお願いいたします。


2019 0317 翻訳者からコメントをいただきましたので追記しました。

非常に丁寧にコメントをいただき、原著者に対して批判的なコメントすらいただけました。なかなか原著者に対する批判的な態度というのは難しいものだと思います。今回のやりとりは非常に満足度の高いポスト読書の経験で、「ファクトフルネス」を地でいく翻訳者の態度に感銘をうけました。これはすごいことをしていて、そしてここをマネタイズすることが翻訳、という世界の革命になっていくんだろうなと。特に一般書ですが、翻訳者は本当に原著を読み込んだ最初の人で、ローカル版(今回は日本語版)をつくるにあたっての最大のキュレーターでもあるんだろうと感じました。日本語版注釈について、かなりの日数と文字数をかけて(この具体的な数値があるのもマネタイズすべき分量が可視化されていてファクトフルネスですね)うーん。重ね重ねすごい。

そしてこれは真似していくべきなんじゃないかと。かかった労力を開示して、その価値を見出してもらい、この先はマネタイズをしないとこんなにいい体験は持続可能じゃないぞ、と危機感をもたせる。「書籍」が何冊売れた、という部分を大きく超えた「読書体験の提供」があるような気がして、わくわくしました。